コラム⑨ 夜間中学が問いかけるもの
日本の高度経済成長は、工業地帯の発展による人口の都市流入、生活家電の急速な普及など人々の生活のあり方を大きく変え、この時期の変化は「生活革命」(色川大吉『昭和史世相篇』)とも呼ばれました。第8章で触れられた通り、中等教育・高等教育機関への進学率が上がり、1970年代初頭には「学校化社会」が成立したとも言われます(木村元編『境界線の学校史』)。このコラムでは、このような時代に改めて注目された不思議な学校「夜間中学」を取り上げます。
夜間中学は、戦後の教育改革の中で新制中学校が義務化された後、貧困や差別、戦中・戦後の混乱等を背景に、昼間家庭や工場等で働く子どもたちのために、中学校の教師らが夜に授業を行う特別の学級や分校という形で始まったものです。夜間高校や夜間大学とは異なり、法的な裏付けはなく草の根で誕生した学校でしたが、全国的に不就学・長期欠席状態の子どもたちが多数存在する中で、各地に広がり、1950年代半ばには約90校が設置されていました。そこには、年下の弟妹の子守のために学校に行けなかった子ども、戦争で親を亡くして転々と親戚の間をたらい回しにされた子ども、被差別部落の出身で学校での差別から逃れるために早くから靴職人に弟子入りした子ども、家計を助けるために零細企業で働く子ども、漁業の技術を習得するために早くから見習いに出る子どもなど、様々な子どもたちが学んでいました。しかし、当時の文部省や労働省・厚生省等は、教育基本法・学校教育法や児童労働を禁止する労働基準法等の建前を崩すとして、夜間中学を積極的に認めませんでした。夜間中学の教師たちは、本来であればすべての子どもが昼間安心して学ぶことができるようになる状態を理想としながらも、理想とは異なる厳しい子どもたちの現実を直視しながら、夜間中学は「あってはならないが、なくてはならない学校」であるとして、その存在を守ろうと奮闘してきました。
高度経済成長期に入ると、不就学・長期欠席の子どもの数は減少し、夜間中学も全国的に急減します。しかし、日常生活や職業生活において基礎的な読み書きや計算の能力が不可欠な社会へと変化する中で、子ども時代に充分に学ぶことのできなかった義務教育未修了者が夜間中学に数多く入学するようになりました。他にも、中学校は卒業していても、実際には教室の中で授業の内容がわからなくても放置され、「落ちこぼされ」た経験をもつ「形式卒業者」も夜間中学に学びを求めて訪れ始めました。さらに、日本の植民地支配の影響下で朝鮮半島から日本に移り住み、まったく学校に通った経験のない在日韓国・朝鮮人や、第二次世界大戦の終結後も韓国・中国等に残留して苦難の生活を送った後にようやく帰国した日本人やその家族(引揚・帰国者)なども、1960年代後半から夜間中学に入学するようになります。1990年代以降は、グローバル化の中で日本に移り住んだニューカマーの外国人も夜間中学で学び始めます。
このように一度はその火が消えかかった夜間中学は、学齢期を過ぎた義務教育未修了者らの学びの場として再定義され、1970年代から徐々に増設を求める教育運動・市民運動が広がっていくことになりました。そして、夜間中学での教育は、単に小・中学校と同じ内容の知識を詰め込むためのものではなく、子ども時代に義務教育制度から排除され、様々な差別の中で尊厳を奪われてきた人々が、自らの尊厳を取り戻すことができるような学びを保障するためのものであるということが、徐々に教師たちの間でも共有されていくようになりました。
第13章では、「公教育とは、国家が運営する、すべての人に共通のことを教える、すべての人に開かれた教育」であると説明されています。夜間中学の歴史を見ると、「すべての人に開かれた教育」というのものが果たして実現した時代はあったのだろうかという疑問が浮かんできます。2020年に実施された国勢調査では、小学校を卒業していない未就学者や最終学歴が小学校であるという人が、全国で約90万人存在することが明らかになりました。2016年に公布されたいわゆる教育機会確保法は、地方公共団体がこうした義務教育未修了者に対して教育の機会を保障することを求めており、全国各地で少しずつ新たな夜間中学の設置が進められています。このような法的な支援を求めて、夜間中学の教師や関係者らは、何十年も「すべての人に義務教育を」と声をあげてきました。それは、夜間中学で学ぶ生徒の姿と生い立ちを通して、膨大な人たちが、基本的な読み書きや計算に苦労し、社会の中で辛酸をなめながら暮らしていることを知ったからでした。夜間中学の歴史からは、どの時代にも公教育から排除されてきた人々が存在し、その後もこの社会で生き続けてきたことが見えてきます。
また、「すべての人に開かれた教育」を本当に実現しようとするならば、すべての人に教えるべき「共通のこと」とは何か、という問題も鋭く問われざるを得ません。たとえば、公教育から排除されがちであった障害のある人たち、外国にルーツをもつ人たち等の存在を考えれば、「国民」形成という教育目標や、健常者中心主義的な学校文化を問い直し、普通教育が暗に想定する「共通のこと」の内実を組みかえていくことが求められるでしょう。そして、このように公教育のあり方を見直すことは、今なんとか学校に通いながらもそこで息苦しさを感じている子どもたちが、少しでも生きやすい空間へと学校を変革していくことにもつながっていくはずです。
ぜひ、皆さんの住んでいる地域にも夜間中学があるか、調べてみてください。夜間中学があるのであれば、どんな人がそこで学んでいるのか、調べてみましょう。もし夜間中学がないのであれば、なぜないのか、夜間中学を必要とする人が本当に一人もいないのかどうか、考えてみてください。夜間中学で学ぶ人々が生きてきた歴史と現在置かれている状況を知ることで、学校がこれまでどのような課題を抱えてきたのか、今何を変えていく必要があるのか、そのヒントをつかむことができるはずです。