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2024/8/23 最終更新

『これからの教育学』(5章)WEB限定コラム⑦ 

コラム⑦ 9月始まりの学校暦

【後藤 篤】

 

本書では、現代では当たり前となった卒業式のはじまりと、その内容の変化についてみてきました。卒業式のみならず、学校のコトについて歴史を遡ってみると、意外な発見がたくさんあります。ここでは以下、佐藤秀夫の著書『学校ことはじめ事典』を参考文献として、日本の学校の1年間(学校暦)について検討していくことにします。

 

【明治初期は9月入学だった】

現在、欧米をはじめ世界の学校の多くでは9月入学となっており、9月から新たな学年が始まります(9月始期制)。それに対して日本の学校は、4月に入学式があり、新しい学年が始まります(4月始期制)。西洋の近代教育制度をふまえてつくられたはずの日本の学校ですが、なぜこのような違いが生まれたのでしょうか。
実のところ明治初期の日本では、大学をはじめ小学校まで9月始期制を採用する学校は多く、帝国大学や旧制高校にあたっては、1920(大正9)年まで9月続いていました。このように、日本の学校の始まりの時点に遡ると、9月始まりの学校暦が採用されていたのです。
4月始期制を採用した最初の学校は、1886(明治19)年の高等師範学校で、その後文部省の指示により府県立の師範学校がこれに従ったとされます。教員養成を担う師範学校での4月始期制採用を経て、1892(明治25)年、小学校の学年の始まりが4月1日から3月31日までに統一されます。そして、1900(明治33)年の第三次小学校令及び同施行規則において法令上に明文化されることで、4月始まりの学校暦が定着していきました。

 

【4月入学に変わった理由】

では、なぜ4月入学に変わったのでしょうか。この点に関して、師範学校に指示を出した文部省は、①陸軍との人材獲得競争のため、②公費支出の便宜さ、③学年末試験が蒸し暑い6月中下旬に行われるので、学生の健康上よろしくない、という3点を挙げて説明しています。
まず、①についてです。1886(明治19)年12月に「徴兵令」が改正され、兵役の届出期日が従来の9月1日ではなく、4月1日に改められました。当時の師範学校には兵役の年齢にあたる二十歳以上の新入生が多く、9月始業のままであると、健康で学力のある人材が陸軍に取られてしまうことが懸念されたため、学校が4月1日に繰り下げた、というのです。
次に、②についてです。1886年にこれまで7月〜翌年6月であった国や県の会計年度が、4月〜翌年3月に改正されました。当時、学費や食費の全てを公的支出でまかなっていた師範学校も、それにならうほうが会計事務上便利である、というのです。
出会いの春。学校の4月を象徴する学校行事としての入学式。その始まりは教育的意義によるものではなく、軍と役人の都合であった、というわけです。
このように、当たり前のように過ごしてきた学校のコト(慣習)について、読者のみなさんにも是非調べてみていただきたいとおもいます。

 

参考文献

佐藤秀夫(1987)『学校ことはじめ事典』小学館