コラム⑩ 移民から日本の教育の現在を考える
日本に多くの移民が暮らしているという事実に驚く人は少なくないだろう。国際連合は、「通常居住しているのは異なる国に1年以上居住している人」を「移民」と定義している。この定義にもとづけば、日本には戦前から多くの移民が暮らしており、また近年その数は急増していると捉えることができる。2022年末において、日本に暮らす外国人の数は約308万人であるが、そのうち、約半分が就労に制限のない在留資格を有しており、定住傾向にある人びとである(法務省「在留外国人統計」)。本コラムでは、今後ますます増加することが予想される移民の視点から日本の教育の現在の課題を考えてみたい。
文部科学省の調査によれば、2021年度における日本語指導が必要な児童生徒数は、日本籍と外国籍を合わせると約6万人に及んでおり、10年間で1.5倍に増えている(文部科学省「日本語指導が必要な児童生徒の受け入れ状況等に関する調査(令和3年度)」)。特に日本語指導が必要な高校生の増加は著しいが、一方で問題とされているのは、かれらの大学等への進学率の低さ、中退率の高さである。高校生全体の進学率が73.4%、中退率が1.0%であるのに対し、日本語指導が必要な高校生の進学率は51.8%、中退率は5.5%となっている。高校生だけでなく、移民の子ども、その中でも日本語指導が必要な子どもは日本の学校で困難を抱えやすいが、その背景には何があるのだろうか。
第9章でも学んだとおり、日本の学校には「特別扱いしない」学校文化が存在する。「みんな同じであること」が重要視され、それぞれがもつ社会文化的差異やそれに基づくニーズの違いは軽視されがちである。たとえば、移民の子どもの場合、来日当初は通訳がついたり、日本語初期指導がおこなわれたりなど特別な支援がなされたとしても、ある程度日本語がわかるようになったと判断されれば、途端に手厚い支援は打ち切られ、特別扱いはされなくなる。しかしながら、「ある程度日本語がわかるようになった」という判断には注意が必要である。言語には日常生活で用いる社会生活言語と、学習の場面で用いる学習思考言語がある。前者は比較的習得しやすいが、後者の習得には5〜7年、あるいはそれ以上の期間が必要だといわれる(太田 2000)。すなわち、日本語でのコミュニケーションができるようになったとしても、学習に必要な言語は習得できているとは限らないのである。こうしたことが見過ごされると、「本人の努力や能力が足りないから勉強ができない」とみなされ、低学力のまま放置されることとなる。
さらには、「みんな同じ」を強いる日本の同化主義的な学校文化は、移民の子どものもつ文化を奪いとる奪文化化の装置であるともいわれる(太田 2000)。宗教的意味合いをもつピアスや明るい色の地毛は不良の証とされやすく、積極的な挙手や発言は疎まれやすい。こうした学校文化のなかで育つ移民の子どもたちは、自分のルーツを否定し、「日本人にならなければ」と思うようになってしまう。むろん、すべての学校が同化を強いているわけではなく、子ども一人ひとりの文化を尊重し、学校全体としてすべての子どもに複数の言語を教えたり、移民の歴史の学習を積極的におこなったりしている学校もある。しかしながら、それは一部の地域、学校に限定されており、多くの学校では依然として同化主義的な教育がなされている。
このように、日本の学校において移民の子どもたちは様々な困難を抱えやすいが、かれらが学び育つ場は学校だけではない。ボランティア団体が主催する地域の学習支援室や移民たち自身がつくりだしたエスニックな教会など、学校外の学びの場は移民の子どもの教育に重要な役割を果たしてきた。たとえば、移民が多く暮らす地域を中心に子どもたちの日本語や学習を支援する学習支援室は数多くあり、学校の移民の子どもに対する支援の不備を補ってきた。学校では低学力のまま放置されがちな子どもたちが学習支援室では丁寧な指導を受け、日本語や学力を向上させるという事例は多々みられる。また、エスニック教会で同じルーツの友人と関わるなかで、学校では否定されがちな自分のルーツを肯定的に捉え直し、エスニックアイデンティティを確立していく場合もある。様々な資源を提供する学校以外の多様な学びの場は、移民の子どもにとっては非常に重要であるといえよう。今後は、同化主義的で、「特別扱いしない」日本の学校文化を変革すると同時に、こうした学校外の学びの場を充実させ、移民の子どもの学びや育ちを支援していくことが求められる。
引用文献
・太田晴雄(2000)『ニューカマーの子どもと日本の学校』国際書院
・法務省(2022)「在留外国人統計」
・文部科学省(2022)「日本語指導が必要な児童生徒の受け入れ状況等に関する調査(令和3年度)」