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2023/10/16 最終更新

『これからの教育学』(10章)WEB限定コラム

コラム⑪ サンデル教授の警鐘

【神代 健彦】

 

マイケル・サンデルは、アメリカ合衆国の哲学者です。ハーバード大学教授で、政治哲学や倫理学に大きな業績を残している世界有数の哲学者といえます。2010年に放送されたNHKの番組「ハーバード白熱教室」で、まさに白熱した彼の哲学の授業が放送されて以来、日本でもよく知られるようになりました。ここでは、学術からエンターテインメントまでの幅広い分野にかかわる著名人のプレゼンテーションを無料で視聴できるTED(Technology Entertainment Design)のサイトで、「メリトクラシー(能力主義)」(『ここからの教育学』第10章参照)に関するサンデル教授のプレゼンテーションにふれてみましょう。

 

マイケル・サンデル「能力主義の横暴」TED2020,May 2020
https://www.ted.com/talks/michael_sandel_the_tyranny_of_merit?language=ja

 

サンデルが問題視しているのは、アメリカ社会における「勝者」と「敗者」の隔たり(divide)についてです。学校の試験を典型とするような、「機会の平等」を前提としたさまざまな競争の勝者たちは、自分の成功は自力で成し遂げたもの、だから自分は、その勝利から得られる利益や栄光にふさわしい者である、と考えます。のみならず彼らは、敗者に対して、その敗北の責任は敗者自身にあると考えます。能力のある者が有利になるという社会原理、高い能力をもつ者こそが地位や財産を得るにふさわしいという考え方――メリトクラシー(meritocracy: 能力主義)です。

 

しかし、サンデルにいわせれば、それは現実の社会を正しく理解したものではありません。貧困家庭に生まれた子どもは、成長しても貧困状態に陥りがちというデータがあります。他方で、裕福な親はその優位性を自分の子どもに継がせることができます。サンデルによれば、アイビーリーグ(アメリカ北東部の有名私立大学の総称)の大学の学生を調べてみると、アメリカで収入が上位1%の家庭出身の学生の数が、下位50%の家庭出身の学生を全員合わせたよりも多いといいます。裕福な家庭の子どもの努力を否定するわけではありませんが、しかし全体的な傾向としては、お金持ちである方が進学において、ひいてはその後の就職におけるより高い収入や社会的地位の達成において、明らかに有利であることがわかります。アメリカ社会の能力主義競争は、誰にでも平等に開かれているように見えて、実際のところ最初から有利な者もいれば、不利な者もいるという、不平等なものだといえます。
(ちなみに、メリトクラシーがより亢進した結果生まれた、このような「親次第」の社会体制には、「ペアレントクラシー」という新たな呼び名も与えられています。『これからの教育学』10章参照のこと)

 

さらにサンデルは、別の原理的な問題に言及します。それは、メリトクラシー(能力主義)の理想そのものに付きまとう負の側面です。メリトクラシーのせいで、勝者はその成功をあくまで自分の力だけで獲得したものと考え、自分がいかに恵まれた存在であったかを忘れてしまいます。実力があるように見える者も、その実力を獲得するうえで有利な環境に生まれた者であるという事実があり、その意味で『実力も運のうち』(サンデル著、 鬼澤忍訳、早川書房、2021年)であるにもかかわらず、それを忘れてしまっているわけです。

 

そして、自分の成功はすべての自分の力によるものと考える勝者は、敗者(その実態は、いろいろな意味で運に恵まれなかった人なわけですが)を見下します。彼らが競争の敗者となったのは、自分と違って怠慢であったから、努力を怠ったから、だから彼らが厳しい境遇にあるのは「自己責任」だ、ということなのでしょう。そしてそのことが、多くの労働者(能力主義競争で業績を残せなかった人たち)に大きな屈辱を与えます。反発が生じ、結果として社会がひどくギスギスしたものになります。そのようにしてメリトクラシーは、勝者をおごり高ぶらせ、敗者に屈辱を与え、そしてやがては社会の連帯(つながり)を破壊してしまう、とサンデルはいいます。

 

そうしたメリトクラシーの問題、それによって生じた社会的な隔たり、連帯の破壊の危険性は、日本社会も他人事とはいえないでしょう。では、わたしたちの社会がこうした考え方によって壊れてしまわないために、わたしたちには何ができるでしょうか。なにをどうすればいいでしょうか。

 

ちなみにサンデル教授は、この問題の処方箋として、「大学の役割の再考」「働くことの尊さの確認」「成功の意味についての再吟味」という3点を掲げています。詳細についてはみなさん自身で、リンクからTED動画を視聴して確認してみてください。そして、サンデル教授の処方箋の有効性について、日本社会に即して考え、話し合ってみましょう。わたしたちの社会と教育の現在と未来を、ぜひ、サンデル教授とともに考えてみましょう。