HOME > 書斎の窓
書斎の窓

連載

新・民法小説

東京大学法学部教授 大村敦志〔Omura Atsushi〕

第1話 民法小説って何?

1 その本に手を伸ばしたのはなぜだろう。いま考えてみても、わからない。でも、あの時の情景は目に浮かぶ。

 大学の正門を出て大通りを北に進み農学部の先を右に折れ、キャンパスに沿って坂を下りると左手に、この地域では有名な神社がある。今日はその境内の入口に、いくつかの段ボール箱が並べられている。ふと立ち止まってのぞきこんでみると、中に入っているのは古本のようだ。古本といってもまだ新品のものも多い。気がつくと暁月ぎょうげつは、箱の中からその本を抜き出していた。

 さわやかな青空。日本の5月の風は心地よい。境内の奥に赤いつつじで埋め尽くされた小さな丘が見える。少しだけ胸を張り空気を吸い込んで、手元の本に視線を戻す。お世辞にもきれいな本とは言えない。粗末な紙のその本は百頁ほどの小冊子。赤と黒と青の表紙が毒々しい。変なものを引き抜いちゃったなあ。一瞥しただけで、暁月は本をもとの場所に戻そうとした。

 暁月にとっては初めての連休だった。3月末に東京に着き、4月初めにはガイダンスや入学式、そして授業が始まった。がんばり屋の暁月は、留学生だからといって授業についていけないのは我慢ならない。だから、どの授業にもしっかり予習をして臨んだ。シラバスに書かれた参考文献を図書室で探して、予め目を通した。日本語は大学の時にしっかり勉強した。でも、専門書を読み通すのは簡単なことではない。この1ヵ月、平日はもちろん週末だって、外に遊びに行く気にはなれなかった。

 しかし、予想に反して大学院のゼミではクラスの大半は留学生だった。教授にもそのことはわかっていて、参考文献を分担して報告することになったが、一人ひとりが担当する部分はあまり多くはない。学部の講義にも出てみたけれど、こちらは大教室で教授が一方的に話すだけ。あてられて答えなければならない、なんてことはないようだ。そもそも、ゼミでも講義でも学生たちはみんな黙っている。な〜んだ。暁月は安心するとともに、ちょっと気が抜けた。

 緊張が解けてみると、まわりを見回す余裕も出てきた。連休の1日目には大学のキャンパス内を一通り歩いてみた。この大学は都内では一番大きなキャンパスを持つ大学だと聞いてきたが、中国の大学に比べると、狭いと言っても過言ではない。だからキャンパス一周には大して時間はかからなかった。それでも、生協の食堂やら書店、さらにキャンパス内に散在するカフェの場所がわかってよかった。小さいけれど美容院も見つけたし。昨日は、下宿の近所を歩いてみた。暁月の下宿は地下鉄が通る谷筋の大通りの東側、少し路地を入ったところにある。駅からそう遠くはないが、大学まで地下鉄で行くとすると、一駅乗ってすぐ降りることになる。だから地下鉄には乗らず、帰国した先輩から譲ってもらった中古の電動自転車で通っている。このあたりは坂が多いので、電動でないと厳しい。

 神社は大学と下宿のちょうど中間あたりにあった。いつもはその脇を自転車で走り抜けているが、今日は違う。天気もいいので散歩と探検を兼ねて、大学と下宿の間を歩いてみることにしたというわけだ。

2 あの本をすぐに箱に戻さなかったのはなぜだろう。もちろん、タイトルは目に入っていた。でも、心はつつじの丘に向かっていて、見なれない字体の表題は、意味のない形でしかなかった。残像が文字として認識されて意味が浮かび上がったのは、本を箱に戻したちょうどその時で、暁月は反射的にその本を再び手に取ったのだった。表紙には「民法小説」と書かれていた。

 本の裏表紙には値段らしきものは書かれていない。そもそも古本の値段ってどこに書いてあるんだろう。周囲を見回す暁月の様子に気づいたのか、40がらみの少し太った男が近づいて来た。「その本、ゴイリヨウデスカ?」、何を言われたのかよくわかなかったが、「お店の人ですか? これ、いくらですか?」と聞いてみた。箱の中の本は、どれも1冊500円ということだったが、「300円になりませんか?」と言ってみたら、あっさりと「いいですよ」と言われた。

 男は本を無地の封筒に入れて、こちらに手渡そうとしている。拍子抜けした暁月は、百円玉3つを財布から取り出しながら、さらに尋ねてみた。

 

「こんな本ってどこから探して来るんですか」

「どこって、いろいろですけれど、これは近所のお寺さんの蔵にあったんじゃないかな」

「お寺さんの蔵……」

「あれ、もしかして、外国の方ですか。このあたりはお寺さん、仏教の寺院が多いんですよ。それで、お寺には物を入れておく蔵があってね」

「どうして、寺にこんな本があったんですか」

「それは、わからないけど。それより、どうして、この本を買おうと思ったの」

「私は、大学で民法の勉強をしてますので」

「へえ、そうなんだ」

「これは小説みたいですけど、有名な小説ですか」

「さあ、どうだろうね。民法小説なんて聞いたことないね。もっとも、私が知らないだけかもしれないけど」

 

 暁月は下宿に戻って、改めてこの本を眺めてみた。表紙には表題のほか「第一集 離婚の訴訟」という副題があるばかりで著者の名前はない。本文は次のように始まっていた。

 

日本第二の大都会大阪は、三府の中でも川が多い。それで物を運びまするにも便利なのは、東京でも西京でも大阪には及びません。其替りには又困ることがある。昔から大阪の杭倒れと申しまして、川側の宅地を持っている人は入費が多い。

 

 古びた本らしく、言葉も今の日本語とは少し違う。でも、意味はだいたいわかる。漢字には平がなでいちいち読み方が示されているが、今の日本の読み方とは違う場合もある。たとえば「入費」は「いりやう」と読むようだ。最初の5、6頁を読んだだけでは、どこが「民法小説」なのかよくわからないが、パラパラとめくってみると、「婚姻届」「出生届」「私生子認知届」、そして最後には「離婚届」というのが出てくる。やはり民法に関係のある話らしい。

 一度手にした本は、何か得るものがあった、と思えるまで読む。それが暁月のやり方だ。だから、連休の後半はもう外出もせず、家にこもって辞書を片手に、『民法小説』を読み続けた。

3 連休明けの日、午前中のゼミの後に急いで昼食をすませて、暁月は出版社のY閣に向かった。自転車を譲ってくれた先輩がこの出版社でアルバイトをしていたが、それを4月から引き継いでいて、この日は新しい仕事の説明を聞きにいくことになっていた。正門前の大通りを横切って路地を進んで坂を下る。突き当たった道を左に折れて少し進むと地下鉄の駅がある。南行きの電車に乗り2駅目で下車して地上に上がると、そこには大きな古書店街が広がっている。

 大学の前の通りにも、5、6軒の古書店があるが、これほどの数ではない。先輩から聞いたところによると、ここは世界的に見ても珍しい大規模な古書店街だという。Y閣は駅のすぐそばにある。その隣にはI書店、さらにその隣にSE社、SG館が並ぶ。SE社とSG館はまんがの版元としてもよく知られている。Y閣は法律書出版社の老舗であり、その創業は明治初年に遡るという。長い間『六法全書』はY閣とI書店の2社が出版していたが、しばらく前にI書店が撤退、今ではY閣のものが残るだけである。

 暁月が受付で来意を告げると、しばらくして細身の女性がやってきた。見た感じでは、暁月とほとんど年は変わらないようだが、切れ長の眼に長い髪、いかにも編集者という感じのスーツを着こなしている。暁月はといえば、チュニックにレギンス、リュックを背負っており、髪型もショートボブで、その女性とは対照的な雰囲気である。暁月が少しひるんでいると、女性の方から話しかけてきた。

 

「鄧さんですね。王さんから話は聞いています」

「鄧暁月です。どうぞよろしくお願いします」

「ユン・ソラです。韓国のP社からY閣に長期研修に来ていますが、韓国語ができるということで、この企画をまかせられています。さっそくですが、仕事の説明をしますので、こちらにどうぞ」

 

 編集部の会議室で打ち合わせが始まった。ソラが担当している本は『東アジア民法入門』という本で、民法の重要な制度について日本・中国・韓国・台湾を比較するというものだ。原稿はそれぞれの国の学者たちが自国語で書いていて、日本語への翻訳は留学生が担当している。暁月たち留学生が訳した文章の内容や表現がおかしくないかどうか、各国の著者がチェックをし、最後に監修者の花村教授が全体に目を通すことになっている。

 日本では外国人同士、しかも同世代の女性同士ということもあって、仕事の話が終わった後も2人の話は弾んだ。

 

「そうですか。鄧さんって、花村先生が指導教授なんですか」

「ユンさんは、先生のこと知っていますか」

「お名前だけは。でも、鄧さんの指導教授とは知りませんでした」

「私もまだ日本に来たばかりで、先生のことはよく知りません。あっ、それと、私のことは『ギョウゲツ』と呼んでください」

「中国語だと、シャオユエですよね。じゃ、そう呼ばせてもらうけど、私のこともソラと呼んでくださいね」

「中国語、できるんですね。ユンさんは私よりも年上だから、韓国式だと、オンニ、ですね」

「あなたも韓国語できるのね」

「オンニ、私、連休に不思議なものを見つけたんです。よければ、少しだけ見てくれますか」

 

 暁月はリュックの中から「民法小説」を取り出した。

4 暁月は、「民法小説」を手に入れた経緯、連休中にざっと読んでみたことなどを話した。ソラは奥付に「明治三二年一月一七日印刷発行」と書いているのを見つけて、「これは明治民法の話ね」と言った。

「オンニ、明治民法って何ですか。今の民法とは違うんですか」

「一言で説明するのはちょっと難しいわね。日本の民法は1898年に施行されたんだけど、そのうちの家族法の部分は敗戦後の1947年に全面改正されているのよ。1898年は日本式に言うと明治31年だから、この本は民法制定の直後に出版されたことになるわ」

「明治時代にできたから、明治民法なんですね」

「ええ。でも、明治民法と呼ぶのは家族法だけ。というのは、いま説明したように、家族法は1947年に全面改正されたので、1898年の規定はもう現行法じゃないでしょ。いまでは現行法じゃない1947年以前の家族法のことを明治民法と呼ぶの」

「それでわかった。話が全然、男女平等じゃなくて古くさい。日本ってこんな国なの? と思ったけど、昔の話なんですね」

「そうね。昔の話よ。表紙の絵は裁判官みたいだけど、こんな法服、今は着てないし。でも、こんな小説があるなんて知らなかったわ」

「そうですよね。中国じゃ『民法小説』なんて、聞いたことない」

「韓国にもないし、今の日本にもないと思う。少なくともY閣では、こういう本は出してないわ」

「ここを見ると、この本、著者兼発行者が大淵渉、出版社は駸々堂となっているけど、聞いたことありますか」

「どちらも聞いたこと、ないわね。でも、面白そうだから、編集部の先輩方に聞いてみるわ」

「おねがいしま〜す。変な本だけど、なんか気になって、私」

第2話 民法を題材にした文学作品は?

1 ユン・ソラが乗ったタクシーはコンビニの前で止まった。ソラの後から降りてきた女性が横断歩道の向こうを指さして、「あれが正門、その先に見えるのが法学部研究室よ」と教えてくれた。先輩編集者の碧海万里だ。今日は、万里がT大の花村先生に校正刷を届けるというので、ソラも一緒についてきたのだ。外は小雨が降っている。華やかな柄の2つの傘が開いて、横断歩道を渡っていく。

 

「花村先生って、民法の先生ですよね」

「そう、うちでは契約法や家族法の教科書を書かれているわ」

「でも、今日の本はフランス法の話だって……」

「日本の民法の先生は、フランス法を研究している方が多いのよ。特にT大の先生方はね。韓国でも、実定法の先生方は外国法も勉強しているんじゃないの?」

「そうですね。でも、だいたいはドイツ法です」

「確かに、日本でもドイツ法を勉強している先生は多いけどね……その話はまた後で」

 

 万里は傘をたたみ、大きな重いドアを押して建物の中に入った。受付に声をかけて花村先生の部屋に電話をしてもらう。先生からは部屋に来るようにという指示があった。階段を登りながら、万里が続ける。

 

「さっきの話だけど、日本の民法はフランス法の影響を受けているのよ」

「そうなんですか。韓国と同じで、ドイツ法の影響を受けているって思っていました」

「見かけはドイツ法、でも、中味はフランス法。50年ぐらい前からそう言われているらしいわ」

 

 3階に着くと、先生の部屋は目の前にあった。「教授・花村多可志」というネーム・プレートのついたドアを万里がノックする。ソラは少しだけ緊張して、背筋を伸ばした。

2 花村先生は60歳ぐらいと聞いていた。ソラの父親と同世代だ。しかし、ドアを開けて二人を招じ入れた男性は、父親よりはかなり年上に見える。おじいさん、と言ってもいい。「やあ、よくいらっしゃいました。わざわざすみません。さあ、どうぞ、どうぞ」。声は思ったよりも若々しい。先生ははげ頭、ひげをはやしていて、蝶ネクタイを結んでいる。じろじろ見るわけにはいかないが、一見しただけでも、韓国の先生方に比べるとかなり派手な服装だ。フランス風なのかもしれないが、率直に言って、ファッション・センスはちょっと微妙だ。

 勧められた椅子に座ると、さっそく万里が切り出した。

 

「先生、今日は研修生を連れてきました。韓国から来ているユン・ソラです」

「ユン・ソラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「そうですか。韓国の方ですか。研修生というのは、どういうことなの」

「私はソウルのP社という出版社の社員ですが、今年からP社とY閣が協定を結びまして、それで研修生としてY閣に来ています」

「へえ、P社ねえ」

「先生は、P社をご存じですか」

「知っていますよ。P社から本を出す話もありますし。それにしても、日本語、上手ですね。日本に住んでいたこと、ありますか」

「いえ、初めて来ました」

「へえ、すごいなあ。ともかく、がんばって下さい」

「先生、これがご著書のゲラですが、不明な箇所には付箋を出してありますので、補充をお願いいたします。それと、鉛筆の書き込み部分もご確認いただけると幸いです」

「ありがとう。結構、付箋が出ていますね。で、いつまでに返せばいいの?」

 

 しばらく、今後のスケジュールなどが相談されたが、15分ほどで話は終わった。その後、先生がコーヒーを入れてくれて、雑談が始まった。窓の外は相変わらず雨模様だ。

3 花村先生の今回の本は、フランス民法に関する論文集だ。フランスでは「民法典」を大事にしようという機運が高まった時期が、これまでに何度かある。先生はそう話してくれた。授業などで話し慣れた話題らしく、よどみなく話は進んでいく。一区切りついたところで、万里がソラに水を向けた。

 

「そう言えば、ユンさん、この間、先生にお尋ねしたいことがあると言ってたわね。いま、伺ってみたら? 先生、まだ、お時間よろしいですか?」

「時間はいいけど、何ですか?」

「ユンさんの後輩が、民法を題材にした小説を見つけたらしいんですが……」

「へえ、どんな小説?」

 

 促されてソラは、暁月が神社の境内で変わった古書を買った経緯を説明した。聞き終えた先生は、「なるほどね。ちょっと待って」と言って、椅子から立ち上がり、壁のように並んだ書架の反対側に消えた。少しの間物を探す気配があり、先生は1冊の冊子を手にして戻ってきた。

 

「後輩の方が見つけた本って、この本ですか?」

「あ、そうです。その本です。先生もお持ちなんですね」

「ソラさんから尋ねられたんですが、こんな本があったこと、社内の誰も知りませんでした」

「まあ、珍しい本ですしね。民法学者の間でもほとんど知られていません」

「でも、どうして、先生はこの本をお持ちなんですか?」

「話せば長くなるよ。君たちこそ、時間は大丈夫ですか?」

 

4 花村先生は若いころにフランスに留学していたという。1980年代の終わりごろらしい。パリ市内に奥さまと2人で住んでいて、パンテオン広場にある大学まで、毎日、通っていたそうだ。

 

「法言語学という授業がありましてね。私の先生だったジェラール・コルニュ先生が始めた科目なんです。この授業の最初の回に、やはり留学に来ていた韓国の先生と知り合ったんです。彼が向こうからやってきて、私に『君は韓国人か』って訊いたんですよ。それからずっと付き合っていて、韓国人の友だちでは最も長いつきあいかなあ」

「それで、先生は韓国のこともご存じなんですね」

「うん、まあ、その話はまた別の機会にすることにして。それである日、コルニュ先生が授業の中で、『フランス民法典』をインブンカしたものが、19世紀には少なくとも3つ書かれている、という話をされたんです」

「インブンカというのは……」

「韻文というのは詩のことです。つまり、民法典を詩の形にしたものがあるとおっしゃった。で、授業の後に質問に伺ったら、このことに関する論文があると教えてくれたんですが、著者の名前がよく聞き取れなくてねえ。ただ、民法を詩にしちゃうんだ、と驚きました。コルニュ先生の口調も、どうだ、すごいだろう、という感じでした」

「すごいというのは、どういうことですか?」

「まあ、それは、詩の内容やテクニックの話じゃなくて、民法典を詩にしちゃう、それほど民法典は国民に親しまれている、という感じかなあ」

「それでフランスでは、民法典を小説にもしていたんですか?」

 

 花村先生によると、フランスにも、民法典そのものを題材にした小説はないらしい。もっとも、民法に関連する小説は少なくないという。

 

「僕らが学生のころには、フランス法を学ぶには、モリエールやバルザックを読まなければダメだ。そう言われていたんですよ。フランス法の野田良之先生がそう書いておられる。バルザックなんて、読んだこと、あります?」

「『谷間の百合』とか、でしょうか」

「韓国には、あまり翻訳がないような気がします」

「そうかもしれませんね。私の友人のある教授の奥さまが、しばらく前にゾラの翻訳を出したけど、フランスの小説の韓国語訳は日本ほどは多くはないかもしれない。日本は、バルザックの著作集、僕が持っているだけで2種類あるからね」

「バルザックの小説には、法律の話題が多いんですか?」

「そうですね。彼は法学部出身だし。たとえば、『禁治産』とか『夫婦財産契約』といった小説があります。文庫本にもなっていて、以前に娘が読んでいました」

「お嬢さんはフランスの高校に行っていたと伺ったことがありますが、フランスでは高校生も読むわけですね」

「いまはそうでもありません。パリで授業していて『禁治産』という言葉を使ったら、学生が、そんな言葉はフランスでは使わない、と言うんですよ。で、いや、君たちの国の言葉ですよ、昔は使っていたんだ、バルザックが『禁治産』という小説を書いているでしょ、と言うと、みんな知らないと言う。もちろん、バルザックは知ってるんですよ。でも、教科書に出ているぐらいのものしか読んでいない。日本の若者も最近は、鷗外も漱石もあまり読んでいないみたいなので、いずこも同じ、ですけどね」

「でも、さすが、フランスですね。鷗外や漱石には民法の話は出てきませんよね」

「そうでもなくてね。よく読んでみると、漱石には、民法に関連する話、結構多いんですよ。鷗外には、ひとつ、とても法的な内容を持った小説がある。私の親族法の注釈書で取り上げています」

「弊社の出版物ですね」

「その通り。会社に戻ったら、確認してみてください」

「ユンさん、漱石や鷗外の小説には、T大界隈がよく出てくるんですよ。漱石を片手に、このあたりを散歩してみるといいですよ。たとえばね……」

5 散歩の話が続きそうだったので、万里が口を挟んだ。花村先生は話し始めると止まらず、なかなか本題に戻ってこない。行きのタクシーの中で、万里はそう言っていた。

 

「先生、バルザックも『民法小説』のような、民法典そのものをテーマにした小説を書いていたわけではないということですね」

「そうそう、その通りです。だから『民法小説』は、フランスにもない珍しい小説なんです」

「でも、日本でも『民法小説』のことは、ほとんど知られていないですよね。先生はどうやって、この小説のことをお知りになったんですか」

「そこが大事なところでしたね。もう、7、8年前に、T大で法制史の小さなシンポジウムが開かれたことがありましてね。その時に、同僚のある教授の依頼で、『明治日本における民法典の継受』について話すことになったんですが、このテーマ、ある意味では定番のテーマですよね。今までに、たくさんの人がいろいろなことを書いてきました」

「条約改正のために民法典の制定が必要だった、という話でしょうか」

「それもあるし、まずボワソナードの旧民法ができたけど、法典論争が起きて、現行民法が改めて作られたとかね」

「それで、法典の体系はドイツ式になったけれど、中身はボワソナードの影響が残っていて、フランス式のところがある。そう大学で教わりました」

「星野英一先生以来、そう言われているわけで、それを繰り返して言っても仕方ない。フランスにせよドイツにせよヨーロッパから日本に、いわば輸入された民法というものが、当時の法曹や法学者だけでなく一般の国民にどんな影響を与えたのか。そういう話をしたら面白いかなと思ったわけです。それで、資料を探していたら、たまたま『民法小説』というのに行き当たったんですよ。シンポジウムでは、こんな小説が書かれるぐらい、当時の人たちは民法に興味を持っていたという話をしたわけです。フランスが『詩』なら、日本は『小説』だ、ということで、コルニュ先生と張り合う気持ちも少しありましたね」

6 「そうなのですね、ありがとうございました。それでは、先生、校正刷よろしくお願いいたします」。万里が言った。

 今日のことを暁月に話したら、きっと驚くだろうなあ。ソラは心のなかでにんまりしながら、席を立った。ドアまで送ってくれた花村先生は、ソラを呼び止めて言った。「そうだ。さっきの『民法小説』、実は1冊じゃないんですよ。私の研究室にはあと2冊あります。お貸ししますので、よければ読んでみて下さい。できれば感想を聞かせて下さい」。えっ、宿題⁈ 予想外の展開に驚いたが、断ることができる雰囲気ではなかった。

 

新・民法小説――連載と資料掲載にあたって

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016