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書斎の窓

連載

ベルリンで考える政治思想・政治哲学の「いま」

第3回 カトリック・グローバリズムを考える

東京大学社会科学研究所教授 宇野重規〔Uno Shigeki〕

 映画通でもなんでもない筆者であるが、現代ドイツで活躍する映画監督として、真っ先にその名が浮かぶのは、ヴィム・ヴェンダースである。個人的に印象深いのは、『パリ、テキサス』、『ベルリン・天使の詩』や『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などであるが、そのヴェンダース監督の新しい映画が公開されたという。タイトルは、『ポープ・フランシス:ア・マン・オブ・ヒズ・ワード(Pope Francis: A Man of His Word)』。主役はなんとローマ法王である。

 かつてニュー・ジャーマン・シネマの担い手とされた鬼才は、なぜいま、ローマ法王のドキュメンタリー映画を手がけたのか。カトリック家庭に生まれたとはいえ、この監督が単純に宗教的な理由で映画を作るとは思えない。その理由は何かと考えつつ、映画館に向かった。この稿を執筆している段階では、まだ日本では公開されていないようだが、なかなか興味深い映画であったように思う。

 この映画は、ローマ法王フランシスコを題材にしたドキュメンタリーである。法王が世界の各地を駆け巡り、人々と会い、接する様子が丹念に記録されている。と同時に、長時間にわたる法王自身のインタビューが映画の主要部分をなしている。一つ間違えば、ローマ法王庁の宣伝映画になりかねない素材だが、多くのドキュメンタリー映画を手がけたヴェンダース監督の手腕と、そして何より飾らない法王自身の語り口がそのような臭みを防いでいる。

 この法王、日本ではもっぱらその出自の珍しさで知られているのではなかろうか。初のアメリカ大陸、そして南半球出身の法王である。しかも初のイエズス会出身ということで、その経歴の多くに「初」がついている。

 とはいえ、この法王の特徴を、そのような表面的な「新しさ」だけで捉えてはならないだろう。彼は長く軍政が続いたアルゼンチンの出身である。軍政に対する批判者や抵抗者を匿い、多くの苦難を乗り越えてきたその姿は、映画『ローマ法王になるまで』に詳しい。軍による自由の抑圧を批判しつつ教会組織を維持するには、並々ならぬ信念と手腕が必要であったろう。

 また、法王になるにあたって彼は、清貧の中で信仰を貫いたアッシジのフランチェスコにちなんでフランシスコの名を選んでいる。現代世界における格差や貧困の問題に対して格別の関心を持っている法王は、実際に世界の各地に赴き、貧しい人々との接触を積極的に繰り返している。映画の中でも、台風の被害にあったフィリピン訪問の映像が印象的であった。さらには、バングラデシュではロヒンギャ難民の問題、そしてヨーロッパ諸国ではシリア難民の問題にも向き合っている。難民キャンプや刑務所、学校こそが、この映画の主要な舞台となっているのは偶然ではないだろう。

 環境問題もフランシスコ法王が強い関心を示しているテーマの一つである。映画では海洋に投棄された大量のペットボトルの映像が衝撃的であった。ペットボトルのプラスチックは容易に自然には分解されない。海洋に流れ込んだマイクロ・プラスチックは、生物の体内に入り込み、深刻な被害をもたらしている。この問題において対策の遅れている日本の近海は、まさに「ホットスポット」であり、我々にとって問題はよそ事ではない。

 この映画は単にローマ法王のドキュメンタリーに止まらず、現代世界の諸問題を映像化し、可視化することがその主題とも言える。逆に言えば、ローマ法王はそれだけ幅広い問題について、発言する能力と手段を持っていることになる。その意味では、この映画はローマ法王を素材としつつ、ヴェンダース監督なりに現代社会の現状を映し出していると言えるだろう。

 法王は各地で一人ひとりの顔や体に触れ、祈りを捧げる。そのような法王の姿を一目でも見ようと、大勢の人々が押し寄せる様子は、世界においてカトリック教会の影響力を感じさせる。現在、世界におけるカトリック信者の数は13億人に及ぶ。アフリカにおける信者の増加が著しく、アメリカ大陸においては南米が圧倒的である。今やカトリックはもはやヨーロッパと北米中心の宗教ではない。フランシスコ法王の選出といい、このような映画といい、カトリック教会の現状と趨勢をよく示していると言えるだろう。

 ある意味で興味深いのは、この法王の「政治」との接し方である。法王のモットーは、「あまり語らず、多くを聴く」だそうである(もっとも映画の中のフランシスコ法王は、とても雄弁だが)。画面にはアメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、ドイツのメルケル首相を始め、世界の多くの政治指導者が登場する。エルサレム訪問の様子もしばしば映し出される。

 しかしながら、特定の政策についての声高な主張は映画の中で語られない。バングラデシュでは「ロヒンギャ」の名前すら口にしなかった法王である。政治との接し方はあくまで慎重だ。とはいえ、あたかも風景のように映し出されるトランプ大統領の姿こそ、法王と世界を揺さぶるこの政治家との距離を暗示しているだろう。

 法王は世界の政治指導者に対し、対話のチャネルを開き、なるべくその話を聞こうとしている。ただし、それはその指導者に対する賛同を意味しない。かつて長くアルゼンチンの軍政下で苦難を耐え忍んだ法王である。是認はしないが、正面からの衝突もまた望まないというのが、この法王の政治的スタンスであろう。それでも法王はチャンスを見定めて、批判的な言葉を発する。映画のタイトルが示すように、法王はただその言葉をもって、世界の現実に向き合おうとしていることは間違いない。

 米国の連邦議会の演説では、法王は「自分に安全が欲しいなら、人にも与えよ。自分にも機会が欲しいなら、人にも与えよ」と説いている。相互性こそが法王の政治哲学のキーワードであり、かつ、外国からの移民を制限したり排斥したりする勢力に対する牽制を忘れない。相互性と多様性、そして多様な人々による補完性という法王のメッセージは、映画の中のインタビューでも繰り返し強調される。

 映画を締めくくるにあたって法王が強調するのが、希望とユーモアである。世界が不安定化し、さまざまな対立が顕在化するなかで、法王はそれでも希望を持ち続け、ユーモアの精神を忘れないことの重要性を説く(「ユーモアのセンス(sense of humor)」と、法王はあえて英語を使って表現した)。

 現在、西欧ではキリスト教の影響力の後退が言われている。実際、西欧諸国内の信者の数は減り続けているし、聖職者の不足や、教会の閉鎖も珍しくない。しかしながら、すでに触れたように、世界全体でのキリスト教徒の数は飛躍的に増えている。西欧や北米以外において信者の数を増やしているキリスト教は、いまだに世界を代表する最大の宗教勢力であり、中でもローマ法王の権威と影響力には巨大なものがある。

 カトリック教会では、ポーランド出身で民主化運動の精神的支柱になったヨハネ・パウロ2世、枢機卿として彼を支えたドイツ出身の理論派ベネディクト16世、そしてアルゼンチン出身のフランシスコ法王と続いている。中でもベネディクト16世はあえて生前にその地位を退き、フランシスコ法王に道を譲っている。カトリック教会内に性的虐待事件があったとはいえ、よりグローバル化した世界に適応するためのカトリック教会の戦略性がうかがえよう。

 話がやや飛ぶようだが、ベルリンでいろいろなクラシック音楽を聴くなかで、印象的だったことがある。とくに若い音楽家で顕著だが、イスラエルやロシアなど、西欧や北米以外の地域出身者が目立った。明らかにクラシック音楽は、人材を世界の多様な地域から求めている。逆にいえば、世界の多様な地域は、クラシック音楽を楽しむばかりでなく、その担い手を輩出するようになっているのである。そこに、クラシック音楽の生き残りのための戦略性がみて取れるだろう。その戦略性はカトリック教会のそれとまったく別のものではないはずだ。

 カトリック教会といい、クラシック音楽といい、本来は西欧に起源を発するものである。西欧の中でも、とくにイタリアやフランス、ドイツなど大陸諸国との歴史的な結びつきが深い。そのことを思うと、やや大胆すぎる物言いにはなってしまうが、イギリスやアメリカといったプロテスタント諸国によるグローバル化とは異なる、「もう一つのグローバル化」をそこに見て取ることができるのではないか。いわば「カトリック・グローバリズム」の現状を示しているのが、この映画である。

 思えば、ルター派に代表されるように、プロテスタントのイメージが強いドイツであるが、人口で言えば、カトリックの勢力はそれにまったく劣らない。前回この稿で論じたメルケル首相はプロテスタント牧師の子どもであったが、こうして見ると、カトリックといい、プロテスタントといい、現代ドイツ社会において依然として重要な影響力を保持しているのかもしれない。

 現代世界において、多様な対抗グローバリズムが生まれつつある。イスラム・グローバリズム、チャイニーズ・グローバリズムなどがそれであり、カトリック・グローバリズムもまた有力な一つであろう。日本はこれからいかなるグローバリズムに参加していくのだろうか。そのことを考えるためにも、参考になる映画であった。

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