HOME > 書斎の窓
書斎の窓

巻頭のことば

化石の言い分

第4回 ビデオ検証の功罪

法政大学大学院法務研究科教授 交告尚史〔Koketsu Hisashi〕

 プロ野球と言えば私にとってはほとんど王、長嶋の世界であるが、両選手の引退で一挙に興味を失ったわけではなく、西武の秋山幸二選手がバック転でホームインしたところまでは記憶がある。それ以降は全く関心がないが、それでも誰かが近くでテレビを見ていれば、つられて画面に見入ることはある。あれは昨年の日本シリーズ、ソフトバンク対DeNAの第何戦であったか。ソフトバンクの攻撃で、満塁のチャンスに打者が右翼に上手く転がした。三塁走者は無論生還。問題は二塁走者だが、三塁コーチは突入を指示。球審の判定はアウト。その時ソフトバンクのベンチから監督が出てきて、手の甲を2つ叩いたように見えた。すると、審判が全員上がってネット裏の部屋に消えて行く。いったい何が起こったのか? と思ったその時、球審がマイクを取ってこう言った。「これからビデオ検証に入ります」

 リクエストと命名されたこの制度を化石が知らなかったのは当然として、現代人諸氏の中にもご存知なかった方が存外おられるのではないか。本格導入は今年からだと聞いている。この新制度に対して評論家の権藤博がさっそく危惧を表明した(2017年12月7日付け日経新聞スポーツ欄「悠々球論」)。権藤の主張の骨子は、以下の3点である。①ビデオ検証を行うことにより、場合によっては試合の流れが切れてしまう。②判定が頻繁に覆ると、審判の権威が落ちる。③人間の審判がサジ加減を働かせるところに野球の味がある。権藤はこの制度の運用がよほど気になるとみえて、今年に入って再度論陣を張った(2018年3月29日「悠々球論」)。今度は特に②に力点を置き、当今の審判の弱い立場(昔は強かった)を護る手段を講じる必要があると説いた。権藤博と言えば権藤、権藤、雨、権藤の権藤であるから、私よりも大分年輩のはずであるが、頭脳は私よりも相当に柔らかい。なぜなら、権藤は一応リクエスト制度を受け容れているからである。1、2回ビデオを見て明らかに誤審と分かる場合は判定を変更し、そうでない場合は審判の権威に敬意を表して続行した方がよいというのが権藤説である。つまり、彼は③のような意見を表明しているものの、落とし所は①と②の不安を払拭することにある。それに対して、私は③一本槍の頑固者である。

 最近、酒席に出る度にこれを話題に出す。若い同業者や法科大学院の学生と話すと、誰もが良い方向に向かっていると言う。「何が良い方向なのだ」と尋ねると、「だって、その方が公正じゃないですか」という答えが返ってくる。私の方も、走者のベースタッチが先か捕手のタッチが先か(同時でもよい)は客観的事実であるから、その認定を基礎としてアウトかセーフかの判定を行うべきだということは認める。問題は客観的事実の認定手段として機械を採用するかどうかであるが、それには断固反対である。プロ野球は興行であり、面白くなくてはいけない。権藤が前記③の「味」の一例として挙げている王ボール、長嶋ボール(王、長嶋と柴田、高田、土井とではストライクゾーンが微妙に異なることを意味する)もあっていいと思う。

 酒宴もそろそろお開きという頃、酩酊した化石の脳裡に、1969年の日本シリーズ巨人対阪急第4戦で起こった有名な事件が浮かぶ。巨人の攻撃、無死一、三塁で長嶋が空振りで三振。その瞬間、一塁走者の王が二塁に走った。捕手岡村が二塁に送球すると同時に三塁走者の土井が本塁に突っ込む。二塁から球が返ってタイミングはアウト。しかし、岡田球審の判定はセーフ。岡村は抗議のうえ暴行に及んで退場。その日の岡田球審の評判は良くなかった。ところが、翌朝の新聞写真で土井の足が岡村の股間をすり抜けていることが判明し、岡田はたちまち名審判となった(織田淳太郎『捕手論』光文社新書、2002年、93頁および170頁)。これを話せば、若者たちは「その時代にリクエスト制度があれば、岡田さんはその場で名審判になれたじゃないですか」と言うだろう。だが、私はその新聞写真が余計だったと考える人間である。岡田、岡村、土井、それぞれ自分の思いを抱いて逝けばいいではないか。

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016