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書斎の窓

座談会

地方自治研究のあり方とは

『地方自治論 ―― 2つの自律性のはざまで』刊行に寄せて

大阪大学大学院法学研究科教授 北村 亘〔Kitamura Wataru〕

東北大学大学院教育学研究科准教授 青木栄一〔Aoki Eiichi〕

甲南大学法学部准教授 平野淳一〔Hirano Junichi〕

東京大学大学院法学政治学研究科教授 金井利之〔Kanai Toshiyuki〕

Discussion

北村 亘
Kitamura Wataru

青木栄一
Aoki Eiichi

平野淳一
Hirano Junichi

金井利之
Kanai Toshiyuki

北村 亘・青木栄一・平野淳一/著
A5判,254頁,
本体1,900円+税

企画の趣旨

北村 昨年12月に青木栄一先生と平野淳一先生と私の3人でストゥディア・シリーズから『地方自治論』という教科書を出版いたしました。本日は、金井利之先生をお招きし、本書をどのようにお読みになったのかを伺いながら、本書の特徴と地方自治研究のあり方などについてもお話ししていければありがたいと思っております。金井先生にはお忙しいところ、このようなお役目をお引き受けいただき御礼申し上げます。

 本書の狙いについては「はしがき」に書いたとおりなのですが、あくまで初学者には地方自治に関する情報をまんべんなく知っていただくことを目指し、公務員や地方自治関係者の方々には日々の仕事を取り巻くコンテクストを提示することを目指したわけです。あえて比喩的に申し上げますと、百貨店や大型ショッピングセンターではなく「街角のコンビニエンスストア」のような教科書を想定していました。その心は、高級ブランド品を扱うのでもなければ、目玉商品や多種多様な品を扱うわけでもありません。あくまで、定価販売で安定した品を幅広く扱う教科書というわけです。便利に、文字通りの地方自治研究の入口としてまずは参照していただけることを目指しております。

 このような試みが成功しているかどうか、3人とも非常に気になっております(笑)。そこで、金井先生にどのように本書をお読みいただいたのかというところから、まずお伺いしたいと思います。

金井 簡単に言えば、地方政府の主人公として首長と議会と地方公務員を設定して、その為政者側の目線で書き切ろうという、非常に意欲的な章立てにしているかなと思いました。規範的にはいろいろ問題がありうると思いますけれども、論理的には非常にわかりやすい構成です。

北村 サプライズがあったと伺いましたが。

金井 どちらかというと政治家を重視する北村さんたちが、「地方自治論」の教科書を、自治に携わる行政職員にも重点を置いて書かれたことには驚きました。ただし、行政職員に重点を置く書かれ方は、これまでの地方自治論研究の中ではむしろ主流派といえます。政策法務論や自治体学と呼ばれる研究では、良識的で抽象的な市民感覚をもった行政職員が、市民的な自治の研究者や知的水準も生活水準も高い市民とともに自治体を運営していく構想だったように思えます。自治体の職員を中心にした自治の主体形成論なのです。ただ、その人たちは中央の政官財の権力者たちには虐げられているという意味では、主体といっても半主体というところでしょうか。松下圭一先生や田村明先生、西尾勝先生なども職員向けの教科書をお書きになられたわけです。「植民地エリート主義」くらいですかね。おそらく、村松岐夫先生はそういう国政と直結したがる政治家を軽視する伝統が大嫌いだったと思います。その意味では、首長に焦点を当てて『地方自治入門』をお書きになった稲継裕昭さんのほうが平均的市民を代表した地方政治家が地方自治を担うという意味で、開明的職員の前衛主義を否定する村松先生の流れに沿っているように思います。しかし、村松先生の影響を受けている北村さんや青木さんが伝統的な主流派とも合流しているというのは驚きでした。

北村 決して地方自治研究の植民地エリート中心観を継承しているわけではありません。もちろん、復活も目指しておりません(笑)。首長、地方議会、そして職員の三者を地方政府の主人公としていますが、職員を政治的代表である首長や地方議員と同じ比重を置いて描いているのは事実です。

金井 もう1つの流れは、教育行政学の伝統的枠組みを見事に自治体研究の中に織り込んでいるということです。これは青木さんが意識的にされたのだと思います。教育行政学の系譜で言うと、第1の教育法関係と第2の教育法関係という枠組みがあります。第1の関係論とは教員と教育行政関係の議論で、第2の教育関係論とは教員・学校と生徒・保護者との関係の議論です。本書の枠組みは、教育行政学における枠組みとも重なり合っているのです。自治体職員をも主体に据えて政治家好きの近年の自治体研究に対して、北村さんが自治研究のオーソドキシーとの合流を目指して、青木さんが教育行政学における伝統的な枠組みを見事に継承しているという意味で、そういう位置付けだなというふうに私は読んだということです。

青木 以前に、村松先生が「団体自治」と「住民自治」に分けて考えるということには違和感があるとおっしゃっておられました。これが非常に印象に残っていました。ふたつには分けられないし、分けて考えるのは適切ではないということだと思うのです。本書ではあくまで地方自治体の最終的な責任者が選挙で選ばれているということが重要であって、委任関係を遡れば住民が重要だということになるのではないかと議論しています。選挙で選ばれた代表がどのような課題に直面しているのかということを描くのが重要だと考えたわけです。

金井 村松・稲継先生流の政治家好きの流れも無視していないということですね(笑)。ところで、枠組みを決める際に、先行する教科書などで意識したものはありましたか。

北村 私の場合は、『ホーンブック地方自治』と『テキストブック地方自治』です。とはいえ、前者には法律も制度も運用も実態が網羅的に書かれておりますし、後者には研究成果に基づいて制度の作用が描かれております。研究においては、まさに大型ショッピングセンターや百貨店です。ですので、ここにどのようにつなげていけばいいのかということが入門書としての課題だと思ったのです。

 本書は、最初の企画段階から明確に地方議会を中心とした地方政治の研究成果を取り込もうとしました。地方議会なくして地方自治体の決定は理解できないと思ったからです。このことは、決して植民地エリート主義ではないことの傍証になるでしょうか(笑)。そこで、この分野でご活躍の平野淳一先生をお誘いしたわけです。

平野 これまでの地方自治の教科書を見てみると、選挙のことに関しては一応触れられてはいるんですけれども、内実とかそういったことを踏まえた上でデータで細かく議論しているものがあまりないように感じました。住民参加も直接民主主義の説明も大事なんですが、僕としては、都市と地方でだいぶ違いはあるにしても、選挙がやはり重要だと思うんです。住民は選挙を通じてかなりの影響力を行使しているんじゃないかなという実感がありました。現職首長が負ける例とか、僅差で勝っても政治的に影響力をなくすみたいな話もあるんですね。そういったところをもっと知ってほしいということで、選挙の話や地方政治家の話を細かく書きました。

初学者向けの教科書づくり

金井 教科書というのは、ちょっと矛盾する側面を持っていますよね。初学者に対して満遍なく知識を提供しなければならないですが、他方で、教科書だからこそただ雑然と知識が出されても困るので、体系的な視座を提供する必要があります。すると、体系的な視座を提供しようとして、こぼれ落ちるものがどうしても出てきます。このあたりが非常に矛盾する試みだと思います。法律学でよくいう教科書と体系書の違いですね。体系書を目指すと教科書にならず、教科書を目指すと体系書にならずというところです。

北村 私自身は「はしがき」に書きましたように、大胆にそぎ落とすことにしました。本書では歴史的経緯も国際比較もありませんし、市民も利益団体もアクターとして取り上げていませんし、事例も教育と福祉だけしか取り上げていません。

 私自身は、あくまでミニマムな情報で読者の関心を最大限にするというつもりでおりました。決して重要ではないという意味ではなく、それらは重要だからこそ、次のステップに進んでもっと勉強してほしいと思っています。この点は、青木先生や平野先生にもご賛同を得て、割り切って執筆をはじめました。

青木 テキストづくりという観点で言うと、やっぱりテキストは大学教育で使うことが多いでしょうから、そのときに「20歳前後の学生の社会科見学」だと意識したんですよね。例えば、首長という人がいるのはわかっているけれども、どういうふうに選ばれて、どんな日常を、どういう業務をしているのだろうかということをわかるようにしたいと思ったのです。7頁に「首長の1日」、あるいはその隣に「知事室の様子」というのがあります。こういうものを見せることで具体的なイメージが湧くようにしたいと思いました。そうすると、授業でゲストスピーカーとして首長や議員、職員を呼べない場合でも、ゲストスピーカーをお招きしたときと同じ機能を果たせるのではないかと考えました。そう考えると、首長と議員と職員が、実際に「見える存在」で、教科書に盛り込むべきアクターなんだろうなあと思うんですよね。逆に言うと、周辺的と言っていいのかわかりませんが、市民団体とかそういうアクターはなかなかまだ「大人の社会科見学」の対象になりにくいのかな、なんていうふうに思いましたね。

 あとは、第4部は、ディマンド・サイドよりもサプライ・サイド目線を強く意識したと思います。教育、福祉というのは対人サーヴィスの提供です。そうすると、実際に執行している職員やその背後で決定を行っている首長や議会が中心になります。そういうことから考えると、金井先生のおっしゃるように本書が統治者目線あるいは為政者目線だというご指摘は、改めて考えると、当たっているかなと思いましたね。

統治者目線の地方自治論――圧力団体の取り扱い

北村 いま、青木先生からご指摘があった「統治者目線」あるいは「為政者目線」の地方自治論というご感想について話を進めていきたいと思います。実は、金井先生から本書に対する最初のご感想が「統治者目線の地方自治論」というものでした。偶然、同じ日に別の先生方からも同じような感想を頂き、3名の共著者が驚いた次第です。

金井 ただ僕は、それはむしろ地方自治体研究の主流派であって、本書は決して大胆ではないということです。だから、むしろ本書は自治体研究の中では従来からの流れに乗っています。もし、政治学を意識しているのであれば、メディアに加えて、圧力団体あるいは利益団体の話は絶対に入ると思うわけです。政党があって、官僚があったら、圧力団体を入れないわけにはいかないだろうと村松先生ならおっしゃると思うんです。非営利団体(NPO)と呼ぶか町内会や自治会と呼ぶかはともかくとして、圧力団体を入れざるを得ないだろうというのは普通の反応で、なんでそれが入ってないんだというのが恐らく自然に出てくる疑問だと思います。ここは少し違和感があります。

北村 我々は、最後は圧力団体があっても、議会ないしは首長に必ず還元されていくし、そこで政治的なバトルが行われて最終決定に至ると考えていました。彼らは選挙での再選確率を最大化するためには、どうしても社会を反映するはずです。ですので、ミニマムな記述を目指す場合、最終的に地方政府の決定は、首長、議会、職員の三者を見ることで必要最小限な説明は可能だと思ったわけです。

 あと、地方議会の存在も重要です。都道府県議会の場合は市町村単位の中選挙区制度のところが多いですし、一般の市町村では大選挙区制度のところが多いです。つまり、良くも悪くも少数利益が議会に比較的反映されやすい状況があります。ですので、社会の利益は、地方議会に凝縮していると考えました。

平野 私自身は選挙が大事だとずっと思っていて、この教科書もそう思って書きました。ただ、言われてみれば、例えば庁舎の移転問題とか、そういうものも含めて、住民団体とか商工会とか、様々な団体が影響力を行使していることはあります。第5章の条例制定で少しは扱っているのですが、明確に圧力団体にはこういうものがあるという話をまとめているわけではないですよね。

 とはいえ、地方の場合、圧力団体は、ひとまとめにして説明するにはあまりに多様すぎます。ほぼ権力側と一体化している団体もあれば、そういうものとは真逆のほうからずっと攻めている市民団体もあります。地方政治の圧力団体の話だけでも1冊の本になってしまうかと思います。やはり、社会に存在する多様で安定的な利益は議会の代表という形で収斂されていると考えて十分だと思います。

金井 しかしながら、圧力団体を入れていないというのは、政治学だけでなく、都市研究(市政学)の伝統からいっても違和感を持ちます。多元主義論でも都市レジーム論でも不思議な感じがします。

 ただ、なんで本書が圧力団体の説明を省いたのかというと、北村さんが先ほど説明されたように、恐らく1990年代以降の政治学の流れがあるからですよね。本書には、新制度論的な話、あるいは選挙で説明しようとする話の流れが如実に反映しているように思えます。

 だから、「結局、意思決定するのは首長と議会だろ」っていう話になり、「圧力団体はどうでもいいじゃん」となりますね。圧力団体が泣こうがわめこうが、最後は首長と議会の意思決定に、あるいは職員が提案する内容に還元できるんだから、圧力団体を見てもしょうがないということになるんですよね。法学的・制度論的政治学が制度と選挙だけを見てきたことに反発して政治過程論が圧力団体研究を進展させてきたのに、1990年代からは圧力団体は排除されていくわけです。圧力団体・社会集団研究から見れば面白くないんじゃないでしょうか。

青木 金井先生がおっしゃるように、1990年代以降の政治学の流れに乗っかっているというのは、その通りです。最近のいわゆる実証的と言われる政治学的な地方自治研究を参照して、引用できるものは引用しようと考えていました。

 あともう1つは、ストゥディア・シリーズとして初学者向けの教科書として出版するということが念頭にありました。1700の地方自治体に共通して存在するようなアクターに焦点を当てるとすると、中でも可視性が高いアクターは、首長、議会、職員となり、それらに絞って説明することが先決だと考えました。そうすることで、初学者向けに地方自治の授業をしやすくなるのではないか、今の大学生にとっても、なじみのあるアクターから少しずつ親しんでもらうことも必要じゃないかと思った記憶があります。

組織改革での自律性

青木 金井先生から第6章のすわりがちょっと悪いんじゃないかっていうコメントを頂いています。

北村 我々のイメージはやはり1990年代に府県の組織編制が自由になりましたので、地域社会に対する自律性で扱えるなという感じになったんですよね。

金井 これ、位置づけが難しいね(笑)。

青木 それは順番ですか? それとも内容ですか?

金井 国からも組織統制が弱くなったっていう話になると、国に対する自律性Ⅱという話になってしまいます。しかし、首長が組織いじりを勝手にできるようになり、地域社会の文句もなしに自分で勝手に動かせるという意味では、確かに自律性Ⅰの議論ということもできます。

青木 2つの要素があるんでしょうね。対中央政府という観点で見ても、こういう組織編制の自律性が高まっていったっていうのは確かにある。ただ、首長が当選直後にお金もかけずにいじれるものは組織だということもできます。そういう二面性がある中で後者を優先して第2部に持ってきたわけです。

金井 ただ、その描き方を突き詰めると、選挙による住民統制が重要だという平野さんの視点とは一致しないと思います。組織改革は住民に対する自律性の問題なのか怪しいところです。そもそも、組織編制を動かすかどうかは、最終的には議会多数派の動向を見て首長が決めるのかもしれません。しかし、ここで議会多数派と首長との一種のカルテルが成立しているとすれば、選挙というのは実質的には形骸化するわけですし、そもそも選挙を通じた住民の地方自治体への統制なんてありえなくなるわけです。実際は、組織編制は住民の意向と関係なく勝手にできるわけであるというふうに書き切ってしまえばいいと思います。デモクラティック・コントロールなんかは利いていないという話で描いていれば、本書の為政者目線の特徴として、ここはすごいメッセージが出ているんですよね。

青木 しかし、第2部の自律性Ⅰで見ると、選挙などの住民による統制に服さないといけない話(第4章)や、同じ住民代表である議会の可決や合意を得なければ条例を制定できない話(第5章)とは異なり、首長が思いのままにできる程度が高いのが組織再編の話(第6章)ということになります。あくまで程度です。

北村 もし私が平野先生であれば、やっぱり選挙の洗礼が組織編制にも影響するというと思います。変な組織いじりをしたら次の選挙で危険になると考えるのだと思います。ですので、程度を表すことは可能だと考えています。どうですか、平野先生。

平野 まず、データで見ますと、首長選挙時の相乗りは市レベルでは減っていますね。それと、相乗りがあるからといって必ずしも住民の意思が反映されていないかというと、そうでもないと思います。二元代表制である以上、地方自治体の運営では必ず議会の支持が問題になってくるはずです。

金井 だから、地方の統治エリートは、住民や地域社会に対して自律性Ⅰを持っているように見えても、最終的には有権者に左右されているという自律性の欠如になるのですね。条例選定も、つくりたいものをつくっているんじゃなくて、みんなが納得してくれる範囲でコントロールされているし、組織編制も、恐らくやりたいようにやっていると見えるけれども、実は選挙で規定されているんだという話になれば、プリンシパル・エージェント論的に、結局住民の意思に左右されているという予定調和になるわけですか。

二つの自律性の関係について

北村 では、続けて自律性ⅠとⅡとの関係について少し議論を進めたいと思います。我々は中央政府に対する地方政府の自律性(自律性Ⅱ)が高まると、地域社会に対する地方政府の自律性(自律性Ⅰ)が落ちてしまうというイメージをもって執筆しています。

青木 補足しますと、自律性ⅠでもⅡでも、いずれにおいても完全に自律性を発揮しているとか、自律性を獲得しているというよりは、やはりある種のトレードオフというかディレンマ状態にはさらされているなっていうのは前提に置いていましたよね。

北村 そうですね。

金井 自律性Ⅰも自律性Ⅱも、実際には政治力学で決まっているという話だと思います。ただ、伝統的な地方自治の見方からすると、自律性Ⅰは低いほうがいいわけです(住民自治)。つまり、規範的には、住民あるいは地域社会が自治体政府をコントロールすべきであると考えます。自律性Ⅱについては、高いほうがいいと考えます(団体自治)。つまり、国に対して自治体が自律性を確保している状態です。

 だからそこは、自律性Ⅱが上がって自律性Ⅰが下がるというのはむしろ望ましいことであって、そこにはディレンマとかトレードオフとかいう議論はないわけです。

北村 私自身が本書の副題に「はざま」とつけて、「はしがき」の5頁でも書いているのは、まさに、自律性Ⅱが高まったときに、自律性Ⅰが落ちてしまうと考えているからです。自律性Ⅰを高める必要があるというところまでは言っていないつもりです。

金井 でも、この「はしがき」には自治体研究における職員中心の為政者目線の雰囲気がいっぱいです。「中央政府に対する自律性が高められた結果、地方政府は地域社会に対する自律性が低くなるでしょう」なら、たぶんそのとおりなんだと思うのですが、実際の5頁には「なってしまうでしょう」と書かれています。もう、これは「国に対して自律性が高まってよかったけれど、住民から文句言われるようになって迷惑な話だな」という行政職員の気持ちが出ていると思います。こんなことなら、むしろ国に対する自律性が低いほうが楽だという嘆息すら聞こえます。本書の視点は、行政職員の発想と同じだと思います。

北村 そうでしょうか。

金井 国から文句言われるのは嫌だけど、国が縛ってくれないと住民がいろいろ言ってきて迷惑だという気持ちが強いでしょう。

北村 でも、それは何も行政職員だけに限らないと思いますが。

金井 なら、言い換えて、自治体政府の首長と行政職員とすれば同じです。そもそも、本書の前提では、住民が本人であり、その代理人が首長や地方議員であり、公選職地方政治家たちが職員を使って政治を行うわけですから、国に対する自律性だけの議論でもいいわけで、ディレンマでもなんでもないと思います。プリンシパル・エージェント・モデルで議論したのはまずいのではないでしょうか。自律性Ⅰはなければないほどいいわけでしょうし。

北村 いや、住民から首長たちが委任を受けているからこそ、自律性Ⅰが落ちるメカニズムがビルトインされているっていうイメージはあります。しかし、同時に、迷惑施設の設置場所や庁舎の建て替えなどのように、住民で意見が分かれる争点について、住民の不平にさらされる場合でも決定しなければならないこともあるわけです。公共施設の統廃合も同じです。更新費用の増大を考えたら総論は賛成でも、近所の施設がなくなるのは反対という住民も多いので、やはり自律性Ⅰを議論しなければならないと思います。政治家も、住民からの委任が撤回されないギリギリのラインで考えないといけないわけですが、どのあたりにそのラインがあるのかは本書を読んだ方に明らかにしてほしいと思います。

金井 「決定しなければならないこともある」という前提を疑わないことが為政者目線として不可欠でしょうね。ともかく、多選の強い首長じゃないと国政に対して物申すのは難しいでしょうね。選挙が安泰じゃない人は中央でも暴れられないわけです。結果的には、実態的なメカニズムとして自律性Ⅰを充分に確保した自治体政府こそが自律性Ⅱを高めることができます。ただ、そうなると、やはりディレンマとして描けないですよね。住民の意向を抑え込みながら国に対しても強く物申すわけですから、自律性ⅠもⅡも強くないといけないことになります(笑)。

平野 それはそうとも言えないと思います。住民の意向を多選首長が抑え込んでいるのではなく、住民の意向を絶えず反映して当選回数を重ねた自律性Ⅰの低い首長こそが、中央で自律性Ⅱを主張できると捉えるべきではないでしょうか。

金井 それもディレンマではないですね。ともあれ、実態分析としては、首長によりけりでしょう。選挙では強いけれども、国政には何も言わない、あるいは国政の言いなりになることで選挙に強い首長もありえます。これは、利益誘導型の首長ですよね。住民の言うことは聞かないし、国に対しても弱腰といった首長を頂く自治体もありえますね。それから、国に対して自律性を強く主張するけれども、次の選挙で早々に負けちゃう首長もありえますね。自律性Ⅱをめぐって暴れすぎて自律性Ⅰを確保できず委任が撤回されてしまうわけです。

北村 確かに理念的ではある。中央政府に対して弱腰に見えて利益を誘導してくる首長もあり、実証的には少しややこしいでしょうけど。

平野 中央直結をうたい、中央の意向を反映した首長を頂く地方政府は、自律性Ⅱは低いですが、選挙では強く、多選を通じて自律性Ⅰを高めることができるように思います。

金井 国に対しては自律性Ⅱが低いけれども、選挙では強いし、住民や地域社会に対しては自律性Ⅰを高めていくということですね。住民の意向に従わず国の意向に従う首長ですから、規範的には批判されてきましたが。

北村 そういえば、1990年代の地方分権改革の中で改革派知事を頂いた県は、中央でも大暴れされましたね。

平野 一般的に、改革派知事は、選挙に強い人が多かったですね。

金井 選挙に強くないと改革論議をしづらいところがあるよね。

取り上げた事例について

金井 あと、財政規律、自律性、地域間の格差是正のあたりが非常に面白い点だよね。169頁の三角形の図は、財政の話から、ポール・ピーターソン先生や曽我謙悟さんが論じていた社会経済環境と地方政府の政策選択の話を考えるという意味で非常にわかりやすいと思います。

北村 ありがとうございます。3つの政策理念は同時に達成できないという話は、実は金融政策におけるインポッシブル・トリニティ(トリレンマ)っていう話をモチーフにしています。「自由な資本移動」「固定相場制」「独立した金融政策」は同時に2つまでしか達成しえないという議論です。直接の関係はないのですけど。

金井 なるほど。もっとも、財政調整制度は、この3つを同時に鼎立させ得るという設計を目指しているのでしょう。また、同時に2つすら実現できず、そもそも1つも実現しないこともあるでしょう。国は赤字財政を続け、地域間格差を拡大する集権的な交付金を選別的に支出できますし。

北村 事例についてもお伺いしたいのですが、もし、地方自治の実際の機能を描くために何かひとつだけ事例を取り上げるとしたら、金井先生はどのような事例を取り上げられますか。

金井 たぶん地域振興の話は書かざるを得ないんじゃないかな。戦後日本の地域開発や経済優先の自治体の役割から見ても、輸入学問の点から、シティ・リミッツの話とか福祉の磁石の話を考えても、福祉を取り上げて経済的な話を取り上げないのはバランスが悪いと思ってしまいます。それに、地方政治家や地方公務員になりたい人は、開発とか地域振興に興味があると思うんです。

平野 ちょっと出ましたよね。地方創生も書こうか、みたいな。

北村 そうですね(笑)。

青木 でも、私にとって興味深かったのは、ゆりかごから墓場までという、人のライフサイクルに沿って地方自治を描けたことですね。

北村 人の一生でどのように地方自治体とかかわるのかという観点から青木先生に描き切っていただいたのは本当によかったと思っています。他の類書にはないと思います。自分の人生のどこで地方自治体とかかわっているのかというのを見てほしいなというのが真面目なお答えです。不真面目なお答えは、福祉系の方にも地方自治の教科書を使っていただけたら嬉しいなあという気持ちがあったとかなかったとか(笑)。

金井 でも、子ども時代と年寄りになってからの話で、社会人として地方自治体に接する話は全部すかっと抜けているように思えます。社会人としては為政者側に回るということかもしれませんが。

青木 第4部の章の順番なんですけれど、対人サーヴィスの対象からすると、第11章(子育て行政)、第10章(学校教育)、第12章(高齢化福祉)でもいいとは思うんです。ただ、学生が主として読むとすれば、まず自分が直近受けてきた義務教育。その後、子育てに直面し、最後に介護の問題で地方自治体に出会うということになると思うんです。

金井 そうか、学生としての自分の経験のあとは、自分が結婚したときのイメージなのね、これ。子どもができて、中年になり老人になるということで。生涯未婚率が上がりながらも、なお、事実婚や未婚で子供を持つことが抑圧されている日本社会では、結婚して子供を持つというような家族・世帯形態ばかりではないので、「標準世帯」を想定する人生キャリアに即した章立てが、どこまで当て嵌るかは分かりませんが。

青木 介護もいずれ直面します。自分の親が介護対象になるだろうし、いずれ自分も介護対象になるだろうという建て付けです。

金井 だとすると、まさにそこは本書の見識です。行政のすべきことは、まさに生産年齢人口(15〜64歳)を主対象としたものではないということですね。元気な社会人にかかわることは勝手に民間セクターでやっていけばいいと。そういう人たちではなく、子どもや年寄りへの対応こそが行政の主たる仕事であり、その多くは自治体が基本的に担っているから、やはり学ぶべきだということになるんですね。近年では「地方創生」とか言っているけれど、それは自治の本当の姿じゃないというメッセージがあるんですね。非常に立派です。

北村 ありがとうございます。でも、そこまで考えていたかどうかは秘密です(笑)。

金井 でも、授業で使っていて学生から、「先生、私は、地域の活性化のために地元に帰って頑張りたいんですけれど、この本には全然ないんですよ」という声はないのですか。

平野 たぶん、私も大都市圏以外の出身だからわかるのですが、地方の大学に行くと、「自分の住んでいる地域を良くしたい」と真面目に地方創生や地域振興を考えている学生がすごく多いんですよ。

北村 じゃあ、褒めてもらった後ですけれども、地方創生の章を増やしましょうか。正直に言いますと、入れるべきか、本当に迷ったんですよ。

平野 ただ、地方創生の議論も、このままの形ではずっと続かないだろうという判断はありました。

北村 真面目なことを言いますと、地域振興というのは何をもってそもそも評価するのかというところから、わからないと思ったんですね。地方自治研究の入口に立つ学生さんにどのように抽象的な課題をお見せできるのか自信がありませんでした。

 それこそ例えば、15歳から64歳の生産年齢人口を増やすという議論であったり、または15歳未満の若年人口を対象とした子育て環境の整備が重要なのか、あるいは65歳以上の老年人口の方たちの幸せと安定が重要なのかなどなど対象が拡散します。または富裕層や企業の誘致あるいは起業といった経済振興を通じての地域の富を増やすという話なのか。どこに焦点を当てるかで全く議論が変わってしまいます。従属変数が明確じゃないのにどうしようかと悩みました。

 そして、課題も違いますしね。競争力を強化したい大都市圏と人口減少で消滅してしまうかもしれない農山漁村では全く課題も異なります。こうして諦めました(笑)。

金井 確かに、地域振興は書きにくそうですね。

地方自治研究の面白さ

北村 最後に、金井先生は、現代の日本の地方自治というのをどうお考えになっているのか。そして、地方自治を学ぶ面白さは、どこにあるとお考えでしょうか。

金井 難しい話ですね。本書を読むと、国からの制約もあるし、地域社会からの圧力も大きいので、自治体職員になっても首長・議員になっても、思ったほどやりたいことができるわけでないよということでしょうか(笑)。

北村 いえいえ、我々はけっこうできることあるというふうに書いたつもりだったのですが(笑)。

金井 自律性ⅠもⅡもそれなりにあるから、地方政治家や地方公務員になったら面白いよっていうメッセージなんですね。

平野 主として、地方公務員あるいは地方政治家になりたいと考える学生を主たる読者のひとつとして想定していますので、もしなったら、こういうやりがいがあるよと言いたかったわけです。ただし、注意すべき点もある、ということも強調しているつもりです。思い通りにはなりませんが、ならないからといって全く身動きがとれないというわけでもないんです。

北村 そうそう。そんな思い通りにはいかないんです。企業でも、たとえばメーカーであれば、メインバンクに縛られるとかもあるでしょうし、大型小売業界の圧力もあるでしょう。地方自治も同じようなコンテクストで考えてほしいと思っているわけです。

金井 そういう意味では、自治に携わるというのは、半自律性はあるけれども勝手なことをできない中でやっていくことだ、と。その中で苦闘するのが楽しい、というメッセージになるかもしれない。そんな面倒くさいことするんだったら、中央省庁や国会に行ったほうがいいやとか、民間企業に就職するほうがいいやと言う学生もいるだろうけれど、でも中央省庁も国会も民間企業も別に完全に自由ではないわけです。そういう一種の職業案内として、自治体という進路もあるということになるんでしょうかねえ。

青木 実は、人々にとって地方自治というものは、日常生活に問題が起こっていなければ関心は持たれないものですよね。

金井 勉強する必要ないですよね。まさに、法律学と同じで、普通の人は法律を学ばない。法律を学ぶときとは、相続か何かでもめたときに急に「一体どうしたらいいんだ」といって調べる話なのです。学びたくて学ぶのではなく、不愉快なので学ばざるを得ないのが法律です。自治もそうかもしれません。災難にあったときにはじめて出会うとか。

北村 平時で、幸せなときには本書に関心が向くことはないのでしょうか。

金井 困ったときに「こうしてみよう」という手がかりを備える。何か公共サーヴィスの供給で問題にぶち当たったときにはひも解く必要があるけれど、平時には必要ない。しかし、困ったときに引っ張り出せる知識は必要だと思います。

平野 でも、大学の勉強は、そもそもそういうものですよね。

金井 だから自治体研究は、被治者=住民の教養だというべきです。あなたの一生で地方自治による不幸が降りかかる可能性があるかどうかわからないけれど、あるかもしれないから、こういうものをちょっと頭の片隅に入れておく。不幸に巡り会ったときに、まず北村先生や青木先生、平野先生の本に立ち返ることができる。あくまで、そうした引っかかりが大切です。ひっかかりがないと、対策のしようもない。

青木 一方で、地方公務員や地方政治家にとっても、地方自治の書物というのは、サバイバル・マニュアルだと思うんです。仮にその立場になったときに、完全に自分が自由自在に動けるわけではなくて、いろんなところから矢が飛んできたり文句が来たりするので、どうサバイバルするかとか、生き方指南書みたいなものなんじゃないですか。

平野 その点に関連して職員が、首長や議員の行動様式を知らないまま、現在の首長に過剰に肩入れしたり、議会対策をやってしまうことが考えられます。そういうのは、やはり危険だなという思いがものすごくあります。公務員試験を受けるという学生がけっこういるので、そういう人たちにも指南書というふうな感じで読んでいただけるのではないでしょうか。首長や議員といえども、ある程度、距離を取る必要もあるし、100パーセント言うことを聞く必要はないんだということをわかってもらいたいなと。いまの年輩の職員さんは「聞いている振りをする」のは得意だと思うのですが、若い人にうまく伝承していないような気もします(笑)。

金井 それだと職員目線の発想じゃないですか(笑)。政治はやっぱり政治だから、公益を決める政治家に従いなさいという話になるんじゃないですか。

北村 もちろん、職員中心のエリート主義では決してありません。政治の中で職員さんがどのように合理的に行動するのかが大切だと思っているだけです。

金井 首長・議員・職員という為政者の三者のなかの力関係は、二つの自律性の話とは別ですね。だから、全体として為政者目線なんだよね。

青木 いえ、第1章が首長だっていうところにも職員中心ではないことが表れています。

北村 そうです、首長、議会、公務員の順番ですよね。決して公務員が第1章ではありません(笑)。

金井 すると、政治家好きの系統になりますね。

北村 あと、国政であれば、常にテレビでも新聞でも派手に報道されますが、基本的には地方の話はあまり報道されませんので、どうしても地方自治への関心を高いままにしておくことが難しいと思います。2010年ぐらいから久々に大阪に全国的な関心が集まりましたが、例外的なことです。関心の高いときですら東京の方々が正確に大阪都構想をめぐる政治についてご理解されているとは思えませんでした。他の地域についてはもはや情報がないに等しい状態です。

 そこで、できるだけ、本書『地方自治論』を出版後もいろいろな事件を取り上げていくようにウェブでいろいろな素材をアップデートしていけるようにしております。

金井 そういうのがあるんですか。

北村 現在のところは授業用スライドを全チャプター分提供しています(編集部注:シリーズ専用のWebサポートページがあります)。

青木 それこそ、地方自治を専門としていない方が大学の授業のテキストとして本書を使うことを想定していますので、まずはパワーポイントのスライドをご用意しました。

金井 選挙のデータとか、簡単に資料を作れると便利だよなって思っていました。

平野 ただ、選挙についていえば政党が問題です。国政の野党第1党がぶっ壊れちゃったので。地方の政党組織と対応していないんです。データのとり方も解釈の仕方も一気に難しくなっています。

金井 難しいですね。

北村 我々は地方議会も重要と言いながら、その中の会派がよくわからなくなり、会派の重要性を否定するような話すらあります。一時的なものだと信じたいですが。

金井 全国政党の同じラベルが安定したときにどの地域でも同じラベルが使われていれば、初学者の人にも党派性の重要性なども理解できるでしょうけど、無所属が多いうえに党派ラベルが地域ごとに異なっていて、それが自公共以外は不安定で全国政党とさらに異なっているようでは、なんだかわけがわからない。

北村 まあ、課題はあげればキリがありませんが、本日のところはここまででひとまず終わりとしたいと思います。本日は、ご多忙のところ、誠にありがとうございました。この座談会がまとまっていることをただただ祈って、おひらきにしたいと思います。

(2018年6月9日収録)

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