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連載

人生の智慧のための心理学

第7回 後悔しない意思決定のために

東京大学名誉教授(質問者) 繁桝算男〔Shigemasu Kazuo〕

京都大学大学院教育学研究科教授(回答者) 楠見 孝〔Kusumi Takashi〕

繁桝先生からの質問1

 人間は意識するよりも先に決定しているという実験が認知心理学で有名になっています。たとえば、コップを取ろうとするからコップを取る動作をするのではなく、コップを取るというなんらかの意思決定が先行し、そのことを追認するのが意識であることが実験的に示されました。意思決定に至るプロセスにおいて、意識は、どのような位置を占めるのでしょうか? 意識は、脳と身体を使って決めていることの上澄みをモニターしているだけなのでしょうか? 人生の重要な問題についてならば、意識的にあれやこれやと考えて決定していると思われますが、重要な問題においても、直観的に考えるほうが、後悔しない良い決定につながるのでしょうか?

楠見先生の回答1

 人間が意識をする約0.5秒前に意識にのぼらない無意識の神経活動が始まっているというリベット(2005年)の主張やそれを支持する一連の研究は、意思決定に関心を持つ人々を困惑させます。それは、私たちが意識的な自由意志によって決定する前に、意識できない神経活動のレベルで決定が下されてしまっていることになるからです。こうしたことを背景とした繁桝先生の3つの問いを考えていくことにします。

 1 意思決定における意識 「意思決定に至るプロセスにおいて、意識は、どのような位置を占めるのか?」という問いにお答えします。

 意識は、長期的な意思決定プロセス(たとえば、車を買う)をモニターしたりコントロールするメタ認知的位置を占めると考えます。時間をかけて意思決定する場合を3つのステップで考えてみます。

 (a)意識は、決定前に、情報を集め、選択肢をたて、その起こりやすさ(主観的確率)や実現したうれしさ(効用)についての予測をします。

 (b)意識は、決定行動の最中には、自分の認知と感情の変化を土台に、実行がうまくいっているかをモニターします。そして、うまくいっていないときは行動をコントロールして修正します。

 (c)意識は、決定後には、結果を踏まえて、自分の決定を評価して、満足あるいは後悔するという感情が起こります。ここから、教訓を得て次に活かすこともあります。

 これらの3つのステップにおいて、意識は省察(リフレクション、内省)というメタ認知的役割をもっていると考えます。

 2 脳と身体による決定と意識によるモニター 「意識は、脳と身体を使って決めていることの上澄みをモニターしているだけなのか?」という問いについては、モニターしつつ、コントロールをおこなっていると考えます。

 冒頭で述べたように、一瞬の意思決定プロセスでは、意識的な決定前に、無意識の神経活動が起こっていると考えます。の(b)のステップにあたる、お店で車を買うために、2台の車を目の前にして、1台を選ぶ場面を考えてみましょう。その時に、選ぶ前に、無意識のレベルで好きな車は決まり、意識レベルでの理由の説明は後付けだと考えられます。しかし、意識レベルの説明は後付けであったとしても、(a)のステップにおける事前に集めた情報と整合すれば、納得感が高まり、高い買い物をする際の決断を後押しすることになると考えます。

 3 後悔しない意思決定 「人生の重要な問題についてならば、意識的にあれやこれやと考えて決定していると思われるが、重要な問題においても、直観的に考えるほうが、後悔しない良い決定につながるのだろうか?」という問いには、直観と熟慮を組み合わせることが良い決定を導くと考えます。

 前述の車を買う場面で、事前にあれこれ集めた情報と、店頭での直観がマッチすれば、(c)の決定した後で評価するプロセスにおいて、良い車を買うことができたという満足感が高まり、後悔が小さいと考えます。一方、決定が失敗であったとわかったときでも、熟慮と直観が一致した決定であれば、「十分考えたことなので仕方が無かった」と考えることができます。一方、熟慮しないで、直観的に決めた結果、結果が良くなかった時は、「十分考えれば良かった」という実行しなかった行動が思い浮かび、後悔が起こります。また、店頭での「これが好き」という直観に反して、事前に調べた情報に基づいて、ひっかかりを感じながら決めて、失敗に終わったときは、「直観に従えば良かった」という実行しなかった行動が思い浮かび、後悔が起こりやすいと考えられます。

 4 小括 意思決定には、カーネマン(2012年)らが述べているように、直観的決定と熟慮的決定のそれぞれを支える2つのシステムを想定できます。前者は、無意識的で自動的な早いシステム、後者は意識的で制御的な遅いシステムです。

 前者の直観的システムは、時間的に余裕がないときの一瞬の決定や、お弁当を選ぶような重要でない決定で使います。このような場面では熟慮すると、かえってうまくいかなくなることもあります。

 一方、後者の熟慮的システムは、重要な問題や、選択肢が明確ではなかったり、コンフリクトをともなう問題にとりくむときに、十分に情報を集めて、選択肢を吟味する決定で使います。ここで、結論を導けないときは、仮の選択をおこない、直観に照らして、しっくりくるものかをチェックして、違和感があったら、その理由が言語化できなくても考え直すということも考えられます。

 無意識的な直観と意識的な熟慮の特質を知り、双方をうまくいかすことが、後悔しない良い決定につながると考えます。

繁桝先生からの質問2

 単純な問題には一瞬で決めても良いけれど、重要な問題には熟慮が必要であるという見解は我々の常識にもマッチし、よくわかります。リベット型の実験ですら、ある種の予見を与えておくと、脳の準備状態を覆すことができるという実験結果もあるようですね。さて、問題は熟慮する時間があり、あれこれ考える意思決定問題において後悔しない決定はどうあるべきかについて専門家はどうアドヴァイスするのでしょうか?「選択肢をたて、その起こりやすさ(主観的確率)や実現したうれしさ(効用)についての予測をし」とありますが、現実には、その予測が難しく、また、この両者の統合の仕方はさらに難しいようです。例えば、配偶者を選ぶような場合に、直観的無意識的な判断をどのように位置づけるかが再び問題になりそうですが、どう考えればよいでしょう。

楠見先生の回答2

 「熟慮する時間があり、あれこれ考える意思決定問題において後悔しない決定について専門家はどうアドヴァイスするのか?」について、先ののお返事に追加します。

 5 直観的判断におこる置きかえ 直観は、長年の経験が活かせる規則性の高い環境では有効ですが、そうでない場面はヒューリスティック(簡便な発見法)が入り込むとカーネマン(2012年)は主張しています。結婚相手を決めるような経験が乏しく規則性の低い状況では、直観が働いたとしても、たとえば外見からの「良い印象」という直観的判断を、より複雑な「配偶者としての適切さ」判断と置きかえてしまっている可能性があります。ご指摘の通り、車の購入と比べると、配偶者の属性やその起こりやすさと効用自体を独立に評価することは難しく、両方を統合した期待効用最大化理論は使えないのが事実です。

 6 メンタルシミュレーションによる直観と熟慮の統合 そこで、私がお勧めするのは、熟慮と直観を組み合わせるつぎのような決定方法です。

 まず、選択肢(例:配偶者)について十分に情報を集めます。そして、直観によって、選択肢を選んだ時の最善、最悪、その中間の3通りについて、詳細なイメージ(遠い未来も含む)を思い浮かべる、メンタルシミュレーションをして、そこで起こる感情にも注意を向けます。

 人は、最善のシナリオだけを考えがちです。一方で、最悪のシナリオを思い浮かべるのは、悲観的な人だけかも知れません。現実には、その中間のシナリオが起こると考えれば、3通り考えることによって、かたよりのある予測を避けることができます。また、シナリオには、本人が気づいていなかった無意識の動機や目標が反映されることもあります。3通りの未来を頭の中で描いてみることによって、曖昧だった属性とそのうれしさ(効用)、可能性の取りうる範囲を明確にしつつ統合ができると思います。そして、自分にとって、よりよいシナリオにするには、無意識の動機にも目を向けて、どの属性の値が本当はうれしいのか重要なのか(例:配偶者として性格が合うこと)、さらに、決定前や決定後にどのような行動(例:さらに情報を集める、障害となる問題を解決する)が必要なのかがわかってきます。

 で述べたように、時間をかけて考え抜く間には、自分の心を意識的にモニターしつつ、その選択によって起こる感情、とくにうれしさ(効用)と、ひっかかるものがあるかという無意識的な直観にも目を向けることが大切です。

 7 後悔しないためのアドヴァイス のように熟慮と直観を駆使して選択をくだすとしても、その結果がうまくいくかは、先に述べたよりよいシナリオにするための行動によって変えられるところもありますが、偶然あるいは運命に左右されることもあります。期待した結果が得られないときは、取らなかった選択肢が頭に浮かんで、そちらを選べば良かったという後悔が生じることがあります。

 このように人生には、不確実性があり、それに対処することには限界があります。そのことを認識し、受け入れた上で決定することが、人生の智慧の一つと考えます。先に述べた3通りのシナリオを思い浮かべておくことは、不確実性を考慮した上で、過大な期待を抑え、最悪のケースとそれによる後悔も予期しているため、後悔を小さくすることになります。また、決定直後はうれしくても、その気持ちが時間経過や人と比較することによって小さくなることは、日常生活や心理学の知見から予測できます。

 8 心理学に基づく人生の智慧 幸せになるために、後悔がない人生を送りたいと思っている人は多いと思います。しかし、人生には不確定性があり、幸せは相対的で考え方次第で変わってきます。そして、自己の意志を超越した運命(偶然)も人生を左右します。これらを認識することは、人生への洞察と智慧ということができ、自らの経験や人生の先輩からのアドヴァイス、本などから学ぶことができます。さらに、心理学者によるアドヴァイスは、人の心と行動に関する科学的な実験や調査と日常生活の分析に裏打ちされた智慧として、多くの人に役立てもらうことができると考えます。

 

参考文献

 ダニエル・カーネマン(村井章子訳)『ファスト&スロー――あなたの意思はどのように決まるか』(早川書店、2012年)

 ベンジャミン・リベット(下條信輔訳)『マインドタイム――脳と意識の時間』(岩波書店、2005年)

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