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書斎の窓

連載

人生の智慧のための心理学

第5回 なぜ夢を見るのか?

東京大学名誉教授(質問者) 繁桝算男〔Shigemasu Kazuo〕

東京都医学総合研究所睡眠プロジェクト客員研究員(回答者) 北浜邦夫〔Kitahama Kunio〕

繁桝先生からの質問1

 夢はなぜ見るのだろうかという誰しも不思議に思う疑問ですが、現在の心理学ではこの問題に対する答えは用意できているのでしょうか? 夢をより良い生き方につなげるという意味で明恵の例は参考になるでしょうか? 彼は、夢をコントロールして、自分の信心の方向性を鍛えたと言われています。睡眠中に、自己との問答を繰り返し、より良い生き方とつなげることができるのでしょうか?

北浜先生の回答1

 「明恵上人夢記」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、岩波書店・1981年)に明恵の夢の内容が紹介されています。仏道に励んだ彼の夢には仏の逸話が多いのですが、多くの場合彼は傍観者であって夢を夢と気づき、そしてその中に積極的に入り込んで内容を変えるなど夢をコントロールしたというほどの明確な話は見つかりません。

 

夢の意志

 見たい夢を見ようと思っても、なかなかそううまくはいきません。小野小町も「いとせめて 恋しきときは ぬばたまの 夜の衣を返してぞ着る」つまり「あの人が恋しいときには、彼がかえってくるように、寝間着を裏返しにして眠る」と詠んでいますが、そうはうまくはいかなかったことでしょう。なぜなら、夢は看板のない映画館に入ったようなもの、番組表のないテレビを見るようで、内容がどんなものか見るまではわからないものだからです。

 なぜかというと、ふつう眠り始めてから1−2時間後に脳の奥にある生命維持に必要な脳幹からの刺激が大脳皮質を不完全に覚醒させ、さらに偶発的な信号が大脳皮質にある記憶装置を刺激して記憶を引き出す結果、主として視覚的聴覚的な像が脳内に再現されるからで、これを夢とよんでいるわけです。引き出される記憶は自分の自由にはなりません。ですから、恋しい人を夢に見ることはなかなか難しいのです。

 同時に引き出されるいくつかの記憶がお互いに関係のないものであっても、不完全に覚醒している脳は、つじつまをあわせようとします。これらが同時に出現する場合、たとえば、顔はサル、胴体はタヌキ、トラの手足、尾はヘビといった鵺(ヌエ)のような怪物ができあがるし、時間的にずれていれば、「あの人の顔がいつの間にかゴジラになっていた」ということになります。夢を見ている間は脳の働きは低下しているわけで、ちょうど認知障害がおきているとほぼ同じと考えることができるでしょう。

 

夢を記録しておくこと

 日中に体験したことがその夜の夢に出てくることがあります。とくに日頃考えていること、日中に体験したショッキングなこと、気にかかっていることなどが形を変えてでてきたりします。たとえば、アインシュタインやメンデレーエフ、湯川秀樹などの場合、夢で科学的な発見が感得されることがありました。日中の常識的な論理的思考では得られない、夢特有のランダムな発想によって感得されるのです。ただし、日頃真剣に考え続けていること、夢の意味の天才的な解釈が必要とされます。また、悪夢の多い人では、日常生活に悩みや問題のあることが多く、多くの場合、生活態度や思考方法を変えることによって解決されます。以上は日中の脳のはたらきが夢に反映されている例です。

 たとえ、脈絡もなく、唐突な夢であっても、記録しておくと、さまざまなことがわかってきます。統計をとってみると、夢の多くは平凡な内容です。そして不思議なことに、毎日コンピュータの画面を眺めていても、夢ではそのような場面が少ないことです。学生が勉強している夢もすくない。どちらかというと歩く、運転するなどが多いのです。そしてほとんどの夢は朝露のように消え忘れ去られます。鎌倉時代初期の京都栂尾の僧明恵上人は夢を克明に記録したことで有名です。多くの夢で宗教的な体験をしています。その著述は感動を呼ぶものですが、おそらくすべての夢でそうであったとは限らないでしょう。平凡な夢は記録しなかった可能性があります。多くの人々は平凡な夢をほとんど記憶していません。

 

大脳皮質の関与

 小野小町の歌もうひとつ紹介しましょう。「思いつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざまらしを」は「あの人を思って眠ったら、あの人が夢に見えた。これが夢であるとわかっていれば覚めないでいたのに、とても残念」というほどの意味ですが、このように、ふつうは夢を見ているときには自分が夢を見ているとは気づかないものです。たとえば、空を飛んでいる夢を見ても本当だと思い込んでいます。ところが、「人間が空を飛べるはずがない」と夢で考えるときがあります。不思議に思いながらも空を飛び続けます。これは大脳皮質の判断を担当する部位が働き始めたからです。さらに判断部位の活動があがってくると「こんなことができるはずがない、きっと夢にちがいない」と気付き、意志が働いてきて「夢なら夢を楽しもう」とすることがあります。この場合、右に左に、上や下にと好きな方に飛んでいけます。自由意志がはたらくのは前頭葉の機能がたかまってきたからです。このような夢を明晰夢と言います。日中精神的外傷で苦しみまた悪夢をみて苦しんでいる患者に明晰夢をみる訓練をしてもらうことで、夢の内容が変更され、外傷を治療することができます。

繁桝先生からの質問2

 示唆多きお答えありがとうございました。第1の問いに込めた意味を明らかにするために、明恵上人について言及しましたが、夢の出現のメカニズムの性質上、意識が夢の内容を直接にコントロールすることはできないものであり、「明恵上人が夢をコントロールした」という言い方は間違っているようです。しかし、論理的なつながりがなく、時空の位置づけもままならない夢ではありますが、主体的に夢を分析することによってその夢を解釈しようとするとき、分析する人の態度や姿勢が解釈に当然反映されることでしょう。そして、その解釈が分析者の将来の方向性に影響を与えるように思われます。明恵上人が持ち前の合理的精神で夢を解釈するとき、見る夢の変化と経典の理解の深化が関係しているようです。明晰夢の例も挙げられていますが、夢であるということを理解している自我が、夢の内容に影響を与えることはないのでしょうか?

北浜先生の回答2

 明恵には宗教的な夢が多かったのですが、これは日頃仏道について深く思索していたからで、夢の内容を記述することで彼の信仰心もさらに不動のものになったことでしょう。これだけ夢に関心のあった明恵ですから「夢を見ていることに気づく」明晰夢も見ていたことでしょう。当時、夢はもうひとつの世界であって、現実の世界と同じほどの、あるいはそれ以上の価値があったのです。宗教者にとっては、夢は、覚醒時にはいくら修業をしても見ることのできない、仏や菩薩が具体的に目の前にあらわれてくるという特権的な瞬間なのです。神仏の存在を夢を見ているときには疑えません。

 前述のとおり、夢では不思議なことがおきます。その意味を説き明かそうと多くの人が努力してきました。中世以前には「夢占い」という職業もありました。夢の意味については現代ではフロイトを祖とする精神分析の解釈者が多数存在しています。しかし、夢の解釈をしてもらうにしても、誘導尋問によって、夢は都合の良いように解釈されるだけで、覚醒時の問題解決に役立つかどうかわかりません。ただ、夢を出発点として自らさまざまなことを考えることで、あるいは夢の解釈者との人間関係(ラポール)をもって、心の奥深くの動機を分析できる可能性はあります。

 また仏教では「さとる」というように覚醒が大切で、睡眠は評価されていませんが、反対に眠らないことで、入眠時幻覚がでてきます。これは深い睡眠中の夢ではなく、寝入りばなの夢です。脳幹からの刺激はありません。とりとめのない、ストーリー性のない短い映像的な夢ですが、この状態で神仏があらわれることもあります。入眠時幻覚は疾患ではないので最近では入眠時心像とよばれています。

 深い睡眠中の夢は、この状態に脳幹からの強い信号が加わって始まるのですが、この信号によってでたらめな記憶が引き出されてきたとしても、それを大脳皮質が他の記憶を用いて修飾することができます。ですから、夢の内容はでたらめな記憶のつぎはぎというよりも、ある程度一貫したストーリーがあるのです。明恵が仏の夢を多く見るのはそのためです。これは主に側頭葉や前頭葉などが担当していると思われます。ただし、夢を見ている主体はあくまでも傍観者であって、以下に述べる例外をのぞいては、自分の意志を働かせることはできません。前頭葉の活動が低下しているあいだは「夢を見ている」ことに気づけません。

 前頭葉の活動の高低によって夢の意識水準が変わります。高ければ夢を見ていることに気づけます。朝方は前頭葉の活動が高いので、明晰夢が増え、たんなる夢の傍観者から夢に入り込む主体になることもできます。片思いの恋人の心をこちらにむけさせることもできそうです。最近では夢を見ているあいだに脳を刺激することで明晰夢を作り出す実験が行われています。

 寝入りばなの金縛りはまだ脳が覚醒している状態で夢の状態に入ってしまうのですが、「自分は目覚めている、夢は見ていない」という感覚があるので、夢での奇妙で恐ろしい状況の変化が理解できません。胸の上に悪魔がのってきたりします。夢であることが分かりさえすれば、「いずれ目が覚める」と考えて、この恐怖から脱出することができます。金縛りは不安やストレス、不規則な生活から生み出され、思春期に多いのが特徴で、出現頻度は次第に低下します。

 悪夢はさまざまな原因で引き起こされますが、とくにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者の場合、過去の強いネガティブな情動をともなった記憶が夢にあらわれます。認知行動療法と同じように、夢の中の恐ろしい状態に意味がないことに気づくこと、そして夢のストーリーを書き換えることができるようになることが、治療の一歩になります。覚醒時でのPTSD治療では物語の内容を作文させて、結語をハッピー・エンドにすることが有効な治療のひとつになっています。

 夢の内容を語り合うのは集団内の交流や親密度を高め、集団内の自己のあり方を検討できるよい機会かも知れません。しかし、偽記憶が形成されたり、無用な軋轢をうむ可能性も否定できません。

 ユングが指摘しているように、夢や入眠時幻覚の内容は民族が異なっても共通するものが多いのですが、これは人類の祖先が同じで、30万年前から地球上に拡散しても、脳の構造やものの考え方などの基本的性格が共通していることから、説明できるでしょう。どの民族の夢にも神仏、天使、天人、鬼、幽霊などの超存在があらわれることは不思議ではありません。

 詳しくは拙著『夢』(新曜社・2016年)をご参照下さい。

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