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書斎の窓

巻頭のことば

子ども子育ての現在

第5回 専門家としての保育士

東京大学院教育学研究科教授 秋田喜代美〔Akita Kiyomi〕

 メディア等でも待機児童の問題と共にとりあげられているのが、保育士不足の問題である。施設を立ち上げようとしても、保育士が集まらないのでオープンをあきらめたという報道も流れた。すると、子どもの保育にあたるのは保育士でなくてもよいのではないかといった議論が出てくる。実際に、待機児童の受け皿として報じられている企業主導型保育において、現在開所されているところの4分の1の園では、保育士比率は50%となっている。

 こうした現実は保護者には知らされていないし、園にお世話になるとなれば、どの人が有資格者かなどわからないから、ともかく保育をお願いすることになる。この背後には、「子育て経験のある人なら、保育はできるはず」という一般の人の信念がある。こうした考え方は子育てについての政界での議論でも出てくるから、保育を専門とする研究者の立場から見ると大変残念である。

 他者の子どもを2人以上同時に育てること、またいわゆる託児ではなく、そこで養護と共に教育を行うのには、専門的な知識やスキルと判断できる資質が必要になる。だからこそ女性だけではなく、男性も、若手も、経験を積んだ人もいる、いろいろな人の中で育つことが、子どもが最初に出会う社会集団においては大事なのである。

 一方では、老人介護等も含め、福祉の専門家資格はケアの仕事として一本化してよいのではないかという議論も出ている。どこも人手は足らず、これからの少子高齢化社会の中で長期的に見ると一本化の方が転職にも有利なのではという議論がある。おそらく小学校以上の教師や医者を無資格の人が務めることに賛成する人は少ないだろう。しかし、乳幼児という、人生の中で一番心身共に弱い存在の命を日々扱い、そして将来の人材育成の基盤を考えていくことに対しては、あまりにもお粗末な議論がまかり通っている。

 日本は幼稚園教諭と小学校の教諭との給与格差が、OECD先進諸国の中でもっとも大きい国と報告されている。また保育士の年代別比率を見ると、20代の比率が半数を超えている国は日本だけであり、韓国、トルコでは半数に及ばないものの同様の傾向にある。保育士の処遇改善がうたわれているがそれでもまだまだ私立比率の高い我が国では給与格差は埋まらない。

 国際的にも保育者の社会的地位は低く、学歴資格を上げることが専門性を高めるかという議論が出されている。欧米の研究からは、短大卒、4大卒、大学院修了などの学歴が直接保育の質に影響するという結果は出ていない。むしろ園の中で保育者の専門性を高めるような研修をどの程度できているかということや、園の職場環境が、専門家としての保育者の資質を高めていくことにつながると示されている。

 世界的に質の高い保育をしていると言われている地域の一つに、イタリアのレッジョ・エミリア市がある。そこでは高校を出て、その後専門的な学習を1、2年受けた人が幼児学校や乳児施設の保育者になっている。各園の研修システムがしっかりしているから、質の高い保育が保障されているのである。

 わが国では早朝から夜間まで保育が行われるのでシフト勤務になる。したがって、園全体として職員間の連携や園の風土の向上が、各々の保育士の専門性向上の鍵になる。潜在的保育士と言われる、一度保育園を退職した人が再度保育の職に就きたいと思いにくいのは、給与面の問題もあるが、過去のこうした職場での人間関係や労働条件からだと言われている。

 これまで、保育士は主任保育士など園での役職以外にはキャリアの階梯が明確になかった。来年度から園のミドルリーダー養成のためのキャリアアップ研修という仕組みが全国で始まる。数年経験を積んだ人が先輩として若手を親身になって指導したり、使命感や責任感を持ち専門職としてのキャリアの見通しを持って続けていくことを願っての仕組みである。この制度改革をマイルストーンとして、保育士の研修の権利が法的に保障され、園が子育ての地域のセンターとなっていくことに期待したい。

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