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書斎の窓

巻頭のことば

子ども子育ての現在

第3回 遊びの保障

東京大学院教育学研究科教授 秋田喜代美〔Akita Kiyomi〕

 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さへこそゆるがるれ。」という歌は、平安時代末期に編まれた『梁塵秘抄』の中に出ている。昔から、子どもの戸外で遊ぶ楽しそうな声とともに生まれるワクワク感は、子どもにも社会にもとても大事である。しかし今では、スマホを幼児も扱うようになり、その賛否が問われるようになってきている。また「遊んでばかりいないで、勉強しなさい」という表現に象徴的に表わされているように、遊ぶことは幼児期にはよくても、学校へはいったら遊びから学びへの切り替えが求められるようになっている。しかし本当だろうか。乳幼児期においては遊びこそが心身の機能を育み、多面的な育ちを保障することがわかっている。だからこそ、先進諸国の乳幼児教育カリキュラムでは必ず遊びが方法としても大事にされている。また世界的には、生涯にわたって遊びは創造性を育み、人の幸せや豊かな時間を保証することも言われてきている。人生においてはいつも学びと仕事だけではなく、遊びがあってこそでありその基礎は乳幼児期の遊び経験の中にあるのである。

 ただし、大人は「**遊び」を遊ばせているつもりでも、子どもが心から夢中になって遊べていない限り、それは子どもから見ると主体的な遊びではない。既存の遊びの中でも[もっとこんなふうにしてみたい]という欲求は創意工夫を生み、それがより高い知識や技能を育む。そうした遊びにおいては、室内の遊びと同時に戸外の遊び、砂や土、水などをつかったり、植栽や自然環境との出会いを含む五感を培うような遊びが求められている。しかし最近では、「汚れる。汚い」といった感覚で、保育所入園当初砂場に入れなかったりする子どももいる。また子どもはテレビなどでのアニメの影響をうけてヒーローごっこなどをするが、勉強の邪魔になると親に禁止されて、そのような番組を見たことのない子は友達の遊びについていけないというようなことも生じている。体を動かしながら遊ぶことで土踏まずが発達したり体幹がまず発達していく。そしてそのことが脳機能の発達や微細運動の発達にもつながる。そして自分の身を守るスキルもまた、これぐらいはできるかできないかを自分で判断できることで遊び方が身に付く。できないことに大人が手を貸しすぎると、けがをする。反対に、自分でなんとかできることなら子どもはどこが危ないかを感じて慎重に行うこともできるのである。しかし残念なことに、今は、園庭のない保育所も増えており、散歩に行ったとしても、いつも繰り返し安心してわがものとして関われる環境があるわけではない。この意味で、わずかなところでも遊ぶ場所を室内にも戸外にも保障することが大切なのである。

 乳幼児期の教育は環境を通しての教育である。私が所属する東京大学大学院教育学研究科附属発達保育実践政策学センターでは、実際に子どもに好きな遊び場の写真を撮ってみてもらい、子どもたちに遊び場としてどんなところが好きなのか全国調査を行った。子どもたちは、「隠れて遊べる」「繰り返し同じような遊びができる」「色々な発想が形にできる」「異年齢児の遊びを見ることができる」「自分たちの規範(ルール)が現れる」「自分たちの目標や挑戦をすることができる」「友達と待ち合わせをしたり、自然と集まる」「遊びの中で願いを持ったり希望が湧いたりする」「五感を感じられる(意識できる)」「敷地の地形を活かした場」「常にそこにある」「スピード感や揺れる感覚を味わえる」「高低差を体感できる」「遮蔽物がない開けた空間」「隠れ家的な遮蔽空間」「回遊性空間」といった遊び場が、保育所に限らず好きである。家庭ではこれらを保障することはなかなかできない。

 狭くても保育所は工夫をすることで、前記のような子ども目線の機能を持った多様な経験ができる場を創りだすことができる。それが、22世紀社会を創りだす子どもの創造的資質を育むことにつながるのではないだろうか。

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