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書斎の窓

連載

途上国の経済発展――インドから考える

第5回 ネルー大学の研究環境

一橋大学経済研究所教授 黒崎 卓〔Kurosaki Takashi〕

ネルー大学と受け入れ先の概要

 今回のインドでのサバティカル、筆者は、ジャワハルラール・ネルー大学(JNU)の社会科学院(School of Social Sciences: SSS)にある経済研究計画センター(Centre for Economic Studies and Planning: CESP)という組織で客員教授を務めている。

 JNUは、1969年に首都のデリーに設立された。インドの他の名門大学が、1857年創立のマドラス大学など、植民地期にイギリスによって設立され、構成カレッジでの学士課程教育にも力を入れているのに対し、独立後の初代首相ジャワハルラール・ネルーの名を冠したJNUは、基本的に修士課程以上の大学院大学である。新設大学でありながら、老舗を抑えてインドの大学ランキングでトップスリーの常連である。コンピュータサイエンスや物理学など理系のコースもあるが、人文・社会科学で特に優れた研究業績を上げてきたこと、インドの高級官僚や政治家を輩出してきたことなどで知られる。また、教員も学生もインドで最も左翼的な大学と言われ、共産党系の学生運動が盛んでもある。校舎は学生の描いた左翼的あるいは反政府的なグラフィックスで埋め尽くされている(写真参照)。4平方キロメートルを超す広大なJNUのキャンパスでは、インド中から集まった学生の多くが寮生活を送っている。

 SSSは、JNUに10ある学院(School)の中で教員数最大規模を誇り、CESPなど13のセンター(実質的に言うと学部[Department]に相当)を有す。JNUでは、他のセンターにも経済学関連のコースが設けられているが、経済学教育の中心はCESPとみなされている。デリーにおける経済学の博士課程と言えば他に、デリー大学のデリー経済学院(Delhi School of Economics)と、インド統計研究所デリーセンター(Indian Statistical Institute, Delhi Centre)が有名で、三者はさまざまな面で競争している。実証研究や歴史研究に強く、政府に批判的な傾向を持つのがCESPの経済学の特徴と言えよう。

ネルー大学CESPの入っている校舎の入り口(インド,デリー。筆者撮影)

 CESPでは、21名の教授・准教授・助教授が、145名のMA、約180名のMフィルおよびPhD学生を教えている(2016・17年度の数字)。博士課程の学生が多すぎるように感じるが、これについては後述する。2年課程のMA(Master of Arts)は、直訳すれば修士課程だが、インドの標準的な学制の下では第16から17学年(ないしは第15から16学年)に相当し、教員としての筆者の感覚では、日本の学士教育専門課程(=学部の3・4年生)とみなす方が適切な気がする。MA課程の多人数講義では学生がひたすらノートをとり、試験ではその中身を可能な限り復元して解答用紙のページ数を増やすのが鉄則であり、学位取得には論文が不要である。

 MAを終えた学生で、博士号取得に関心を持つ者は、2年課程のMフィル(Master of Philosophy)に進み、1年目はコースワーク、2年目はMフィル論文執筆に専念する。コースワークの成績と論文の出来が良く、かつ進学のための試験に合格すれば、博士号取得のためのPhD課程に進むことができる。筆者の感覚では、Mフィルが日本の修士課程(博士前期課程)、PhDコースが日本の博士後期課程である。そこで以下では、MフィルとPhDを合わせて博士課程と呼ぶことにする。博士課程向けの講義で初めて、学生が教員に活発に質問を出す、大学院らしい風景が見られる。

学生運動が絡んだ混乱

 学生運動と言えば左翼系諸派間の抗争がメインだったJNUで、2016年2月に、キャンパス内の政治バランスを大きく揺るがす事件が発生した。これ以降、本稿執筆時点まで、JNUでの騒乱は、マスメディアを頻繁に賑わしている。

 発端は、カシミールの独立運動を支持して騒乱を引き起こした行動が治安妨害・反国家行動に該当するとの容疑で、JNUの学生リーダーがデリー警察に逮捕されたことにある。この治安妨害という罪名が植民地時代に作られた刑法の規定にもとづくこと、ヒンドゥー右派的学生団体で連邦与党BJPを支持するABVPが騒乱を演出した可能性、ABVPやデリー警察のキャンパス内での暴力的行動を学長が黙認した可能性があることなどから、さまざまな学生団体や教員団体が学長に対する抗議行動を行い、デモや授業のストライキが日常化した。ABVPのJNU内での影響力は、以前は非常に限られていたが、左翼の牙城JNUにも浸透し始めていたことが、この事件の背後にある。

 学生逮捕の問題がまだ解決していない2016年10月には、別のJNU学生が行方不明になった。この学生はABVPともめ事を起こしていたことから、政治的な殺人事件が疑われたが、学長オフィス、デリー警察ともに捜査の動きが鈍く、行方不明事件はいまだ未解決である。

 行方不明学生の捜査に対する熱意が感じられないとして、学生グループが学長オフィスの入った事務棟を封鎖し、大学の事務が一時的に麻痺する事件も起きた。事務棟の前のスペースは自由広場と呼ばれ、学生およびそれを支持する教員が演説会を頻繁に開催するようになった。自由広場では、学生有志がしばしばハンガー・ストライキを行っている場面に出くわした。政治的要求を受け入れさせるための断食は、インド独立の父、マハートマー・ガーンディーがイギリス植民地政府を相手に頻用したことで知られる。その伝統は今の学生運動にも残っている。

 一連の混乱の中で明らかになったのは、学長が学生との対話を十分に行わずに、警察など外部の権力を用いて権威的にふるまう傾向である。これを非民主的と感じた多くのJNU教員が、政治的立場を超えて学生にシンパシーを感じていた。

博士課程入学者数をめぐるさらなる混乱

 2016年12月、さらなる激動がJNUを襲った。各センター・学院の教員代表から構成される評議会の場で、学長が一方的に、次年度(2017・18年度)のMフィルおよびPhD学生の入学者数が前年比86%減となると通達したのだ。その根拠は、インド政府の大学助成機構(University Grants Commission: UGC)の基準を超えて、JNUの各センターが博士課程に学生を入学させており、基準内に収めないと次年度以降、大学への助成金が削減されることにあった。評議会は紛糾したが、既に決まったことであるとして、学長は評議員からの意見にまったく耳を傾けなかったという。

 UGCの基準では、1名の教授が指導できるPhD学生数の上限は8名、准教授が6名、助教授が4名などとなっている。JNUではこれが守られておらず、多くの教授が20名以上のPhD学生を抱えていた。UGC基準はセンターごとに適用されるため、次年度の博士課程入学枠がゼロのセンターも現われた。CESPも、例年の半分以下の入学しか認められなくなった。JNUで博士課程学生・教員数のバランスが崩れた背景には、教員ポストに空きがありながら政治的理由などで教員補充が遅れがちというセンター側の事情、博士号を取得しても就職が保証されないため、実質的に休学・退学状態でありながらPhD課程に名前だけ在籍し続けるという学生側の事情の両方がある。

 この学長通達に反対する学生や教員のデモやストライキが、連日続いた。しかしこれも功を奏さず、2017・18年度の博士課程入学者数の削減は避けられない見込みである。筆者がMフィル論文にアドバイスしていたCESPの優秀な学生も、PhD進学枠が突然削られて、一時はパニック状態に陥った。良い論文を書けば大丈夫だからと励ましつつ、他大学のPhD課程にも出願するよう指導した。

 博士課程の質を保つという意味で、UGC基準にはそれなりの意味があり、JNUがそこから大きく逸脱していることは問題なように筆者には思われる。とはいえ、基準をあまりに杓子定規に適用し、博士課程入学者数の急激な減少を各センターに強要した学長にも失望した。その背後には政府に対する学長の政治的な力関係も影響していたらしい。

名門大学の今後

 以上の学生運動および博士課程入学者数をめぐる話は、新聞および筆者の友人(左翼的傾向を持つ教員が多い)からの情報に主にもとづくため、JNU学長に対して不当に厳しい評価になっている可能性がある。その点、割り引いて読んでいただけると幸いである。

 毎日のようにデモやストライキの呼びかけがあるにもかかわらず、研究セミナーや博士課程の講義はあまり影響されず、研究論争が活発に行われている。とにかく広大なキャンパスなので、自由広場で学生が演説し、シュプレヒコールが上がっても、教室にはまったく聞こえない。ストライキで講義がつぶれると学生は図書館に向かう。JNU図書館は2017年4月、インド憲法の父アンベドカルの名前を冠され、より近代的な設備に拡張された。教育と研究の場として、JNUの卓越性は、さまざまな混乱・騒乱を乗り越えて維持されているように思われる。

 JNUの建物の間には灌木の森が広がり、野生のクジャクがあちこちで羽を広げている。キャンパスの森では、ジャッカルやニルガイ(Nilgai)にも時々出会う。ニルガイとは、インド亜大陸に固有の大形哺乳類で、現生種としてはウシ科ニルガイ属に一種だけという珍しい動物である。雄は数十センチの角を持ち、ウシとウマとシカが混ざったような見かけだ。研究のアイデアを求めてキャンパスを散策中に野生のニルガイに出会って、その悠然たる姿を眺めていると、この大学の懐の深さを実感する。

ネルー大学構内の野生のニルガイ(インド,デリー。筆者撮影)

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