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連載

“BREXIT”
――イギリスのEU「離脱」の歴史的深層

第3回 東欧移民はなぜ問題になったのか

明治大学経営学部教授 安部悦生〔Abe Etsuo〕

EUの東方拡大と移民急増

 2004年、EUは東欧の8か国とマルタ、キプロスを加えて、それまでの15か国から25か国に拡大した。特に問題であったのが、ポーランドなどの人口大国である(ポーランドの人口は約4000万人)。EUは4つの自由、すなわちヒト、モノ、カネ、サービスの自由な移動を前提としているので、東欧の人びとは、イギリス、ドイツなどに移動して豊かな生活を享受しようとした。ポーランドとイギリスでは、約4倍の賃金格差があった。もっともイギリスに移動してもすぐによい職を得られるわけではないし、また家賃、食品の値段など物価水準も違うが、4倍の給与格差は魅力的であった。

 2004年を境に、実際に東欧からイギリスへの移民が激増した。EUからイギリスへの移民は、1970年代から2003年まで、年に1万から4万人で5万人を超えることはなかった。しかし、2004年には8万に達し、2005年には10万人を超え、その後6万人くらいに減少したものの、2013年からは再び増加し、2014年からは15万を超えるようになった。

 非EU圏からの移民も2004年に25万人に達したのち減少に転じたが(15万人)、再び20万人に接近している。EU域内、域外を合計すると、2015年だけで35万人近くの移民が増加した。2007年には2000万人の人口を擁するルーマニアや、ブルガリアが新たに加盟し、東欧からの移民圧力はさらに強くなった。

 1人当たりGDPでトップのルクセンブルクが10万4000ドル、イギリス、ドイツ、フランス、ベルギー辺りは4万ドル前後である。だが、ルーマニア、ブルガリアは1万ドル以下であり、ポーランドも1万2000ドルである(2015年)。このような経済格差がある国々を1つの経済圏にまとめようとすることが土台無理なのであり、東欧の10か国は準加盟国にすべきであったと、後知恵ながら私は思う。ひとまず「4つの移動の自由」を制限して、時間をかけて徐々に東方拡大していくことが賢明であった。ただし、そうならなかったのは政治的理由から、すなわちロシアの脅威を考えて、矢継ぎ早にEU加盟を認めたからである。この時期、NATOも拡大した。東欧諸国がロシアの軍事的頸木から逃れるためであった。逆にロシアから見ると、かつての「衛星国」がEU、NATOに取り込まれ、自らへの脅威になっていくさまは我慢がならず、ジョージア、ウクライナで見せた強硬姿勢はEU、NATOにも責任の一端はあるように思う(この意見には、LSE〔ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス〕の知人も同調してくれた)。

 EUの東方拡大は西欧への移民増大をもたらした。これほどの急増を予想できなかったことも一因だが、当時イギリスはブレア政権の下で経済は好調であり、かつてのイギリス病から脱却して繁栄を謳歌していた(ドイツは逆に、東西ドイツの統合負担からドイツ病に罹っていた)。2004年の東欧への拡大時に、EUはすぐには自由な労働移動を認めず、7年の移行期間を設定した。だがブレア首相はこの権利を行使せず、結果的に東欧移民のイギリスへの激増を招いたのである。2007年のブルガリア、ルーマニアの時にはこの権利を行使したが、とき既に遅しで、移民は激増し続けた。

 移民の定義は必ずしも簡単ではないが、一つの尺度である国外出生者数でみると、イギリス(イングランドとウェールズ)では、その数が2001年の460万人から2011年には750万人へとおよそ70%も増加した。人口比でみると、7.8%から11.9%である。国外出生者数はイギリスで生まれた人々を含まないので、それを含むマイノリティ・グループの人数で見ると、2001年の464万人(7.9%)から2011年には789万人(14.1%)に急増している。2011年はイングランドとウェールズ、2001年はUKの数字なので調整すると、50〜60%程度のマイノリティ・グループの増加となる。わずか10年間で50%以上の増加、また毎年の移民フローも30万人前後となっているのが現状である。日本に置き換えれば、イギリスの人口は日本の半分なので、毎年60万人の移民が日本で誕生しているのと同じである。

東欧移民はなぜ問題になったのか

 ポーランドなどからの移民は、白人でキリスト教徒である。ムスリムと比べると、人種的、宗教的、文化的にもイギリス人と相性が良いはずである。それがどうして移民嫌いを引き起こすのであろうか。興味深い記事が Financial Times にある(2017年2月3日)。イギリス中部の東海岸に近い町ボストンは、全国で最も高い離脱票76%を投じた。ボストンは農業が中心の田舎町である。だがここでは、2004年から2014年にかけて、移民が460%も増加した。移民は、主に農業関係の作業場で雇われた。ポーランド人、ラトヴィア人、リトアニア人などの移民は賃金を引き下げ、地元と交わらず、自分らの文化に固執したと、元からの住民は非難する。「移民は町を壊した、なぜなら彼らは喧嘩、強盗、殺人事件を引きおこしている」と住民は主張する。「イギリスはずっと前にEUを離脱すべきだった」と慨嘆し、「移民の比率が12%であるという公式数字なんて信じられない、実際はもっとずっと多い」と住民は感じているのである。

 もちろん、逆の意見もある。食品工場の経営者によれば、労働力の半分を占める移民がいなくなれば、高い賃金を支払わねばならず、結局、それは高い価格となってスーパーマーケット、ひいては消費者に転嫁されるだろう。移民のおかげで、5年前は99ペンスしていたブロッコリーが今は49ペンスになっているのだから。

 以上から、住民と東欧移民の衝突は、移民の数があまりに急激に増加したこと、彼らが地元民と交わらず、イギリスの文化と異なる独自の文化に固執したことに起因している。ただし長時間労働をしている移民にとって、ボストンの住民と交わる機会や時間は限られているのも事実である。東欧からの移民は、先に述べたように、人種、宗教、文化的差異はムスリムと比べ相対的に少ないのであるから、時間をかけてゆっくりと移民が進めば、かつてのアイルランド人と同じように、イギリス社会に溶け込んでいくことも可能であろう。

 大学院の私の演習にアルバニアからの留学生がいる。アルバニアはEUにこそ入っていないが、NATOには加盟しており、またイタリアやギリシャに多くの移民を送っている国柄でもある。彼女と話した時、私は、東欧から西欧に徐々に移民すれば、問題はたいして起きないだろうと言った。ただしその時間とは数十年、あるいはそれ以上かかるのではあるが。

 東欧移民がトラブルの素になったもう1つの理由がある。アジア、アフリカからの移民は宗教的、文化的差異ははるかに大きいのだが、彼らはロンドン、バーミンガムなどの大都市、あるいはブラッドフォードなどの北部の工業都市に集住した。東欧移民は、ロンドンなどの大都市にも大量に来たが、ボストンなどの地方にも来たのである。ボストンのような田舎町では、それまで移民の存在は珍しく、それが急激に増加したために強い文化摩擦が生じた。ロンドンなどでは、19世紀末からユダヤ人、アイルランド人、第2次大戦後はインド人が住み着いて、ある程度の「慣れ」があったのだが、ボストンや先に触れたコービーなどの田舎では移民と接触する機会が少なかったことも一因である。このような町では、反移民感情が燃え上がり、昨年6月の国民投票で極めて高いEU離脱票を投じることになった。

「公共性」が問題である

 パキスタン、バングラデシュなどからのムスリム、ジャマイカなどからの黒人移民、そして東欧移民、こうした移民と元からの住民との衝突は克服可能なのであろうか。1つには、その規模、速度をコントロールすること、これが大事であろう。第2には、移民政策の問題がある。同化主義(≒統合主義)と多文化主義という相反する考え方である。同化主義は、受け入れ国(host country)の文化、制度に同化してもらうことである。これに対して、多文化主義は移民国(home country)の文化をそのまま容認し、受け入れ国の中に多文化社会を形成することになる。統合主義は、多文化主義よりは同化主義に近い。

 通常は、多文化主義の方が多様性を認めて望ましいように思えるが、現実には受け入れ国の中に異なる文化の存在、その衝突をもたらし、成功しているとは言い難い。イギリスのキャメロン前首相やドイツのメルケル首相が「多文化主義は失敗した」と述べたことはよく知られている。だが、フランスの同化主義も、カンボジアからのタクシー運転手の言(本連載第2回)にあるように決してうまくいっていない。ではどうすべきか。

 おそらくこの問題は、21世紀の世界で最も重要かつ解決困難な問題である。まさにサミュエル・P・ハンチントンの言う「文明の衝突」である。

 拓殖大学の遠藤哲也氏が、「公共性」概念を提示している(『海外事情』2007年9月号)。この公共性は、私的営利と区別した公共性(福祉)ではなく、公的秩序、社会秩序といった意味合いである。別な言葉で言い換えると、社会規範、行動規範、価値基準、倫理ということになろう。さらに私の考えでは、「公共性」の中に、その基幹として価値基準があり、現代では自由・平等・友愛、世俗主義、法治主義、議会主義ということになる。さらに、ごみの捨て方、会話時の声のトーン、音楽などの音量、服装、挨拶など、生活の様々な側面に及ぶ行動規範がある。受け入れ国において移民が嫌われるのは、基幹価値(世界人権宣言を想起せよ)もさることながら、生活習慣の相違がかなり大きい。イスラムの礼拝時間を知らせるアザーンの音量も重大問題になりうるし(インドネシアで中国系人がアザーンの音量に文句を言ったら、袋叩きにされただけではなく、警察も取り合ってくれなかったケース)、ごみの捨て方なども移民嫌いを増やすことは明らかであろう。こうした価値基準、行動規範などの「公共性」を、移民も受け入れるべきであるとする見解は妥当と思われる。やはり「郷に入ったら郷に従え」という警句は、今日でもなお至言なのである。ただし、イスラムとクリスチャンの間でそうしたことは不可能であろうから、先の遠藤氏は、移民は原則中止にして、それぞれのネイション・ステイトが固有の公共性・文化を持つ「コンサート・オブ・ネイションズ」(諸国の調和)を提唱している。

公共性の意義と位置

独自性

民族性(エスニシティ):お国料理,民族衣装,愛情表現…

公共性

社会慣習:服装,音量,におい,挨拶,整頓(ゴミ捨て),食事作法…

基幹価値:自由,平等,友愛,民主主義,議会主義,三権分立,政教分離…

(著者作成)

 しかしながら、先の公共性の受容を絶対的土台にして、その上の派生文化の独自性を認めること、例えば公共性の枠内での服装の自由、言い換えれば公的施設・公道でのニカブ、ブルカ、あるいはスカーフは禁止されるが、各民族衣装は尊重される。このように、マジョリティーの派生文化と、マイノリティーの派生文化とが共存していく方が、より望ましいであろう。もっとも、基幹的価値、行動習慣としての「公共性」と派生文化の区別は簡単ではなく、共存・共生は容易ではないであろうが。

 以上のように、移民をどうするか、とりわけムスリム対クリスチャン、仏教徒、ヒンドゥー教徒の関係は重大な問題であるが、エマニュエル・トッドの言うように、出生率、家族の形態などを長期的に考察すれば、ムスリムも近代化してきているとの楽観的な見解を、私も信じたい。

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