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書斎の窓

自著を語る


「だれだ?」「なぜだ?」「なんだ?」に答える

――『判例の読み方――シッシー&ワッシーと学ぶ』を出版して

一橋大学法学研究科教授 青木人志〔Aoki Hitoshi〕

青木人志/著
四六判,142頁,
本体800円+税

はじめに――3つの疑問

 このたび有斐閣から『判例の読み方――シッシー&ワッシーと学ぶ』という小さな本(以下小著)を出版させていただきました。すでに目にされた方々であれば、小著のタイトルも装丁も有斐閣の従来のイメージから逸脱しているとお感じになったことでしょう。「シッシー&ワッシーと学ぶ」などいう軽い本が、あのお堅い有斐閣から出るのかと。装丁も派手で目立ちます。表紙と裏表紙はそれぞれ鮮やかな赤と青。しかもそこに、有斐閣の社章から抜け出てきたライオンの「シッシー」と鷲の「ワッシー」というキャラクターのかわいいイラストが描かれているのですから。タイトルと装丁の他にも、解せないと言われそうなことがあります。それは「だれだ?」「なぜだ?」「なんだ?」という3つの疑問に集約できそうです。

1 「だれだ?」

 1つ目の疑問は「青木人志ってだれだ?」です。こうおっしゃる方は、私の名を御存知ない上、判例について解説するにふさわしい方の名前をたくさん知っていらっしゃるに違いありません。『書斎の窓』の読者に多数含まれているはずの法学教員や法律実務家の中には、「判例の読み方」という本がまったく想定外の著者によって書かれたことを、いぶかしく思う方がいらっしゃるはずです。

 遅ればせながら自己紹介いたしますと、私は一橋大学大学院法学研究科・法学部の基礎法学領域の教授で、主な担当科目は「比較法文化論」です。このような私のバックグラウンドは、「なぜだ?」という2つ目の疑問へとつながります。

2 「なぜだ?」

 法学になじみがない読者のために説明しますと、法学には、「基礎法学」と「法解釈学」という2大領域があります。基礎法学は、法史学、法哲学、法社会学、比較法学、外国法といった研究分野の総称で、これらはいずれも具体的な事件に即して日本法の適用のあり方を直接研究するものではありません。一方、法解釈学は、日本法の諸分野(憲法、行政法、民法、会社法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、労働法など)の法令とその実際の適用を研究します。基礎法学と法解釈学の関係は、たとえて言えば医学の領域における基礎医学と臨床医学の関係に似ています。

 では、「判例」がこのどちらの領域でより重視されるかというと、言うまでもなく、「法解釈学」においてです。しかも、法解釈学者は基礎法学者よりずっと人数が多い。そこから考えると、基礎法学者である私が「判例の読み方」という本を書くのは、かなり不自然なことなのです。

 しかし、私は、小著の執筆をささやかな自信をもって引き受けました。

 法学部には、毎年、高校を卒業して間もない若者がたくさん入学してきます。法科大学院にも「未修者」のコースがあります。そのため初学者向けの導入科目が、どの大学にも必ず置かれているはずです。勤務先の一橋大学を例にとると、法学部1年生向けの科目として、「法と社会」、「実定法と社会」という2つがあります。また、法科大学院には未修者向けの「導入ゼミ」という科目があります。

 そして、ここが重要なのですが、私は、それらの導入科目をこの20年の間にもっとも頻繁に担当してきた教員なのです。つまり、こと入門講義に関しては、法解釈学者の同僚よりもむしろ私のほうが経験豊富だという事実があります。その自信が、本書を執筆する上で私の背中を押してくれました。小著は「判例学習の超入門書」と位置づけられています。私は判例についての研究経験という点では法解釈学者に及びもつきませんが、「超入門書」を書く上で役立つ教育経験ならば十分ある、というわけです。

3 「なんだ?」

 どのような構想で法学の入門講義を行うにせよ、「判例は重要だ」と早い段階で教えないわけにはいきません。しかし、具体的な判例を実際に初学者に教えようとすると、これは難しいものです。初学者教育に携わった経験がある方は、きっと同意してくださるでしょう。また法学を学んだ読者には、初学者時代に判例に接した時の「もやもやとした感じ」を思い出していただけるでしょう。では、そのような困難を前にして、小著は何をめざしたのか。これが3つ目の問いです。

 判例についての定評ある本はすでにいくつも存在しています。有斐閣の出版物に限定しても、中野次雄編『判例とその読み方(三訂版)』は古典といってもよいほどのロングセラーです。また、池田真朗編著『判例学習のA to Z』は、導入段階(A)から高度な発展学習(Z)までを法分野ごとにカバーして、まことに行き届いた本です。

 では、こういった名著・好著を、初学者向け入門講義の教科書(参考書ではなくあくまでも教科書です)に指定できるかというと、困難だと言わざるをえません。初学者には、これらの本は高度すぎて歯が立たず、情報量が多くて簡単に通読もできないからです。

 ところで、入門講義を繰り返し担当しているうちに、自分なりの確信に到達していることが3つあります。次のようなことです。

 

① 良い講義は足すことよりむしろ引くことから生まれる。

② 法学教師が当然すぎていちいち教えないことにも初学者はつまずく。

③ 勉学意欲を喚起することが入門講義でいちばん大切なことである。

 

 この3つの確信を踏まえて、小著を「本当の初学者が最後まで読み通すことができる判例学習の入門教科書」にしたいと考えました。そのための工夫がそれぞれあります。

 第1の確信は、言い換えると、入門講義で学生に与える情報の量が多すぎてはいけない、ということです。教師というものは、ついつい、自分の知っていることをなるべく多く学生に伝えたい、と考えがちなものなのです。ましてや相手はキラキラと目を輝かせている新入生(初学者)です。あれもこれも教えてやりたくなるのです。しかし、そういう教師の親心がかえって仇となることがあります。わかりやすい講義は、内容にメリハリがあり、本筋と枝葉末節が区別できるものです。そういう「見通しの良い」講義をするためには、教師は教えたい気持をこらえて、あえて、基礎的なこと、原則的なこと、重要性の高いことだけに説明を限定すべき場面もあります。消化力が不足している初学者を相手にするときは、このことはとくに重要です。

 そんなわけで、小著では解説する内容を思い切って削りました。その結果、事実審と法律審の区別、最高裁判所の個別意見制、同一事件につき上級審の判断が下級審を拘束すること、といった基礎知識の説明も省略しました。ましてや挙証責任と証明水準、判例の射程、判例の重要性の序列づけといった応用問題には触れていません。素材判例に関係する実体法理論の説明も簡略に済ませました。「判例の読み方」と銘打つからには、これも書かなければ、あれも言わなければと「足し算」をしてゆくと、すぐに初学者にはハードルの高すぎる本になってしまいます。「超入門書」である小著では、それらの知識は後の学習で身につけてもらえばいいと割り切りました。

 第2の確信は、法学教師がいちいち教えないことにも初学者はつまずく、というものです。たとえば、専門科目の講義で教師が説明なしに使うであろう用語や表現のうちに、初学者には難しいもの、区別しにくいものがたくさんあります。当事者、原審と原々審、被疑者と被告人、被告と被告人、上訴と上告、棄却と却下などです。法学文献において原告をX、被告をYと表記する慣例も、教室では誰も教えてくれないかもしれません。日常的な漢字の組合せからなる言葉であるがゆえに、厳密な定義を確認しないで済ませてしまいがちなものもあります。たとえば「下級裁判所」(高等裁判所、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所の総称)という法律用語の意味は、これが「最高裁判所」と対になる概念であることを知らないとわからないでしょう。また、「弁護士」(法律専門職の種類の1つ)と「弁護人」(刑事手続で被疑者・被告人の防御を助ける人。通常は弁護士から選ばれる)の違いをすらすら言える人も決して多くないでしょう。入門講義を担当していると、「民事事件では国選弁護士はつかないんですか?」と問われたりする(実体験です)ので、こういった用語の使い分けを早い段階で教える必要性があることに気づきます。

 また、判例を読むときに、初学者は「木を見て森を見ず」の弊に陥りがちです。とくに事実関係が複雑な民事事件などでは、初学者は細部に目を奪われて、当事者の主張と裁判所の判断を混同してしまうことすらあります。小著では、関係図を描いたり事実経過を時系列で整理したりして、判例を正しく把握するヒントを示したつもりです。

 第3の、そして最も重要な確信は、初学者の勉学意欲を喚起することこそが、入門講義の役割だということです。小著に即して言えば、一見無味乾燥な判例の陰に、血の通った人間の営みや法律家の苦心が隠れており、そこには人間社会における法と裁判のあり方を深く考えさせられる契機がたくさん潜んでいることを伝えることです。そしてそれを通じて、初学者に「もっと勉強したい」と思わせることです。そのためにも絶対に避けるべきことがあります。それは初学者の自信を喪失させてしまうことです。小著の随所に「ここはまだわからなくてもいい」というメッセージを織り込んだのは、そのためです。入門講義の担当者の役割は、初学者の向学心を可能なかぎり沸き立たせた上で、専門科目の玄関口まで連れて行き、「あとはよろしく!」と潔く去って行くことです。それだけでいいし、それこそが重要です。

おわりに――法学を野球にたとえると

 専門雑誌に高度な判例評釈をお書きになるような法解釈学者や法律実務家は、野球にたとえると、「メジャーリーガー級の指導者」です。それに比べると、私は「草野球のコーチ」のごとき存在ですが、経験にもとづく指導法にそれなりの自信があります。また、志はあくまでも高く、将来メジャーリーガーになって活躍するような学生を、自分の教室から育てたいと願っています。そのために私にできることは何か。それは、野球を始めたばかりの卵たちに、ボールの投げ方やバットの振り方を教え、何よりも野球の楽しさを教えることです。イチロー選手も前田健太投手も、最初からメジャーリーガー級の指導を受けたわけではありません。小著はそういう思いで書いた本です。

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