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書斎の窓

巻頭のことば

リーガル・リテラシーの諸相

第5回 思いつく

中央大学大学院法務研究科教授・弁護士 加藤新太郎〔Kato Shintaro〕

 法律実務家が日常的に行う「調べる」、「考える」、「思いつく」、「説明する」、「解釈する」といったリテラシーは関連しているし、初学者である法学部の学生から練達の士にまで共通する。今回は、「思いつく」である。

 学生が民法総則で短期消滅時効を勉強すると、多様であることに戸惑う(債権法改正では、民法170条から174条まで削除するとともに、商法522条も削除して規範が平準化される)。例えば、現行法の医師の診療報酬債権は3年であるが、弁護士の報酬債権は2年、飲み屋のツケは1年と定められている。学生は、「弁護士は社会生活上の医師といわれるが、医師の診療債権と同じ3年の時効でないのは、民法制定時には、弁護士は医師よりも飲み屋に近いと思われた結果なのではないか」と思いつく。そういえば、弁護士は「三百代言」と呼ばれ蔑まれていたと法制史の授業でも聴いたことを思い出し、疑問を解消する。

 学生が自分の頭で考えて思いついたことは褒められるが、その理由は誤っている。三者の短期消滅時効期間は、当時の慣行について実態調査した結果を立法事実としたものなのである。弁護士には当時、依頼者から着手金を取り、仕事が終わったら報酬をもらうという慣行があったので、取りはぐれが限定的であると評価され、時効期間は2年とされたようだ。興味深いことに、弁護士が着手金と報酬とに分けて対価を得る形態は、現在でも変わっていない。これに対して、医師は、患者が手元不如意でも診療する。医は仁術なのだ。患者は、節句ごとに診療報酬を払っていくと3年ぐらいで払い終わるという慣行であったようで、時効期間3年は当時の慣行をベースにしているのだ。そうした説明を聞くと、学生は、「思いつく」は、「調べる」を欠いては的外れになることに思い至る。

 ある時期の司法研修所の民事弁護科目では、不正競争防止法のケース研究が行なわれていた。その起案講評が終わった後の教官同士の気楽な雑談の中で、A弁護士が、「不思議なことがあるもので、20数年弁護士をやってきて不正競争の案件は1つもなかったが、この教材を教官皆で勉強し始めたら不正競争の新しい事件が立て続けに2件も来た」と話した。特定の案件を、どのように法的に構成していくかは、まさしく「思いつく」という弁護士のリテラシーの発現である。

 B弁護士は、それを聞いて、「これまでも何回もそういう事件はあったのに、不正競争防止法の勉強が不十分であったために、債権侵害や不法行為で構成していただけではないか」と応じた。その時、民事弁護教官室は、粛然としたという(加藤新太郎司会「座談会民事事実認定の実務と課題」林屋礼二ほか編『法曹養成実務入門講座2』8頁[山浦善樹発言]〔大学図書・2005年〕)。確かに、不正競争防止法の規範枠組みの理解が足りないと、眼前の事実や証拠を見てもスルーしてしまうだけである。事実を見抜いて、事案適合的な法的構成を「思いつく」ためには、規範についての幅広く深い理解が不可欠なのである。

 下水道工事の孫請業者が道路を掘削して埋め戻すために設計よりも余分に採石が必要になったことを理由とする追加代金工事請求訴訟を提起し、1審判決は孫請業者の請求を認容した。控訴審の裁判長は、記録を精査して、「このケースでは、孫請業者が土留めをしながら道路を掘削したかどうかがポイントになる」と思いついた。そこで、控訴審で、その点について証人尋問をしたところ、土留めをしていなかったことが判明した。控訴審は、1審判決を取り消し、孫請業者の請求を棄却する判決をした。何故か。控訴審の裁判長は、弁護士任官者で弁護士時代に土建業者の会社整理をしたことがあり、「この種の工事でアスファルトを敷く場合に、土留めをして敷くのと、土留めをしないで垂れ流すのとでは材料費が全然違う」ことを知っていたからである(高木新二郎『随想弁護士任官裁判官』4頁〔商事法務研究会・2000年〕)。

 法律実務家が「思いつく」背後には、自らの経験とそこから獲得した珠玉の智慧があるのだ。

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