HOME > 書斎の窓
書斎の窓

自著を語る


『大学1年生のための伝わるレポートの書き方』
――楽しくレポートを書く

中央大学文学部教授 都筑学〔Tsuzuki Manabu〕

都筑学/著
四六判,168頁,
本体1,400円+税

私の文章作法

 大学教員になって36年目になる。最初の頃は、手書きで原稿を書いていた。400字詰めの原稿用紙に1マスずつ文字を書いていくのである。わら半紙に印刷した下書き用の原稿用紙を愛用していた。

 何年かして、ワープロ専用機が発売された。書院、ルポ、OASYSと、いろいろな機種を使った。文章を書くことの敷居が低くなったように感じた。とても便利な道具で、大変重宝した。

 また何年かして、パソコンに乗り換えた。在外研究のときに海外でも使えるからという理由からだ。その後は、パソコンが手放せなくなった。もはや手書きの時代には戻れない。人間というのは、実に不思議なものである。

 こんな私ではあるが、原稿を書く前には必ずメモを作ることにしている。今回も、A4の紙に2枚のメモを用意した。それを見ながら、この原稿を書いている。やはり私は昭和のアナログ人間なのだ。

 メモを作るのは、頭の中を整理するためである。何日かかけてメモを作っていく。そうすると、だんだんと頭が原稿執筆モードになっていく。これぐらいで準備万端を思ったら、原稿を書き始める。

 それでスラスラと書けるかというと、必ずしもそうでもない。書き出しの部分が、なかなかうまく行かないことが多い。今回も、やはりそうだった。手書きの頃は、数行書いては下書き用原稿用紙をクシャクシャと丸めたりした。今は、Deleteキーの出番である。

 しばらく悪戦苦闘を続けていると、そのうち書き出しがまとまってくる。そうしたしめたものである。後は、原稿用紙で時速3枚ぐらいのスピードで書いていけばいいのだ。今回の原稿も、このあたりでスピードがようやく速くなってきた。

文章力を鍛える

 10年ほど前に、あるベテランの編集者から、こんなことを言われたことがある。「大学の先生方が上手な文章を書くのは、学生のレポートをたくさん読んでいるからだと思う」。確かに、そういう面はありそうだ。いろいろなレポートを数多く読めば、それだけ文章に対する審美眼が磨かれていく。それが文章力を鍛える一助になるのだろう。

 何でもそうだが、数をこなすことは大事だ。文章力向上ということで言えば、書評の仕事は大いに役立っている。2000年から、日本教育新聞の書評をずっとやっている。書評した本は、120冊ほどになる。1冊の本のポイントを五百数十字にまとめるのは骨の折れる仕事である。始めたばかりの頃は、結構時間がかかったものだ。何年か続けるうちに、だんだんコツが掴めてきたように思う。

 もう1つ挙げるとすれば、俳句である。シリウス(現代俳句協会)という句会に所属している。俳号は遊(ゆう)である。始めてから8年目になる。まだまだ俳人としては駆け出しだ。

 普段は学(まなぶ)という本名で論文を書いている。論文を書くのは左脳、俳句を作るのは右脳。左右バランスよく鍛えていきたい。そんなことも考えて、始めたものである。大学では先生だが、句会では生徒である。そうした役割の逆転も、また楽しい。

 俳句は、17文字という制約がある。その短い文字の中で、自分の思いを発信しなければならない。限られているだけに、1文字1文字が大事になってくる。「の」か「に」か。「が」か「は」か。助詞の使い方で、大きな違いが出てきたりする。俳句を始めて、言葉遣いに敏感になったように思う。俳句の世界では、自分で自分の俳句を直していくことを自選力という。鋭い選句眼を持つことが求められるのだ。俳句を学ぶことが、知らず知らずのうちに、本業の方にも役立っているように感じる。

 自選力とは、心理学ではメタ認知ということになるだろう。レポートを書くプロセスは、自分との対話である。自分の文章を自分でチェックしていく。読み手に伝わるものになっているかどうかを考えてみる。そうしたことが大事なのである。そうは言っても、なかなか自力でやるのは難しい。そんなときに有効なのが、次にあげるような方法だ。

 ワープロソフトには、校閲機能が付いている。スペルチェックや文章校正をやってくれる。そうした機能を試してみると、些細な間違いや誤字脱字に気づくことができる。ここまで書いた文章をチェックしてみたら、問題点はなかった。まずは一安心。

 書き終えたら、印刷して、それを読み直してみる。これもレポートを書く上では、大切なことだ。この文章も、最後まで書き終えたら印刷して、ゆっくりと読み直してみるつもりである。

 本の出版過程では、校正という作業が入る。組版になって出てきたものを読んで、初めて気づくこともある。『大学1年生のための伝わるレポートの書き方』でも、編集者や校閲者からの指摘で気づいたことが多々あった。

 そんなふうに、誰か他の人に原稿を読んでもらうのもよい。レポートを提出する前に、友人と互いのレポートを交換して読んでみる。そのようなピアリーディングをレポート提出の課題の中に含める。大学教員としては、そんな試みをやってもよいかもしれないなどと思ったりもする。

 中央大学には、「中央大学ライティング・ラボ」という機関がある。レポートや論文などの学術的な文章の作成支援をおこなっている。2011年に始まった。ライティング指導を専門的に学んだ大学院生がチューターとなっている。多くの学生や院生が活用している。先日もライティング・ラボの宣伝を兼ねて、ワークショップをおこなっていた。私も参加して、「マッピング」という手法を学生たちと学んだ。こうして新しいことを覚えていくのも楽しいものである。

レポートを書く意味

 レポートを書いていくときには、取捨選択も大事なことである。「あれも書きたい」「これも書きたい」と思っても、そうはいかないこともある。字数制限のあるレポートでは、焦点を絞らないといけない。

 この原稿も4000字程度という指定があった。40字×40行のページレイアウトを設定し、100行で終了と思って書き始めた。すでに、2頁目の37行に達している。A4で2枚に書き散らしたメモの半分も書けていない。書き残したアイディアは別の原稿にするか、忘れ去るかである。

 改めて考えてみると、字数の制限はレポートを書く上でポイントとなる。その中に盛り込める内容を選んでいくことが求められるからである。

 もっと大事なのは、レポートの〆切があることだ。「〆切のない原稿は書けない」。これまでに本や原稿を書いてきた私の実感である。この原稿にももちろん、〆切が設定されている。それに合わせて、準備をしてきた。どうやら、このペースで行けば、〆切を破らずに済みそうである。

 学生がレポートに取り組めるのは、字数制限や提出〆切が設定されているからだ。「〆切のあるレポートは書ける」のである。レポートの中には、課題設定が緩やかなものもある。「〜について、あなたの意見を述べなさない」といようなものだ。他方で、かなり詳細に課題内容が設定されているものもある。大学教員は、それぞれがいろいろ工夫している。そうしたレポート課題にまつわる苦労話を交流する機会があってもいい。FD活動などと肩肘を張らずに、ざっくばらんに話せたらいいなとも思う。

 レポートを書く側の学生には、自分が書いたものを整理して残して欲しいと思う。「レポートフォリオ」としてファイリングすれば、学習成果を一覧できる。レポートを書いて提出してお終い。それでは、もったいない。学年が上がれば、「レポートフォリオ」は厚みを増してくるはずだ。自分の学習成果が可視化されるのだ。

 本書の帯には、「課題は成長のきっかけです」と書かれている。本文のなかでも、こんなことを述べた。出されたレポート課題に嫌々取り組むのではなく、楽しくやっていくことが大事。出されたレポートを能動的に捉えて取り組めば、得るものは限りなく大きい。成長のチャンスは、すぐ目の前に存在しているのだ。もちろん、楽しいことばかりではない。その途中では、苦しいこともあるだろう。それは当然のことなのだ。楽しさと苦しさは表裏一体なのだから。

 最後に一言。多くの学生が、大学において学ぶことの楽しさを味わって欲しい。それが、長らく大学教員をやってきた私の切なる願いである。

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016