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コラム


法の解釈(上)――価値判断

京都大学名誉教授 前田達明〔Maeda Tatsuaki〕

第1 本稿の目的

1、法学者にとって、最大の課題は、法解釈とは何か、ということである。一般には、法解釈とは法文の “意味内容” を明らかにすることである、といわれている。ところで、法律(1)の条文は、通常、一定の法律要件の存在を原因として一定の法律効果が発生する(2)、と定めている。ということは、法解釈とは法文の法律要件と法律効果の “意味内容” を明らかにする、ということになる。それでは “意味内容” を明らかにするとは何か。それは、法文の “適用範囲” を明らかにする(3)ことなのである。例えば、法律要件(4)では、民法旧第709条(5)の「権利侵害」について、裁判所は、「桃中軒雲右衛門事件(6)」において「権利侵害」でない事件には同条は適用されない、と解釈した。しかる後、「大学湯事件(7)」において「権利侵害」でなくても “法律上保護される利益” の侵害があれば同条は適用される、と解釈した。

2、ところで、右両判決は、共に、同じ民法旧第709条の「権利侵害」の解釈について、当該事件に対しては法的拘束力を有するという意味で、いずれも「正しい解釈」(有権解釈)なのである。このように、法解釈は一義的ではない。それは、国文学における古典の解釈(8)のような「事実(sein)の究明」ではなく、「かくあるべき」という「当為(sollen)」の究明だから、当然に多義的であり得る。何故ならば、「当為」は価値判断であるから、価値判断の “基準” が異なれば、自ら結論が異なるのである。したがって、法解釈においては、この価値判断の基準を明らかにすることが、まず第1に不可欠の作業となる。次いで、第2に、それを言語によって表明する必要がある(民訴法第253条第1項第3号)。そこで、本稿においては、右の第1を「上」、第2を「下」において考察する(9)

2 「立法者意思」基準

1、法律は言語である。言語とは “話し手” の「意思」の伝達手段(10)である。では、法律は誰の「意思」の伝達手段なのか。それは「立法者」である。立法者とは、憲法第41条が、国会が「国の唯一の立法機関である」と定めているから、法律とは立法者すなわち国会の意思を国民に向かって伝達する手段なのである。とすれば、法解釈は、まず、立法者の意思(11)を確定することである、といえる。すなわち、立法者の価値判断は、どうであるかを究明しなければならないのである。それを「立法者意思基準」と呼ぶ。例えば、民法旧第709条の「権利侵害」については、立法者は「権利」といえるほどの法益でなければ保護されない(12)、としていたから、先の「桃中軒雲衛門事件」は「立法者意思基準」に従った判決といえる。また、憲法第9条第2項の「戦力」の解釈において “自衛のための軍隊も該当する(13)” というのが、それである。

2、(1)さらに、立法者は、個々の法文の解釈のために、あらかじめ、「解釈基準」として “一般的法文” を定めておくことがある。これも「立法者意思基準」の1つである。例えば、民法第1条(14)、同法第2条(15)が、それである。

 (2)その他にも、立法に際し、立法目的あるいは立法趣旨を一般的に規定する場合(16)があるが、これも個々の法文の解釈基準としての「立法者意思基準」である(17)

第3 「歴史的変化」基準

 それでは、先の「大学湯事件」は、どのような価値判断基準を採用したのであろうか。それは、こうである。民法旧第709条の立法時(1896年)と判決時(1924年)を比較すると、判決時には、日清戦争(1894〜1895年)、日露戦争(1904〜1905年)、第1次世界大戦(1914〜1918年)に “勝利” し、国際連盟の5常任理事国の1つとなり、領土も418万㎢から675万㎢に拡大し、“欧米に追いつき追い越せ” の目的を、 “形” としては達成し、しかも昭和大恐慌(1929年)も未だ発生しておらず、正に “大正デモクラシー” の時代ということになる。そこで、この時代の大きな変化から観て、制定時の「権利侵害」要件は “時代遅れ” で狭過ぎて、「権利侵害」でない場合でも、不法行為法による救済を必要とする社会的要請があった、ということである。そこで「大学湯事件」は、立法者意思からすれば救済されない事件において、解釈変更によって救済した、というわけである。このような方法で「立法者意思」基準による解釈を変更する基準を「歴史的変化」基準と呼ぶ。

第4 「法目的」基準

1、確かに「立法者意思」基準も立法者が想定した「法目的」(広義の「法目的」)であるが、それとは違った「法目的」、すなわち解釈者(裁判所)の考えるところの、当該法文によって実現しようとする価値(狭義の「法目的」)が存在する。例えば、詐害行為取消訴訟(民法第424条(18))において、立法者は「責任財産の保全」と「私的自治原則(債務者の財産管理権)」の調和をはかっていた(債務者を「必要的共同被告」と考えていた(19))。しかし、その後、裁判所は債務者を被告とする必要はない(20)、とした。その実質的利益衝量は、ほとんどの場合に、債務者を被告とする実益がなく(ほとんどの場合に債務者は “夜逃げ” している)、ただ、債権者にとって、現実に財産を握っている者から責任財産を取り戻すのが詐害行為取消訴訟の「法目的」である、というのである。このような方法で「立法者意思」基準による解釈を変更する基準を「法目的」基準と呼ぶ。

2、他にも「法律意思」や「体系的解釈」という基準が主張されている(21)。「意思」とは「目的」のことであり、したがって、「法律意思」=「法律目的」=「法目的」である。また「体系的解釈」は他の条文との論理的関連であるから、結局は、当該法文の法全体において果たすべき役割、すなわち「法目的」である。したがって、いずれも「法目的」に集約されるであろう。

第5 「合憲性」基準

 「裁判」は憲法第81条の「処分」に該当するから、当然、「法解釈」も「合憲性」のテストを受けなければならない。例えば、「謝罪広告事件(22)」において、判決は、民法第723条(23)の「名誉を回復するに適用な処分」として、新聞に謝罪広告の掲載を命ずることは憲法第19条に違反しない、とした。

第6 法的根拠

 ところで、裁判官が判決するとき「憲法及び法律」に拘束されるのだから(憲法第76条第3項)、判決中で「法解釈」が行われるときは、当然、その法解釈方法自体も「憲法及び法律」に基づかなければならない。この点、「合憲性」基準は憲法第81条、「立法者意思」基準は憲法第41条であるから、「歴史的変化」基準と「法目的」基準も憲法に基づかなければならない(24)。それは、憲法第99条の「裁判官」の “憲法尊重擁護義務” である、と考えられる。それは、「立法者意思」基準に従ったのでは、憲法が より、、 強く保護しようとする利益を保護することにならない、と判断したとき、「歴史的変化」や「法目的」といった基準によって判決しなければならない、ということである。そして、いずれの価値判断基準を採用すべきかを決断するのが憲法第76条第3項にいう「(裁判官の職業的=客観的)良心(25)」である。ここにいう「良心」(リーガル・マインド)は、例えば、一千万円やるから無罪にしてくれといわれたとき(「ワイロ」)、一千万円という価値を選定するのか、正しい判決をするという価値を選択するのかという価値選択の決断において働く。さらに、例えば、憲法第9条の解釈において、「立法者意思」の求める “自衛のための軍隊も持たない” という価値を選択するのか、「歴史的変化」の求める “自衛のためならば(集団的⁉)軍隊を持つ” という価値を選択するのか、さらに、憲法前文をはじめとする法体系全体(「法目的」)の「平和主義」から前者を選択するのか、逆に国民の生命、身体、自由、財産を守るという法体系全体(「法目的」)から後者を選択するのか、あるいは “統治行為論” によって判断を回避するのか、という価値選択の決断において働くのも、この「良心」なのである。したがって、この法解釈方法論は民法に限るものではない。

(注)

(1) ここでは典型例として、「法律」を採りあげるが、他の法形式についても同様のことがいえる。

(2) 勿論、法律の条文の中には「定義規定」(例えば、民法第85条)のような定めもあるが、結論は同様である。

(3) 石田穣『法解釈学の方法』(1976年。青林書院新社)15頁。

(4) 法律効果についていえば、例えば、「富喜丸事件」は、不法行為によって被害者が「得べかりし利益」を失った(「消極的損害」)場合には “当該被害者の取得の確実性”(ドイツ民法第252条参照)があるとき民法第709条の「損害」と認められて賠償される、すなわち、同条が適用される、と解釈した(大連判大正15〈1928〉・5・22民集5・6・386)。さらに「帰国旅費請求事件」は、不法行為によって被害者の財産が減少した(「積極的損害」)場合には「不可避性」(ボワソナアド旧民法財産編第385条第3項参照)があるとき民法第709条の「損害」と認められて賠償される、すなわち同条が適用される、と解釈した(最判昭和49〈1974〉・4・25民集28・3・447)。

(5) 民法旧第709条は「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」と定めていた(明治29〈1896〉年4月27日公布)。

(6) 大判大正3(1914)・7・4刑録20・360。この結論については裁判所も “正義の観念” には反することを認めていた。

(7) 大判大正14(1925)・11・28民集4・670。そして、その後、これが判例学説となり、ついに、平成16(2004)年12月1日公布の民法第709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と改正された。

(8) 例えば、「源氏物語」の解釈は、この文章をもって紫式部は何を読者に伝えようとしているのかという「事実」の究明であろう。勿論、立法者意思の究明作業自体は古典解釈と同様であるが、それに従うか否かの判断は価値判断である。

(9)法解釈の二面性。笹倉秀夫『法解釈講義』(2009年。東大出版会)4頁(なお、同『法哲学講義』〈2002年。東大出版会〉359頁)。

(10)新村出編『広辞苑 第6版』(2008年。岩波書店)1898頁。

(11)立法者意思については、石田穣・前掲書16頁。

(12)法典調査会議事速記録40巻147丁裏、同154丁裏。

(13)法学協会『註解日本国憲法 上巻』(1953年。有斐閣)254頁。

(14)民法第1条第1項は「私権は、公共の福祉に適合しなければならない」(憲法第29条第2項)と定めている。そこで、「天の川事件」で、判決は、「河川使用権」が敗戦復興のエネルギーとしての「発電」という「公共の福祉」のために制限されるとした(最判昭和25〈1950〉・12・1民集4・12・625)。次に、同条第2項は「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」と定めている。そこで、「賃料不払事件」で、判決は、少額の不払に対しての賃貸借解除権の行使は「信義則」に反するとした(最判昭和39〈1964〉・7・28民集18・6・1220)。義務については、例えば、「乳がん手術事件」で、判決は、医師は診療債務の履行において、信義則上、十分な説明義務を尽さなければならないとした(最判平成13〈2001〉・11・27民集55・6・1154)。さらに同条第3項は「権利の濫用は、これを許さない」と定めている。そこで、「宇奈月温泉事件」で、判決は、小さい土地の持ち主の引湯管撤去請求は「権利濫用」であるとした(大判昭和10〈1935〉・10・5民集14・1965)。

(15)民法第2条は「この法律は個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない」と定めている(憲法第24条第2項参照)。例えば、民法第90条(「公良序良俗違反」)の解釈として、「個人の尊厳」については、例えば「芸娼婦契約」は無効であるとし(大判大正4〈1915〉・6・7民録21・905「芸娼婦契約事件」)、「両性の平等」については、例えば「就業規則事件」で、女子の定年を男子の定年より低く定めることは「性別のみによる不合理な差別」として無効である(最判昭和56〈1981〉・3・24民集35・2・300)。

(16)例えば、消費者契約法第1条は「この法律は消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ、事業者の一定の行為により消費者が誤認し、又は困惑した場合について契約の申込み又はその承認の意思表示を取り消すことができる……ことにより、消費者の利益の擁護を図り……、」と定めている。他にも、割賦販売法第1条、借地借家法第1条、製造物責任法第1条、自賠法第1条など。

(17)右の消費者契約法第1条を引いて、事業者の説明義務を肯定した判決がある(大津地判平成15〈2003〉・8・15『別冊ジュリスト 消費者法判例百選』三二事件〈「パソコン講座受講契約事件」〉78頁)。

(18)民法第424条第1項は「債権者は、債務者が債権者を害することを知ってした法律行為の取消しを裁判所に請求することができる。……」と定めている。

(19)前田達明監修『史料債権総則』(2010年。成文堂)139、150、157頁。

(20)大連判明治44(1911)・3・24民録17・117「詐害行為取消訴訟事件」。

(21)笹倉秀夫・前掲『法解釈講義』4頁。

(22)最大判昭和31(1956)・7・4民集10・7・785。

(23)民法第723条は「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、……名誉を回復するに適当な処分を命ずることができる」と定めている。

(24)憲法は、法形式の中で最も強固な法であるから、憲法規定(憲法第41条)を制限できるのは憲法規定以外にはない。丁度、ダイヤモンドを研磨できるのは、ダイヤモンドしかないのに類似する。

(25)民訴法第2条にいう「公正」でもある。

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