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連載

ウェーバーの社会学方法論の生成

第1回 社会科学は何をする?

東京大学大学院総合文化研究科教授 佐藤俊樹〔Sato Toshiki〕

1.

 たぶん私の専門分野は社会学になるのだろうが、実は勤務先の大学では、1〜2年生に統計を教えている。これはこれで結構楽しい。

 社会学と統計学は、ふつう思われているより、はるかに関係が深い。例えば、社会学の基本的な分析手法はM・ウェーバーによって形作られたといっていいが、その方法論に大きな影響をあたえた学者は2人いる。1人は新カント派の哲学者H・リッカート、もう1人は生理学者で統計学者のJ・フォン・クリースだ。著作でいうと、リッカートの『自然科学的概念構成の限界』(1902年)、v・クリースの『確率計算の諸原理』(1886年)である。

 そして、これはきわめて現代的アップ・トゥー・デイトな問題でもある。2人の専門分野からわかるように、ウェーバーの方法論の形成は、文科系の学術と理科系の学術がどう関わりあうかへの彼なりの答えでもあった。向井守が『マックス・ウェーバーの科学論』(ミネルヴァ書房、1997年)で丁寧にかつ明晰に解き明かしているように、これは当時のドイツ語圏の人文社会科学で激しく闘わされた方法論争の一部でもある。自然科学natural scienceが爆発的な発達をとげ、従来、人文学humanitiesが対象としてきた領域まで手を伸ばしてきた。それに対して、人文学や社会科学の独自性をいかに主張していくかという、当時のドイツの学術界全体を巻き込んだ大論争の一部だったのだ。

 その意味で、ウェーバーの社会学方法論の形成をみていくことは、歴史への問いであるだけでない。現在、特に日本で大きな学術的かつ政策的課題となっている、文科系/理科系の研究教育のあり方を考える上でも重要な示唆をあたえてくれる。社会科学social science、とりわけ社会学がそこでどんな位置をとりうるのかもふくめて。

2.

 わかりやすい実例をあげておこう。今年(2016年)の初め、吉見俊哉による『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)という本が出された。

 このなかで、吉見は「『価値とは何か?』という問いこそが、19世紀後半以降に台頭してくる『文系』の知にとって根幹の問いだった」(103頁)として、「価値創造的な文系=人文学の知」と「目的遂行的な理系=工学の知」を対置して(105頁)、「『文系』の知は、価値の軸の変化を予見したり、先導したりする価値創造的な次元を含み、……主に理系が得意な『短く役立つ』知とは次元が異なる」(109頁)と述べている。帯の推薦の辞でも「価値軸の創造」という文系の知の特徴づけが強調されている。

 吉見も述べているように、この人文社会科学の定義は、19世紀末のドイツ語圏での方法論争で生み出されたものだ(注1)。W・ウィンデルバントの「個性記述的な科学(知)/法則定立的な科学(知)」の図式を引き継ぎ、さらに組み立て直して、リッカートは「文化科学Kulturwissenschaft/法則科学Gesetzeswissenschaft」の二分法をたてた。「リッカートは……『価値』について探究するのが『文系』の存在意義だと認識していたのです。そして、この認識を20世紀の社会科学に発展させていったのがマックス・ウェーバーでした」(105頁)。

 しかし、こうしたウェーバーの社会学の理解が世界的かといえば、必ずしもそうではない。

 例えば、英語圏では現在も社会科学の方法論の論争が激しく闘わされている。キング、コヘイン&ヴァーバ『社会科学のリサーチ・デザイン』に始まる計量分析vs.事例研究の争いだ。ここにもウェーバーはしっかり登場してくるのだが(いやいや本当に現代的な人だ……)、そのなかの1冊、G・ガーツ&J・マホニー『社会科学のパラダイム論争』(2012年)では、ウェーバーは、仮想的な反事実的条件法を適用した因果分析を導入した人とされている(原著p.116, 119-120、西川賢・今井真士訳、勁草書房、96、141頁など)。

 反事実的条件法というのは分析哲学のD・ルイスが定式化したもので(旧くはD・ヒュームにまで遡るそうだが)、事例研究と計量分析の両方で使われる。基本的な考え方は計量分析の要因統制と同じで、例えば統計的因果推論は、限られた観察データでそれをできるだけ適切に代替するために考案されたものだ。

 「計量分析vs.事例研究」という対立軸で考えた場合、日本語圏の常識的な理解では、ウェーバーは事例研究の側のように思える。リッカートの法則科学/文化科学をふまえれば、なおさらそうだ。文化科学は個性化する知だとされているからだ(佐竹哲雄・豊川昇訳『文化科学と自然科学』岩波文庫、102〜104頁)。ところが、現在の英語圏の方法論争の最先端では、ウェーバーの方法論は計量分析にも通じるものとして位置づけられているのである。

3.

 なぜ、こんな奇妙なねじれがおきたのか。

 私の考えでは、社会科学の方法論を「計量分析vs.事例研究」という対立軸で考えること自体がそもそもまちがっているのだが(断っておくが、これは別に私の独創的な意見ではない)、それはおいおい解説していくとして、もう1つ興味深い事実をここでは指摘しておこう。

 「事例研究」≒文化科学に近い人としてウェーバーが語られるとき、参照される主な方法論は「社会科学的および社会政策的認識の『客観性』」(いわゆる「客観性」論文)だ。それに対して、「計量分析」に近い人としてウェーバーが語られるとき、参照されるのは別の論考、「文化科学的論理学の領域での批判的研究」である(以下では「マイヤー批判論文」と呼ぶ)。ウェーバーの方法論の代表作とされるものがそもそもちがう。例えば『社会科学のパラダイム論争』の文献表に出てくるのも、マイヤー批判論文の後半部の英訳だ。

 「客観性」論文は1904年、マイヤー批判論文はその翌々年、06年に発表された。この間に何があったのか? 実は「客観性」論文には現れず、マイヤー批判論文に登場する学者の名がある。それが生理学者で統計学者のJ・フォン・クリースなのである。

 参考のため、ウェーバーの主要な方法論の著作年代をあげておこう(向井、13頁より、なお通称は一部変更している)。

 (1)1903年 「ロッシャーとクニースと歴史的経済学の論理的諸問題 1章」(ロッシャー論文)

 (2)1904年 「社会科学的および社会政策的認識の『客観性』」(「客観性」論文)

 (3)1905年 「ロッシャーとクニースと歴史的経済学の論理的諸問題 2章」(クニース1論文)

 (4)1906年 「文化科学的論理学の領域での批判的研究」(マイヤー批判論文)

 (5)1906年 「ロッシャーとクニースと歴史的経済学の論理的諸問題 3章」(クニース2論文)

 (6)1907年 「シュタムラーにおける唯物史観の『克服』」

 (7)1913年 「理解社会学の若干のカテゴリーについて」

 (8)1918年 「社会学および経済学の『価値自由』の意味」

 (9)1919年 「職業としての学問」

 (10)1921年 「社会学的基礎概念」

 見てわかる通り、主な論文はウェーバーの精神疾患が軽減し、経済学から社会学へ転じていく最初の数年間に集中して発表されている。1913年以降のものは、それらの成果を整理しつつ、敷衍したものだ。

 有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」(「倫理」論文アルヒーフ版)は、1904年に1章、翌05年に2章が『社会科学・社会政策アルヒーフ』に発表された。つまり、初期の方法論の論文群とちょうど重なる形で書かれた。

 そのことは「倫理」論文、特に1920年の『宗教社会科学論集Ⅰ』での改訂にも当然影響をあたえているが、これはこれで大問題なので、連載のもう少し先でふれる。ウェーバーの方法論の議論をある程度ご存じか、ウェーバー関連の学説研究を昔読まれた方は、先のリストをみて、あれっ?と思われたのではないだろうか。

 「ロッシャーとクニース」という論考が実質的に消えているのだ(なおこのクニースは有名な国民経済学者で、v・クリースとは別人)。ウェーバーの方法論を考える上ではこの点も重要な鍵となる。やはり向井守が明確に示したことだが、少なくとも方法論の形成過程を考えた場合、「ロッシャーとクニース」という1つの論文は存在しない。その3つの章は別々の時期に書かれた、3つの論文としてあつかわざるをえない。

 3つの論文のうち、v・クリースの名と彼が定式化した因果同定手続きである「(適合的)因果構成 (adäquate) Verursachung」(英語では“causation”と訳される)が明示的に登場するのは、クニース2論文だけだ。そして、この論文とマイヤー批判論文では、リッカートが文化科学の基軸とした「個性的因果関係」という概念が、かなり手厳しく批判されている。

 これらの点はドイツ語圏や英語圏の学説研究では、ある程度広く知られている。例えば、『読書人の没落』や『知の歴史社会学』で知られるF・リンガーは「彼[=ウェーバー]に対する決定的な影響は、H・リッカートからではなく、C・メンガーとG・ジンメル、そしてとりわけ生理学者で統計学者のJ・v・クリースから来た」と述べている(Fritz, Ringer. “Max Weber on causal analysis, interpretation, and comparison,” pp.311-327 in Methods of Interpretive Sociology vol.1, edited by Matthew David, SAGE)。

 これはさすがに極論すぎるが、(a)リッカートの主張の重要な一部をウェーバーは明確に否定した、そして(b)そこにはv・クリースの方法論が決定的に関わっていた、と私も考えている(佐藤俊樹「19世紀/20世紀の転換と社会の科学」内田隆三編著『現代社会と人間への問い』せりか書房、2015年、参照。なおウェーバーの術語の訳し方は、佐藤俊樹「『社会学の方法的立場』をめぐる方法論的考察」『理論と方法』29巻2号でも少しふれておいた)。

 さらに、このリンガーのウェーバー理解は(ピッツバーグ大学の同僚でもある)W・サーモンの、科学的説明の多くは因果関係の解明であるという、現代の科学論にとっても重要な主張をふまえている(Fritz Ringer, Max Weber’s Methodology, pp.86-91, Harvard University Press, 1997など。サーモンの主張については戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス、2005年などがわかりやすい)。その点はもっと注目されてよいが、そういう意味でも、ウェーバーの方法論は今なお生きている。

 したがって、少なくともよく知られたウェーバー、すなわち1906年以降のウェーバーの経験的分析を理解する上で、あるいは「職業としての学問」での学問論を読む上でも、「客観性」論文は必ずしも適切な方法論の論考とはいえない。どれか1つあげるとすれば、やはりマイヤー批判論文だろう。できれば、クニース2論文もあわせて読んだ方がよいが、少なくともマイヤー批判論文の後半部(2節)は詳しい注記もあわせて必読だ。

 「客観性」論文はウェーバーの方法論の代表作ではなく、むしろ形成途上で書かれた。「思想的にも用語的にもリッカートの影響を最も強く受けた」(向井、211頁)この論文でも、実は向井も指摘しているように、ウェーバーはリッカートの主張点の重要な1つを採っておらず、そのことだけでも「価値を創造するのが人文社会科学だ」とは彼は主張していないといえるのだが、それは後で説明する。この論文の結びで、ウェーバーはこう宣言している(富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』岩波文庫、160頁、ただし訳文は一部変更、以下同じ)。

 

 社会科学の本源的な課題は、……具体的で歴史的な連関の文化意義の認識にもっぱら仕えることであり、それだけが最終的な目標である。概念構成や概念批判の研究も、他の手段とならんで、この目的に仕えるものである……

 

 この「文化意義」はリッカートから受け継ぎ、発展させた概念だ。ところが、ここで「最終的な目標」とされた「文化意義」は、「それ以後ほとんど完全に消滅してしまう」(向井、234頁、具体的な用例の検討は234〜8頁参照)。実際、マイヤー批判論文にはこの形では出てこない。

4.

 だから、ウェーバーの社会学は、リッカートがいう意味での文化科学ではない。むしろ「価値を創造する知」vs「法則を追求する知」という二項対立図式をのりこえたところに、ウェーバーの偉大さがあるのであり、そこから20世紀の社会学と社会科学は出発していく。私はそう考えている。

 さらにいえば、ウェーバーの幼馴染でもあったリッカートはナチスの権力掌握後の、1935年まで生きた。彼自身はユダヤ人差別に批判的だったようだが、G・オークスが示唆するように、ニーチェ愛好者でもあった彼の文化科学の定義は、ナチスに通じるものもはらんできた。文化科学の現代的意義を主張するのなら、そこも見逃すべきではないだろう。

 もし人文社会科学の特徴が「価値を創造する」ことにあり、それで定義できるとすれば、人文社会科学者以外の人は価値を(少なくともあまり)創造できないことになる。それは価値を創造する人/しない人の二分法をつくりだす。

 もし人文社会科学者以外の人も「価値を創造」でき、かつ人文社会科学が「価値を創造する知」として定義できるなら、今度は、人文社会科学の専門性がなくなる。もちろん、もし人文社会科学に価値を創造する特権的な方法があれば別だが、それは第1の「もし」と同じく、やはり価値を創造する人/しない人の二分法を(少し弱い形でだが)つくりだす。

 少なくとも私はそんな方法はもっていない。私はふつうの人々と同じように価値を創造することはできるだろう、そして自分や他人が創造した(価値をもちうる)成果の妥当性を、専門的で体系的な手法を使って部分的に検証することもできるだろう。

 私ができることはそれだけだ。創造するのと検証するのは全くちがう作業である。社会科学としてはそれで十分だ、と私は考えている。そして、1906年以降のウェーバーも、そう言うのではないかな、と思っている。「数学や自然科学の真に偉大な認識は全て、まず想像力のなかで『直観的に』仮説としてひらめき、そしてその後、事実に即して『検証』される。……歴史においても全く同じである」(マイヤー批判論文、森岡弘道訳『歴史は科学か』みすず書房、195頁)。

 

[注記]

(注1)『「文系学部廃止」の衝撃』はおそらく語りおろしの、そういう意味で書き飛ばされた著作で、社会学者としての著者の責任を問う気には正直なれないが、どんな状況であれ、学者が学術について書いた文章は、それ自体としてやはり厳正な批判の対象になると私は考えている。正す必要があると考えるのなら、(そう考えた自分自身の責任もふくめて)明言すべきだ。それは著者の吉見氏ではなく、むしろ私の責任である。

 なので、失礼にあたらないよう、そう判断した論拠も明示しておく。

 この本の文献表にはそもそもリッカートの著作が全く載っていない。さらに、ウェーバーに関しては、『職業としての学問』と『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1989年の岩波文庫版、つまり1920年の「倫理」改訂版の翻訳)があがっている。リッカートの文化科学の定義を採用するなら、本文中でも述べたように、「客観性」論文をあげるべきだろう。あえて「倫理」論文をあげるなら、アルヒーフ版の方で。日本語訳は梶山力訳・安藤英治編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』(未来社、1994年)。

 文献表にある著作では、I・ウォーラーステインの『脱=社会科学』でも「個性記述的/法則定立的」の議論がなされているが、彼の比較分析の方法論は致命的に混乱している。佐藤俊樹「「世界システム」という物語」(『意味とシステム』勁草書房、第七章)で、その点は明確に説明しておいた。

 経験的分析での着想は高く評価するが、科学論や方法論の水準では、ウォーラーステインの研究は1960〜70年代のマルクス主義の域を出るものではない。コロンビア大学の出身だが、R・K・マートンの『社会理論と社会構造』での方法論的検討も、率直に言って十分に理解できていない。佐藤俊樹『社会学の方法』(ミネルヴァ書房、2011年)の第5章2節、特に注5を参照。

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