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書斎の窓

自著を語る


『第二の「戦後」の形成過程

――1970年代日本の政治的・外交的再編』

獨協大学法学部教授 福永文夫〔Fukunaga Fumio〕

福永文夫/編
A5判,284頁,
本体4,500円+税

 2015年12月に、『第二の「戦後」の形成過程』を有斐閣から刊行できた。本書は、科研費「一九七〇年代の日本の政治的再編――第二の『戦後』の形成過程」(2011〜13年度)による研究会の成果の一部である。

 近年、筆者も関わった『大平正芳全著作集(全七巻)』(講談社)や明治大学史資料センターによる三木武夫関係資料など70年代を含めた新たな史資料の発掘が進んでいる。加えて研究会では当時の関係者――福田康夫氏・加藤紘一氏などの政治家のみならず、朝日・東京・サンケイなどの新聞記者などから聞き取りを行い、これを補完することに努めてきた。

 さて昨年は、敗戦から数えて70年目に当たり、メディアでは「戦後とは何か」を問う特集が組まれ、戦後を振り返る書籍の出版も相次いだ。他方で戦後生まれの人口が1億人を超え、人口の約8割を占めるまでになった今、70年前は確実に遠い時代になりつつある。遠ざかる、そして「長い戦後」とどう向き合えばいいのだろうか。

 アメリカの歴史学者キャロル・グラックは長い戦後がもつさまざまな局面を、1945年から55年までの改革と復興の時代、55年から72年までの高度成長の時代、そして72年以降の3つに分けている。

 本書は、70年代を中心に――それはグラックが言う第3の時代でもあるが明確には位置づけされていない、この国の来し方を振り返り戦後を見ようという試みである。

なぜ1970年代なのか?

 そこでまず、1970年前後の日本を取り囲む内外環境の変化を追い、本書の問題意識を明らかにしておきたい。

 周知の通り、1965(昭和40)年8月、佐藤栄作は戦後の首相として初めて沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって「戦後」が終わっていない」と語った。

 それから4年後の69年に、佐藤はニクソン米大統領から沖縄返還の約束を取りつけ、日記に「吉田、ダレスの2人で桑港条約ができ、更に2人のお芝居で沖縄を第3条で占領を認め、それが今日の交渉となったのだ。その2人今やなし。天国で何を語りおるか」と書き留めた(『佐藤栄作日記』)。

 そして佐藤は70年代に入り、沖縄返還とともに「名実ともに戦後の時代に終止符を打ち、日本が米国と協力してアジア・太平洋地域、ひいては全世界の平和と繁栄に貢献して行く時代」に入ったと説いている。大平正芳もまた、これによって「長い占領政治に終止符が打たれることになった」と記している。2人のみならず、日本が戦後と決別し、新たな地平へ乗り出す時であったと言える。

 この間1968年には、日本は米ソに次いでGNP世界第3位となった。敗戦から4半世紀、経済力で明治以来ひたすら欧米諸国に「追いつき追い越せ」という目標に向けて走り続けた日本は「経済大国」となる。

 この年はまた「明治百年」にあたり、日本では過去1世紀、そして戦後を振り返るさまざまな議論が展開された。他方で経済成長が生み出した歪みは、公害問題に対する住民運動や大学紛争、ベトナム反戦運動など社会からの異議申し立てを受けていた。

70年代はこの国で何かが変わり、今までとは違う、「戦後でない」新しい時代の到来への期待と不安のなか開けることになる。

 本書では、この1970年代を第2の「戦後」の形成過程と位置づけ、日本の新たな国づくりの諸相を改めて戦後史の中に位置づける。

3つの国家像

 新しい時代は、米中接近と金ドル交換停止という2つのニクソン・ショックに、さらに続く石油危機など国際社会の荒波を被った。これらは戦後日本の政治と外交が前提としてきた国際政治経済秩序に急激な構造変化をもたらすものだった。アメリカの国力が相対的に低下するなか、経済大国となった日本は内外ともに大きな転換期を迎えていることを強く意識し、新たな国家像を求め模索する。

 これまで70年代の日本の政治と外交は、内外の危機への対処と、権力をめぐる激しい派閥抗争の末、およそ2年ごとに首相が交代したことに示されるように国内政治の不安定から見る混乱と停滞の時期としてとらえられてきた。

 他方で、この時代を担った田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳の、いわゆる「三角大福」の4人の宰相たちは、60年代の政治と外交を資産として継承しつつ、戦後の終わりと新たに訪れる次の時代への展望を重ねその歩を進める。

 このとき語られた国家像が、「平和国家」「文化国家」「福祉国家」である。この3つの国家像は、敗戦後、軍国主義との対照で、あの戦争への自省を込めて語られた。1945年9月4日昭和天皇は、戦後初めて開かれた帝国議会で「平和国家を確立して人類の文化に寄与せん」と、また翌46年11月には、新憲法公布に際し「国民と共に、全力をあげ、相携えて、この憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和を愛する文化国家を建設するように努めたい」と述べている。

 平和国家と文化国家は、多分に受け身ではあったが、このように憲法と重ねて語られた。しかし、平和主義という言葉はやがて米ソ冷戦を受けて、政治的には安保と対比して、しばしば革新勢力の看板政策と化していく。

 これに対し、佐藤は1971(昭和46)年1月に改めて「平和国家に徹する姿勢」の堅持をうたい、同じ頃福田赳夫外相も「平和国家」「文化国家」を道標に定める。それは海外諸国における対日関心の高まりの一方、日本の対外活動が経済的利益の追求に偏するとの批判や、経済大国は軍事大国となるという懸念を振り払うメッセージであった。戦前日本の色合いを引きずる岸直系である福田は、72年総裁選挙に立候補するに際して「平和国家の設計」を掲げ、「タカ派」イメージの修正を図る。

 70年代に入り、平和国家は、保守の側から改めて読み直され、国内外に向けて発信された。それは原体験としての敗戦を基底に、憲法9条を守り軍事大国とならないこと、「核をもたず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則を守ることを内容としていた。同時に憲法と安保という、引き寄せあって1つにならない2つの楕円を改めて融合するものであった。

70年代点描

 では、1970年代を通じて、日本はこの3つの国家像を軸にどのような道を歩んだのだろうか。

 福祉国家は、「成長の限界」が叫ばれ、ポスト高度経済成長をにらみ「成長から福祉」へと、言い換えると国民生活の量から質への転換を促す国内に対する発信であった。革新自治体の族生、与野党伯仲状況を背景に、福祉の充実を求めて与野党の競合が見られた。それは野党の連合政権構想の一方で、公明・民主の中道勢力の自民党への接近を強めていく。

 しかし、田中内閣が掲げた福祉元年のスローガンは、石油危機を契機に成長が終わるとともに財政問題を引き起こした。福祉国家路線は修正を求められ、保守側からは「日本型福祉社会」の建設が叫ばれるようになる。それは西欧福祉国家モデルからの転換の一方、家族の重視など伝統回帰型の別の側面を色濃く帯びていた。

 では平和国家・文化国家の中で外交はどう変わっていったであったろうか。日本は、国際的地位の向上とこれに伴う国際的責務の増大を受けて外交を展開していく。日本外交は日米協調の枠内で、アジアさらには国際社会に働きかけていく。

 1970年代初頭、福田は外相として、一方でソ連やバングラデシュ・北ベトナム・インドネシアなどと、のちの「全方位外交」につながる多面的外交を展開した。同時に文化国家建設の方途として、国際交流基金の創設に邁進する。それはつづく田中内閣で成就した。

 田中は組閣後3カ月というスピードで、佐藤政権が成し遂げることができなかった日中国交正常化を果たす。三木武夫は防衛費の対GNP比1%枠を設定し、日米関係に一定の枠組みをはめようとした。この間日米関係のグレーゾーンとして残った非核3原則の「持ち込ませず」は、国民の間に生活感覚として広がる平和主義的価値と向き合い規範化され、NPT調印や核四政策として日本の安全保障政策の準拠枠組みとなっていく。ある意味、これまで日本が経験したことのない分野に足を踏み入れることを意味した。

 福田ドクトリン、そしてアジア太平洋経済協力(APEC)につながる大平の環太平洋構想など非軍事大国化、経済協力を軸としたアプローチは、70年代外交の成果である。福田と大平は「世界の中の日本」像を追求し、サミットで日米とその他の国々との関係を重ね合わせ、先進国間の政策協調や国際秩序への対応を図った。

 こうした平和国家としての歩みを、沖縄と常に日本に対し、「期待と警戒」の間で揺れていたオーストラリアという別の鏡に映してみるとどう見えるだろうか。言うまでもなく沖縄にとって、本土への復帰は戦後の終わりであるとともに、新たな始まりでもある。復帰後も在沖米軍基地問題をめぐって日米は複雑に交錯するが、沖縄からのぞめば基地問題の放置という平和国家論の限界だったかも知れない。またオーストラリア側から見れば、この時期の日豪関係はなお「親密と戸惑い」の中に揺れていたと言える。

 いずれにせよ70年代の日本の政治と外交は、現在の、また近い将来に取り組むべき課題の原型であった。

 戦後および戦後体制の見直し、国際社会の中で日本の位置・役割が改めて問われているいま、これらは今後の課題の整理・解決に向けて、多くの示唆を与えることとなろう。これを90年前後の冷戦の終結、21世紀に入っての中国の台頭という新たな国際国内環境の登場と合わせて読むときどのような解が得られるであろうか。

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