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書斎の窓

連載


新世代法学部教育の実践

――今、日本の法学教育に求められるもの

第4回 新世代法学教育とそのテキスト+教材

武蔵野大学法学部教授・法学部長 池田真朗〔Ikeda Masao〕

1 はじめに――新世代法学教育と「テキスト」論再考

 今回は、新世代法学教育のための「テキスト+教材」論を書く。まず、「テキスト」論だけでなく「教材」論に及ぶことにご留意いただきたい。次にその具体例として、大変僭越ながら、私自身が、持論である「段階的法学教育」の実現のために作成してきた教科書・諸教材を例にとることを(そしてそれが他の出版社のものにも及ぶことを)読者の皆様に、また特に編集部にご諒解を賜りたい。

 法律書については、伝統的な分類として、体系書、基本書、入門書などというカテゴリー分けが行われてきた。民法を例にとると、我々の世代でいえば、体系書としては、我妻栄博士の『民法講義』(岩波書店)や、有斐閣の法律学全集のものなどがそれに当たり、基本書というのは、司法試験を受験する学生が最も日常的に使用するもので、体系書よりは軽く、学部教科書としてはやや重い程度の包括性のあるものが名指されてきたように思われる。

 その基本書として、個別の学者のものが挙げられていた時代から、多数執筆者の分担になる基本書兼標準テキストという座を勝ちえたのが、民法分野ではいわゆる有斐閣双書シリーズの遠藤浩ほか編『民法⑴総則』から『民法⑼相続』であった(初版1969年)。これが法学部の講義テキストから司法試験の受験者が精読する基本書までを兼ねるものとして版を重ね、当時はいわば一世を風靡したと言ってよい。そして、有斐閣双書の後継として作られたのが有斐閣Sシリーズである。民法は、判例学説を双書よりもさらに一回りコンパクトにまとめた5冊本の教科書になり、4単位5部構成の民法の講義にぴったり合っているので、これもかなりの大学で採用されていると聞く。

 私自身もこのSシリーズの『民法Ⅲ――債権総論』(初版1988年、現在第3版補訂版第5刷)に執筆者の1人として参加しているが、こういう教科書のニーズはなお確かにあるものの、あるべき法律の教え方としてそれだけでよいのかというのが、実は私が大学教員生活のかなり早い段階から感じていた疑問であった。そしてそれは、法律学における体系書→基本書→入門書というカテゴリーの作り方への疑問にもつながっていったのである。

2 ユーザー・オリエンテッドとは

 もう40年も前のことである。前述の有斐閣双書『民法』の執筆者のお一人から、「我妻先生の民法講義を要約して書いた」というコメントを聴いたことがある。当時まだ助手だった私は、実はその学者の主体性のなさに批判的な思いを抱いたのだが、ここで言いたいのはその点ではない。当時の基本書は、多かれ少なかれ、そのような体系書のダイジェストであった。そしてさらに、(これはもっと問題が多いのだが)入門書と呼ばれるものはその基本書のダイジェストだったのである。

 しかしながら、それでよいのだろうか。そのような発想のテキストで、教わる側に何を与えられるのか。そもそも、教わる側は何を求めているのかを考えてそれぞれのテキストが作られているのか。これが、私が抱いた疑問の中身であったのである。

3 段階的法学教育とテキストの対応

 私が説いてきた段階的法学教育論では、法学教育は段階ごとに目的も方法論もはっきりと異なるものである。そうするとそのテキストは、決して(段階の上位から順に)詳細な書物を要約したり記述を間引いていって作られるべきものではないのである。

 私は、まず大学法学部での法学(法律学)教育について、導入教育、専門基幹教育、専門展開教育という段階を考え、さらに法科大学院での教育はそれらとは異なる「職能教育」と位置づけている。また、大学での法学入門教育についても、正確に言えば法学部での「導入」教育と、他学部での(それ以降法律学を学ばない可能性の高い学生たちのための)入門教育では違いがあることも論じている。そしてさらに、大学外での教育に、市民教育ないし教養教育としての法学教育を位置づけているのである(本連載第1回、本誌643号参照)。したがって、正確かつ効率的に教育効果を挙げるためには、それらの段階それぞれに対応した、別々のテキストその他の教材が必要なのである。

4 「専門基幹教育」の基本書や入門書の見直し

 とはいえ、私が最初に前記のSシリーズ『民法Ⅲ――債権総論』の執筆を依頼された時点では、私自身、当時の体系書や類似の教科書を参考にしながら執筆するのが精一杯だった。それに、突出した記述をする能力も見識もなかったのだが、その段階で1点だけ、まだ当時の類書にない項目を入れた。それが、「連帯債務と連帯保証の異同」という項目であった。つまり当時の教科書では、連帯債務の項目の記述と保証の項目の記述は完全に独立しており、両者を比較する記述はなかったのだが、実務では、連帯保証を取るか連帯債務者にするかのいずれがより望ましいかは、当然のように知らなければならない事項である。それが、30年近く前の私の最初のメッセージだった。

 しかし共著の教科書では、記述内容にしても形式にしても、はっきりした独自性を出すことは難しい。そこで私の「自分流の教科書作り」は、単著の『スタートライン債権法』(日本評論社、1995年、現在第五版第六刷)から始まった。これは、法律学習雑誌の連載を基にした、初心者向けの教科書(一般の大学法学部2・3年生程度の債権各論・債権総論でも採用されることを想定した、易しい「専門基幹教育」用教科書)であったが、自分の大教室講義の経験を元に、初学者が間違えやすいところを詳しく解説したりしただけでなく、文字通り「本邦初」の試みとして、各章の最初と最後に、民法とは関係のない、学生生活の四季に関するコラムを(しかも素人短歌付きで)入れたのである。そうすると、多くの読者は、最初にコラムだけを拾い読みをする。それでいい、コラムを全部読み終わってから、その間に書いてある法律の文章に興味を持って読み始めてくれれば、という、なんとも破天荒な発想で作った、「独習可能な教科書」だった。今でもよく若造に好き勝手にやらせてくれたものと思うのだが、初心者向けの教科書では、興味を持たせることが第1で、とにかく最後まで読み切らせることを考えるべき、という私の確固たる信念に基づいて作ったものだったのである。

 加えていえば、法律学の基幹教育においては、教える順番は条文、判例、学説であるべきなのに、わが国の法律学では学説が非常に幅をきかせてきた。そこで本書では、まず条文、次に判例、の順序を徹底させた。わが国では、基本書とされるものの中にも、先に学説の議論ばかりを書いて、後のほうに「しかし判例はそうなっていない」と付け加えるような書きぶりをするものがある。私に言わせれば、そういうものは(学問的な価値は高くても)基幹教育の教科書に採用するべき性質のものではないのである。

 なお、右の『スタートライン債権法』の姉妹編として出した『スタートライン民法総論』(日本評論社、2006年、現在第2版第4刷)は、「総論」と題したことからもわかるように、さらに導入レベルに近寄せて、民法総則だけでなく、物権法、債権法、親族・相続法の本当の入口に関する記載を加えたものである。出版当時は、一定レベルにある法学部では民法総則の授業で使うにも易しすぎると考えていたのであるが、読者カードによれば、法科大学院の完全未修者の独習用に一定のニーズがあるようである。

5 導入教育の「法学」テキストの改革

 さて、右のように「専門基幹教育」用のテキストを開発した後で考えたのは、最初の「導入教育」用の、法学部1年生の「法学」教科書の改革であった。導入教育のテキストは、何を措いても「面白く」なければならないというのが私の信念である。意欲に燃えて法学部に入ってきた新入生に、「法学」はつまらないと思わせては絶対にいけない。けれども、従来の法学教科書というのは、正直のところどれも非常につまらなかった。その理由は、学者の頭で法学(法律学)の体系を考えて、その最初に置くべき分類や定義をそのまま法学テキストの内容にしていたからである。成文法と不文法、勿論解釈や拡大解釈などという講義をされて、新入生には面白いはずがないのである。

 その改革の第1弾として、私は、いわゆる法学概論ではなく、各法分野の紹介から入る法学テキストを作りたいと思った。しかも民事、刑事、公法と全般にわたるのではなく、思い切って民事だけで行こう、と考えたのである。幸い有斐閣のアルマシリーズの企画で、それが実現する。書名は5名の共著者の長い議論の末に、その「導入教育」の意図をまさに象徴するものになった。それが、同シリーズの中でも現在まででおそらく1、2を争う出版部数となっていると思われる『法の世界へ』(有斐閣、1996年、現在第6版第2刷)である。

 しかし私はさらに考えた。いやいやながら法学部に入ってきた学生諸君や、これ以降法律を学ばないかもしれない他学部生の諸君にも、面白い、履修してよかった、と思ってもらえるような法学教科書はできないか。そう思って作ったのが、池田編著の『プレステップ法学』(弘文堂、2009年、現在第3版第2刷)である。ここでは、発想はさらに飛んで、「大学生活の危機管理」、つまり大学生になって出会うトラブル等に対処できるための法律知識から入ることにし、しかも、各章とも登場人物のイラスト入りの会話から始まることにしたのである。ひたすら「面白くて役に立つ法学」を目指したわけである。私としては、これが現時点では自分なりに「ユーザー・オリエンテッド」を究めた作品と考えている。

 実際、武蔵野大学法学部法律学科の1年生については、前期の「法学1(法の基礎)」は『プレステップ法学』を教科書にし、後期の「法学2(法学概論)」は『法の世界へ』を教科書にして、「導入」法学教育を実践している。

6 「テキスト」から「テキスト+教材」へ

 さて、大学基幹教育としての法律学教育に話を戻すと、私が意識したのは、教室での講義内容と、現場の取引実務の乖離であった。たとえば、登記簿のどこに何が書いてあるかも知らずに物権法を学ぶとか、契約書のひな形も見たことなしに債権法を教わる、といったことでは、生きた法学教育になっていないと考えたのである。

 ことに、我が国の民法学は、解釈学が主流で、学者の関心がそのまま教科書に反映されて、学説の争いの記述などが多い内容になっている。そうではなくて、本連載の第1回にも書いたように、法学部生の圧倒的なマジョリティは法曹にはならず、ビジネスや公務員の進路に進むのであるから、彼らを社会に送り出すためには、学生のうちから教室と実務がつながる教育をしなければならないのである。

 そうすると、大学法学部での法律学教育は、教科書にしろ基本書にしろ、従来の「テキスト」では足りないはずである。つまり、端的に言えば、登記簿や契約書ひな形の現物を解説する「教材」が必要なのである。その観点から編まれたのが、『目で見る民法教材』(有斐閣、初版1988年)である。これは画期的な教材であったと思うのだが、私はこの共編著者に最年少メンバーとして参加し、さらに現在その後継書となっている『民法Visual Materials』(有斐閣、2008年)では編著者としてひとつ下の世代の執筆者たちのまとめ役を務めている。

 さらに言えば、判例を学習するのであれば、判例の読み方、位置づけ方、検索の仕方等を学習する教材も必要になるはずである。つまり、各法分野で定番になっている『判例百選』(有斐閣)などの判例「解説書」ではなく、判例「学習書」が必要なのである。その観点から編著者として作ったのが、『判例学習のAtoZ』(有斐閣、2010年)という副読本である。

 これらが、私の考える「テキスト」から「テキスト+教材」への流れに対応するものなのである。

7 テキストは「標準」から「新標準」へ

 さらに、伝統的な法律学教科書は、記述すべき内容や項目についても見直されなければならない。前述のようにマジョリティの法学部生をビジネスの世界に送り込むのであれば、判例や学説の記述だけでいいはずがないのである。

 新しい法律学教育の「標準テキスト」には、たとえば民法債権各論の契約法の教科書で言えば、現在の社会で頻繁に使われている非典型契約(民法典には条文がない)に一定量の記述が割かれていなければならない。実務への架橋という観点で言えば、契約条項(期限の利益喪失条項、表明保証条項、コベナンツ条項など)にもそれなりの言及がなければならないはずである。また、「学び方」の教授という点では、判例を読む上でも、事例問題を解く上でも、当事者の「関係図」の書き方の指導などをテキストの中に掲げなければならないはずである。それらの観点を入れて書いたのが、拙著『新標準講義民法債権総論』(慶應義塾大学出版会、2009年、現在第2版)『新標準講義民法債権各論』(同、2010年)である。

 もちろん、それらもなお不十分であり、かつ記述内容にはより優れた著作が他にいくらでもあることはしっかり明記しておくのだが、私は、学習者に何が必要か、何を教えておくべきか、という基準を立てて自分のテキストを作っていることをここで申し上げておきたいと思う。

8 今後の課題――電子書籍テキストは?

 私はその他、導入教育の法学用に必要十分な超薄型六法の開発(石川・池田ほか編『法学六法』信山社、2008年以来毎年発行)、関係図を入れ裁判の流れや判決の位置づけに解説の重点を置いた判例解説書の出版(奥田・安永・池田編『判例講義民法1総則・物権』『同2債権』悠々社、2002年、現在第2版)、さらに他学部生・社会人向けの1冊本民法入門テキストの作成(拙著『民法への招待』税務経理協会、初版1997年、現在第4版第5刷、なお同書はクメール語に翻訳されてカンボジアの法学教育教材として使用されている)などを行って、現状では講義のためのテキスト・教材のラインナップを一応完成させている。そうすると今後は電子書籍のテキスト採用などのテーマを検討することになるのだが(先述の『法の世界へ』は電子書籍版も試したことがある)、これについての授業運営上の問題点などは、機会を改めて書くことにしたい。

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