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書斎の窓

自著を語る


『経営学で考える』

東京大学大学院経済学研究科教授 高橋伸夫〔Takahashi Nobuo〕

高橋伸夫/著
A5判,342頁,
本体3,200円+税

 これまで色々なご縁に恵まれ、色々な本を書かせてもらった。1987年に最初の本を出版して以来、この『経営学で考える』で単著は17冊目になる。ベストセラーに挙げられるくらいに売れた本もあれば、まったくと言っていいほど売れなかった本もある。というか、基本、あまり売れない。それでも書かせていただけているのはありがたいことで、しかも、かなり昔の本でも、2冊は文庫化、1冊はオンデマンド化、4冊は電子書籍化されて、「本」として長生きさせてもらっている。『経営学で考える』も電子書籍化していただけるようで、ありがたいことである。

 ところで、本稿の執筆依頼は、『経営学で考える』の出版(2015年9月)よりも前にいただいたものである。それが今頃になって活字になっているというのは、原稿の締め切りを先延ばしにしてもらう条件で原稿を引き受けたからである。先延ばしにした理由は、忙しいから、ではない。今年度から4学期制になった東京大学の「A1ターム」(9月〜10月)の講義で、この本をテキストとして実際に使ってみて、学生の反応を確かめてから原稿を書きたかったからである(反応が悪かったら、恥ずかしくて自著など語れないので、辞退しようと思っていた)。そうなのだ。実は、この本ほど「講義で使う」ことを意識して書いた本は他にはないのである。たとえば、この本が7章構成なのは、A1タームで毎週1回2コマ連続の講義を7回やることになっていたからであるし、各章の内容・分量も、計画的に1回2コマ分で完結するような内容・分量にしている。

 極論を言えば、この『経営学で考える』が成功したかどうかは、一般の読者の反応で決まるのではなく、東大経済学部の学生(2年生)が、経済学部に進学した最初のターム――それが2年生のA1ターム――で聴く私の「経営」の講義(本郷ではなく、駒場で開講)に対する反応で決まる。そう覚悟を決めて書いた本なのである。では実際の学生の反応はどうだったのか? 学生は毎年入れ替わっているので、単純な比較はできないが、少なくとも「自著を語る」ことが許されるかなと思える程度には、反応が良かった。2015年9月〜10月の木曜日の朝8時30分から12時10分まで(私は定刻に講義を始める主義)、10分間休憩を間に1回入れただけのぶっ通し講義だったが、私語は格段に減った。出席はとらない主義なので、出席する学生数は回を追うごとに逓減する傾向があるが、見た目では、学生の歩留まり率も悪くなかった。

 思えば、私が東京大学経済学部で「経営」の講義を担当するようになって、もう20年にもなる。1995年に私が引き継ぐ前は、故岡本康雄教授、故土屋守章教授が1年交代で担当されていた。だが、諸般の事情により、私はほぼ毎年、1人で「経営」の講義を担当してきた。講義案の元になっていたのは、1987年〜1990年に東北大学経済学部で担当していた「経営学総論」の講義ノートで、当時、それが有斐閣の伊東晋さんの目に留まって、1995年に『経営の再生』として有斐閣から出版された。以来、「経営」の講義のテキストは基本的に『経営の再生』を使用してきたわけだが、もちろん、その間、新しい法制度やトピックスも取り込んで、同書は増補・改訂を繰り返してきた。そのため、初版274頁だったものが、第3版では340頁にまで頁数が増えている。近々、新年度に間に合うように、さらに大改訂をした第4版も上梓される予定である。

 この『経営の再生』は、教科書としては珍しく、ストーリーがはっきりした本なので、どうしてもストーリー的に入りきらないトピックスがいくつも出てきてしまう。というより、より正確に言えば、経済学を学び始めたばかりの東大生相手ということもあり、実際の「経営」の講義では、経済学やゲーム論とも絡めた、かなり理屈っぽい話も別途資料を用意して、全体のストーリーからは独立した単発ものとして、意図的に取り上げていた。東京大学では、学生は渋谷近くの駒場キャンパスで最初の2年間を過ごすのだが、2年生の後半は既に各専門学部に進学しており、私の「経営」の講義は、まだ駒場キャンパスにいる経済学部に進学したての2年生を相手に行うもので、経済学も同時に学び始めて、やや理屈っぽい話を口にしたくなる東大経済学部生の好みに合わせたのである。

 そのこともあって、10年以上前に『経営の再生』の新版を用意していた頃から、その理屈っぽい話も取り入れて、改訂版ではなく、別のタイトルの新しい本にしてはどうかと有斐閣から勧められていた。しかし、『経営の再生』のストーリー自体に価値があると考えていた私は、気が進まなかった。にもかかわらず、いつもの調子で、そのうちA5判サイズ(『経営の再生』は四六判で小ぶり)の単著で「経営学」のテキストを書きますよ……と約束してしまったのだった。

 そんな心理状態での安請け合いだから、案の定、新しい教科書の執筆はいつまでたっても始まらない。そうこうしているうちに、これまた縁があったとしか言いようがないのだが、新世社の「ライブラリ コア・テキスト経営学」シリーズ全体の編集の仕事を一人で引き受けることになった。実は、シリーズ編集だから……と高を括っていたのだが、これが、想像していた以上に大変な作業量を伴う仕事だったのだ。裏を返せば、それだけ真面目に教科書シリーズの編集に取り組んでいたということなのだが、この「ライブラリ コア・テキスト経営学」シリーズ、8年間で既刊11巻の実績が示すように、私は毎年、他人の書いた教科書の原稿を編集する仕事をしていたのである。なので、正直言うと、教科書を新たに自分で書こうという気持ちは、ますます萎えていった。とはいえ、その間も、新書やら啓蒙書やらは書いて出版していたので、有斐閣の藤田裕子さんは、さぞやお怒りあるいは落胆されていたのではないかと推察する。

 「いまに有斐閣から見捨てられる……」というあきらめにも近い恐れは抱いていたものの、書く気にならないものは書く気にならない。本当に申し訳ないことなのだが、結果的に、有斐閣の新しい教科書の企画は、10年以上も店晒し状態だったのである。しかし、そうこうしているうちに、2015年度から東京大学の学事暦が大きく変わることになり、それまで4単位だった講義を2単位×2に分割する必要に迫られた。結果的に、駒場開講の私の「経営」の講義は2単位にすることになったのである。既に触れたように、駒場の「経営」の講義は昔から同じ日に2コマ続けてやることになっていたのだが、学事暦の変更に伴い、1コマの時間が105分に延びて、2コマ連続だとなんと3時間30分の過酷な講義になることも判明した。3時間半。これは講義をしている側もつらいが、聴いている学生の側もつらい。学生が「眠くならない」のは無理としても、せめて(結果的に眠ってしまったとしても)「起きて聴いていたい」と思わせる講義内容にしないと、学生がかわいそうだ。

 私は思い切って、講義内容を2つに分け、本郷で講義することにした『経営の再生』はそのままのストーリーで改訂し、他方、これまでの講義で『経営の再生』のストーリーとは独立で話していた理屈っぽい部分は別の本としてまとめ、これを駒場の「経営」の教科書にすることにした。より具体的に言えば、これまで講義で取り上げてきたトピックスの中で、比較的、聴衆(東大経済学部生)の食いつきが良かったものをかき集めて、新しい教科書を作ることにしたわけである。それが本書を書き始めた直接のきっかけだった。

 経営学と同時に経済学も学び始めている学生の興味を引くように、各回(各章)、経済学の初歩的な話とも絡めた理屈っぽい話から導入して、経済学とは明らかに違う経営学のダイナミズムのようなものに触れられるような展開にすることにしたのである。そのため、各回(各章)は、まずは通説を説明し、最後は通説を否定していくような展開にした。それゆえ、本書は、おそらく経営学者が読んでも、かなり斬新な切り口の本になったのではないかと思う。ただ、全体的にやや理屈っぽくなったので、最終章である第7章「社会人のためのエピローグ―仕事の報酬は次の仕事―」は社会人でも身近に感じてもらえるような応用編にしてみた。

 と説明するともっともらしいのだが、正直に告白しよう。もっともらしく自著を語ってはいるが、この説明は、『経営学で考える』第4章「意思決定の理由」でも登場する「事後的な合理性」の一事例にすぎない。本当は、原稿の締め切りも迫る中、最初は、雑多なトピックスを、ただ淡々と原稿にまとめ始めただけなのだ。しかし作業を続けていると、やがて私は、あることに気が付いた。これは、『経営学で考える』の「あとがき」にも書いた話なのだが、私が1994年に東京大学経済学部に助教授として着任して間もない頃、「同僚」になったばかりの大先輩の経済学者から、唐突に質問されたことがある。

 同じ現象に対して、同じようなモデルを使っている場合でも、経営学者と経済学者では全くアプローチが違うように見える。一体どこが違うのだろうか、と。

 場所は、確かコピー室かどこかだった。私はその場で、例を挙げて一生懸命説明を試みたのだが……。以来、経済学部で経営学を教える人間として、その質問は、いつも私の頭のどこかにひっかかってきたらしい。私は駒場の「経営」の講義の中で、無意識のうちに、この大先輩の質問に答えようとしてきたようだ。そのことに、今更ながらに気が付いたのである。まさに「経営学で考える」とここが違いますよと。だからこの本のタイトルも、すんなりと『経営学で考える』に落ち着いた。そして、そのことを意識して、何度も全体を書き直すことで、経営学で考えた「成功した理由」「じり貧になる理由」「意思決定の理由」「協調する理由」「働く理由」という形で、大先輩の経済学者の質問に対する私なりの「答え」がようやく姿を現すことになる。それが本書なのである。

 質問されてから20年以上。こんな答えでいかがでしょうか、石川経夫先生。

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