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連載


新世代法学部教育の実践

――今、日本の法学教育に求められるもの

第1回 マジョリティの法学部生のための、専門性のある法学教育

武蔵野大学法学部教授・法学部長 池田真朗〔Ikeda Masao〕

1 法学部教育の再考

 2016年の年明けから、日本の法学教育、ことに大学の法学部教育を考え直す連載を始めたい。その1つのきっかけは、近年クローズアップされ続けている、法曹養成制度改革の失敗の問題である。司法試験合格者を毎年3,000人まで増員する計画は頓挫し、政府の法曹養成制度改革推進会議は、2015年6月に至って、今後は毎年1,500人を下回らない程度とする方針を打ち出した。実はこれは法科大学院がスタートした2004年頃の水準に戻ることになる。全国の法科大学院は定員割れの状態のところも多くなり、廃止や募集停止とする法科大学院が増え続けている(法曹養成制度改革の出発点からの問題点については、私はすでに別稿で論じた。拙稿「新世代法学部教育論」『世界』2015年9月号参照)。

 そして、この失敗のあおりを受けて、大学入試においても法学部の人気が落ちたといわれている。しかしながら、そもそも大学法学部というものは、法曹養成制度改革の成否で存在意義や評価が変わるものなのであろうか。変わるというのであれば、わが国の法学部教育は、法科大学院に人材を送り込む以外に存在価値がないということだったのか。つまり、法学部は本来どういう教育をしてどういう人材を育てるべきところなのか。そこに法曹養成を超えた普遍的な意義、目的が見出されるのであれば、今般の制度改革の失敗に影響されることはないのではないか。

 そう考えてくると、法曹養成制度改革の問題は文字通り議論のきっかけに過ぎないのであって、そもそもこの国には確立した「法学部教育」が存在していたのか、というところから考え直さなければならないように思われる。本連載は、このような問題意識から出発するものである。

2 マジョリティのための法学部教育

 まず、誰のための法学部教育なのかを考えたい。2015年の段階で、法学部(法学類含む)の定員総数は136,577人とのことである(読売新聞「大学の実力」2015年度調査による。大学ごとの定員数については、読売新聞教育ネットワーク事務局『大学の実力 2016』中央公論新社参照)。そうすると、これを単純に4で割って1学年の定員を考えると約34,000人になる。ということは、仮に毎年の司法試験合格者をほぼ現状の約2,000人としても(また実際いくらかの定員割れの法学部があるとしても)、その数字は法学部(法学類含む)の学生一学年の1割にも満たないのである。つまり、かつて言われてきた「法学部生の8割以上は法曹にならない」という表現は、今や「法学部生の9割以上は法曹にならない」と修正しなければいけないようである。

 そうすると、わが国の法学部教育は(少なくともその主要部分は)、その9割以上の、法曹にならない「圧倒的多数派」の学生のために展開されなければならないのは、理の当然ということになるのではなかろうか。またそうであれば、現代の法学部は、そもそも司法試験や法科大学院の合格者数で基本的な評価がされるところであってはならない。もちろんそれも1つの評価要素であることは否定しないが、それよりも、9割以上の圧倒的多数派の学生に対して、どういう教育が施されているかで評価されるべきものなのではないだろうか。すなわち、これからの大学法学部は、法曹や中央官僚の育成よりも、ビジネスの世界や地方自治などにかかわっていく、「マジョリティの法学部生」のための教育をまず中心に考えていくべきであろう。

3 法学部教育の再構築

 かつて法科大学院の創設時には、法学部廃止論も相当に論じられた。それは、たとえばアメリカでは、法律は、文学や経済学など、他の学部を経てからロースクールに入学して学ぶものであるから、日本でも、ロースクールを作るのであれば法学部は解体すべきという議論であった。

 ただ冷静に考えてみると、その議論は、法曹養成のための組織を法科大学院として別に作るのであれば法学部はいらない、と言っているのであるから、そもそも法曹養成以外には独自の法学部教育の意義はない、という理解を前提にしていたのである(これは、その段階で圧倒的多数の学生が法曹にならない状態だったことを考えると、すでに非常に不可思議な議論ではあった)。そして、また逆に言えば、議論の末に法学部はそのまま存置することにしたのであるから、残した以上は法学部には法学部独自の存在意義と教育理念がなければならないはずだったのである。

 実際、その段階でいくつかの法学部論が論じられたことは確かである。けれども、そこでの議論の大半は、いわゆるリベラルアーツ論であった。大要は、いわゆるリーガルマインドを持った教養人を育てるというのであるが(実はこのリーガルマインドなる表現も非常に曖昧に使われている)、そこに「法曹養成以外の、専門性のある法学教育」についての議論が抜け落ちていたことを、私はここで強く指摘しなければならない。

4 段階的法学教育論

 以前私は、日本学術会議の法学委員長として、法学分野における「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準」作りに参加した。その折に私は、法学教育には段階があって、その段階ごとに教育内容や達成目標が異なるのであるから、大学の学士課程ひとつをとっても、法学の教育レベルは多様であり、一律の参照基準などを作成することは困難であると主張した。その私の主張の趣旨は、出来上がった報告書にもある程度取り込まれている(日本学術会議・報告「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準・法学分野」〔2012年〕参照)。

 私自身は、大学の法学教育には、法学部での導入教育、専門基幹教育、専門展開教育、法科大学院での職能教育という段階があって、その段階ごとに内容も方法論もはっきり異なるべきものと考えており、さらに大学外(ないしは法学部外)の法学教育に、市民教育ないし教養教育があると位置づけている。そして2015年に行った慶應義塾大学の最終講義では、学部1、2年生向け、学部専門課程向け、法科大学院向け、ゼミOBOG・社会人向け、と4つの講義をして、私なりにその実践を試みた(池田真朗『新世紀民法学の構築』慶應義塾大学出版会参照)。

 さらに私は拙稿「民法(債権関係)改正作業の問題点」(『世界』2015年2月号)では、「法学部教育の問題点を俯瞰して」という項目を立てて、「学理の追求にばかり目を向ける学者たちと、日常生活のルール作りに無関心な市民との二極の乖離は、我が国の法学部教育にもその遠因があるように思われる」と書き、「〔これまでの日本の大学における法学部教育は、〕その法曹養成にばかり力点を置く傾向にあった」「教員はもっぱらプロ養成の観点に汲々とするか、さもなければ自分たちの学理の世界に耽溺した講義をしてきたのである」と書いた。これはいささか決めつけが過ぎる文章であったかもしれないが、法科大学院進学のための教育をするのでなければ、教養人育成教育ないしいわゆる市民教育をする、というのであれば、法学部独自の専門教育は存在しないという帰結になってしまうのである。

 問題はまさにここに存する。しかし私は、法学部がなすべきものは市民教育ではなく、れっきとした「法学部専門教育」であると考えている。ではその「専門教育」の具体的な内容はどのようなものとなるべきか。

5 ルールを創る人を育てる

 行政組織をみても、企業組織をみても、従来法学部というものが有用な人材の供給源として機能してきたことには、誰も異論をさしはさまないであろう。問題は、法曹や中央官僚を除いた法学部出身者に、さらにこれからの圧倒的多数派の法学部卒業生に、他学部の卒業生にはない、「法学部ならでは」の特質がみられるか、というところにある。

 俗にいう「法学部出はつぶしがきく」という表現などは、まったく積極的な評価とはいえない。「法的思考力や判断力の涵養」などというお題目も、さらに具体化する必要がある。そこで私は、法学部は、社会のそれぞれのレベルの集団において、ルールを創り、集団の運営にリーダーシップを取り、構成員の幸福を考えていくような人材を輩出する社会インフラとなるべきものと考えた。

 そうであれば、ここは発想を転換する必要がある。「法律を教える」ことによって、法律を覚えることの得意な人間やそれを振りかざす人間を育てるのではなく、社会におけるルールのあり方を理解し、またその帰属する社会や集団での最適なルールを創れる人間、をどれだけ育成できるかが、本来の法学部の価値を決めるのではなかろうか。

 もちろん、そのルールというものも、国レベルの「法律」から敷衍して、地方自治体の条例、企業取引における契約、さらに、同業者組合やマンション管理組合の規約であったり、町内会の取り決めであったりと、所属する社会や集団のそれぞれのレベルで考えるべきである。

 新世代の法学部教育の「専門性」というものの核の部分は、具体的にこの「ルール創り」の能力を養成するというところにあるのではないかと私は考えているのである。

6 新世代法学部論の道筋

 ではそのような教育は、どうしたら実現できるのか。それを性急に論じる前に、いくつか具体的な教育方法を検討する段階を経る必要があろう。教育は、理論の中にあるのではなく、実践の中にある。したがって、「やって見せて、結果を出す」のがすべてであろう。次号以降の本連載は、新世代の法学部教育を考える道筋として、教授法、カリキュラム、教材、などを実践例を挙げて検討し、最後に、理念の問題に回帰しつつ、「ルールを創れる人を育てる」法学教育を探求してまとめとする予定である。

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