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巻頭のことば

世界システムと日本

第5回 日本のアジア政策

東京大学東洋文化研究所教授 田中明彦〔Tanaka Akihiko〕

 これまで4回にわたって検討してきたように、現在の世界システムには長期的に希望のもてる側面(インド・パシフィックの時代)もある反面、長期的に解決困難な側面(脆弱地域の問題)もある。脆弱地域の問題を解決するためにも有効な国家を建設していかなければならないという課題もある一方、新興国における国家と社会の関係とその不安定化の可能性も注視していかなければならない。このような状況のなか、日本は具体的にはいかなる政策をとっていくことが望ましいのであろうか。

 今回は、日本の近隣地域としての東アジアに対する政策を考えてみたい。まず、世界システムの中で、東アジアはどのような特徴を持った地域だろうか。

 第1に、北朝鮮を例外とすれば、この地域こそ21世紀世界システムの経済成長を牽引してきた地域であった。かつては、欧米以外で近代化できたのは日本だけだと言われたこともあったが、東アジアでは韓国、台湾、香港、シンガポールが「中進国の罠」に陥ることもなく、先進経済地域となっている。その他中国をはじめ東南アジア諸国も世界屈指の成長率を誇っている。

 第2に、この地域の国家は概して統治能力が高く、脆弱国とみなしうる国々は少ない。東ティモールは最も脆弱だとみられるが、世界の脆弱国のなかでは最も安定化が進んでいる。北朝鮮は、社会経済状態や人権状況からいえば、脆弱国と共通の問題を抱えているが、国家の統治能力が低いのではなく、間違った政策に問題がある。おそらく脆弱状況に最も近いのは、国家全体の問題ではないが、ミャンマー、フィリピン、タイにおけるエスニックな紛争地域であろう。

 第3に、東アジアは、経済面では一様に市場経済を促進している一方、政治体制面では、非常に異なる国々が混在している。北朝鮮は最も極端な例だが、中国も、ベトナムもラオスも依然として共産党指導体制のもとにある。民主化の進んだ国々もあるが、選挙は行うものの実質的な政治的自由が制約されている国々も存在する。軍事クーデタの起こる国もあり、また軍部の影響力が強く、国策のため武力行使をためらわないとみられる国々、対外的な強硬策をとることで、国内統治の引き締めをはかる可能性を持つ国々も存在する。

 第4に、東アジアは、過去30年以上にわたって国家間戦争を経験していないが、それ以前の20世紀において、大規模な国家間戦争を経験するとともに植民地闘争も繰り広げてきたという歴史を持っている。このような対立の歴史は、「冷戦」時代には、冷戦における友好国ということで「封印」される傾向があった。しかし、冷戦の終結により、それ以前の歴史についてしっかりとした「総括」が行われていないとの意識が登場することになった。

 この4つの特徴は、日本の繁栄というプラスへ動くダイナミックスについても、また日本への脅威というマイナスに働くダイナミズムにとっても東アジアが決定的であることを示している。国家の戦略が、最悪事態を防ぎつつ、最善をめざして努力することだとすれば、この4つの特徴の積極的な可能性を促進し、そこに含まれる危険を最小化する努力をしなければならない。

 第3と第4の特徴が生み出す最悪の事態は、国家間戦争であろう。したがって適切な防衛力を整備するとともに、日米同盟の抑止力を高めることは基本的政策である。しかし、これに加えて、歴史問題がナショナリズムを刺激しないように努めることには、安全保障上の意味もある。新興国における社会不安が国際関係の危機に発展すれば、日本も含めた遠くの国の安全保障が脅かされる。その意味で、新興国の社会不安解消のために可能な協力は惜しむべきではない。

 きわだった脆弱国が存在しないことは、この地域の利点であるが、フィリピン、タイ、ミャンマーのエスニック紛争が解決すれば、さらにこの地域の安全保障は確固たるものになる。日本はフィリピンのミンダナオでは平和構築の成果をあげてきた。ミャンマーでもさらに平和構築への支援を継続すべきである。

 第1の特徴である世界の成長センターとしての東アジアは、今後の日本の繁栄にとっても、またその効果としての平和の維持にとっても決定的である。アメリカなどとともに大筋合意したTPPに加え、日中韓さらには東アジア全域に高度な経済連携の枠組みを拡大していく必要があろう。

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