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書斎の窓

自著を語る

『租税競争の経済学
――資本税競争と公共要素の理論』

立命館大学経済学部教授 松本睦〔Matsumoto Mutsumi〕

松本睦/著
A5判,250頁,
本体3,600円+税

租税競争とは?

 租税競争は、学問的には〝地域間移動可能な課税ベースを巡る政府間競争〟と定義されている。元々は地方財政論の一分野と位置づけられていたが、同様の競争は国際的にも展開される時代となった。ビジネス・チャンスを求めて、あるいはより良い居住・労働環境を求めて、資本、企業、ヒトは活発に地域間移動する(当然のことながら、国内・国際移動の程度には差があるだろう)。現代では、公共サービス等の公的活動に対するニーズは膨大であるから、地域間移動する・しないに関係なく、課税対象を幅広く設定しなければ十分な税収は確保できない。各経済主体の地域選択に際しては、各地域における経済状況に加えて、税負担や公共サービスの程度も考慮されるだろう。従って、移動可能な課税ベースについて、各地域は互いに競合関係に置かれていることになる。高い税負担かつ低レベルの公共サービスでは、課税ベースである資本、企業、ヒトに逃げられてしまう。地域レベルの政策決定は、常に地域間移動に与える影響を踏まえて行う必要がある。

 我が国においても、中央政府が海外からの投資誘致を念頭に置いた法人関係税の減税や規制緩和を打ち出している。また、我が国の財政システムは中央集権的であると考えられているが、法人事業税の不均一課税や固定資産税の減免を通じて、実質的に〝地方政府(自治体)間の租税競争が始まっている〟と言われている。租税競争は、日本に住む我々にとっても身近な財政問題である。

 〝競争〟というタームから、租税競争を市場における競争と同列に捉える向きがあるかも知れない。しかしながら、これらの競争は本質的に異なるものである。租税競争は政府間で展開される競争である。市場における競争の弊害に対処すべきとされる政府自体が、競争圧力に晒されている。 課税ベースの地域間移動は、安易な財政運営を戒めて政府を規律づける側面もある(租税競争の理論研究においては、この議論が成立しないケースも知られている)。しかしながら、政府間競争の結果として、政策選択が歪められるかも知れない。その代表的例が、〝底辺への競争〟として知られるものである。この競争は、移動可能な課税ベースの誘致を目標とした税率切り下げ競争である。結果として、本来は地元住民のために費消されるべき財源を十分に確保できなくなる可能性が生ずる。このような過当競争の危険性は、租税競争の研究者のみならず、欧米各国の政策関係者やOECD等の国際機関の関係者の間で幅広く認知されている。租税競争の経済分析も、その大半が政府間競争の弊害に焦点を当てたものである。

租税競争の経済学

 昨年3月に上梓した本書は、応用ミクロ経済学をベースにした租税競争の研究書である。本書には2つの意図があった。1つは、租税競争の理論研究に関する体系的なサーベイを提供することである。もう1つは、租税競争が生産活動を支える公共サービスの供給に及ぼす影響の研究である。従って、本書は2部構成(第Ⅰ部「租税競争の理論:資本税競争を中心として」及び第Ⅱ部「資本税競争と公共要素」)になっている。第Ⅱ部については次項で言及することとして、ここでは第Ⅰ部のサーベイに関して少し述べたいと思う。

 租税競争に関する学術的な議論は、1960〜70年代にまで遡ることができる。〝底辺への競争〟に関する基本的議論は、1970年代初頭に登場した。本格的な理論研究が始まったのは1980年代中頃であり、1990年代から質・量的に急成長を遂げ、今では多岐多様なトピックに跨る一大研究分野として認知されるに到った。当初はアメリカの経済学者が主な担い手であったが、 EU発足等の背景もあり、欧州各国の経済学者が続々と参入してきた。我が国においても、租税競争に関心を持つ優秀な経済学者が着実に増えている。

 租税競争理論に関するサーベイは、海外のものを中心に多数存在し、それぞれ独特の視点を持って関連文献を整理・紹介している。本書第Ⅰ部は、〝租税競争理論を、その発展経緯に忠実に沿って整理する〟という方針の下で作成された。このスタイルは、1999年にNational Tax Journal誌に掲載されたJohn Wilson教授のサーベイの手法に習ったものである。この手法は、租税競争文献に関する〝土地勘〟を養う上で、もっとも有効なものであると思われる。

 租税競争理論の基本型は、地域間移動可能な資本への源泉課税を想定した〝資本税競争〟モデルであり、その考案者の名前を取ってZodrow-Mieszkowski-Wilson(ZMW)モデルと呼ばれている。厳密には、前二者の共著論文における理論モデルとWilson教授のモデルは異なるものだが、彼らのモデルはいずれも底辺への競争の発生を証明したものである(いずれの論文も、1986年にJournal of Urban Economics誌に掲載された)。彼ら以降の租税競争研究の歴史は、ZMWモデル拡張の歴史とも言える。ZMWモデルの前提条件を緩和する、あるいはZMWモデルでは考慮されていない要因を導入する等の拡張を通じて、租税競争の帰結に関して〝底辺の競争〟に限定されない多種多様な実証的・規範的結論が導出されてきた。

 ここでは、租税競争の規範的帰結のみについて、簡単に言及しておこう。関連文献全体を見通してみると、〝市場経済の効率性のアナロジーで、租税競争が資源配分効率性をもたらす考えられるケースは、極めて限定的である〟ことが見えてくる。課税体系、地域規模、地域間移動の程度や供給される公共サービスのタイプ等に関する一定の条件が整わない限り、租税競争の効率性は期待できないだろう。一般に、課税ベースの地域間移動は、租税競争に巻き込まれる政府の政策決定を歪めると考えて良い。租税競争の研究には、競争の歪みを解消するための中央政府による財政移転(主に一国内の租税競争を想定)や、政策協調の経済効果(主に国際的な租税競争を想定)に関わるものが多数含まれている。

資本税競争と公共要素

 租税競争の弊害とされる〝底辺への競争〟の議論は、元々〝事業用資本への源泉課税よって獲得した税収を、地元住民向けの公共サービス(公共財)に支出する〟ことを想定したものである。公共サービスに関わる租税競争モデルの圧倒的多数が、公共財の供給を前提している。しかしながら、現実の公共支出には、インフラや職業訓練等の生産活動を支える公共サービス(公共要素)も含まれている。先に言及したZodrow教授とMieszkowski教授の資本税競争モデル(以下、ZMモデルと表記)から導かれる結論は、〝公共財・公共要素に関係なく資本税競争は底辺への競争へと転化してしまい、税率切り下げの結果として、公共サービスの供給水準が過少になってしまう〟というものである(なお、Wilson教授の資本税競争モデルには、公共財しか含まれていない)。

 先に述べたように、本書第Ⅱ部の主な目的は、資本税競争が公共要素の供給に与える影響を考察することである。私は自らのメイン・フィールドとして、公共要素に関する研究を20年以上続けてきた。第Ⅱ部は、1998〜2010年の間に海外の学術雑誌に掲載された7本の論文を軸に構成されている(その他、4本が補完的役割を担っている)。取り扱われるトピックは4つあるのだが、ここでは〝底辺の競争〟に直接関わるものに限定して言及したい。

 資本税競争と公共要素に関する議論の出発点は、〝公共要素が供給される場合に、ZMモデルが主張するような底辺の競争が本当に発生するのか?〟という〝疑念〟である。住民用の公共財のみが供給される場合、移動可能な事業用資本は、地域選択に際して相対的に低い税率の地域を好む傾向があるだろう。しかしながら、増税で確保された財源が公共要素の供給に使われる場合、増税と生産用公共サービスの改善が同時に行われるので、相対的高税率の地域から資本が逃げ出すとは限らない。サービス改善を評価して資本が税率の高い地域に留まる場合には、税率切り下げ競争は起らない。公共要素供給の増加を通じた資本誘致が行われる結果として、むしろ税率切り上げ競争が発生して、租税競争が存在しない場合と比較して過剰な公共要素の供給が行われる可能性がある。

 このような〝曖昧さ〟を反映して、先行の資本税競争と公共要素に関する研究の結論は多種多様である。過少供給や過剰供給の可能性はもちろん、パレート最適条件を満たす効率的供給の実現可能性すら指摘されている。しかも、これらの多様な議論が、互いに比較検討されることなく乱立している状態である。恐らく、租税競争や公共要素の研究に詳しくない人は、〝体系的発展の形跡が全く見えない分野〟と感じるであろう(この点については、私も戦犯の1人である)。当然のことながら、異なる結論は異なる理論モデルから導かれるのだが、海外の学術雑誌レベルでも、体系的な比較検討は未だ行われていない。本書第Ⅱ部では、公共要素の先行研究に基づいて、この要素を3つのタイプに分類し、各タイプの公共要素を個別に検討することで、〝底辺への競争が公共要素に当てはまる条件〟を幾つか確認している。過去の研究を通じて、私も異なるタイプの公共要素を想定した論文を〝書き散らかしてきた〟のだが、今回はそれらを1冊の本にまとめて比較検討できるようにした。資本税競争と公共要素の研究に関して、〝体系的発展の形跡〟を感じて貰えるように工夫したつもりである。

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