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自著を語る

『民事裁判過程論』

法政大学法務研究科教授・弁護士 土屋文昭〔Tsuchiya Fumiaki〕

土屋文昭/著
四六判,274頁,
本体2,300円+税

1 自著の刊行

 本年2月、拙著『民事裁判過程論』を出版することができた。とにかく上梓することができてほっとしている。出版のお勧めをいただいたのは数年も前のことなのに、それからずるずると引っ張り続けてきたから、安堵もひとしおである。

 本書のもとになったのは、『民事裁判過程論講義』(京都大学大学院法学研究科、1995年[非売品])である。筆者は、1992年度から95年度まで、最高裁判所の命を受けて、京都地方裁判所判事として赴任し、そのかたわら京都大学大学院法学研究科に新設された専修コースの非常勤講師として出向し、「裁判法務」という民事実務の講義を担当した。当時は、大学に現職の裁判官が出講することは少なくて、その場合には裁判所の特別の許可が必要とされていた。身分は非常勤講師であったが、客員教授待遇で研究室が与えられ、週の半分は大学の研究室ですごしていた(いまは法科大学院ができて、大学に実務家の教員がいることは珍しくなくなった。当時の雰囲気を思い出すと、まさに隔世の感がある。筆者は実務家が教員を務めた第1号といえるのかもしれない)。その京都大学大学院専修コースの講義草稿をまとめたものが前記の著作である。大学の広報資料として他大学や関係機関に配布されたとうかがっている。

 この春に裁判官の同期の少人数の集まりがあって、2月に出版した拙著のことも話題になった。親しい仲間から「まとまったものを書いておきながら、なぜ20年ものあいだ放置していたのか」と尋ねられた。確かに20年の歳月は長い。上記著作は、裁判官の内面と心証形成過程を明らかにしたものである。ずいぶん理想的なことも書き連ねている。現職の裁判官は、このようなことを公表するのには伝統的にやや抑制的である。まして「眼高手低」の徒が恥ずかしくないのかという気後れが強かったのである。

 京都大学出向当時、法学研究科長の鈴木茂嗣教授から「この著作については、君のほうで将来公けにすることがあるなら使っていいからね」との厚意あふれるお言葉をいただいてはいた。しかし、まさかそんなことはあるまいというのが当時の偽りのない気持ちだった。書籍編集第1部からお勧めをいただいてからも、裁判官の職を離れたといっても、本当に公表していいのだろうかというためらいが最後までつきまとっていた。最終的に踏ん切りがついたのは、書籍編集第1部長の高橋均氏の熱心な督促によるところが大きい。東京大学を退職する1年前のことである。

 ところで、旧著を改訂するにしても、その作業は思っていた以上に大変だった。その後、裁判官としての経験をさらに重ねて考え方も変わってきていたし、東京大学で勉強し吸収した成果もできるだけ盛り込みたいと考えた。大幅な改訂作業を経験された方には分かっていただけると思うが、改訂部分をどのように旧著にはめ込むかが難しいのである。予想外の困難にいっそ全部を書き直してしまおうかと何度も思った。叙述の難易の程度も結局、統一が図れなかった。入門的な部分と専門的な部分が組み合わさったものになっているのも、仕方がないとあきらめた。

2 裁判過程の解明

 裁判過程(judicial process)の研究は、わが国ではほとんど未開拓な領域に属している。我妻榮博士が、晩年に民法学の残された課題の1つとして、裁判過程の研究をあげておられたように記憶している。この点についての体系的なまとまった著作というのは、おそらく拙著が初めてのものではないかと思う。

 ご承知のとおり、民事裁判の法的判断とは、認定された事実に法律を適用することである。裁判過程は、事実認定の過程と法適用の過程に大きく分けられる。事実認定の過程は、証拠の評価等を経て、法適用の前提となる事実を認定するプロセスである。これに対し、法適用の過程は、認定された事実に法律を解釈適用するプロセスである。

 拙著にも書いたが、実際の民事裁判では、法律の解釈適用が問題となるような事件は全体の1、2割程度である。残りの8、9割の事件は、事実認定が問題となる事件である。また、事件全体からいえば、事実認定も容易で、法律の機械的な適用によって結論の出る単純な事件が大部分を占めている。もっとも、事実認定や法律の解釈適用に頭を抱える困難な事件もある。主に論議を呼んできたのは、このような複雑困難な事件についてである。

 裁判官はつねに機械的に法律を適用して裁判をするものだと思っている人もいる。一方、裁判官も人間であり、そのときどきの「勘」によって場当たりな判断をして、法律で後付けするのだという人もいる。いずれも極端な見解で、真理はその中間にあるのだろう。

 筆者は、民事裁判官としての長年の実務経験を掘り下げて、裁判官の現実の思考過程を検討することにした。事実認定については、裁判官の推理(inference)を、法律の解釈適用では裁判官の推論(reasoning)をそれぞれの思考過程として分析してみた。中身は拙著を読んでいただくほかないが、いずれの思考過程も、裁判官の仮説的で試行錯誤的な主体的プロセスであることを、実例を用いて幾分かは明らかにできたと思っている。単なる筆者のモノローグにすぎないかもしれないが、何らかの参考にしていただければと願っている。

 筆者は、司法修習生のころ、中村治朗判事の『裁判の客観性をめぐって』(有斐閣 1970年)を読んで、裁判の客観性、正当性について考えるようになった。判事補になって、現実の裁判実務のなかで、社会における法律の役割、道徳や政治との関わりについて深く悩み、考えるようになった。そんなときに出会ったのが、田中成明教授の『裁判をめぐる法と政治』(有斐閣 1979年)である。読み進むにつれて、それまでに悩んでいたことが、見る間に整理され位置づけられて、霧が晴れたような気分になった。拙著にも前記両書から本文の一部をそのまま引用させていただいた。裁判について、裁判と民主制について考える上で、これらは今日でも必読の古典的文献だと思っている。

 ところで、拙著のとった視座の1つは、裁判も人間の行う営みであり、人間の意思決定ないしは選択的行動の一場面であるという視点である。裁判をこのようにとらえることで、隣接する諸科学から種々有益な知見を得られるのではないかと考えた。拙著にも心理学、認知科学、行動経済学などから、事実認定等に関し最近の成果を盛り込んでいる。もっとも、科学の進歩は想像以上に速い。例えば、アメリカでは、脳神経科学による裁判の分析の研究も始まっているというし、拙著でわずかに取り上げた人工知能(A・I)の進歩も爆発的なものがあって、人間そのものに取って代わる時代もすぐそこに来ているとさえいわれている。

 法律学を専門とする方のみならず、裁判という人間の営為に関心を持たれる他の専門の研究者の方々にも広く読んでいただければ幸いである。

 ちなみに、拙著と同時期に中村直人弁護士の『訴訟の心得――円滑な進行のために――』(中央経済社 2015年)が刊行された。筆者も興味深く拝読した。中村弁護士は、「筆者も弁護士になって以来、ずっと、裁判官はどういう道のりを経て、結論にいたるのであろうか、という疑問を持ち続けている」と書いておられる。まさにその点を明らかにしようとしたのが拙著である。その疑問へのヒントや、裁判官を説得するために必要な示唆も随所に記したつもりである。

3 若い法律家へのメッセージ

 拙著刊行時には、お世話になった諸先生や先輩に献本をさせていただいた。尊敬する先生方からは身に余るようなありがたいお言葉をいただいた。献本させていただいた知人のなかに、その反応が特に気にかかる人がいた。同期の裁判官であるI君である。彼は筆者の畏友であり、裁判所の良き伝統を一身に体現した一人である。I君から「拝読しましたが、いちいち腑に落ちることばかりです」というお便りを受け取ったときは、正直ほっとする思いであった。

 拙著には、「はしがき」にも書いたように、「裁判の世界に関わりをもつようになった法律家たち、あるいはこれからその世界に入っていこうとする人たち」へのメッセージを託している。日常的に言語化しにくいものも含め、法曹界の偉大な先達の言葉を数多く引用掲載することによって、新しい世代への伝言とした。

 当たり前で分かりきっているとさえ思えることが、裁判実務では極めて重要な根本事項なのだが、その実、実行するのは非常に難しいことでもある。時代の変化によっても変わらない司法の良き伝統が、少しでも伝承されていけばと願っている。そして、拙著を読んだ若い人が、将来法律家として、ふと立ち止まって、苦しんでいる人たちに思いを寄せ、力を振り絞って道理にかなった主張や判断をしてくださったらと夢みている。

 筆者は、「いまどきの若い者は」式の繰り言はめったに言わないほうである。若者は信じるに足る。未来は彼ら彼女らのものだ。これは東京大学法科大学院で6年間若い学生たちの教育指導をした筆者の実感である。

 拙著にも引用した、カードーゾ連邦最高裁判事の『裁判過程の性質(The Nature of the Judicial Process)』の末尾は、次のとおり若者たちへの信頼に満ちた呼びかけで終わっている。

 「諸君、未来は君たちのものだ。私たちは、果てしなく続く営みのなかで自分たちの役割を果たすように求められてきた。私が死んで、私のちいさな働きが忘れられてしまったあとも、君たちはこの世で君たちの分を果たし、たいまつを掲げて進んでいくだろう。私には、君たちの手にあるそのたいまつの炎が明るく輝いているのが分かるのだ」

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