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連載

失敗は成功の元? ―― ベルリン滞在記

第6回(最終回) ベルリン・マジック

東京大学社会科学研究所教授 中川淳司〔Nakagawa Junji〕

 ベルリンの街で体験した日常生活での失敗談や出会いを綴ってきた本連載も最終回となった。まだまだ書きたいこと、書き残したことがたくさんある。特に印象に残ったいくつかをスケッチ風に綴ってみたい。


 ベルリンが現代美術のメッカであることは前回書いた。マーク・アレクサンダー以外にも素敵な出会いがあった。市内中心部の国電(DB)サヴィニー広場駅近くの写真専門ギャラリー(http://camerawork.de/en/camera-work/)で開かれたブライアン・ダフィー(Brian Duffy, 1933-2010)の回顧展のオープニングに足を運んだのは5月の週末のことだった。高名な写真家であるダフィーのことは知らなかったが、展示されていたデビッド・ボウイのアルバムジャケットの写真には見覚えがあった。会場で、ダフィーの息子のクリスやダフィーの友人でボウイの写真集を編集したケヴィン・キャン(Kevin Cann)と親しく言葉を交わすことができた。ロックスター・俳優としてのボウイの魅力やダフィーの肖像写真の素晴らしさを語り合ってすっかり意気投合した。展示されていたピエロ姿のボウイのオリジナルプリント(http://www.duffyphotographer.com/david-bowie/#bwg12/605)を思い切って購入した。写真は今、拙宅のリビングの壁にかかっている。「ロンドンに来ることがあったらぜひ連絡してくれ」とケヴィンに言われ、「うん、そうするよ」と答えたけれども、残念ながらまだその約束は果たせていない。


 滞在していた宿舎でも素敵な出会いがあった。滞在を終えてスウェーデンに帰国する若い歴史学者からムービング・セールでテレビを購入した。彼の紹介で6月中旬にウプサラにあるスウェーデン高等研究所(http://www.swedishcollegium.se/test/index.html)を訪ねた。所長のビョルン・ウィトロック博士(Björn Wittrock)は、多忙なスケジュールの合間を割いて、昼食をはさんでたっぷり3時間ほど面談に応じてくれた。高等研究所の役割と運営上の課題、世界各地の高等研究所のネットワーク作りなど、実に有益な話を聞かせてもらった。研究員として滞在する作曲家のために宿舎に防音設備を設けたと聞いて驚くと、「当然だよ。滞在する研究員に人生最高の研究環境を提供するのがこの研究所の使命だから」という答えが返ってきたのが心に残った。私が所属する東京大学社会科学研究所は多くの外国人客員研究員を受け入れているが、果たして彼(女)らに「人生最高の研究環境」を提供できているだろうか。面談の後、用意してもらったホテルに戻ってからすっかり考え込んでしまった。


 ウプサラからベルリンに戻ったその日のうちにパリに飛び、OECD(経済協力開発機構)で開かれた「国有企業/国営企業による貿易と投資」についてのワークショップに参加した(http://www.oecd.org/tad/events/workshop-trade-investment-state-enterprises-2014.htm)。これにも不思議な出会いがあった。2012年7月に国際経済法学会(Society of International Economic Law)第3回大会(シンガポール国立大学)でこのテーマについて報告した。学会のウェブサイトに掲載されていたこの時のペーパーをOECDの担当者が「発見」して、私にコンタクトしてきたのがベルリン滞在中の4月末のことだった。メールと電話で何度かやり取りして、ワークショップを彼と共同で企画・運営することになった。国際機関でワークショップを企画・運営するのは初めての体験で、とても勉強になった。一番印象に残っているのは、昼食休憩を取った中庭で、欧州委員会からの参加者が米欧の自由貿易協定(TTIP)交渉について語った一言だ。「米国は通商交渉で自分たちの要求を一方的に押し付けるのは得意だけれど、それは交渉ではない。通商交渉をどう進めればよいか、欧州統合のために域内で交渉を積み重ねてきた我々が米国を教育しているところだ」。なるほど、と腑に落ちた。


 固い出会いばかりではない。帰国してそろそろ1年になる今もなお思い出されるのは、ふつうの人たちの何気ない一言だ。例えば……。


 いつも野菜や果物を買っていた近所の有機食品のマーケット(LPG BioMarkt Kaiserdamm GmbH)で。胡瓜を並べていた店員さんに「ここの野菜や果物は本当においしいね」と話しかけたら、こんな言葉が返ってきた。「そうだよ。うちは本当にいい品だけを仕入れて、新鮮なうちに売り切るようにしているから。これからもごひいきにしてくださいね」。店員さんの誇らしげな表情が心に残った。


 ベルリン滞在中の宿舎(IBZ Berlin, http://www.ibz-berlin.de/ibz?lang=en)は教鞭をとったベルリン自由大学から交通至便の場所にあり、建物も部屋も施設(図書室やジム、音楽ホールまで備わっていた)も申し分なかったが、何よりもスタッフのフレンドリーでプロフェッショナルなサービスが素晴らしかった。設備の保守管理を担当するインゴ・ドスト(Ingo Dost)さんとは、趣味が同じ(木工)ということもあって特に気が合った。築30年ほどになる設備に不具合が起きると彼の出番である。やれ浴槽の配水管が詰まった、やれキッチンセットの角の部材が外れたと言っては彼に助けてもらった。「いつもありがとう。おかげで本当に快適に暮らせているよ」と私。「そうか、それはよかった。これからも何でも言ってくれ。でもね、君みたいにちゃんとクレームを出してくれる人がいるおかげで、この建物も快適さを保てるんだ。こちらこそありがとうと言いたいよ」と彼。思いがけず、感謝されてしまった。でも、うれしかった。


 旧東ベルリン地区に創業100年のスリッパ製造・販売店があると聞いて、とある週末に足を運んでみた(Jünemanns Pantoffeleck, http://www.pantoffeleck.de/)。フェルト製の、見るからに丈夫で履きやすそうなスリッパが棚にずらりと並んでいる。ワイマールの時代からナチスの時代、東ベルリンの時代を経て統一後の今までデザインは同じ。製法もほとんど変わっていない。手縫いがミシン縫いになったことくらいだという。どことなく昔懐かしいチェック柄のスリッパも良いけれど、無地の黒やグレーのスリッパが気に入ったので、サイズを言って店の奥から在庫を出してもらった。1足15ユーロだった。そのスリッパを今も東京の拙宅で愛用している。冬は温かく、夏も足が蒸れない。帰国前にもう一度来店して、家族や親戚のお土産に10足ほど購入した。「糸がほつれたら送り返して。いつでも修理するよ」と店の若主人に言われた。100年続く店の秘密がわかった、と思った。とはいえ、このスリッパ、あと10年は修理不要だと思う。ベルリン土産の一押し。


 最後は番外編。ライプチヒ聖トマス協会(http://www.thomaskirche.org/r-index-en.html)の日曜ミサのことを書きたい。ライプチヒまでベルリンからは都市間特急(ICE)で1時間余り。聖トマス教会は、バッハが1724年から亡くなる1750年まで首席オルガン奏者兼楽長(Kantor)を務めたことで知られる。5年ほど前から妻とともにアマチュアの混声合唱団に加わって、主にルネサンスからバロックの時代の教会音楽や世俗曲を演奏してきた(http://choirkanenone.web.fc2.com/)。合唱団のお仲間であるI氏夫妻が5月の連休を利用してライプチヒに来られたので、土曜の午後に教会の入口で落ち合って、ミサ曲225番の演奏を聴いた。バッハの時代から続く少年合唱団の合唱が圧巻だった。明けて日曜日の朝、もう一度教会に運び、日曜ミサに参列した。それが、とても良かった。


 たまたま、生後間もない赤ちゃん2人とその家族・親族が参列しており、幼児洗礼が執り行われた。私たちも渡された式次第を見ながら、参列者(観光客はほとんどいなかったと思う)とミサ曲を唱和した。ドイツの人たちの間に深く根づいたプロテスタントの信仰、新しい命がそこに迎え入れられることへの喜びと神への感謝、それを表わすためにミサ曲が歌われる。その場に居合わせたことは本当に幸運だったと思う。


 私はキリスト教徒ではないが、若い頃から教会音楽には惹かれるものがあった。学生時代はNHKのFMで「バロック音楽の楽しみ」をよく聴いた。思い立って混声合唱団に加わり、自分の声(テノール)がポリフォニーの中で溶け合って響く醍醐味に陶酔を覚えるようになったけれど、異教徒の自分が教会音楽を演奏することへの違和感はずっとあった。聖トマス教会の日曜ミサに参列したことで、そのような違和感が消えたように思う。忘れがたい体験だった。


 紙数も尽きたので、ここでベルリン滞在記の筆を擱くことにする。思い出すままに日常生活での失敗談や出会いを綴ってきた。あらためて思うのは、ベルリンという都市の不思議な魅力である。短い期間とはいえベルリンの街に暮らし、そこでの失敗や出会いから多くのことを学んだ。これからの研究者生活を左右するような出会いもあったけれど、それよりももっと大切なこと、人としての生きかたを深く思い直してみるきっかけをもらったという思いが強い。それもこれも「ベルリン・マジック」のおかげだと思っている。

 最後に、ベルリン滞在の機会を与えてくれた東京大学社会科学研究所とベルリン自由大学歴史・文化学部日本学科の関係者、中でも日本学科主任教授のVerena Blechinger-Talcott教授に心から謝意を表したい。

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