HOME > 書斎の窓
書斎の窓

巻頭のことば

世界システムと日本

第4回 新興国の不安定化という課題

東京大学東洋文化研究所教授 田中明彦〔Tanaka Akihiko〕

 今年の夏、世界経済に関心をもつ人々は、上海証券取引所の「上海総合指数」から目がはなせなかった。今年の前半にかけて急上昇していた上海の株価は、夏にはいると急落し、9月には中国当局も「バブル」が存在したことを認めるまでになった。この上海の株価に連動して、日経平均も含めて世界の株価が動揺した。中国経済はこれまでの高度成長の局面から低成長の局面(「新常態」)にはいっていくなどと解説される。中国経済の動向が世界経済を左右する。

 世界経済に影響を与えている新興国は中国だけではない。インドもそうだし、ブラジル、ロシア、トルコなどG20を構成する数多くの国々が世界経済に影響を与えている。しかし、現在の局面の問題は、急成長をとげる新たな国々が登場しているという問題ではない。この夏の中国の事例がしめすように、現在の問題は、これらの新興国が「失敗」したらどうなるのかという問題になってきたのである。石油に頼って成長をとげてきたロシアは、急下降した石油価格という状況下でどう経済を運営していくのか。ブラジルはほぼゼロ成長ないしマイナス成長である。

 経済的な課題ということでいえば、これらの諸国にとって、いよいよ「中進国の罠」をどうやって克服するかという問題が大きくなってきた。低廉な労働力や資源にのみ頼って成長を維持することは困難になる一方、社会内部の格差拡大、増大する中間層への最低限の社会保障の提供、なお残る社会インフラにおける脆弱性を抱えている。これまで数多くの国々が、1人当たりGDPが1万ドルに届く前後で失速してきた。

 これらの国々にとって、課題は経済面のみにとどまるわけでない。より困難なのは政治や社会の面で、経済の失速ないしは「ギアシフト」がいかなる影響をもたらすかである。経済規模が拡大を続けるプロセスは、政治的社会的問題を先送りするには好都合であった。しかし、パイがこれ以上拡大しなくなれば、その配分はただちに政治的社会的問題を引き起こす。その際、政治的社会的問題を解決するための安定的な政治制度があるかないかは、きわめて大きな違いを生み出す可能性がある。まさに強力で安定的な自由主義的民主制こそ、このような局面で社会を安定的に維持するための仕組みである。

 したがって、権威主義体制のもとにある新興国、つまり中国とロシアにとって、現在の経済状況はまさに巨大な挑戦となっている。自由主義的民主制が比較的安定している国々にとっても、経済問題が民主制自身を不安定化させる危険は常に存在している。1930年代のドイツは民主主義制度のもとでナチの独裁体制が形成されていったからである。

 1990年代はじめに冷戦が終結して以来、国と国とが戦争をする頻度は著しく低下した。東アジアでは1979年の中越戦争以来1回も国家間戦争は起きていない。いまやOECDに加盟する「先進国」の間、たとえばドイツとフランスの間や、日本とアメリカの間で戦争が起こるなどと思っている人はほとんどいない。21世紀にはいっても「テロとの戦い」の影響で起きたイラク戦争をのぞけば、国と国との間で戦争が起こることはありそうもなかった。

 ところが2008年のロシアとジョージア間の戦争、そして昨年のロシアによるクリミア併合とその後のロシア・ウクライナ関係は、国家間の軍事衝突が現在でも起こりうることを示した。また東シナ海や南シナ海における最近の中国の行動も、軍事的手段による国際問題の解決を中国が排除していないのではないかとの疑念を起こさせることになった。

 もちろん、ロシアにしても中国にしてもアメリカとの軍事対決を覚悟してでも軍事的手段を使うということはほとんどあり得ないであろう。しかし、もしアメリカが関与する確率が低く、短期に軍事的解決が可能であると判断したとき(ジョージアやクリミアのような場合)、軍事的手段の行使をためらうかどうかは定かではない。そして、ロシアも中国も国連安保理の常任理事国であり、両国の行為に対して国連が行動しうることは限られている。

 経済危機と政治・社会危機が連動したとき、新興国の対外行動に何がおきるか。これは現在の世界システムの安定にとって重大な影響をもっている。

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016