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書評

『要件事実の基礎――裁判官による法的判断の構造 新版』

東京高等裁判所判事 河村浩〔Kawamura Hiroshi〕

伊藤滋夫/著
A5判,424頁
本体4,700円+税

1 はじめに

 本書は、要件事実論の大家であられる伊藤滋夫先生(元東京高等裁判所部総括判事)による『要件事実の基礎』(有斐閣、2000年)(以下「旧著」という)の新版(以下「新著」という)である。旧著から約15年振りの待望の新版である。表題の「要件事実」とは、「裁判規範としての民法」(真偽不明が問題となる民事裁判において、裁判官に民法の適用を可能とするように、立証の公平を考慮して再構成された民法)の法律要件に該当する具体的事実のことをいう。裁判官は、訴訟物である権利関係を、その発生、障害、消滅及び阻止の法律効果を組み合わせて判断するが、そのために必須の概念が、これらの法律効果の発生の根拠となる法律要件に該当する具体的事実、すなわち、要件事実であり、要件事実は、法曹実務家の共通言語とも呼ばれているのである。筆者は、現在、東京高等裁判所民事部で勤務しているが、難波孝一弁護士(元東京高等裁判所部総括判事)とともに新著の企画に参加をさせていただいた者である。

2 新著と旧著の内容の比較

 新著は、「第1章 要件事実論の機能」から始まる。第1章・第2節(要件事実に関する定義)・第2(要件事実論の定義)は、旧著第二章・第二節と対応しており、新著の第1章・第2節・第1(要件事実の定義)は、旧著第三章・第一節と対応している(旧著の表記は漢数字によっているが、これは、旧著が縦書きであったことによる)。新著の第1章第3節(民事訴訟における要件事実論の機能)の第2(民事判決における法的判断の基本的構造)及び第3(要件事実論の本質的必要性)は、それぞれ、旧著の第二章・第一節及び第三節と対応している。新著の第1章・第3節・第4(要件事実論的判断の基本的基準時)、第5(要件事実論と実際の審理・判断のあり方)及び第6(要件事実論と事件の筋)は、それぞれ、旧著第四章・第三節ないし第五節と対応している。以上の対応箇所の新著の叙述は、相当程度厚みが増している。新著第1章第4節(和解・調停における要件事実論の機能)及び第5節(家事・非訟事件手続における要件事実論の機能)は、新著において、新設された節である。第1章第4節は、既に先生の『要件事実・事実認定入門――裁判官の判断の仕方を考える 補訂版』(有斐閣、2008年、第2刷)166頁以下で明らかにされていたお考えを基礎として、書き下ろされたものである。また、第1章第5節は、先生が顧問をされている法科大学院要件事実教育研究所主催の要件事実研究会(以下「要件事実研究会」という)の成果(同研究所報第11号『家事事件の要件事実』〔日本評論社、2013年〕)を基礎として、書き下ろされたものである。この中で、家事審判事件の要件事実は、相当程度の可能性の存在を含めて考えることができるとの大変興味深い見解が示されている(新著40頁)。

 新著第1章第6節(民法の解釈一般における要件事実論の機能)は、旧著第二章・第六節と対応しているが、具体例を含め、その内容は一新されている。

 新著の「第2章 民事訴訟における要件事実論と関係する考え方」は、新設された章である。そのうち、第2節(要件事実論と事案の解明)は、要件事実研究会の成果(前記研究所報第10号『要件事実の機能と事案の解明』〔日本評論社、2012年〕)を基礎として、書き下ろされたものである。また、この第2章は、部分的には、旧著及び先生の『事実認定の基礎――裁判官による事実判断の構造』(有斐閣、2000年、初版第5刷)(以下「事実認定の基礎」という)と対応する部分が含まれている。それは、新著の第2章・第3節・第2の3(証明度の軽減)につき、事実認定の基礎187頁と、同4(選択的認定・概括的認定・割合的認定)につき、事実認定の基礎192頁以下及び223頁以下と、新著の第2章・第3節・第3の3(法律上の事実推定)につき、旧著の第三章・第一節・五の2と、同4(法律上の権利推定)につき、旧著の第三章・第一節・五の3と、同6(民法における任意規定)につき、旧著の第二章・第六節・五の2と、新著の第2章・第3節・第5(間接反証理論批判)につき、旧著の第三章・第一節・六及び事実認定の基礎104頁以下と、各対応している部分である。新著第2章については、先生の事実認定の基礎と併読されたい。

 新著の「第3章 裁判規範としての民法」は、その中核的部分であり、旧著の第五章と対応している。新著の第3章・第3節(主張責任と立証責任)は、旧著の第三章・第一節の一ないし四と、新著の第3章・第4節(裁判規範としての民法という考え方)、第5節(裁判規範としての民法の構成)及び第6節(裁判規範としての民法の要件の定め方――主張立証責任対象事実の決定基準)は、旧著の第五章・第一節ないし第五節と対応している。第3章の叙述において、現時点での「裁判規範としての民法説」(前記参照)の全貌が明らかにされており、読者に熟読を乞う箇所である。

 新著の「第4章 要件事実論に関する各説の紹介・批判」は新設された章である。新著の「第5章 要件事実の内容」は、旧著の第三章・第二節(要件事実の内容)と対応しており、この中で、要件事実論のアポリアといってもよい評価的要件理論が深く掘り下げて検討されているが、注目すべきは、評価的要件の要件事実は、相当程度の可能性の存在でもかまわないとされている点(新著325頁、327頁)であり、この点は、前記の家事審判事件の要件事実で述べられている箇所(新著40頁)と同趣旨の指摘である。 新著の「第6章 攻撃防御方法の体系から見た要件事実」は、旧著の第三章・第三節と対応している。新著の第6章の第4節(攻撃防御方法として見た要件事実一般の問題点)は、新設された節であるが、そのうち、第3の法定条件と同一内容の合意の位置付けは、旧著の第二章・第六節・五の2と対応している。第5節(攻撃防御方法の個別的考察)は、新設された節であるが、その中で論じられている典型契約に係る冒頭規定説については、旧著の第五章・第五節の三の5でも論じられている。 新著は、「第7章 民法(債権関係)改正と要件事実論」「おわりに」で締めくくられている。第7章では、現在進行中の債権関係の民法改正においても、要件事実の分析のためには、「裁判規範としての民法説」が従来どおり必要不可欠であることが説得的に述べられている。

 以上のとおり、新著は、要件事実論の深化と展開において、旧著を質・量ともに凌ぐ内容であり、現在の要件事実論研究に関する最高水準の理論書といっても過言ではないと考える。

3 「裁判規範としての民法説」の実務における重要性

 このように、新著は、理論書であるとはいっても、「要件事実が実務で適正に活用されるための基礎を探求することを目的とする」(新版はしがき)から、新著と実務との関わりを考えないわけにはいかない。以下では、前記2で言及した評価的要件理論を取り上げて、次の架空の交通事故の設例を通じて実務との関わりを検証してみたい。


 Xは、北から南にバイクで交差点に進入したところ、西から東に進むY運転のトラックと交差点内で衝突し、傷害を負った。そこで、Xは、Yに対し、民法709条に基づき損害賠償請求の訴訟を提起した。本件事故で、Yに速度超過の違反があること、二輪車と四輪車の事故態様という事情に照らして、その場合の基本的過失割合は、X20%、Y80%であるとする。ただし、X及びYは、いずれも自己の進入方向の対面信号は青を表示し、相手方のそれは赤を表示していたと主張・供述し、争っているが、決め手となる証拠を欠く状態である。


 このような場合、無理にX又はYのいずれかの供述に依拠して、事故当時の信号機の表示を事実認定して、前記のYの速度超過等の事情と総合して過失割合を判断すると、判断の誤差が大きく、事件の筋に合った結論(新著22頁参照)ではないように感じられる。そこで、過失の要件事実として確実に認定し得る部分(信号機の表示を除く、Yの速度超過等の事故態様)を基礎として、一応の過失割合を定め、信号機の表示の点は、相当程度の可能性の存在を考慮してその過失割合の修正要素として判断に追加するのが相当である。例えば、Xの進入時の信号機は赤であり、他方で、Yの進入時のそれは黄色であった可能性がそれぞれ高く、以上の可能性がそうでない場合よりも若干高い状況(60%を想定)であったとすると、そのような相当程度の可能性の存在を過失割合に反映させることになる。仮に、Xが赤信号で進入したこと等が明確な場合のX側への過失加算が50%であるとすると(この場合、X70%、Y30%となる)、相当程度の可能性である60%をこれに反映させ、過失加算分50%の60%である30%だけをX側の過失に加算して、X50%、Y50%と修正することが考えられる。かかる結論が事件の筋に合ったものであり、当事者間の立証の公平に資するものであると考える。このような実務的処理の理論化に「裁判規範としての民法説」は極めて有効なのである。

4 終わりに

 繰り返しになるが、新著は、要件事実論に関する高度な理論書であると同時に、実務にも資する実践的な書である。このような新著の性格からして、研究者のみならず、裁判官、弁護士、司法修習生、法科大学院生、ひいては、法的な仕事に携わる全ての人(司法書士、税理士等の専門職の方々を含む)に新著を読んでいただきたいと考える。そして、多くの読者の方々におかれては、新著を座右の書として最新の要件事実論に基づいて大いに議論を闘わせていただきたい。筆者も、そのような高度な議論に参戦したくてうずうずしている読者の1人なのである。

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