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書斎の窓

自著を語る

『問いからはじめる発達心理学
 ――生涯にわたる育ちの科学』を刊行して

青山学院大学教育人間科学部准教授 坂上裕子〔Sakagami Hiroko〕

坂上裕子,山口智子,林創,中間玲子/著
A5判,232頁,
本体1,800円+税

「生涯発達」というパラダイム

 「生涯にわたる育ちの科学」という本書の副題に、疑問を持たれた方もいるかも知れない。「子どもが育つ」という表現は日常的に用いるが、「大人が育つ」という表現はあまり耳にしない。確かに、身体や運動機能、知的能力の一部に関しては、生涯を通して育ち続けるものとはいえないだろう。しかし、人として育つ、あるいは、社会人として、親として育つ、という表現に違和感を覚える人は、それほどいないのではないだろうか。

 実のところ、発達心理学においても30年ほど前までは、成人に達するまでの育ち、すなわち大人と同じように物事を考え、行動できるようになるまでのプロセスが、主たる研究の対象であった。しかし、平均寿命が伸び、社会の変化などを受けて人々の価値観や生き方が多様化するとともに、成人後の長い年月をどう生きるかということにも関心が向けられるようになった。

 私たちは大人になってからも、就職、結婚、子や孫の誕生といった出来事や、人によっては転職や失職、病気や事故、大切な人の死など、様々な事態に直面する。大人になると何かの能力が飛躍的に向上することはないが、それまでに獲得し、維持してきた能力と、経験によって得たものとを総動員して、人生の様々な難局に立ち向かい、切り抜けられるようになる。このようなことは、大人になってからの育ちの一例であるといえよう。

 成人後の変化も含めて人の育ちをとらえようとする場合、発達=何かができるようになる、という単純な見方をしたのでは、そのプロセスをとらえられないことは明白である。現在の発達心理学では、上昇的な変化(獲得)だけでなく、下降的な変化(喪失)や停滞を含むものとして発達をとらえ、成熟や統合をそのゴールと考えている。また、人の発達は生物学的要因と社会・文化的要因が複雑に絡み合って展開される過程であり、科学的アプローチと社会文化的アプローチの両方があって初めて、その全体像をとらえることが可能になる。近年では、脳科学や行動遺伝学などの進展とともに、発達に関わる生物学的要因の解明が急速に進んでいる。本書タイトルは、こうした発達観やアプローチの変化を踏まえたものである。

本書の執筆にあたって ――時代の変化、学生の関心の変化を踏まえて

 本書は、それぞれ異なる発達時期を専門とし、異なる地域の大学で教鞭をとる4名の研究者(児童期を主たる専門とする林創氏、青年期を主たる専門とする中間玲子氏、高齢期を主たる専門とする山口智子氏、乳幼児期を主たる専門とする筆者)で何度も話し合いを重ね、約2年の月日をかけて執筆したものである。本書では、生涯発達心理学の基本的な理論や、胎児期から高齢期に至るまでの主たる発達的変化に加え、現代社会の問題と関連の深い新しいトピック(新型出生前診断、若者の職業選択、老親の介護や認知症、子どもの虐待、DSM改定後の発達障害の名称および診断基準の変更など)を扱っている。

 筆者が生涯発達心理学の講義を初めてもったのは15年前のことだが、現在に至るまでの間に、学生たちの関心も変化してきた。あくまで筆者の主観ではあるが、ここでは主に3つの変化を指摘しておきたい。

 近年、もっとも強く感じられるのは、幼い子どもへの関心の希薄化である。かつては子どもの話というと、身を乗り出して楽しそうに聞く学生が少なくなかった。しかし最近では、子どもの話を聞いてもぴんとこない、あるいは、子どもに苦手意識を持っている学生が多くなったように思う。筆者が担当する心理学科の講義の受講者でも、小さい子どもの世話をしたことがあるという学生は、最近では1割前後にすぎない。学生が子どもの話にぴんとこないのも、ある意味当然であろう。しかし、遠くない将来、彼らが子どもを持ち、子育てに携わっていくことや、子どもに関わる仕事に就く者もいることを考えると、これは決して好ましい変化であるとはいえない。

 2つめは、青年期のトピックに対する反応である。青年期の発達に関する代表的なトピックといえば、恋愛と第二次反抗期に代表される親子関係の変化であるとされてきた。しかし最近では、異性と付き合うのは面倒だ、同性の友達といる方が気楽でいい、自分は親とは仲良しで反抗したことがない、反抗期を経験していないがよいのだろうか、といった声を学生から聞くことが少なくない。青年期の一般的な発達像とされてきたものが、実情とは合わなくなってきていることを実感させられる。

 3つめは、高齢期への関心の高まりである。高齢期の講義後の学生のリアクションペーパーには、祖父母を思いやる記述が多くみられ、介護をしている親の大変さを綴ったものも最近では散見される。学生にとって高齢者は、子どもよりも身近な存在であるようだ。

 このような学生の変化に鑑み本書では、子どもの発達の面白さや乳幼児の有能さを伝えるべく、具体的な実験やエピソード、写真を多数組み入れた。また、青年期に関しては友人関係、恋愛の話をバランスよく盛り込み、親子関係の時代的変化に関する記述を加えた。さらに高齢期については、祖父母-孫関係や介護・看取りなどにも言及し、生涯発達心理学という学問をより身近なものに感じてもらえるよう、内容面の充実を図っている。

生涯発達心理学を教える――最近の学生の反応を踏まえて

 同世代との関わりは多いが他の世代との関わりが少ない学生にとって、自分と異なる世代の人のことを想像するのは難しいことではある。しかし最近ではよりいっそうその傾向が強くなっているように思われる。今でこそ驚かなくなったが、赤ちゃんが「鳴く」と書く学生が一定数みられるようになったのはいつ頃からだったろうか。彼らにとって赤ちゃんは、自分とは異種のものと感じられているのかもしれない。また、親と仲がよいと述べている学生でも、中年期に関する講義の後には、「そういえば自分の親は日々どんなことを考え、悩んでいるのかをまったく知らなかった」といった感想を寄せてくる。

 経験や想像力の乏しさは、映像や実際に見聞きすることで、多少なりとも補えるかもしれない。また、知識を自分のものにするためには、自分の頭で考え、深い処理をすることが不可欠である。そのための工夫として、例えば筆者は、以下のようなことを生涯発達心理学の講義で試みている。

①グループディスカッション:講義では、小グループによる討論を年に何度か学生に行わせている。その中でも学生からの評判がよいのが、「出生前診断の是非」と「将来のライフコース」に関する討論である。前者では、新型出生前診断の実施は親、胎児、医療従事者、社会にとってそれぞれどのような意味があるか、自分が親であったら診断を受けるか否か、といったことを話し合わせている。また、後者では、大学卒業後、35歳頃までのライフプランを各々に考えさせた後、それに基く話し合いをさせている。これらは男女の意見の相違が大きいテーマであり、学生からは、結婚・出産前に様々な考えに触れられてよかった、という感想が例年寄せられている。

②親へのインタビュー:胎児期の講義では事前学習として、親が自分を妊娠・出産した時の体験を尋ね、感想を書かせている(但しそれが難しい学生もいるので、妊娠・出産の体験談を別途用意し、その感想を書く課題も設けている)。学生は、20年近くたった今でも親が、自分が生まれた時のことを鮮明に覚えていることに驚き、多くの人の助けがあって初めて自分が無事生まれてきたことに感銘を受けるようである。とりわけ女子学生にとっては、自身のライフコースや、将来の出産について考えるきっかけにもなるようである。

③赤ちゃんや子どもの観察:乳幼児期の講義では、親族や街中の子どもの観察や、子ども同士の遊び場面の映像の視聴を通して、子どもが他者や物とどう関わっているか、その特徴をまとめる、という課題を事前に課している。そうすることで、実際の子どもの姿や行動を思い浮かべながら講義を聴くことができ、理解が促進されるようである。

 この他にも、テレビのドキュメンタリー番組には生涯発達について考える好材料になるものが多いので、各発達時期の内容に合った番組を視聴させ、その時期の特徴を学生自身に考えさせるなど、よりリアリティをもって発達をとらえられるよう、事前学習に力を入れている。本書でもその一環として、各章のトピックの導入に、学習者の関心を事前に掘り起こすための問いかけ(QUESTION)を用意している。上記の課題のいくつかはQUESTIONにも示されているので、様々なやり方でQUESTIONを活用していただきたい。

大学で生涯発達心理学を学ぶ意義

 本書は読者として、発達心理学の基礎を学び終え、より深い学びを求める大学生を想定している。その多くはもうすぐ成人期(本書では、学生の立場が終わり、社会人になることを成人期のはじまりとしている)を迎える人たちであろう。この時期に生涯発達心理学を学ぶことには、発達に関する知識を身につけることを上回る意義があると筆者は考えている。

 昨今の大学では、入学して間もない時期から就職に向けた指導が始まり、学生は繰り返し、自己分析の必要性を説かれる。しかし、自分にだけ焦点化しても、自分のことは分からない。人は他者との関わりの中で育つものであり、他者と体験を共にしたり、他者との違いを知ったりすることで、自分とは何者であるのかを分かっていくからである。自分が育ってきた道筋を振り返ることは、自分の育ちに関わってきた人たち(親や祖父母、きょうだい、友人、教師など)のことを併せて振り返ることでもある。折しも青年期は、仮説演繹的な思考や抽象的思考が発達し、複数の視点から物事をとらえたり、相反する見方を統合したりできるようになる時期にあたる。その結果、親をはじめとする他者の視点から物事をとらえることや、自分の経験についてそれまでとは違う見方をすることが可能になる。乳児期から高齢期に至る各発達時期の特徴を知り、自分についてだけでなく、身近な他者についての理解を深めることは、学生がこの先、どのような道を歩むかを考えるうえできっと役に立つものと信じている。

 どの年齢の発達がより重要である、ということはなく、「いずれの年齢の変化にもそれぞれ価値がある」とは、生涯発達心理学の理論的枠組みを構築したバルテスの言葉である。若いうちは、大人になることに不安を覚え、年をとることを否定的にとらえがちである。しかし、年を重ねることは決して悪いことではなく、それぞれの発達時期を生き抜くことが大切なのである。そんなことを、本書を読んだ方が感じ取って下されば嬉しく思う。

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