HOME > 書斎の窓
書斎の窓

コラム

一般集中と市場集中(下)

――独占禁止法の経済力集中規制について

福井県立大学学長 下谷政弘〔Shimotani Masahiro〕

4 ‘Headless Combines’

 なぜ日本の独占禁止法は今日でも一般集中規制を残しているのだろうか。

 ここでいわゆる「六大企業集団」について少し取り上げてみよう。かつて日本経済をめぐる議論において「六大企業集団」はポピュラーなテーマであった。しかし、今日ではほとんど議論の俎上にのぼらなくなっている。理由は簡単で、すでに経済的実体としての意義がなくなったからである。

 「六大企業集団」とは、戦後復興から高度経済成長の時代を通じて、さらにバブル経済崩壊の頃にいたるまで、日本の代表的な大企業たちがメインバンク(六大都市銀行)や総合商社などを中心にそれぞれ6つの企業集団(三井・三菱・住友・富士・三和・第一勧銀)に分属し、株式相互持ち合いや社長会によって結集していたものをいう(1)。

 第二次大戦後にこうした形態の企業集団が形成されたのは、他でもない、かつて財閥本社の傘下にあったメンバー企業たちが独占禁止法9条によって再びピラミッド型には結集できなかったからである。すなわち、結集のカナメとなるべき「持株会社」の設立が禁じられてきたからである。その意味で、戦後日本経済の枠組みの構築において九条が果たした意義は大きかったと評価すべきである。

 「定期的な社長会は秘密の司令塔ではないのか」と指摘されたこともあった。しかし、当初の例外的な一時期を除けば、それはかつての財閥本社に代わる司令塔などではなかった。社長会は基本的にはメンバー企業の社長たちの「懇親と情報交換の場」にすぎなかった。たとえば、「住友グループの白水会の会合で話題になるのは、もっぱら社会奉仕活動やグループ共催のイベントの連絡事項」である。つまり、「旧財閥はもはやビジネス系列ではない。先祖を同じくする親族の集まりと考える方が実態に近い」(2)といわれる。公正取引委員会が自ら実施した調査報告(3)によっても、企業集団内の系列取引比率の低下などが指摘されていた。

 6つの社長会そのものは現在も存続している。だから「六大企業集団」も存続しており一般集中規制は必要だという議論は今も根強い。しかし、事実はまったく逆なのであって、企業集団のメンバー企業はそれぞれ自らが携わるビジネス領域については独自に意思決定する経営主体であった。「六大企業集団」は‘Headless Combines’とも呼ばれたように、自由な意思決定主体が相互にフラットな形で集合したものであった点が重要である。戦前のピラミッド型の財閥は、戦後には司令塔を欠いたフラットな連合体に転身するしかなかった。株式相互持ち合い(敵対的買収防衛策)などによる緩やかな相互連帯のもとで、メンバー企業はそれぞれが経営の自由を享受しながら主体的に事業展開しえたのである。かれらがこのようにフラットな関係で事業展開できたことは、敗戦後の日本経済が飛躍的に高度成長するための条件としてきわめて重要であった。

 かつて持株会社解禁の是非をめぐる議論のなかでは、解禁すればフラットな「六大企業集団」が再びピラミッド型の組織になるのでは、という主張が繰り返された。しかしながら、もとより自由な意思決定主体が自分たちの上に「司令塔」を作り出すことなど到底考えられなかった。それどころか、ここで指摘したいのは、持株会社が解禁されるや逆に「六大企業集団」の存在意義はさらに一段と減少してしまったことである。

 というのは、周知のように、持株会社の解禁は大都市銀行間の統合を惹き起こした。三井-住友、三菱-三和、富士-第一勧銀の組み合わせで「三大メガバンク」が誕生したのである。その結果として、まったく皮肉なことに、「六大企業集団」の境界線はますます不明瞭なものとなり輪郭は一層ぼやけてしまった。なぜならば、かつての6つのメインバンクは統合されて3つになったが、「六大企業集団」がそのまま「三大企業集団」になったわけではなかった。一部の金融関連業を除けば、ほとんどのメンバー企業はメインバンクの統合の動きに追随しなかったからである。あるいは、企業集団をまたがってねじれ現象を起こし複数の社長会に顔を出さざるをえなくなったからである。つまり、持株会社の解禁は逆に「六大企業集団」のアイデンティティを低下させる結果をもたらした。

5 「過度の経済力の集中」とは何か

 実は「六大企業集団」における大都市銀行の威信低下はもっと早くから進んでいた。すでに1990年代から大銀行同士の合併統合が始まり、たとえば銀行名では「三井」が捨てられ「さくら」となり、ロゴマークでも三菱の「スリーダイヤモンド」はバラのマークに転じた。2001年には300年以上の歴史を誇る三井と住友の旧財閥でも中核銀行同士が合併しなければならなかった。そして、持株会社を利用した三大メガバンクの誕生は、企業集団の存在意義を最終的に低下させてしまったのである。

 とはいえ、ここで問題となるのは、当時の「六大都市銀行」が統合し三大メガバンクになったことへの評価である。公正取引委員会はこれらメガバンクの誕生については「事業支配力が過度に集中すること」とはならないとの判断を下した。しかしながら、たとえば2000年に富士銀・第一勧銀・興銀・安田信託が統合して誕生した資産額世界最大の金融持株会社「みずほ」の場合、当時、実に上場企業の7割が融資先となりその3割において最大融資者の地位を占めていた。同委員会は、これほどの大規模な統合のケースであってもそうではないと判断したのである。そうなると、いったい「過度の経済力の集中」とは何なのか、考えてみなければならなくなる。

 公正取引委員会は1997年に持株会社を部分解禁したとき、禁止すべき「事業支配力が過度に集中することとなる持株会社」とはどういうものか、それを具体的に例示する必要に迫られ、いわゆる「持株会社の禁止三類型」を示した。2002年に「持株会社」が「会社」に書き換えられた際にも、それは「事業支配力が過度に集中することとなる会社の考え方」として基本的に受け継がれている。この「禁止三類型」がさまざまな問題点と欠陥を抱えた代物であったことは、すでに別のところ(4)で論じたのでここでは再論しない。それは、新規事業分野への多角的展開を制約するなど、今日のグローバル市場での国際競争の時代には不合理な内容のものだったということである。

 もう1度いっておこう。1997年に持株会社を解禁すると決断した際に、「六大企業集団」が存在するからという理由で限定的な形容詞句をつけたことから混乱が始まったのである。もとより企業集団は緩やかな連合体であり、司令塔を欠いた存在であった。それは一体で行動するような経済主体ではなかったのである。また問題なのは、上のような規模のメガバンクの誕生を「過度の経済力集中」としないのならば、いったい何をそうだと判断するのであろうか、ということである。そのことは、「禁止類型」のなかに「四番目(?)の禁止類型」たるべき同業種間の水平的統合(たとえば「みずほ」のケースなど)の類型をあえて含めなかったことと密接に関連する。

 結論的にいうならば、今日のような成熟した日本経済の状況下においては、「過度の経済力集中」の懸念は「六大企業集団」の存在などにあるのではない。むしろ大規模な水平的統合にある。なるほど、そうした水平的統合のケースは「市場集中規制」(10条、15条など)の対象なのであり、したがって禁止類型の中には含まなかったのだともいえよう。しかし、もしそうであるとしても、一方の市場集中規制においてはグローバル巨大市場という時代趨勢に適応できるように「緩い判断」を採用しながら、他方、一般集中規制においては厳密な報告書の届出を義務付けるなど、これまで厳しい規制にこだわり続けてきた理由がわからないことになる。すなわち、緩い市場集中規制と厳格な一般集中規制、これら両者の法的規制間のアンバランスという新たな問題が焦点となってくるのである。

 この4月には報告書の届出規則が一部改正された。しかし、9条(一般集中規制)の必要性についてはそのまま維持することが改めて強調されている。その根拠は、かつての「財閥復活の懸念」や「企業集団の存在」などから「総資産集中度等の状況」に変更され、また、9条による規制が廃止されれば過度の経済力集中に対して「有効に対処する手段がなくなる」(5)からだと述べられる。

 以上、1つの混乱が別の混乱を生み出してきたのである。「財閥復活」や「企業集団」を理由として始まった一般集中規制は必要だという理論立てはもはや命脈が尽きたというべきなのである。

(3)」(法教408号〔2014年〕注29)に展開した。その基本は「評価障害事実」は要件事実ではないが、「不意打防止」の観点から(憲法第82条第1項)、被告に「主張責任」を負わせるが、証明責任は負わす必要がないと考える。そもそも、証明責任は、具体的訴訟の最終段階の問題であり(証明責任の純化)、〝バックボーン〟の役割を果たすのは、「主張責任」であり、それと一致する「主観的」証明責任(証拠提出責任(19))である。それは、法規不適用説と同様に、実体法によって分類されると少数説はいう(20)。もっとも、こうはいっても通説や有力説からは、問題の解決にはならない。というのは、両説共に「主観的」証明責任は「証明責任」から派生すると考えているからである。しかし、少数説は「主観的」証明責任(証拠提出責任)は「証明責任」から切り離されて民訴法第2条の「信義則」に基づく「真実義務」の一つと考えるから、以上の問題は、〝立ちどころに〟氷解すること〝霜に煮え湯を注ぐが如し〟である(21)。

 

(1) 下谷政弘『日本の系列と企業グループ――その歴史と理論』有斐閣、1993年、同「企業集団・企業グループ・系列」『ジュリスト』No.1104、有斐閣、1997年、橘川武郎『日本の企業集団――財閥との連続と断絶』有斐閣、1996年、菊地浩之『企業集団の形成と解体――社長会の研究』日本経済評論社、2005年、など。

(2) 「日本経済新聞」(系列を超えて、財閥再解体)、1996年9月17日。

(3) 公正取引委員会「企業集団の実態について――第七次調査報告書」、2001年。これ以降、実態報告は公表されなくなった。

(4) 下谷政弘『持株会社の時代』有斐閣、2006年。

(5) 公正取引委員会「独占禁止法第九条に基づく一般集中規制が廃止された場合に実際に生じ得る現実的な弊害について」、2015年3月。

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016