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書評

『続・心理統計学の基礎

――総合的理解を広げ深める』

専修大学人間科学部准教授 岡田謙介〔Okada Kensuke〕

南風原朝和/著
四六判,280頁
本体2,000円+税

心理学と心理統計学

 南風原朝和先生の前著『心理統計学の基礎』は、心理学を学ぶ者が身につけたい統計学の考え方と知識が惜しげもなく詰められたテキストとして、金字塔的な存在となっている。そして、本書『続・心理統計学の基礎』は、前著から干支が一回りし、満を持して世に出た待望の続編である。

 本書の内容を紐解く前に、心理学および心理統計学をとりまく現状について簡単に触れておきたい。21世紀の現在、世の中の変化のスピードはますます加速しているといわれる。これは、心理学データ分析においても例外ではない。やや誇張的かもしれないがあえて述べれば、ひと昔前までは、心理学データの統計分析といえば「分散分析」が席巻していた。その主要な目的は、実験条件や個人属性などの違いによって関心のある変数の平均が異なる、という主張をサポートすることであった。収集したデータに分散分析を適用し、「統計学的に有意である」という結果を得ることができれば、めでたしめでたし。そんな、ある意味ではわかりやすい暗黙の了解が、多くの研究者の間でも共有されていた。

 しかし時代は流れ、心理学研究において扱われるデータの複雑化・大規模化が進んだ。同時に、誰もがコンピュータを使って、さまざまな分析手法をデータに適用できるようになった。そうした中で、心理学や関連領域における統計的データ分析への要請は、質・量ともに増大の一途を辿っている。経済学において直近120年ほどに出版された論文を調べたところ、報告される数式の数や計量的な結果の数がいずれも近年飛躍的に増加している、と
いう報告が少し前に話題になった(Espinosa et al., 2012, MPRA Paper)。心理学分野ではこれほどの規模の実証研究は寡聞にして知らないが、状況は同じであろう。心理学研究にあまり馴染みのない読者は驚かれるかもしれないが、米国心理学会の論文執筆マニュアルには、118項目にもわたる統計学的記号の表記と意味についての表が掲載されている。このマニュアルは国際標準的な地位にあり、心理学の研究を論文として世に出す研究者は、同表の各項を理解し、これにしたがって統計分析結果を記載することが求められているのである。

 心理学は実験や調査のデータに基づく実証的な科学であり、その発展に心理統計学的データ分析の理解は欠かすことができない。

本書の扱う内容

 そうした現状を踏まえ、本書の内容を概観していきたい。本章の特徴のひとつに、1章で前著との関係や全体の流れを俯瞰した後、内容的な嚆矢となる2章に分布論がおかれていることがある。ここでは非心分布、すなわち検定の前提となる仮説が偽であるときに検定統計量がしたがう分布や、各種の統計分布間の関係が詳しく解説されている。

 近年心理学データ分析において、「効果量」「信頼区間」「検定力」といった様々な側面からデータの持つ情報を多面的に理解していこうという大きな潮流がある。本書の3〜5章は、こうした新しい動向とまさに合致した内容といえる。そして、これらの方法について本質的に理解するためには、分布論を欠かすことができない。しかしながら、これまで多くの心理統計学の教科書は分布論を正面から扱ってこなかった。即座に応用と直結するわけではないが「統合的理解」の鍵となる分布論を冒頭に置いたことに、著者が本書に込めた熱意を私は感じる。

 3章、4章はそれぞれ効果量⑴、⑵と題されている。効果量は、研究において関心の対象となる効果の大きさを表現する量である。前著で扱ったさまざまな統計モデル(相関と回帰、平均値差の比較、カテゴリ変数間の連関、重回帰、分散分析、共分散構造分析など)において検定力や効果量そしてその信頼区間を求め、活用するための方法がここでは解説されている。また、5章は対比分析を扱う。これは、研究者の関心を反映した検定を構成して行う分析である。3、4、5章を読み進めた読者は、心理学研究の実際的な問題について統計学的な議論する上での、2章の分布論の重要性を理解できるであろう。

 6章は、マルチレベルモデルを扱う。これは、たとえば学級–学年–学校–地域といった、入れ子型の構造を持つ現象を扱う統計モデルである。とくに調査データは、多くの場合こうした複雑な構造を持つと考えられ、それを適切に扱うことの重要性が多くの研究者から指摘されている。また、7章ではメタ分析を扱う。通常の統計分析は分析者が収集した手元のデータを分析するが、メタ分析はそうした先行研究の結果を多数集めて行う、「分析の分析」である。メタ分析によって、さまざまな先行研究の結果を統合し、より一段たしかな科学的知見に到達することが可能になる。

 そして、最後の8章ではベイズ推測を扱う。前著と本書のここまでの内容は、頻度論という伝統的な統計学の枠組みに沿うものであった。統計学を2分する、もうひとつの枠組みがベイズ統計学である。手元の標本「データ」と本来知りたい母集団の「母数」の2つのうち、どちらを確率的に変動する確率変数と考えるかが頻度論とベイズ統計の間で決定的に異なる。本章でとくに強調されているのは、ベイズ統計という新しい世界を知ることにより、これまで学んできた頻度論的統計学の知識を相対化できることである。海外に出て、改めて自分の住む日本の特徴に気づくことがある。それと同じように、既存の枠組みを飛び出して外の世界から眺めることで得られる知見は、多くの場合新鮮でかつ有用なものである。ベイズ統計という新たな世界にいざなう8章は、前著と本書の締めくくりに相応しいと考えられる。

「わかりやすさ」と「正確さ」

 大学で教育と研究に携わる者にとっては、「わかりやすさ」と「正確さ」の両立は永遠のテーマである。多くの読者に読まれようとする書物は、どうしても直感的なわかりやすさが追及され、その結果正確さが犠牲になりがちになる。一方で、研究者が専門性にこだわり正確さを追及した文章は、読みやすさに欠け、広い読者に受け入れられなくなってしまう。

 前著『心理統計学の基礎』は、心理学を学ぶ学部生の多くにとって、誰もが最初からすらすらと読める本、というわけでは必ずしもなかったと思う。「基礎」を掲げる1冊ではあるが、その各所に数式を用いた解説や式展開、証明などがちりばめられ、また内容的にも1冊で共分散構造分析という高度な統計手法にまで到達している。それにもかかわらず、前著は多くの読者を得て版を重ね続けている。これは、必要な数学的側面についての解説を惜しまず、基本的原理を軸としながら心理学研究の文脈に沿って全篇を丁寧に記載することによって、わかりやすさと正確さの両立という困難な課題を希有なバランスで達成できているからであろう。

 一方、こと扱う内容や章立てに関しては、前著は「正統的な」心理統計学の教科書であった。しかし続編の本書では、わかりやすさと正確さを兼ね備えた筆の運びはそのままに、先に概観したとおりほかに類書が見られない独自の構成となっている。これは、心理学データ分析における新しい国際的な動向を反映し、全体の軸を保ちつつ重要なテーマを選りすぐって採用した結果ではないだろうか。

 また本書のもう1つの特徴に、さらなる理解の深化を図りたい読者に向けて、関連する国内外の文献が随所で紹介されていることがある。科学の歩みは多くの偉大な先人たちの積み重ねの上に成り立つものであり、研究論文では通常、多数の文献が引用される。しかしページ数の限られている教科書では、泣く泣く文献リストを省かざるを得ないことも多い。しかし本書では本文よりもフォントサイズを小さくし、前著の倍以上の頁数を費やして引用文献リストを巻末に掲げている。「基礎」というには十二分に充実した内容を扱う本書であるが、さらに学習を進めるにあたっての道標が各所で示されていることは、多くの読者に重宝されるであろう。

他分野の読者へ、そして将来の研究者へ

 統計学はデータの科学である。心理統計、生物統計、経済統計、医療統計……というふうに応用分野ごとの分化はあるが、フィールドが違っても、データからどのような情報を得たいのかについて分析者の関心が大幅に異なることはあまりない。むしろ、ある分野での課題は、別の分野でもやはり課題であることが多い。そして、ある分野では解決された課題が、別の分野ではまったく知られていない、といった事例もしばしば耳にする。

 心理学では、たとえば物理学のように厳密に統制された実験データを得ることが難しい。そこで、誤差を含んで観測されたデータから意味のある情報を取り出すための統計学的手法が、長年にわたり開発・蓄積されてきた。本書は心理学データ分析において、とくに最近、有用性が高いと多くの研究者が考えている重要な話題のコレクションである。新しい心理統計学の動向を知ることは、心理学に限らず、さまざまな分野のデータ分析場面で役立つと考えられる。したがって、本書は心理学を学ぶ人に留まらず、社会科学や生態学、疫学など、様々な分野でデータを扱う読者に推奨できる1冊だと私は考える。

 ところで、本書あとがきの最後で、著者は心理統計学を専門に研究しようとする若者が依然として「きわめて少数派」であること、しかしながらデータに基づく実証科学としての心理学においては、心理統計学を専門に研究し、また教育にあたることのできる研究者が必要とされていることを述べている。私もこれにはまったく同意見である。本書は必ずしも統計学の専門家ではない幅広い読者に向けて、さまざまな工夫を凝らして書かれた本である。そうでありながら、本書を手にする読者の中には、心理統計学のおもしろさに気づき、将来方法論の研究者を志す若者もきっと出てくるのではないか。同じ分野の研究者として、私はそれを楽しみにしている。

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