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コラム

一般集中と市場集中(上)

――独占禁止法の経済力集中規制について

福井県立大学学長 下谷政弘〔Shimotani Masahiro〕

1 一般集中規制と市場集中規制

 昨年6月に閣議決定された「規制改革実施計画」は、その中に「一般集中規制の見直し」を盛り込んだ。今日、経済力集中に対する規制としては、他の経済先進諸国が市場集中規制を中心に対応しているのに対し、日本では市場集中規制と並んで一般集中規制にも重きをおいてきたからである。本稿では「一般集中規制」が抱える問題点を取り上げ、それははたして今日のグローバル経済状況下においても必要であるのか、有効であるのかについて、すなわち一般集中規制そのものの存在意義について議論する。

 まず、現行の独占禁止法において一般集中を規制する条項は9条および11条である。その9条をみると、「他の国内の会社の株式を所有することにより事業支配力が過度に集中することとなる会社は、これを設立してはならない」、さらに、「会社は、他の国内の会社の株式を取得し、又は所有することにより国内において事業支配力が過度に集中することとなる会社となつてはならない」、などと定めている。すなわち、「事業支配力が過度に集中することとなる会社」の設立や転化について規制している。

 また11条では、「銀行業又は保険業を営む会社は、他の国内の会社の議決権をその総株主の議決権の百分の五(保険業を営む会社にあつては百分の十)を超えて有することとなる場合には、その議決権を取得し、又は保有してはならない」、としている。銀行業などの金融業は、株式保有に加えて融資によっても影響力をもつため9条とは別途に規定している。以下、本稿では九条による一般集中規制を中心に取り上げてみたい。

 ここでいうまでもなく、一部の企業グループへの経済力集中は競争制限的な市場構造をもたらし、市場における公正かつ自由な競争を阻害する。したがって、それを防ぐための規制が求められる。

 その場合に考慮すべきは、前述したように、他の経済先進国では経済力集中を防ぐ規制としては「市場集中規制」を軸に対応してきた点である。すなわち、具体的な商品・サービスなどをめぐる個々の市場ごとに規制すれば足りるとしてきた。他方、日本では、次に述べるような歴史的な背景もあって、一般集中についても厳しく規制してきた。「一般集中規制」というのは具体的な商品・サービスなどの市場に限定せず、一国経済全体における特定の企業グループへの経済力集中を未然防止する規制をいう。「高い一般集中は、一国の経済資源の大きな割合が少数巨大企業の自由裁量下におかれることを示し、ビッグビジネスの行動が一国経済に対して強い影響力をもつという結果を生む」(1)。半面、バブル経済崩壊後の日本経済では「選択と集中」の進展、M&Aや持株会社の増加、海外直接投資の拡大など、産業構造全般の変化が激しかった。その中で、「一般集中の動向がどのようになっているのかが注目されるが、近年の推移は不明である」(2)という。

2 持株会社の部分解禁

 一般集中規制は今日でもはたして必要なのかどうか。この議論の発端は1997年に行われた独占禁止法の改正時点にまでさかのぼる。すなわち、その年には半世紀ぶりに9条が改正されて「持株会社」の設立が基本的に解禁されたのである。

 周知のように、日本に独占禁止法が制定されたのはGHQ占領下の1947年のことであった。それ以降、長きにわたって経済力の一般集中を規制する法体系において中心的な役割を担ってきたのは9条の持株会社禁止規定であった。その9条が戦後半世紀の歴史を経て最終的に改正されたのである。

 したがって、問題の大半は持株会社を解禁した時点ですでに解決ずみのはずであった。「GHQの忘れ物」などとも揶揄された9条を改正し、持株会社を解禁するという決断は、日本の独占禁止法から一般集中規制を取り外すことを意味していたからである。

 しかし、事態はそう簡単には進まなかった。1997年、それまでの持株会社の全面的禁止の規定は廃止されたものの、新9条では「事業支配力が過度に集中することとなる持株会社」の設立・転化を限定的に禁止することとなった。ここで限定的というのは、「持株会社」の前に「事業支配力が過度に集中することとなる」という長い形容詞句がつけられたことであり、そうなりさえしなければ持株会社は設立可能になったことを意味していた。すなわち、「部分解禁」されたわけであり、通常の場合には実質的に「解禁」されたことを意味していた。実際にもその後、次々と持株会社が設立されてきた。今日では持株会社の数は上場企業全体の1割強を占めるまでになり、日本にも「持株会社の時代」が訪れたわけである(3)。

 ここで問題なのは、かつての9条(持株会社全面禁止)においてはシンプルで一元的だった法体系が、この限定的な規定(長い形容詞句)を含ませたことによって煩雑な内容のものに変質したことである。あるいは、この限定的な改正によって、新9条は以前よりも一般集中規制の性格を増したということである。すなわち、2002年に引き続き行われた改正では、9条の条文から「持株会社」という言葉そのものも消されてしまい、たんに「事業支配力が過度に集中することとなる会社」と書き換えられてしまったからである。

 こうして、現行の独占禁止法9条は表面上ではすでに持株会社に関する条文ではなくなった。まさしくその性格を、経済力の過度集中を規制する「一般集中規制」へと純化してしまったのである。

3 財閥と戦後の企業集団

 なぜ日本の独占禁止法は今日でも一般集中規制を残しているのだろうか。

 ここで考慮しておかねばならないのは、いうまでもなく日本における特殊な歴史的事情についてである。つまり、かつて持株会社の設立を50年間も全面禁止し続けてきた背景には、戦前日本経済における財閥グループの経済力支配の問題があった。「戦前の財閥が我が国経済・社会に多大の影響、弊害を与えたという経緯にかんがみて、全面的に禁止するという制度が選択された」(4)のである。

 実際に、三井・三菱・住友の「三大財閥」だけでみても、たとえば1937年当時の資本金では全国企業の12%を、また敗戦直後の財閥指定時には26%をも占めていた。しかも、財閥は各種の主要な産業部門をそれぞれ「持株会社」(財閥本社)の傘下にピラミッド型に支配していた。財閥本社はピラミッド全体を一元的に支配する司令塔であった。したがって、戦後にこれら財閥ピラミッドは完全解体されねばならなかったのであり、財閥家族も公職から追放されてしまった(いわゆる「財閥解体」)。さらには、いったん解体されたはずの財閥ピラミッドが戦後の経済において再生することのないよう、独占禁止法で持株会社の設立を禁止することを通じて「財閥の復活」を法的に防止してきたのである。

 しかしこの間、戦後半世紀の歴史を経る中で日本経済は成熟した自由市場経済へと大きく様変わりしてしまった。すでに「財閥の復活」の懸念などは遠い昔話にすぎず、誰も言わなくなったのである。1997年の9条改正による持株会社の解禁とは、もはや「財閥の復活」はありえないという明白な判断にもとづいていた。いわんや、今日ではグローバルな巨大市場での競争がますますさかんとなり、日本経済をめぐる国際的な経済環境もまた一変してしまったのである。

 しかし、である。前述したように、持株会社の解禁は限定的な解禁(部分解禁)にとどまった。なぜだろうか。それは、公正取引委員会の説明によれば、「財閥復活」の懸念こそなくなったものの、持株会社という組織は依然として「経済力集中の手段」なのであり、財閥に代わって何よりも「六大企業集団」や「系列」の存在が挙げられていた。「公正取引委員会としては、企業集団や系列等の我が国企業の実情にかんがみ、事業支配力が過度に集中することとなる持株会社が存在することとなると……市場メカニズムの機能が妨げられるおそれが生じるものと考えている」(5)。経済力の一般集中の可能性は今も残っており、したがってそれらに対する規制は今後も必要だ、という説明だったのである。

(以下、7月号)

 

(1) 『経済学辞典(第3版)』岩波書店、1992年、665頁。

(2) 土井教之「産業組織論と競争政策――第5回 一般集中と支配的企業」『公正取引』728、2011年、68頁。

(3) 下谷政弘『持株会社の時代』有斐閣、2006年、同『持株会社と日本経済』岩波書店、2009年、など。

(4) 鵜瀞恵子編『新しい持株会社規制――独禁法改正に関連する全資料集』(別冊商事法務No.197) 商事法務研究会、1997年、7頁。

(5) 鵜瀞恵子「持株会社解禁に係る独占禁止法改正の概要」『ジュリスト』No.1123,有斐閣、1997年、14頁。

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