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書斎の窓

自著を語る

経済法テキスト執筆余話

――『条文から学ぶ独占禁止法』を刊行して

早稲田大学法学学術院教授 土田和博〔Tsuchida Kazuhiro〕

土田和博,栗田誠,東條吉純,武田邦宣/著
A5判,358頁,
本体2,500円+税

プロローグ

 あれは忘れもしない2010年末。有斐閣の編集者の方から「経済法の教材開発についてご意見を承りたい」というメールを頂戴したので、研究室に来ていただいた。経済法・独占禁止法の教育の現場にいる者の一人として、どのような教材を必要と感じているかを話せばよいと思ったからである。当時、私は、経済法・独禁法の教科書は市場の狭さの割に相当数が出版されているのに、事例を用いて出題した上、解答例を示しつつ、独禁法の解釈論上のポイントを解説する演習書が少ないと思っていたので、お出でいただいたお二人の編集者にそのようなお話をした(念のためにいえば、私も共編者になっている某出版社の演習書が既にあったが主に学部生向けで、法科大学院生向けの演習書はなかった。現在は、ロースクール生用の立派な演習書が出版されている)。

 ところが、来られたお二人はテイクノートされつつも、(事例を用いて解説する演習書の企画が既に進行していたからか)いま一つ乗り気でないご様子で、「他に何かありませんか」と言われる。独禁法の注釈書は前年に出ており、教科書類も多いので、私はない知恵をふり絞って「簡易コンメンタールくらいでしょうか」と言ってしまった。編集者は「それでいきましょう!」。こうして、『条文から学ぶ独占禁止法』の企画は始まったのである(もちろん「条文から学ぶ」シリーズは、労働法等のものが既にあった)。

瓢箪から駒

 よもや私に何か書けという話をしに来られたなどとは思ってもみなかったので、私にとっては、まさに震天動地、青天の霹靂であった。同時に、せっかく、有斐閣から頂いた貴重な機会であり、それを生かして良い本を出してみたいという思いも湧いてきた。幸い、共著をお願いした栗田先生、東條先生、武田先生にも快諾していただいた。公正取引委員会の実務にも強い元審判官、国際経済法にも造詣が深い教授や欧米の独禁法の視点からも健筆を揮える教授に共著者として参加していただけば鬼に金棒である。それに有能な編集者がお二人(時には京都支店からもうお一人)付いて下されば、半分出来上がったも同然と思っていた。

 ところが実際に打ち合わせを始めてみると、いろいろな難題が待ち構えていることを悟らざるを得なかった。まず「簡易コンメンタール」という位置づけが曖昧なのである。注釈書ではなく、教科書でもない本。しかも簡易コンメンタールなどというニッチな市場を狙うのが適切かどうか。結局、四人の執筆者が集まった検討会議の席で、早々に「学部の教科書、法科大学院のサブテキスト・副読本」というようなコンセプトに変更することにした。

 そうすると、今度は数多く出版されている経済法・独占禁止法の教科書の中で、どのように「製品差別化」を図るかという難題に直面することになる。経済法学の用語でいえば、他の出版社から出ている教科書とのブランド間競争だけでなく、有斐閣から出版されている他の教科書とのブランド内競争にも、新規参入する我々の本は直面するわけで、こうした競争にどのように伍していくかが大きな課題であった。

本書の特徴

 そこで『条文から学ぶ独占禁止法』は、いくつかの特徴を打つ出すことで何とか「製品差別化」を図り、参入を果たしたいと考えた。第1に、初めて独占禁止法を学ぶ読者を念頭において、さまざまな工夫を凝らすことにした。図表を意識的に多用したこと、キーワードをゴチック体にしたこと、付録の綴じ込みに独禁法全体の見取図を掲げたことなどは、その例である。

 第2に、各条文の解説は、分かりやすさを優先させ、客観的記述を心掛け、判審決例や公取委ガイドラインを主な対象とするようにしたことである(その功罪は後述)。したがって、学部生のみならず、ロースクール生にも自習用に使ってもらえるのではないかと考えていること、本書の「はしがき」に書いたとおりである。

 第3に、2013年改正後の公取委によるエンフォースメントについて、相当に踏み込んだ記述をしたことである(これは他のテキストとの差別化を目的として行ったという訳ではないが、結果において、そうなっているように思う)。本年4月1日に施行された改正独禁法は、公取委の審判手続を廃止し、新たに指定職員による意見聴取手続を経て公取委(委員長および委員)が排除措置命令や課徴金納付命令を発する手続を導入したわけであるが、本書は、意見聴取手続について「例外的に公開できる余地を残すべき」、「公取委は、排除措置命令書の記載の充実に意を用いるべき」などと改正法施行前に、新しい公取委の手続のあり方について積極的な提言をしている。

 第4に、独禁法の運用状況についても、できるだけ実績値(訴訟件数等)を示すことによって、客観的な独禁法の姿を明らかにしようと試みたことである。例えば、不公正な取引方法の差止請求に係る二四条訴訟、無過失損害賠償請求に係る二五条訴訟、独禁法違反行為が不法行為に当たるとして民法に基づいて損害賠償を請求した事件などの件数とその結果をデータベース等にあたって書き込んだほか、任意的求意見制度(84条1項)の運用状況や1990年以降の刑事告発事件などについても盛り込むことにした。

分かりやすさの功罪

 多少横道にそれるが、ここで本書の第2の特徴として述べたことに関連して、やや気になっていることを書かせていただく。先に、本書では「分かりやすさを優先させ、客観的記述を心掛け、判審決例や公取委ガイドラインを主な対象とするようにした」と述べた。教科書の執筆においては当然といえば当然であるが、煩いことをいえば厄介な問題を含んでいるようにも思う。「分かりやすい」というのは、複雑な事象のうち、一定の公式で説明できないものを切り捨てるということでもある。「客観的記述」というのは、自説の主張を抑えるということの裏返しである(筆者らの考え方を説いた部分もあるが、それが本書の中心ではない)。「判審決例や公取委ガイドラインを主な対象とする」ということは、学説にはほとんど触れないということである。それでよかったかどうか。体系書や注釈書ではなく、教科書だからということで、ご容赦願うしかないであろうか。

共著執筆の楽しさと難しさ

 以上のようにして難題を何とか克服しようとした私たちであったが、しかし、最大の難関は別の所に潜んでいたというべきかもしれない。それは一人で執筆する体系書にはない共著の書物につきものの難しさである。つまり、要件や判審決の理解にせよ、原稿に盛り込むべき内容や書きぶりにせよ、共著者間でこれらが微妙に異なることがあり、振り返れば、これをどのように克服するかが最大の難所だったかもしれない。もちろん四人の執筆者と編集者による原稿の検討会議で擦り合わせや調整はする。私自身は、検討会議で議論した上で、最終的には当該パートの執筆者に、その責任において執筆してもらうという方針であったので、検討会議が終われば、最終稿の完成は近いものと考えていた。

 ところが、ほとんど最終稿と思っていた原稿をメールで交換して、相互にコメントを付し、これを手直しして仕上げるという段階になっても、筆者の原稿を含めて、赤字のオンパレード。手直しできる箇所もあれば、ここは譲れないという所もあって、なかなかにシンドイ作業であった。しかし、同時に、気付かなかった点を教えられるという意味では、貴重な機会であり、楽しい作業でもあった。これを都合、2回繰り返した。

未完のアイデア

 さて、原稿の検討会議において出されたアイデアで、企画として実現しなかったものもご紹介しておきたいと思う。さほど新規で特異なアイデアではないが、出版後のアフターケアとして、例えば、オックスフォード大学出版局(OUP)のOnline Resource Centresのようなものを有斐閣でも実現できないだろうかと考えた。特に実定法の分野においては、出版後に法律の改正があったり、新しい判決が出たりしても、通常、2、3年はそれらを反映させた新版は出版されない。その間、そのような分野の書物を買って下さった読者は、それをいち早く知りたいと考える実務家やロースクール生も含めて、最新の情報から取り残された状態に置かれることになる。

 このようなタイムラグを多少とも緩和するためのアイデアがOnline Resource Centresのような仕組みで、読者は有斐閣のサイトの経済法なら経済法の書物にアクセスして、出版後に出た判審決や関連法令の改正の内容、重要なガイドラインなどを解説付きで新版が出る前に知ることができるという訳である。ちなみに、OUPのサイトにはOUPの本を買った読者がユーザー名とパスワードを打ち込んでアクセスできる情報と誰でもが入手できる情報とがアップロードされている。もちろん前者の方が貴重な情報であることはいうまでもない。

 ともあれ、このような形で出版直後から始まる内容の陳腐化に対応することで「製品差別化」を図れないかと考えた次第であるが、相当大がかりな準備が必要であり、新しい判審決等について直ちに解説しなければならない筆者らの覚悟も問われることから、これは中長期的なアイデアということで未だ日の目を見ていない。

エピローグ

 最後に、執筆者としては気になる本書の評判はどうだろうか。ネット上のものを含めて、悪くはないようである。雑誌「公正取引」(公正取引協会刊行)本年2月号の書評で、川濵昇先生は「学部学生に主眼が置かれた好テキスト」、「司法試験で経済法を選択する学生が試験前に基本的な理解を確認するのにも最適の教材であると思われる」、「標準的な立場に立ちつつ、斬新かつ高度な説明がなされている箇所もあり勉強になった」、「独占禁止法に通暁していると自負する方であっても一読に値する」と言って下さっている。有り難いお言葉である。至らない点もあろうかと思うが、第2版を出版する機会があれば補正したいと考えている。

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