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書斎の窓

巻頭のことば

経済学とその周辺

第6回(最終回) 通称使用と夫婦別姓

武蔵野大学経済学部教授 奥野正寛〔Okuno-Fujiwara Masahiro〕

 連載の最後にあたる今回は、経済学とは少し離れた話題を書いてみたい。20年ほど前、研究室の留守録に女性からのメッセージが残されていた。いわく、貴方は戸籍名と通称を同時に使っているようだ。私は、結婚前の姓を使い続けたいと裁判を起こしているが、証言台に立ってくれないかと。大変申し訳なかったが、当時は多忙で、お返事をしなかった。

 私は、生まれたときの姓は奥野だったが、母方の祖父の養子になって戸籍名が藤原になった。ただ、養子になったのが29歳の時で、米国在住で、すでに何本か国際誌に旧姓で論文を発表していたため、深く考えずに、英文論文を書く際のペンネームとして奥野姓を使い続けた。30歳になってある国立大学に採用され日本に帰国した結果、大学内では戸籍名を使わざるを得なくなり、パスポートの名前も藤原に変わった。

 この直後に私は、イスラエルの友人に招待されてテルアビブ大学を短期訪問した。もちろん上記のような理由から、招待状のあて先は奥野だった。入国する際には問題はなかったが、出国する際に面倒な事態が発生した。出国担当の係官が、私の尋問を始めたのである。いわく、パスポートの名前と招待状の名前が違うがなぜか、と。当時は、日本赤軍によるテルアビブ空港銃乱射事件の記憶も薄れておらず、怪しげな長髪の年若い日本人に対しては、当然の疑問だったのだろう。イスラエルの友人が中に入って説明しようとしたのだが、係官はそれを拒否して、延々1時間にわたって私を尋問した。幸い最終的に係官も納得し、私は釈放されたのだが、この事件は苦い記憶となった。

 どうしたら、奥野と藤原が同じ人物であることを外国でも証明できるのか。

 調べてみると、パスポートの合本という仕組みがあった。奥野の時代のパスポートと、藤原になってからのパスポートを一緒にして、政府がそれを証明する仕組みである。最初はこのパスポートを持ち歩いていたのだが、次第に面倒だと思い始めた。

 当時の日本のパスポートは、現在のパスポートの2倍ぐらいの大きさで、それを2冊重ね、リボンを通して蝋で封印するのだから、とても重くてかさばるのである。これではあまりにも面倒だ、もっと簡便な方法はないかと、無い知恵を絞って思いついたのが、ハイフネーションである。英語圏では結婚などで名前が変わった場合、新旧2つの名前をハイフンでつなぐ場合がある。そうだ、というわけで、私は論文を書く場合の著者名をOkuno-Fujiwaraにした。こうしておけば、大学などからの招待状のあて先を見れば、奥野と藤原が同一人物だということが歴然となり、イスラエルでのような問題はなくなるだろう、というわけである。

 後で知ったのだが、英語圏でハイフネートするのは、高貴な生まれの人に限られているらしい。そんなこともあり、外国人には時々興味津々に名前の由来を聞かれて面はゆい思いをする。とはいえ、結婚して名前が変わった女性研究者を中心に、ハイフネートする人が増えているのも事実である。

 英語の社会ではハイフネーションで解決した問題も、国内では簡単でなかった。勤務先では、研究室の名前や印刷物などすべてが、藤原名にさせられたからである。外部向けには時々、奥野(藤原)といった名前を使ってみるのだが、少し異様な感を与えるようで、日本では通称と戸籍名を場合々々で使い分けてきた。冒頭に述べた裁判での証言依頼も、そんな理由だろう。しかしそれは結果的に、様々な問題も引き起こした。例えば、ゼミの学生諸君には自分の所属ゼミを、藤原ゼミと呼ぶべきか、奥野ゼミと呼ぶべきか、さぞ面倒な思いをさせたことだろう。とはいえさすがに日本でも、世間の常識が変わってきた。通称を使用することに対する抵抗感も少なくなり、私の場合も、勤務先や外部の仕事で、通称を使用できることが多くなった。

 このように通称使用の問題は、解決されつつあると思うが、まだ解決されていないのが、選択的夫婦別姓の問題である。すでに旧姓で社会的活動をしている女性にとって、結婚によって戸籍名が変わると、いくら通称として旧姓を使うことを許されたとしても、パスポートなど、戸籍名を使わざるを得ない場合も多い。グローバル化が進む現代、結婚しても旧姓のままで戸籍を作ることを選択できれば、女性の社会進出や国際的な活躍の場を広げられるのではなかろうか。

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