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書斎の窓

自著を語る

『新・シネマで法学』

――「シネマで法学」論または「法学でシネマ」論

九州大学大学院教授 野田 進〔Noda Susumu〕

野田進,松井茂記/編
A5判,300頁,
本体2,500円+税

1 『新・シネマで法学』発刊

 帯にくっきりと記された「世紀をこえて戻ってきた。」という名コピーは、本書の編集者によるものであり、これで数百の読者を増やすことができると、私は確信している。「世紀をこえて」というのも、決して誇張ではない。というのも、本書はもともと2000年11月に『シネマで法学』、次いで2004年5月に『シネマで法学 新版』として発刊されていたのが、このたび『新・シネマで法学』というタイトルで上梓されたものである。20世紀は2000年12月31日までをいうから、初版はぎりぎり20世紀であり、たしかに世紀を超えている。

 『新・シネマで法学』は、新版と比べると、50頁ほどスリムになり、章立て(FILMと称している)も22から17に減量した。法学入門のテキストとしての性格を明確にして、2単位の講義回数を意識したからである。

 執筆のコンセプトは、新版と大きく変わってはいない。これまで同様、法学入門の一般的な体系のなかで、各法分野のエッセンスをとらえたメインのシネマを紹介し、映画のテーマやプロットとともにそれぞれ入門講義を展開している。また、関連の映画があれば、どしどし織り込んで、シネマを通じて法律学の興味をかき立てる手法である。

 しかし、新版から10年も空きがあると、取り上げるべき映画だけでなく、映画に込めて語るべき法の様相も異なってしまった。私の執筆担当した労働法分野でいうと、初版では「ブラス!」というイギリス映画(マーク・ハーマン監督、1996年)をメインにして、労働組合主義や終身雇用制の終焉とそれに伴う労働法の変容を論じた。新版では「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督、2002年)をメインにして、幕末下級藩士の雇用実態からやはり終身雇用制の終焉を論じた。しかし、2014年ともなると、雇用の現場や学生達の意識の中でも、そもそも終身雇用などとっくに終焉しており、論じることじたい時代遅れの観がある。今回は、「この自由な世界で」というイギリス映画(ケン・ローチ監督、2007年)をもとに、労働者派遣や外国人労働者の法政策を取り上げて、労働法分野における規制改革を論じた次第である。このように、映画の新作が続出するのと同様に、法を取り巻く情勢も次々と変わる。10年も空けることは、読者には大変申し訳ないところであり、その事情(言い訳)は本書のはしがきに書いたとおりである。

2 本書を利用した「法学入門」

 私は、本書を用いて、勤務校である九州大学で、法学入門の授業を数年間かけて行っている。そこでは、2つの授業方法を用いており、それぞれに有意義な経験をしたので、ご紹介したい。

(1)サディスト(キューピッド?)的手法

 1つは、200名近い学生が受講していた文系他学部向け法学入門(1年生)の講義で行ったものである。90分授業の最初の30分に、メインシネマの冒頭30分だけを教材として放映し、映画のコンセプトが伝わり始めた頃に機械的にビデオ放映を打ち切ってしまう。その瞬間、学生の不満と抗議の悲鳴が上がるが、これを無視してサディスティックに残り60分の講義を開始するのである。映画の中で本書の触れている法学関連の部分だけを切り取って30分に編集することも考えたが、それは作品の完成度をそこなうことになるので、学生の不満を無視して最初の30分でぶち切る方式にした。授業では、本書の各章の論述にしたがいそれを補足する講義を進めつつ、映画の残りは自分で見るように指示することももちろん怠らない。60分の講義であるが、最初の30分で問題意識が鮮明になっているから、学生の知識吸収には効果的であり、期末テストのレベルも高かったように思う。

 こうしたサディスト講義から、10年ほど経った昨年、私はとても感銘深いお話を伺った。ある仕事をともにした、臨床心理士としてご活躍の女性から、「私は、先生の法学入門の授業のおかげで結婚できたんですよ!」と、打ち明けられたのである。教育学部(心理系)の学生の皆さんは、私の授業に我慢ならず、毎週の講義後に映画全編の鑑賞会を開き、自主的に勉強しようということになった。それを繰り返しているうちに、彼らはすっかり仲良しになって、彼女と彼は卒業後にゴールインしたのである。本書と私の講義は、愛を取り持つキューピッドになった。めでたし。いつまでもお幸せに。

(2)学生丸投げ方式

 もう1つは、法学部2年生の低年次ゼミ(2単位)の授業で行った方式である。約20人のゼミ形式の授業だが、15回のうち最初の5回はテキストを使って上記のサディスト方式で行う。そして、残りの10回については、学生を2名ずつ10グループに分けて、本書の執筆とできるだけ同じ構成でゼミ報告をさせたのである。すなわち、学生は、法学や社会問題に関する映画とテーマを自分で選定した上で、本書と同様に、映画のストーリーやコンセプトと、そこに示された法学上の課題をプレゼンし、その上で、他の映画も交えつつ、問題を掘り下げて論じる。私からは、取り上げる映画さえ指示せず、まったくの丸投げという方式であった。

 にもかかわらず、彼らは自分なりの問題意識で実に適切な映画を選んでいた。当時の「新版」では、メインシネマとして取り上げていなかった、アメリカ映画「エリン・ブロコビッチ」(スティーブン・ソダーバーグ監督、2000年、本書FILM3)、あるいは「それでもボクはやってない」(周防正行監督、2007年、本書FILM13)を、学生はすでに自主的に取り上げていた。その他では、中国映画の「變臉 この櫂に手をそえて」(呉天明監督、1996年)を取り上げて児童売買問題を、また「39 刑法第三十九条」(森田芳光監督、1999年)を取り上げて心神喪失者の責任阻却問題などを論じていたのが、記憶に残っている。1年生で刑法総論を勉強した学生が、2年生でこの刑法39条を扱った映画を自ら論じるのは、すぐれた学習効果につながると思われた。

 彼らの報告はどれもよくできていて、そのまま『法学教室』に売り込んで連載していただきたいほどであった。それは、彼らに映画鑑賞から生じた、学習意欲や動機付けがあったことによるのはもちろんである。しかし、それだけでなく、シネマから法学のテーマを論じるという「約束ごと」が、かえって彼らの法学研究への垣根を低くし、取り組みやすくなったからではないだろうか。学部ゼミナールでの判例研究でもそうだが、研究のフォーマットが定められていることは、学生には効果的な学習法となる。シネマで法学という枠付けも、そのようなフォーマットを提供するもののようだ。

3 「法学でシネマ」?

 以上の通り、本書はシネマを通じて法学を学ぶ入門テキストである。しかし、シネマと法学とのかかわり方は、こうした関連だけではない。これとは反対方向の関わり方もあるのではないだろうか。すなわち、法学を通じてシネマを学び・論じるという、「法学でシネマ」という関連性である。

 筆者がたまたまフランスの書店で見つけた書物であるが、『労働︱︱法とシネマの間に』と題する論文集(1)がある。この本の組み立ては、「第1部」を、「労働︱︱映画による題材と挑戦」とし、「第2部」を、「映画︱︱労働法における研究の道具」とする。

 第1部では、シネマの観点から労働または労働法を研究対象とするものであり、いわばカメラ目線でとらえた労働(法)という観点である。総論では、原初的な労働(2)、工場労働、第3次産業における労働などが説明され、各論では、特にアメリカ映画での、商業主義的な戦争映画(軍国主義的であれ反軍国主義的であれ)、アメリカン・コメディに見る労働、ローラン・カンテ監督のフランス映画「ヒューマン・リソース」(3)を素材にした企業における「従属関係」を論じる論考が掲載されている。

 一方、後者の「第2部」は、労働法の観点からシネマを論じようとするもので、第1部とは反対に「労働法目線」で映画を論じる方向性である。各論では、児童労働に関するイタリア映画、「フランス映画(1981年以降)に見る労働法の発展と企業社会」、さらには、多様な労働者像を描いた数多くのアメリカ映画から抑圧的な企業労働が論じられている。

 以上のように、この書物は労働法あるいは労働社会学・労働史に関して、「シネマと法の間」での双方向での往来を論じる研究書であるが、私は、こうした手法を、法学一般に敷衍できないだろうかと考える。すなわち、我々の新著『新・シネマで法学』は、シネマを通じて法学を学ぶ(論じる)という方向を目的とするものであるが、むしろ法学上の課題からシネマを論じる(学ぶ)という方向性も主張したいのである。そしてできれば、このフランスの書物のように、例えば労働法などの各法分野について、シネマから労働法を論じ、かつ労働法からシネマを論じるという双方向の面白さを楽しみたい。

 しかし、こうした「法学でシネマ」研究には難関が予想される。第1に、かかる研究は、シネマ論のウエイトが高まるので、執筆者には法学の専門家であるだけでなく、さらに「映画大好き!」の資質が求められる。第2に、「法学でシネマ」を論じる書物は、法学の入門書とはいえないので、純然たる法学入門のテキストとしては使えず、教科書出版には位置づけられない。しかし、私は、法学の研究者や弁護士さんで、私などよりはよほど映画に造詣の深い、「3度の飯」より映画大好きの先生方がおられるのを知っている。このような企画なら、書きたい、読みたいという人は多いと思うのである。

 以上、『新・シネマで法学』の発刊を喜ぶとともに、「法学でシネマ」の企画をここに提案させていただいた次第である。

 

(1)Le travail, entre droit et cinéma, sous la direction de Magalie Florès-Lonjou (PUR, 2012). 同書の「はしがき」を、collège de France所属のAlain Supiot教授が担当しておられる。私はたまたま今年の9月に同教授を訪ねてインタビューをさせていただいたが、同教授も映画ファンであることを知って親しみを覚えた。

(2)新藤兼人監督の「裸の島」(1960)が特に重視されている。

(3)Laurent Cantet, Ressources Humaines, 1999. 残念ながら日本では放映されていないようで、私も未鑑賞だが、あらすじや予告編動画からすると、週35時間労働制にともなう現場の混乱や経済的解雇の実施など、生の労働法令の動きを反映した作品であるようだ。なお、同監督の最近の作品には、2008年「パリ20区、僕たちのクラス」(原題 Entre les murs)という教育現場の生々しいタッチの映画があり、これは私も岩波ホールで鑑賞した。

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