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書斎の窓

コラム

「寛容」という「生地」の質感を求めて

――『寛容と人権』と『政治的寛容』との交叉

弁護士、元北海道大学大学院法学研究科教授 中川 明〔Nakagawa Akira〕

 私は、2013年6月、『寛容と人権』と題する一書を、岩波書店から上梓した。「憲法の「現場」からの問いなおし」というサブタイトルを付した書には、私がひとりの実務法曹として40年余りの間取り組んできた裁判例・問題群のなかから、〈国籍、宗教、子ども、教育、障害、国家シンボル(国旗・国歌)〉に関して書き留めたものを抽出し収録している。

 そこで私は、法実践の場において耐えうる問題解決概念(concept)として、「人権」と並んで「寛容」を挙げ、R・ドゥオーキンのいう「最善の光(in the best light)」を、私がかかわった「憲法の現場」に照射することによって見えてくるものを描き出そうと試みた。

 「比喩的にいえば、2つは、いわば「寛容」という「生地」のうえに、「人権」という「柄」が組み合わされ織り成されて、真に実用的な織物となり、あるいは、「寛容」を横糸にし「人権」を縦糸として紡ぎ出されることによって、着用に耐えうる織物となりうる、と言い表してよい」だろう。「2つは、そのいずれをも欠くことができず、2つの微妙な組み合わせと相互作用、互いに交叉し引き合い押し合う「緊張関係」の裡に、問題解決にあたっての実践的思考のありようと課題が示されている」(はしがき)。これが、私に見えてきた像であった。むろん、「法的問題解決のための実践的処方箋として、「寛容」に相応の意義と役割を見出しうるとしても、そこに危うさがないとは言えず、時に綱渡り的な実践的思考に陥る可能性も否定しきれない」(あとがき)ことも自覚したうえでのことであった。

 そのうえで私は、「J・ロックの『寛容についての書簡』が物語るように、近代「寛容」思想は、良心の自由を導き出すとともに、生命・身体の安全・名誉の保持(プロパティ)をはじめとする近代の「人権」を生み出す原動力ともなっている。源流としての「寛容」は、「人権」を導き出し生み出すとともに、「人権」の基底にあって人権を豊かに育てる礎や支えともなっている」(はしがき)と書き記したものの、源流としての「寛容」思想については、故種谷春洋教授(大阪市立大学)の『近代寛容思想と信教自由の成立』(成文堂、1986)の他には、スーザン・メンダス『寛容と自由主義の限界』〔谷本光男他訳、ナカニシヤ出版、1997〕(Susan Mendus “Toleration and the Limits of Liberalism”〈1989〉)とマイケル・ウォルツァー『寛容について』〔大川正彦訳、みすず書房、2003〕(Michael Walzer “ON TOLERATION”〈1997〉)などにより多少の知見を得ていただけであり、それ以上には及んでいなかった。

 

 この「類書を知らない、いささか趣きを異にした」拙い書を、旧知の有斐閣の編集者であるO氏に献呈させていただいたところ、O氏を通して、宇羽野明子教授が2014年3月に有斐閣より出版された『政治的寛容』〔大阪市立大学法学叢書〕(以下「本書」という)が送られてきた。

 「本書で考察対象とする寛容とは、16世紀後半のフランスで宗派対立が激化するなかで台頭する寛容思想の1つである。しかし、それはいわゆる良心の自由にもとづき異なる宗教を受容する宗教的寛容ではなく、むしろ公共の秩序と平和の維持という政治的理由により暫定的に国内で2つの宗派を受容しようとする政治的寛容la tolérance civileである。」

 このような書き出しではじまる本書は、私にとっては殆ど未知に近い世界を照らし出しており、教示されるところの多い書であった。今も続く法実務の合間をぬって、少しずつ繙くことにしたが、示唆に富む・興味深い論述に目を惹かれて読み耽り、仕事の予定を変更する結果となることもしばしばであった。

 宇羽野教授は、1580年に『エセー』を著わしたモンテーニュを、16世紀の政治思想を理解するために研究対象としてきたが、「彼の寛容観を近代的寛容思想の源泉という観点から理解することには違和感を覚えていた」(あとがき)とのことである。なぜなら、「宗教的寛容の特徴である「人間の誤謬性についての意識」、「他者の見解に対する尊重」、「神を知り礼拝する手段が多様であることについての確信」などが、政治的寛容を主張する者にも見られる」〈1頁注1〉)し、「宗教改革期の寛容の主張に見られる「良心の自由」、「抵抗権」については、近代の寛容思想の源泉、すなわち、基本的人権の土台となるとの見解」(13頁)もあるものの、「16・17世紀のフランス史は一見すると寛容と不寛容との逆説の連続をあらわして」おり、「この紆余曲折を経るフランス寛容思想の歴史のなかで……16世紀の「寛容」は、個人の良心の自由を尊重し、差異を受容するといういわゆる近代的寛容にみられる積極的な意味合いを持っていなかった」(13頁)からである。

 「もともとtoléranceという語は、「耐える、忍ぶ」の意味をもつラテン語toleroから、同じ意味のフランス語tolérer toléranceが派生した。代表的な用例として「苦痛に耐えることLa tolérance des maux」が挙げられる」が、「このtoléranceという語が「悪(不快なもの、嫌悪すべきもの)」の存在を前提とした言葉であり、本来はその存在を否定し排除すべきであるのに、あえてそれを承認するというネガティブな意味合いを持った語なのである。……当時の「寛容」は、異端という「悪」を前提としつつも、やむをえずの共存を受容するほかなかった」(14頁)のである。それゆえ、「本書で検討する政治的寛容は、本来的には共生不可能で排除すべき「悪」と考えられているものをその対象としながらも、ここではその「寛容」の対象をあえて「悪」とみなそうとはせず、むしろ共生可能なものとして、その存在を法的に許容していこうとする政治的な動きであった」(15頁)から、「16世紀の政治的寛容とは……王国の共通の紐帯としての「法」の下で、「政治的なるもの」によって暫定的な共存に向けた実践として特徴づけられ」(17頁)ていたのである。

 そして、「社会保全のための諸法によって確立された秩序」を意味する「シヴィリテcivilité」には、「共同体の共通の法、正義とそれを実現させるために必要な「つつしみ」、「適切さ」といった「政治的技術」が人間の固有性をあらわすものとして含意されていた」(39頁)ので、「政治的寛容にみられる法的包摂への実際の取組みの諸事例」を検証すると、「政治的寛容が「シヴィリテ」の伝統を背景にした共生(シトワイヤンとしての共生)を目指すもの」(171頁)であり、「暫定的であっても無原則なものではなく、シヴィリテによる共生、すなわち共生のために法=政治秩序をなすことを目的としたものであった」(200頁)と捉えることができるのである。

 こうして、「寛容とは、従来、価値の多様性の支持など、その理念にもとづく哲学的原理から理解される傾向にあった。しかし、その歴史的考察が示唆するところによれば、寛容は本質的には、共同の生を前提とする法=政治的原理に、とりわけ政治的技術・実践知に依拠するもの」であり、「当時の政治的寛容が、共生のための秩序をなすために、むしろ「暫定的」であるからこそ、現実の具体的状況にいっそう適切な共存のありようを追求することができた」のであるから、「それは「政治的なるもの」による平和的共存、シヴィリテによる共存として評価されるべきである」(200―201頁)というのである。そうだとすれば、「是認しがたい存在を暫定的であれ共生の対象として受容しようとする当時の政治的寛容は、政治思想として研究を掘り下げるのに十分値するテーマである」(あとがき)というのが宇羽野教授の辿り着いた地点であるように思われる。

 時を同じくして、障害のある子どもの教育を受ける権利をめざす裁判を共に担った、大谷恭子弁護士から、『共生社会へのリーガルベース』(現代書館、2014)が送られてきた。

 「“共生”とは……差別を克服しようとする人と人との関わりであり、それぞれのアイデンティティを尊重し、認め合い、助け合い、必要とし合い、許し合う関係」であり、「“共生社会”とは、この人間関係を支え、維持しうる基底となる寛容な社会を指す。寛容なくして人権も多様性も尊重することは難しい。しかも、この寛容さは、社会自身が自ら謙虚に過去の差別を反省し、現在を点検することなくしては成立しえない。」「“共生”は……孤立化し、非寛容さを増す社会にあってこそ、強く意識され、求め続けられなければならない」(はしがき)と大谷弁護士は喝破する。2つの書を同時に手にして、私は2人の女性の研究者と実務家に通底する同一なるものと奏でられる音の微妙なちがいを聴き取ろうと努めた。

 「立憲主義」は今日最も論争的なトピックの1つであるが、多様な価値や文化が存在している状況の中で、「立憲主義が、個人や社会に対して「寛容」であることを要求することにはかなりの無理があり、それが立憲主義を未完のプロジェクトとしている」(阪口正二郎「多様性の中の立憲主義と「寛容のパラドクス」」70頁、『岩波講座 憲法5』)ことは否めない。しかし、このプロジェクトの困難さを知悉していたJ・ロールズが、「公正で平和的な社会の協働の枠組みを構築しようとする」立憲主義が成り立つためには、「哲学それ自体に寛容の原理を適用する」ことだと説き(“Political Liberalism” p.10)、法に内在する「原理」を重視するR・ドゥオーキンも、「寛容は、自由への冒険に船出するために、我々が支払わなければならないコストである」(“Life’s Dominion” p.167)と指摘して、「寛容」が内に含んでいる有意性に着目している。むろん、リベラリズムの中核に「寛容」を据えるとしても、「寛容」が時に拒絶を知らない精神の怠惰を意味し、際限のない妥協に陥ることがないようにする必要がある。「異質的なものを同時に受け入れるには、精神のしなやかさと強靭さが共に求められており、更には持続的な「対決」に耐えうる能力(追求力)を必要とする」(はしがき)ことを片時も忘れてはならない。

 『寛容と人権』は、「法内在的規準原理として、二者択一でもなければ、二項対立でもなく、むしろ、両者の結び目の裡に問題解決の手がかりとしての有用性を見出すことができる」(はしがき)のである。「人権」という「図柄」を浮き立たせる「寛容」という「生地」の質感を手探りで求める私の旅は、まだ始まったばかりである。

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