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書斎の窓

コラム

先行研究を読むとはいかなる営みなのか

――大学院新入生への1つのアドバイス(下)

神戸大学大学院法学研究科教授 曽我謙悟〔Soga Kengo〕

5.どのように読むのか(3) ――読後の吟味

 文献を読み終わったあとは、すぐに次の文献に移るのではなく、吟味する時間をとるべきである。勉強不足を痛感している真面目な人ほど、読まなければならない大量の文献のことが頭にあるため、次の文献に早速、取りかかろうとするだろう。しかし、少し時間を割いて吟味の時間をとることで、その文献の読みは数倍深くなる。時間対効果を考えると間違いなくお勧めである。学習において予習・復習が重要であることは何度も耳にしてきたことと思うが、先行研究を読むにあたっても、文献選びという予習と読後の吟味という復習が大事なのである。

 吟味をする際に重要なのは、文献を見返さずに自分の頭の中でその文献について振り返ることである。そこでまず行うべきは、文献の骨組みだけをもう1度取り出すことである。因果推論を行っている研究ならば、何が従属変数(被説明変数)で何が独立変数(説明変数)だったのか、その2つをまず取り出す。こうすることで、自分の頭の中で操作できるところまで情報を圧縮するのである。そうして自分の中で操作できることだけが、自分の研究を行う際に本当の意味で「使える」情報なのである。従属変数と独立変数を取り出したら、両者の関係が論理的に説明できるか、それが成立しているという証拠は十分だったかを頭の中で再現してみる。文献やメモを見直さなければ、こうした作業ができないようであれば、その文献の理解が十分ではなかったということである。

 次に、その文献を書くためにどのような作業が必要であったのかについて検討を加えることも、のちの自分の研究に役立つ。文献に示されているのは研究の最終的な結果だけであり、その材料は示されているものの、具体的な作業のプロセスがすべて書かれているわけではない。どの程度の文献を読解する時間がそこには投入されたのか、どのような資料収集やデータセットの作成が行われたのか、執筆にはどの程度の時間が投入されたのかを想像してみよう。また、そこで不足している作業は何であり、どのように改善することができるのかについても考えてみよう。こういった検討のくせをつけることで、修士論文や博士論文を執筆するにあたり、どの程度の準備作業が必要で、それにはどの程度の時間がかかるのかを推測する精度が高まる。そのことは、それらの論文が時間切れで未完成に終わったり、不十分なものに終わったりするという失敗(きわめて多くの人が陥る失敗である)を避ける1つの方法である。

 最後に、全体としての評価を行う。その研究の広さ、深さ、新しさという観点が1つの基準となるだろう。因果推論を行う研究であれば、従属変数そのものの広がりや、従属変数と独立変数の距離が十分に離れていることが、研究の広さを形作る。従属変数、独立変数、データ、分析手法といった要素それぞれ、さらにそれらの関係をどこまで突き詰めているかによって研究の深さは違ってくる。そして、こうした広さや深さのいずれかの点で、先行研究にはない部分があれば新しさを形作る。広さ、深さ、新しさという3つを満遍なく満たしている研究もあるだろうし、どれか1つが突き抜けた研究もあるだろう。読み終えた研究に対して、自分はどのように評価するのか、理由をもって述べられるようにすることは、書かれたものに対する1つの敬意の表し方ともいえるだろう。

6.いかにして読んだことをまとめ上げていくのか

 ここまで先行研究をどのように読んでいくかを述べてきた。しかし1つ1つの研究を読むことで読むという行為は終わるのではない。複数の文献をつなぎ合わせていき、それらの関係までを理解することによってはじめて、先行研究を読んだといえるのである。1つ1つの研究を読むことをミクロの読解というならば、複数の研究の関係を読み解くこと、すなわちマクロの読解もまた、先行研究を読むという営みの重要な部分なのである。

 マクロの読解を、イメージとしていうならば、種々の研究を1つ1つ配置していくことにより、浮かび上がる地形を地図として描くということである。ある研究が刺激となって多くの研究を触発し、そこでの議論を拡張していくようにいくつもの研究が存在する。それはいわば、裾野が広く頂きも高い山である。その研究に対して反論を提示しようとする新たな研究のまとまりが生じているならば、その山に対峙する形で、別の山が成長している姿を描ける。それらの周囲に広がる平原は、まだ研究がなされていない研究のフロンティアである。

 そうした地形の描き方は1つではない。地図というものが3次元を2次元に投射したものであり、投射法の違いによって種々存在するように、マクロの読解の切り口というものも複数ある。従属変数を軸にした整理、独立変数を軸にした整理、分析手法を軸にした整理といった具合に整理の仕方を変えるたびに、ある研究と別の研究が近づいたり、離れたりする。そのように自由自在に研究と研究の関係性をとらえられるようになることが理想である。そうした整理の仕方については、レビュー論文を参考にしてみるとよいだろう。

 地形が描けたら、次はそれについて考察を加えていく。研究のまとまりとしてどこが分厚く、どこが手薄なのかを確認したら、なぜそうなっているのかについても考えてほしい。手薄なところは、意義が小さいからなのか、面白さがないからなのか、それとも難しいからなのだろうか。また、大きな研究群の中心となっている研究については、なぜそれが中心となりえたのだろうか。その研究のいかなる部分が、後続の研究を触発する要素となっているのであろうか。

 こうした考察は、自分自身の研究をその地図の中に位置づけていくときの基盤となる。自分の研究を位置づけたときに、それが荒野の中にあるのであれば、まだ読む文献の数が足りないか、自分の研究テーマが的外れかのどちらかだと考えた方がよい。自分が何百年に1度の天才だという自信がない限り、孤高の研究を行うことは避けるべきである。先人のこれまでの蓄積は相応であると思うべきなのであり、そうであるならば必ず自分の研究の近くには先人がいるはずである。

 逆に、自分の研究の周りにすでに多くの研究があることはむしろ喜ぶべきである。自分の研究テーマが意義深いものであり、研究が可能なものであるとも考えられるからである。実際にはこういう場合、すでに多くの研究がなされていることを知って、その研究テーマを諦めてしまう人が多い。しかし、すぐに諦めるのはもったいない。違う描き方で描いてみると、自分の周りにいた研究が離れていくことはないかと考えるのである。それは差異化の方法を考えるということである。言い換えるならば、研究は大穴を狙うものではない。ニッチ(隙間)を狙うものなのである。そして隙間は自ら見出すものなのである。

7.附記――同業者の皆さまへ

 本稿は、いかにして先行研究を読むのかという問いに対する、1人の政治学者の回答である。いかに読むかとは、先行研究がいかなるものであるかに規定される以上、法学には法学の、経済学には経済学の、社会学には社会学の読み方があると思う。そうした相違を考えていくことは、それぞれの学問のあり方を考える契機ともなるであろう。

 しかし、多くの部分は学問分野を問わず、共通しているのではないかと思う。そしてそれらは、研究者にとっては当然の事柄であるだろう。しかし現在の大学院生は、こうした当然の事柄を知る機会をもっているだろうか。

 実験を行う際には実験ノートに記録をとり、実験結果を保存し、整理しておくことは、自然科学の研究におけるイロハである。それは再現可能性を担保することによって、他者による追試を可能とし、確実に知識を積み重ねていくという科学の根幹をなすことである。しかしそのことがきわめて基礎的であるということは、それを行うことが容易であることを意味しないし、またそれが確実に教授されることを保証するものでもないだろう。

 同じように、先行研究を読むという行為は、人文・社会科学分野の研究における基礎をなす。しかし、やはりそれは、簡単な営みであるとは到底いえない。だからこそ、講義、演習やそれ以外の場で折にふれ、指導教員が身をもって示し続けることを通じて、長い時間をかけて教授されてきたのであろう。そうした方法でしか伝えられないことがあることは確かである。けれども同時に、先行研究の読み方を、できるだけ明示的な形で示す努力がなされているのかといえば、必ずしもそうではなかったのではないか。学術研究というものは、秘技や秘伝に頼ってはならない。できるだけ明快に、その研究を成り立たせる営みを説明していくこともまた、研究者の1つの義務ではないかと筆者は考えている。

8.数日後のキャンパス

 「センセイ、ありがとうございました。今までもやもやしていたことが、すっきりしました。でも、自分で実践できるかといわれると自信はないです。」

 「1番いい方法は、自分の「読み」を他の人に話すことですよ。ちゃんと読んだなら、自分はこういうふうに読んだということを、他の人に話したくなるもんです。」

 「なるほど。だから、センセイは、ゼミで誰よりも楽しそうなんですね。時々、ドヤ顔してますものね。」

 「……」

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