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書斎の窓

連載

ドルチェ国際法

第4回 世界で最も不思議な土地

東京大学大学院法学政治学研究科教授 中谷和弘〔Nakatani Kazuhiro〕

 世界には2カ国以上が領有権を主張する土地が多数存在するが、逆にどの国家も領有権を主張していない土地は今日存在するだろうか。意外なことに2つある。1つは南極の一部である。南極は、英国、フランス、ノルウェーといった探検国やオーストラリア、ニュージーランド、チリ、アルゼンチンといった南半球の近接国が南極大陸の一部に領有権を主張している(2カ国の主張が重複する土地もある)が、西経90度から150度までの土地はどの国家も領有権を主張していない。この土地はMarie Byrd Landと呼ばれている(この地名は米海軍提督の妻の名前に由来する)。なお、南極条約では、南極に対する領土権・請求権は凍結状態となっており、無主地とも共有地とも規定した訳ではない。将来、この凍結状態が「解凍」された際に自国領土に有利な証拠を作成すべく、アルゼンチンは妊婦(基地勤務の軍人の妻)を南極基地に空輸した。妊婦は基地内で1978年1月に男児を出産した。

 どの国家も領有権を主張していないもう1つの土地は、エジプトとスーダンの境界に位置するBir Tawil(面積は2,060平方キロメートル、ほぼ無人の山岳砂漠地帯)である。スーダンは1899年から英国とエジプトの共同領有(condominium)となりエジプトとスーダンの国境は北緯22度に定められたが、1902年に英国が土地の実際の利用状況を反映させた行政上の境界を設定した。Bir Tawil は北緯22度以南にあるがその北東(北緯22度以北)にあるHalaʼib Triangle (面積20,500平方キロメートル)はBir Tawilよりも広大で価値のある土地である。それゆえ、両国ともHalaʼib Triangleを自国領にしようとして、エジプトは1899年の合意で定められたように北緯22度で国境を引く(これによるとHalaʼib Triangleはエジプト領、Bir Tawil はスーダン領となる)べきだと主張し、他方、スーダンは1902年の行政境界に従う(これによるとHalaʼib Triangleはスーダン領、Bir Tawilはエジプト領となる)べきだと主張した。価値の乏しいBir Tawilはエジプトもスーダンも領有権を主張せず、第三国による領有権の主張もなく、結果として無主地として残った。もっとも現在は、エジプト軍が駐留してエジプトの支配下にある(Halaʼib Triangleも同様)。

 Web上ではKingdom of Bir Tawilが独立を宣言して憲法を作成したり、2014年6月には米国人が「娘を将来王女にしたい」との理由でBir Tawilを訪問して旗をたてて領有を宣言したり、といった楽しい(?)動きもある。ちなみにBir Tawilはアラビア語で「高井戸」という意味のようだ(杉並区と姉妹協定を締結することはないだろうが)。新たな観光スポットとしてエジプト観光省が売り出す予定はなさそうである。

 次に国境をまたがる不思議な建物について。米国のバーモント州のDerby Lineとカナダのケベック州のStanstead の境界にあるHaskell Free Library and Opera Houseはこの「地の利」を最大限活かして1904年に建設された。オペラハウスと図書室の床には黒い線(国境線)が引かれ、オペラハウスのステージ、客席の一部、書棚、読書席の半分はカナダ領、オペラハウスの客席の大半、読書室の半分、出入口は米国領となっている。

 ジュネーブの北にあるLa Cureというフランスとの境界に位置する小さな村にあるHotel Arbezは、両国の国境をまたいで所在しており、2つの客室のベッドは頭部がスイス領、脚部がフランス領に属する。別の客室は、ベッドはスイス領にあるがバスルームはフランス領にあるため、この部屋の宿泊客は国境を越えて用を足しに行くことになる。第2次大戦中、ドイツの兵士は、このホテルのフランス領内には入れた(ドイツはフランスを占領していた)がスイス領内には立入れなかった(スイスは中立を保持した)。面白いことに、2階に通じる階段はスイス領内にあったため、ドイツ兵は2階に行くことはできず、2階部分はレジスタンスの隠れ家になった。また、アルジェリア独立の条約交渉に際しては、中立の場所が必要だということでこのホテルで交渉が行われた(交渉は1962年にエヴィアン条約として結実した)。La Cureはかつてはフランス領だったが、1862年のDappes条約により別の土地と交換にその一部がスイス領となり、但し「批准時に現存する建物には影響しない」との規定が同条約にあったため、ここに目をつけた事業家が急いでスイス領に食料品店をフランス領にバーを建造して一儲けしようと企んだのが、Hotel Arbez の由来である(建物は1921年にホテルに改造された)。

 スロベニアのObrezjeとクロアチアのBreganaにあるKalin Tavern and Innという築180年のバーの半分はスロベニア領、残りの半分はクロアチア領である。いうまでもなく1991年のユーゴスラビアの解体によってこのような国境バーが出現したのだ。

 次に飛び地について。世界で最も複雑な2つの飛び地は、オランダ・ベルギー間にあるBaarle Nassau/Hertog (オランダの飛び地がBaarle Nassau, ベルギーの飛び地がBaarle Hertog)とインド・バングラデシュ間にあるCooch Behar である。Baarle Nassau/Hertogは、オランダ南部のブレダ (ニューヨークを英国領、スリナムをオランダ領と定めた1667年のブレダ条約で有名)の郊外にある。こののどかな村には役場や郵便局など主要な建造物はオランダのものとベルギーのものがあり、玄関に両国の住所表示がある建物もある。1989年に現地を訪問した際にあるレストランに入った所、天井に線が引かれており、店の人はこれが「国境線」で厨房から客席に料理を運ぶと「貿易」になると言っていた。国際法上、特に興味深いのは、オランダ・ベルギー両国間にこの地をめぐって領土紛争が生じ、国際司法裁判所が1959年に「特定の国境地域に対する主権」事件判決を下したという事実である。この事実は、オランダとベルギーという国境のバリアが世界で最も低いといってよい国家間においても領土は譲れない問題であることを裏から雄弁に物語っているといえよう。

 Cooch Beharはインドのウェスト・ベンガル州とバングラデシュの国境に所在する村である。Baarle Nassau/HertogとCooch Beharの両者を実地研究してメルボルン大学で博士号を取得したBrendan Whyteという地理学者の知人がいるが、彼の2002年の研究によると、世界には258の飛び領土があり、うち198はCooch Beharの、30はBaarle Nassau/Hertogの飛び領土である。他には旧ソ連諸国に15の飛び地があるのが目立つが、面白い所では、キプロス島にあるデケリア主権基地地域(Sovereign Base Area of Dhekelia) という英国の海外領の中に4つのキプロスの飛び地がある(うち2つは発電所となっている)。Baarle Nassau/Hertogは住民にはほとんど生活上の不便はない(オランダ領内にある郵便局から近隣のベルギー領内の家に郵便を送る方がアムステルダムに送るよりも郵便料金が高いといった現象はあった)が、Cooch Beharの住民(約75,000人)は不便を強いられてきた。あるバングラデシュの飛び地の住民は、インド領を通過して村内の別のバングラデシュの飛び地に行くのにもインド側の許可を要するため苦労してきたが、ようやく1992年に、両国の合意で朝6時から正午まで及び午後1時から7時半までの時間帯に限って自由通行が認められるようになった。

 Cooch Beharには、なんと「バングラデシュ領内のインド領内にあるバングラデシュ領内にあるインド領」という世界で唯一の「飛び地の中の飛び地の中の飛び地」(counter-counter-enclave)さえ存在する。Dahala Khagrabariと呼ばれるこの「三重飛び地」はジュート畑になっている。ここを舞台にした面白い試験問題が作成できそうだ。まさに「合わせ鏡」の世界である。

 「合わせ鏡」現象は、一国内だが島にある湖(そしてその中にある島)についても存在し(こちらは人為的なものではなく自然現象だが)、世界最大の「島にある湖の中にある島にある湖」(lake on an island in a lake on an island)及び世界最大の「島にある湖の中にある島にある湖の中にある島」(island in a lake on an island in a lake on an island)で世界最大のものは、それぞれマニラの南約70キロに位置するTaal 湖というカルデラ湖の中にある。

 Cooch Behar における不便を解消するため、2011年9月に飛び地を交換する協定がインド・バングラデシュ間で合意された。バングラデシュは批准済だが、インドは未批准のようである。まさか世界唯一のcounter-counter-enclaveを残しておきたいというのが批准をためらっている理由ではあるまい。

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