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巻頭のことば

経済学とその周辺

第5回 経済学とゲーム理論

武蔵野大学経済学部教授 奥野正寛〔Okuno-Fujiwara Masahiro〕

 よく知られているように、ゲーム理論は、20世紀の「知の巨人」フォン・ノイマンが、経済学者のモルゲンシュテルンと共同で作った応用数学の一分野である。複数のプレイヤーの相互依存関係とそこでの駆け引きを分析する道具として作られたが、徐々にその難解さが敬遠され、1960年代には、経済学界でも低い評価しか与えられていなかった。当時、私が学部教育を受けた東京大学では、ゲーム理論のことなど聞いたこともなかった。

 私が米国スタンフォード大学の大学院に留学したのは1969年からの4年間だが、その間夏になると、当時ハーバード大学に移っていたケネス・アローが主催して、スタンフォードでサマー・インスティチュート(IMSSS)が毎年開かれた。世界から何十人もの優秀な研究者を集め、2か月ほどにわたって毎週セミナーを開催し、様々な共同研究が行われた。

 幅広い学識と深い洞察力を持つアローは、当時冷遇されていたゲーム理論に着目し、のちにノーベル賞を取ることになるロバート・オーマンをはじめ、多くのゲーム理論家を招き、ゲーム理論を経済学に導入しようとしていた。このような背景のもと、オーマンが当時のゲーム理論を展望する連続講演を行ったのは、確か1971年のIMSSSだった。

 オーマンの講義をはじめ、当時IMSSSで集中的に議論されたのは、「協力ゲームの理論」だった。協力ゲームとは、2人以上のメンバーからなる社会を考え、その中で一部または全部の関係者がグループ(提携と呼ぶ)を作り、グループの構成員にいくらずつお金を配るか(配分と呼ぶ)についての拘束力のある契約を結ぶことが可能なとき、どんな提携が生まれ、どんな配分が実現するかを研究する研究領域である。拘束力がある契約とは、いったん契約を結べば、契約内容を履行しないと裁判所に訴えられるから、契約内容を履行せずにおれない契約である。

 例えばA、B、C3人からなる社会で、1人だけでは何も得られないが、2人が提携を結ぶと総額200万円、A、B、C3人なら300万円の所得が得られるとする。この時、A、B2人で200万円を等分する契約を結ぼうとしたとしよう。阻害されてしまったCは0円の配分に甘んじる代わりに、A、C2人の提携を結ぼうとAに声をかけられる。Cが、自分は80万で我慢して、Aには120万与えるといえば、Aは提携A、Bの代わりに、A、Cの提携を結ぶことに合意するだろう。このようなプロセスを考えれば、A、B、C3人全員の提携を作り、得られる300万円を3者で等分するのが安定なことがわかる。

 念のために言っておけば、契約に拘束力がなければ、上記のプロセスでCがAに、Cは80万、Aは120万の配分をしようといっても、Aはそれを信じないかもしれない。契約をしても拘束力がないなら、事後的にCは80万で諦める代わりに、100万以上を取ろうと画策するかもしれないからである。

 アローやオーマンの努力もあり、1980年代には経済学にゲーム理論が根付き、急激に発展することになった。ただ、経済学で発展したのは協力ゲームではなく、拘束力のある契約ができない状況を扱う「非協力ゲームの理論」だった。寡占企業間の競争や、労働者同士の協力、恋に焦がれる恋人たちとそのライバルなど、企業や人々の相互依存関係やそこでの駆け引きを考える場合、拘束力のある契約を結べる場合は少ない。競争と協調に注目する経済学では、やはり非協力ゲームに人気が集まった。

 1990年代ごろからは、非協力ゲームの研究が百花繚乱のごとく花開き、ノーベル経済学賞の多くはゲーム理論関連といっても過言ではない状況が続いている。このように、今では経済学にとって、ゲーム理論はなくてはならないものになった。ただ、2012年のノーベル賞が与えられたマッチング理論のように、協力ゲームにも再び光が当てられている。この年の受賞者であるアルヴィン・ロスは、この連載の第2回と第3回で触れた、最後通牒ゲームの実験で主導的な役割を果たした研究者でもある。日本人がノーベル物理学賞を取った青色LEDの研究ではないが、多くの研究者が将来性を見限った分野でも、自分に関心があれば、諦めずに研究を続けることで、素晴らしい発見が生まれることがある、という事実の証だろう。

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