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書斎の窓

自著を語る

実定法学としての社会保障法

――『社会保障法』を刊行して

早稲田大学法学学術院教授 菊池馨実〔Kikuchi Yoshimi〕

菊池馨実/著
A5判,552頁,
本体4,600円+税

 このたび、拙著『社会保障法』(有斐閣、2014年6月)の刊行を機に、本誌への寄稿を依頼された。社会保障法という法分野について知っていただく一助となれば幸いである。

社会保障法という法分野

 社会保障制度をめぐる諸問題は、超少子高齢社会を迎えた日本の重要政策課題のひとつである。子育て・医療・年金・介護など、誰もが「ゆりかごから墓場まで」、社会保障制度の恩恵に浴している。

 わが国で社会保障制度が本格的に発展したのは、高度経済成長期を迎えた1960年代以降であり、それほど古いことではない。「社会保障」の名を冠した唯一の学会である日本社会保障法学会が設立されたのも、1982(昭和57)年であった。

 やや自虐的であるが、社会保障法はこれまでマイナーな学問分野であった。このマイナーさは、2つの側面から語ることができる。第1に、法学の中での位置づけである。国家予算の一般歳出における社会保障費の割合が50%を超え、「社会保障・税一体改革」が政権交代の一因となるなど、社会的な重要度・注目度の大きさとは対照的に、社会保障法の専任教員を置かない法学系の学部もいまだ珍しくない。幸いに筆者は、社会保障法担当の専任教員として職を得ているものの、ロースクール・法学研究科・法学部の関連科目を1人で担当している。たしかに、現在の法学系のカリキュラム編成では、専任は1人いれば十分ではある。

 第2に、社会科学の中での位置づけである。経済学・財政学・社会学・政治学・社会福祉学などの諸分野からも社会保障へのアプローチがなされる中にあって、社会保障法学者の言説が社会保障学界で注目され、政府内の会議等で一定以上の影響力をもつことは多くない(学問分野ごとのアプローチの違いについては、尾形裕也・小塩隆士・菊池馨実・栃本一三郎「座談会Ⅱ 社会保障研究へのアプローチ〜学問分野間の対話」『季刊社会保障研究』50巻1=2号〔2014年〕101頁以下を参照されたい)。

 社会保障法が学問分野として高い評価を得られてこなかったとすれば、ひとえに学界の力量不足によるところが大きかったと考えられる。マイナー科目から真の意味での「先端科目」への脱皮を図るためには、上記の2つの側面(法学研究と社会保障研究)で客観的に評価され得る水準の研究業績を地道に積み上げていくほかない。

学問分野としての水準

 学問分野の水準を図る物差しとなるのは、優れた学術論文や研究書の蓄積であると同時に、透徹した視点で描かれた単著の教科書や体系書の存在である。前者が学問領域それ自体を進化させ深化させる原動力となるのに対して、後者は他分野の研究者等に開かれ当該分野の水準を知るための「窓」となり得るからである。

 このうち前者については、最近、研究生活当初から社会保障法を専攻し(筆者らが第一世代である。それ以前は、労働法などを主専攻とする研究者が多かった)、堅実な比較法研究を土台とし、優れた学術論文や研究書を生み出す研究者が徐々に増えてきている(こうした観点から学界の基礎的研究の底上げを目指す学術雑誌として、岩村正彦・菊池馨実責任編集『社会保障法研究』がある〔第4号が2014年9月刊行予定〕)。これに対し、後者の蓄積はいまだ十分でなかったと言わねばならない。2000年代以降(改訂版を含む)、①岩村正彦『社会保障法Ⅰ』(弘文堂、2001年)、②荒木誠之『社会保障法読本 第3版』(有斐閣、2002年。以下『荒木・読本』)、③西村健一郎『社会保障法』(有斐閣、2003年。以下『西村・社会保障法』)、④堀勝洋『社会保障法総論 第2版』(東京大学出版会、2004年)、⑤西村健一郎『社会保障法入門 第2版』(有斐閣、2014年)を挙げ得るに過ぎない。このうち①と④は総論に特化したものであり、②と⑤はコンパクトなタイプの教科書である。本格的な体系書としては、③を挙げ得るものの、社会保障法領域では毎年のように大規模な改正が行われる中にあって、直近の法改正を踏まえた体系書はここ最近出版されてこなかった。

 こうした事情に鑑み、本書は、法制度の解説・裁判例の動向・法理論の展開などを織り交ぜながら、歴史的経緯を踏まえた社会保障法の到達点を明らかにすることを目指したものである。

 しかしながら、完成に至る道程は決して平坦ではなかった。本書の企画が通って以来、脱稿まで実に10年以上もの歳月を要したのである。本来であれば、研究書である『社会保障法制の将来構想』(有斐閣、2010年。以下『将来構想』)に先んじて本書を出版する予定であったにもかかわらず、編集担当である有斐閣書籍編集第1部の高橋俊文氏には、『将来構想』の先行出版後、3年半もの間、お待たせしてしまった。

本書について

 本書の内容に関しては、読者諸兄姉のご批判を仰ぐとして、以下では、本書の構成上、ある決断を下した2つの点につき、紹介しておきたい。

 第1に、政策論をどこまで組み込むかという点である。筆者は、憲法25条に社会保障法の規範的根拠をおく従来の通説と異なり、憲法13条を基盤とする「自由」の理念(あるいは「自律」基底的社会保障法論)の見地から、社会保障法制のあり方を論じてきた(『社会保障の法理念』〔有斐閣、2000年〕および『将来構想』など)。これまで個別具体的な社会保障制度のあり方について批判的考察を行ってきたこととの比較で言えば、本書での政策論の展開はやや物足りないかもしれない。たしかに、医療保障や児童福祉など、かなり謙抑的な分野もあったように思う。正直なところ、医療制度改革や子ども・子育て関連三法など、改正動向を追うのに精いっぱいであった面も否定できない。

 ただしこのことは、本書の性格との兼ね合いで意識的に決断したものでもある。他分野の研究者等に開かれ当該分野の水準を知るための「窓」となり得る体系書を目指す以上、前述したように、法制度の解説・裁判例の動向・法理論の展開などを織り交ぜながら、歴史的経緯を踏まえた社会保障法の到達点を明らかにすることが最大の任務である。筆者の持論は、現行制度から相当離れている場合もあり(たとえば、医療保険の保険者一本化論〔職域保険である健康保険と地域保険である国民健康保険の一本化〕など)、そうした持論を本書で本格展開するのは所期の目的に相反することになりかねないと考えた。

 第2に、各論部分の章立てである。憲法・民法・刑法などと異なり、わが国に社会保障法という名称の法律があるわけではなく、全体を通ずる総論の置き方、各論部分の構成には、著者の考え方がかなり色濃く反映され得る。たとえば、『荒木・読本』では、総論を第1章・第7章・第8章におき、各論(第2章以下)は「医療の保障」「年金保障」「労働生活に対する保障」「最低生活の保障」「生活障害に対する保障」から構成されている。また、『西村・社会保障法』では、「第1編 総論」の後、「第2編 各論」の内容として、「医療保険・老人保健制度」「年金保険」「介護保険」「労災保険」「雇用保険」「社会手当」「社会福祉サービス」「生活保護」が続く。わが国の社会保障制度に占めるボリュームからすれば、医療と年金が各論部の冒頭に来るのは十分合理的である。

 本書では、総論(第1章「社会保障とその特質」、第2章「社会保障法の理論と展望」)の後に、各論を配した(第3章「年金」、第4章「社会手当」、第5章「公的扶助」、第6章「労働保険」、第7章「医療保障」、第8章「社会サービス保障」)。医療保障を後ろに置いたのは、社会保障の法体系を、保障ニーズの性格に対応した給付内容の違いによって構成し、金銭給付たる所得保障法、サービス給付を中核とする医療保障法及び社会サービス保障法という3部門に分けたことによる。公的扶助と労働保険は金銭給付とサービス給付の両者の性格をもつため、中間部に置いた。公的扶助と労働保険との並列には、長期失業者・生活困窮者対策といった施策の重なりからすれば、積極的意義も認められる。ただし、こうした観点からすると、公的扶助と雇用保険の間に労災保険を置いたことに違和感をもたれるかもしれない。今後さらなる工夫を講じたい。

 「社会サービス保障」と題する章を置いたのは、第1に、高齢者への福祉サービス給付の主要部分が社会保険(介護保険)の仕組みを通じて提供されるに至り、「社会福祉サービス」の下での包摂が困難になったことによる。ただし、そうしたいわば形式的な理由にとどまるものではない。第2に、個人の自律・自立の支援が社会保障の目的であると捉える筆者の立場からすると、「自律(自立)支援」に資する制度には、伝統的に社会福祉の領域に含められてきた諸サービスにとどまらず、たとえば障害者に対する就労支援や未就学児に対する教育などを外縁に含んだ、対人社会サービスともいうべきものが広く射程に入ってくるからである。

次なる体系書を

 「はしがき」でも触れたように、本書は、日本の社会保障法学の理論的礎を築かれた荒木誠之九州大学名誉教授に捧げたものである。本年8月上旬、熊本・阿蘇の避暑地にて、念願かなって荒木先生に直接出版のご報告を申し上げる機会を頂けたのは、望外の幸せであった。とはいえ、今の段階に安住することなく、改訂の機会を得て、さらなる改善を図っていきたい。

 そうした個人的事情とは別に、本書が、荒木理論を土台としながら、『西村・社会保障法』と向き合い、実定法学としての社会保障法の本格展開を目指したように、これからの社会保障法学界を担う研究者諸氏には、本書をたたき台にして、次のステップの体系書・教科書の執筆を進めてほしいと切に念願している。

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