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連載

経営学者が考える環境・エネルギー問題

第1回 経営学者が環境・エネルギー問題を扱う理由

一橋大学イノベーション研究センター教授 青島矢一〔Aoshima Yaichi〕

はじめに

 私は、企業によるイノベーションプロセスを研究する経営学者です。これまで、自動車、半導体、デジタルカメラ、先端材料など、主にハイテク産業における技術/製品開発や技術戦略の分析を行ってきました。しかしここ数年は、環境問題やエネルギー問題に関わる研究をするようになりました。「温室効果ガスの削減、エネルギー供給、経済発展をいかに両立させるのか」がそこでのテーマです。ミクロの企業行動を研究対象とする経営学者があまり関与しそうにないテーマだと思います。

 伝統的にこうしたテーマを扱う学問領域としては、技術系では環境工学やエネルギー工学、社会経済系では環境経済学、エネルギー経済学、環境社会学などが、また政策面ではエネルギー政策や環境政策論といった領域があります。環境経営という概念や、関連する経営学の研究分野はありますが、それは、主として、企業の長期的発展に必要とされる環境との調和行動を扱うものであり、経営学者が、国のようなマクロレベルでの環境やエネルギー問題に関与することはあまり多くありません。

 環境/エネルギー問題のように政策的な意思決定が絡むようなテーマは、そもそも、経営学者の思考に馴染まないのかもしれません。経営学とは、誤解を恐れずに簡略化するなら、企業が社会に経済価値を生み出して、それを利益として自社内に取り込むメカニズムを、様々な側面から解明する学問領域といえます。もちろん、社会的責任や雇用責任など、企業には単なる経済目的以外の責務が求められますし、経営学もそうした側面を無視することはできませんが、それでも、営利企業を扱う限り、経済価値の創出を中心において研究することが一応は許されます。

 ところが、環境/エネルギー問題など、政策がらみの話となると、異なる利害間の調整を含め、目的自体が論議の重要な対象となります。だからこそ複雑な政治プロセスが必要になるのですが、それは、論理的に解を導くことができない、経営学者の研究としては厄介な題材となります。だから私も正直なるべく触れないようにしてきました。

 それにも関わらず、なぜこのような研究をするようになったのか。東日本大震災の影響は当然あります。その他、細かい理由もあるのですが、最終的には、「適切な環境/エネルギー政策を考える上で、経営学のもつミクロの知見が極めて重要である」と確信したことが理由です。

 最初のきっかけは、2009年6月に研究会で聞いた東京大学の生産技術研究所の金子先生の講演でした。講演では、京都議定書に対応して、自民党の麻生政権下で作成された1990年比で温室効果ガスを6%削減する案の説明があり、同時に、CO2削減の費用対効果の大きな順から様々な対策が表として列挙されていました。

 その表をみて「あれっ」と思ったことを鮮明に覚えています。CO2削減という点での費用対効果が「最も低い」対策として、最後に、薄型テレビと電気自動車という馴染みある製品が記載されていたからです。当時これら2つには膨大な税金投入(もしくは税制優遇)がなされていました。2009年といえば、家電エコポイント制度が始まった年です。薄型TV向けには既に大量の補助金の支出が予定されていました。自動車産業でも、エコカー減税やエコカー補助金などの政策的支援が行われていました。費用対効果の最も悪い分野になぜこのように大量の公的資金が投入されるのか。そう疑問に思ったわけです。

 環境やエネルギーの問題を、経済計算だけで考えてはいけないといわれるかもしれませんが、そのほとんどは経済問題に還元することができます。例えば、無限に資金があるのなら、全家庭に太陽光発電システムと蓄電池システムを配れば、環境/エネルギー問題の多くは解決します。それができないのは費用がかかるからです。

 となると、費用対効果の低い領域に税金を投入する理由は、産業競争力の促進(もしくは産業保護)以外には考えられません。短期的には経済性に乏しいけれども、長期的にそれらの産業で日本企業が競争力を獲得して、国際的な市場で多くの利益を得ることができれば、それは国の富として還元されます。それを期待しているのだろう、と推察はできましたが、本当にそのシナリオが成り立つのだろうかと、あらためて、経営学者として疑問をもちました。

 例えば2009年当時、既に、テレビ産業は技術的に成熟しており、東アジア諸国の分業体制で十分な性能の製品が製造できるようになっていました。設計と生産を行うODM企業、液晶パネルメーカー、ファブレスのIC設計企業、IC製造を請け負うファンダリーが垂直的に分業して、相手先ブランドで、誰にでも一定レベルのTVを供給できる体制ができていました。米国市場でトップシェアを獲得したVIZIOは、こうした分業体制を全面的に活用した典型例でした。日本企業の中にも台湾のODM企業を活用している企業はありました。となれば、液晶テレビの普及を促進することに税金を投入したとして、本当に日本企業の競争力強化につながるのだろうかと疑問に思ったのです。

 このように考える中で、多くの環境/エネルギー政策には重要な欠陥があり、それは経営学者のもつ視点で埋めることができそうだと直感的に思いました。環境/エネルギー問題を解決する対策(特に政策的支出)は、それが企業のイノベーションを促進し、企業が新たな経済価値を生み出し、そして企業が高い競争力を背景に多くの経済価値を自社内部に取り込むことを促してはじめて、長期的に帳尻が合います。しかし政策の説明において、企業行動を介したそうした長期的な効果を含むシナリオをみることはほとんどありません。ここに経営学が貢献できる大きな余地があると思いました。

エコポイント制度の罠

 このように考えて、すぐに同僚の清水さんとエコポイント制度(「エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業」)を対象とした研究を始めました。上述したように、エコポイントは企業の競争力強化にはつながらず、税金投入の帳尻が合わないと思ったからです。

 私たちの研究はその直感を裏付けるものでした。この政策のもと、7000億円にのぼる税金が投入されました。しかし、期待された環境効果はありませんでした。私の試算では、エコポイント制度の前後でTVの省エネ(CO2削減)効果は15%程度にすぎませんでしたし、最終的に会計検査院は、エコポイントの前後でCO2排出量は増大したという評価を報告しています。この期間に(2009年5月から2011年3月)、4000万台に及ぶTVが購入されましたが、消費者の多くが大型のTVに買い換え、また、買い換えサイクルも早くなったことが、環境効果を抑制していたわけです。

 経済効果としては、経済産業省が5兆円の経済効果とのべ32万人の雇用を生み出したという自己評価を報告しています。しかしこれはにわかには信じられません。経済効果には生産波及効果が含まれるため(最終製品が1つ増えるとそのために関連する生産活動が増える)、分業された産業であれば、それは投入された政府支出の何倍にもなります。それゆえ、5兆円という経済価値を生み出したというわけではありません。また32万人の雇用創出も、従来の実績に基づいて生産数量から推計しているので、実態を反映しているかどうか、疑問です。事実、もっとも人手を必要としたと思われる家電量販店のこの時期の正社員の雇用はほとんど増えていませんでした。

 このようにマクロでの環境効果と経済効果には疑問がありました。しかしそれ以上に深刻な問題は、この政策が日本の大手エレクトロニクス企業の凋落をもたらした可能性があることです。2012年3月期決算で、ソニー、パナソニック、シャープという日本を代表するエレクトロニクスメーカーが大幅な赤字を計上したことは記憶に新しいと思います。この状況は2013年3月期決算まで続き、例えば、パナソニックは2期合計で1兆5000億円にのぼる純損失を計上しました。

 3社の業績が大きく落ち込んだ大きな理由は、TV事業の不振です。2011年7月のアナログ停波(地デジ化)に対応し、エコポイントによる政策的な後押しがあり、国内市場では薄型TVの特需が発生しました。しかし、アナログ停波とともに補助金もなくなり、買い換えが一巡すると、当然のように、市場は急速に冷え込み、大幅な業績低迷となったわけです。

 国内市場の急速な拡大は輸入の急増をもたらし、市場価格の低下を助長し、国内生産のTVは競争力を失い、それがさらに輸入依存を高めるという悪循環が起きました。巨大な投資を行ったTV向けのパネル工場は稼働しなくなり、減損処理を余儀なくされました。分社化されたシャープの堺工場は台湾のホンハイの出資を受け、パナソニックは尼崎工場の生産を停止し、2013年にはプラズマTV事業からの全面的な撤退を発表することになりました。

 シャープとパナソニックが堺工場と尼崎工場への巨大な投資を決定したのは2007年頃です。当時は、企業が最高益を更新するような好業績の時期で、1ドル120円台という円安水準でした。この状況下で、両社は、世界市場を射程においたTVパネルの生産拠点を日本で構想したわけです。しかしこれらの工場が立ち上がった2009年時点には、すでに1ドル90円水準にまで円高が進んでいました。しかも技術は既に十分に汎用化されており、台湾の分業体制が台頭する一方、韓国のサムソンやLGは、ウォン安の追い風を受けて、世界市場での競争力を大幅に高めていました。こうした状況で、地デジ化とエコポイントは、日本のTV企業にとって「渡りに船」だったかもしれませんが、長期的には大きなダメージを受けることになりました。

 このような政策が立案され実行されたプロセスは別途分析し、そこには政策形成プロセスに特有の力学が働いていることも理解しました。しかし、上記のような帰結は、経営学的な視点からみれば、かなり自明のことです(ゆえに私はこの政策を当時から批判していました)。その自明なことがきちんと議論され、共有されることがないという問題は、政治の力学とは別に、改善可能な部分であり、経営学者の関与すべき部分だと思いました。そしてすぐに始まりつつあった再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度の対象となる太陽光発電システムに注目しました。薄型TVの場合と構図がほとんど同じに見えたからです。次回はその話をしたいと思います。

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