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書斎の窓

自著を語る

最初でつまずかないために!

――『ミクロ経済学の第一歩』の刊行に寄せて

日本大学大学院総合科学研究科准教授 安藤至大〔Ando Munetomo〕

安藤至大/著
A5判,262頁,
本体2,000円+税

はじめに

 みなさま、はじめまして。安藤至大と申します。わたしは2013年12月に『ミクロ経済学の第一歩』を有斐閣ストゥディアの1冊として出版しました。それにより、この『書斎の窓』に執筆する機会を頂いたわけです。

 さて本書は、タイトルからも分かるように、ミクロ経済学をはじめて学ぶ人向けの入門書です。本稿では、この教科書について簡単に紹介した上で、完成させるまでの間にどのようなことを意識していたのかを述べていきたいと思います。

 ところで『書斎の窓』の読者には、様々な分野の方がいらっしゃると思います。その中には「経済学は金儲けの学問だからキライだ!」とか「市場原理主義だからケシカラン!」などと思われている方も意外と多いかもしれません。

 そこでそのような誤解(?)を解くためにも、まずはミクロ経済学とはどのような学問なのかを簡単に紹介しておきましょう。

ミクロ経済学とは?

 ある南の島に、ワタベさんとオザキさんという2人の島民が住んでいました。そしてワタベさんはリンゴを1つだけ、またオザキさんはミカンを1つだけ持っていたとします。しかしワタベさんは、実はリンゴよりもミカンが好きでした。また反対に、オザキさんはミカンよりもリンゴのほうが好きでした。このとき2人が自分の持っている果物を交換すると、前よりも幸せになります。なにしろ、より好きなものを手にいれることができたのですから。

 ミクロ経済学で最初に学ぶことは、このように「合意の上で交換すると、交換する前よりも双方ともに得をする」ということです。このような交換の利益のことを専門用語では余剰といいます。そしてミクロ経済学では、この「余剰」を最大限に実現することを目的として、人々が自発的な取引を行ったほうが良いのはどのようなときか、また、政府が取引に介入したほうが良いのはどのようなときかという問題を考えていきます。

 「えっ、それだけ!?」と思われるかもしれません。もちろんゲーム理論の発展により、交換の利益を実現させる方法だけでなく、人々の戦略的行動や組織の内部構造などもミクロ経済学において扱えるようになりました。しかし「ミクロ経済学の第一歩」として学ぶのは、やはり市場と政府の役割分担のあり方なのです。

 というわけで、ミクロ経済学とは、金儲けの学問というよりは皆が前よりも幸せになるための方法を考える学問ですし、市場原理主義というよりは市場の役割と限界を考える学問だと考えて良いでしょう。

本書の構成

 それでは、本書の内容を簡単に紹介します。4部構成の第1部では、まず交換の利益とは何かを説明した後に、ミクロ経済学の目的とは「交換の利益を最大限に実現させること」だと紹介しています(第1章)。続いて、市場における取引を考える前に、個人の意思決定について理解する際に役立つ4つのキーワード「インセンティブ・トレードオフ・機会費用・限界的」を順に紹介します(第2章)。

 第2部では、完全競争市場とその性質について解説します。この「完全競争市場」という名前を見ると、なにか殺伐とした弱肉強食の世界を想像してしまうかもしれません。しかしこれは、人々の間の取引をとても円滑に行うことができる理想的な環境のことです。このような理想的環境を前提として、まず消費者の需要と生産者の供給について(第3章)、また需要量と供給量の釣り合いが取れている状態である市場均衡とその効率性について(第4章)、そして市場がある程度はうまく機能しているときには、人々の自発的な取引に対して政府が介入しない方が望ましいことを説明します(第5章)。

 第3部がこの教科書で最も大事なところです。ここでは、完全競争市場の前提条件が満たされていない状態(これを「市場の失敗」といいます)についての全体像を最初に紹介し、市場への適切な政府介入が行われることにより、人々が得る余剰が増加することを説明しています(第6章)。そして、独占のとき(第7章)、外部性があるとき(第8章)、公共財のとき(第9章)、情報の非対称があるとき(第10章)、取引費用が高いとき(第11章)という5種類の「市場の失敗」について、なぜ問題なのか、またどのような政府介入が必要なのかを議論します。

 第4部では、ゲーム理論の初歩を紹介します。まずゲームとは何か、またナッシュ均衡とは何かを説明した上で、ゲーム理論のアプローチを活用した制度設計について解説しています(第12章)。

インターネット上の講義資料

 この教科書のベースになったのは、政策研究大学院大学(長いので以下では政研大と書きます)で2009年より開講している「政策分析のためのミクロ経済学」の講義資料です。わたしの現在の本務校は日本大学ですが、最初の就職先が政研大だった縁で、いまでも講義や論文指導などを少しだけお手伝いしているのです。

 この講義は、公務員の方々を中心とした社会人を対象とするものです。そして受講者のほとんどは、これまでに経済学を学んだことがありません。しかし社会人としては豊富な実務経験があり、能力も高い方々ばかりです。また政研大の修士課程では、1年間で必要な単位を揃えて論文を書き、学位を取得することが求められています。そこで講義の時間を有効活用するためにも、毎回の講義で扱う内容を予習してもらうことにしました。

 当初は、定評のある教科書を用いて「ここからここまでを次回までに読んできてください」といった形で指定していました。しかし初学者が疑問に思いやすい点をさらに丁寧に解説することが重要だと思うようになり、インターネット上に自作の講義資料を掲載して活用することを2011年度から始めました。

 この講義資料がそれなりにまとまってきた頃に、出版社の方から「ぜひウチから出版しませんか?」といったお誘いを頂くようになったのですが、無料で公開しておいたほうが多くの方に活用して頂けるだろうと考えていたために、当初は出版するつもりはありませんでした。しかし無料で公開されている資料では、信頼性の面で不安に思う読者もいるのではないか、またプロの編集者に協力してもらうことは質を向上させるためにも不可欠なのではないかなどと考えた結果、有斐閣から出版して頂くことにしたのです。

本書の特徴

 出版することが決まり、原稿を大幅に書き換えることになりました。その際には、どのような点に特色がある教科書にするのかを考えることから始めました。なにしろ書店の棚には、高名な研究者による教科書がすでに数多く並んでいるわけですから、差別化をはかることが重要だと思ったのです(笑)。

 自宅近くの飲み屋で大量のアルコールを消費しつつ、1ヶ月ほど妄想をふくらませた結果として、次の3つのことが特色だといえるような教科書を作成することにしました。

1、目的がはっきりしている

 まず、この教科書では、先ほど説明したように「合意の上で行われる交換によって生み出される利益を最大限に実現させることがミクロ経済学の目的」だという点を強調した記述が何度も登場します。その上で、この目的を達成するための手段として市場と政府の役割分担を考えるという構成を読者が常に意識するように心がけました。

 また最初がよく分からないと、その後の学習が苦痛であることに配慮して、導入部分を特に丁寧に解説しました。ミクロ経済学を何のために学ぶのか、また講義で扱う個々の内容が互いにどのように関係しているのかがよく分からないままで細かい話をされても初学者にとっては苦痛だろうと考えたからです。

2、扱う内容が絞り込まれている

 また扱う内容を大幅に絞り込むことにしました。その結果として、この教科書では一般的な教科書では必ず登場するはずの内容が扱われていません。例えば、複数の財をどのように組み合わせて消費するかという話題(予算制約と無差別曲線を使った議論)は登場しません。これはベンチマークとしての完全競争市場の話はできるだけ短めにして、「市場の失敗」と政府の役割についての具体例を見ていった方が、読者は興味を維持できるはずだと考えたからです。

 その代わりに、初学者がひっかかりやすいと思われるポイントや細かい前提条件を丁寧に説明することにしました。それにより独学で使える教科書を目指したのです。

3、常に新しい情報を活用できる

 評判が良い教科書の多くは、発売されてから数年経って新版が出版されるタイミングで、改良が加えられていきます。それに対してこの教科書では、できるだけ早く読者からのフィードバックに対応したいと考えました。出版したら終わりではなく、育てていくことを重視したのです。

 そのためにインターネット上のサポートページを活用することにしました(https://www.yuhikaku.co.jp/static_files/studia_ws/index.html)。現状では練習問題の解答例が掲載されているだけですが、今後、紙面の都合で掲載できなかった説明などを順次掲載していきます。

おわりに

 わたしは以前から、「賢い人が書いた教科書がベストとは限らない」ということを、特に入門書については強く感じていました。

 そもそも多くの教科書は、学者になるためのトレーニングを積んだ賢い人が、自分が受けてきた教育を前提として執筆しています。そのために「初学者向け」の教科書として出版されているものであっても、正直に言って「難しいなあ」と感じることもありました。

 その理由の1つとして、賢い人は「分からない人が、どこが分からないのかが分からない」ということがあるのではないでしょうか? 例えば、プロ野球の名選手だった長嶋茂雄さんのような天才に野球を教えてもらうのは、なかなか難しそうです。どうすればヒットが打てるようになるのかを知りたいときに、「来た球をバァッといってガーン」などと教えてもらっても、凡人は打てるようにはなりません。それよりも苦労して習得した人のほうが上手に教えられる可能性もあるのです。

 この教科書がどのくらい上手く書けているのかは、自分ではよく分かりません。みなさまの評価にお任せします。しかし、経済学が苦手だという人を減らすことに少しでも貢献できたとしたら、それだけで大満足です!

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