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自著を語る

『労働法』を上梓して

京都大学大学院人間・環境学研究科教授 小畑史子〔Obata Fumiko〕

小畑史子・緒方桂子・竹内(奥野)寿/著
A5判,274頁,
本体1,900円+税

1 はじめに

 このほど、労働法を初めて学ぶ方に、できるだけわかりやすく労働法の全体像を示すことを目指し、緒方桂子先生、竹内(奥野)寿先生とともに、『労働法』を上梓しました。

 畏れ多いことですが、筆者はかつて、読者の立場から

 「初学者が学問をおもしろいと感じるのは、『確かにその通りである。』と実感したとき(確認)や、『そういうことであったのか。』と長年の疑問が氷解したとき(納得)、『一体どうしたことなのだろうか。』と新たな興味をかき立てられたとき(発見)、そして難解で到底理解できないとあきらめていたことが意外にすんなりと消化できたとき(理解)であるように思われる。」

と記述したことがあります(拙稿「労働法入門」『日本労働研究雑誌』477号[2000年]2頁以下)。その時から、将来、入門書を書く機会を与えられたならば、読者に、①「確認」、②「納得」、③「発見」、④「理解」の機会を提供したい、と夢に描いていました。

 年月を経て、このたび入門書を書く機会に恵まれ、過去の自分から突きつけられた宿題に答えて理想に近いものを世に出すというハードルに直面することになりました。

 労働法に20を超える法律が含まれており、その中には民事的効力・刑事的効力・行政法的効力を併せ持つものもある等の複雑な性質があるために、労働法の入門書を書くことは、様々な困難を伴うと予想されましたが、著者3名で何度も議論を重ね、編集者のお力添えも得て完成させることができました。

2 本書の特徴

(1)本書の目的

 本書を執筆するに当たり、著者3名には、わかりやすさを徹底して追求した初学者向けの教科書を世に出したいという強い思いがありました。

 労働法は、前述のように内容が多様かつ大量で特徴的ですが、すべての人にとって非常に身近な法律でもあります。賃金不払、長時間労働、内定取消、男女差別、労働災害、リストラ、ブラック企業等、毎日見聞きする労働をめぐる法律問題は、枚挙にいとまがありません。労働法を知りそれを活かしていくことは、日常の生活をスムーズにし、困難に立ち向かう力を与えてくれます。

 近い将来社会人となる学生の方、現在労働者として働いている方、労働者を雇用する経営者の方など、労働法の知識を習得したいと考えている人は多くいらっしゃるはずです。会社の部下や労働組合の組合員からの労働相談に対応するため、労働法の基礎知識を持っておきたいと考える人も少なくないはずです。

 そのような方々が、難解であると敬遠することなく、気軽に手に取り、法制度の仕組み、法律の条文の意味、裁判例の傾向や学説の考え方などについて学ぶことができる入門書を作ることが、3名の共通の目標でした。

(2)正確な記述

 ただし、3名は、コンパクトで気軽に手に取ることができるものを目指すとしても、わかりやすさを追求するあまり、法律書に求められる正確さを欠くことがあってはならないと考えました。入門書としては、親しみやすさと手軽さを重視し、柔らかい表現を用いて概略を記述するというアプローチもあり得ます。しかし、3名はそうした選択をせず、用語の定義や法的問題の所在をきちんと示すとともに、あいまいで不確かな記述を避けることを何度も確認しました。

(3)本文とnotes・のコラム

 最も議論を重ねたのは、コンパクトなものとするための頁数の制約の中でも決して除外することのできない内容や裁判例は何か、それらをどのような分類・順序で提示するかについてでした。ある裁判例やある学説を、書き落としてはならないと判断するのか、紙幅の関係上、本文では書き落とすのもやむを得ないと考えるのか、真剣に悩むこともありました。また学説の対立につき、解説するべきか否かも議論し、入門書という性質に照らし、欠くことのできないものに限り触れることに決定しました。

 その過程で、本文の記述の補足説明や、用語説明、本文中でとりあげなかった比較的細かい法的論点や学説の詳細(有力説、少数説など)などを、欄外の「notes」に記述するというアイディアが固まりました。たとえば、団体交渉・労働協約というテーマの章では、本文をすっきりと記述するとともに、本文のより深い理解に役立てていただくために、労働協約の法的性質に関する学説の対立に関するnotesや、欧米における団体交渉の例というnotesを置いています。notesのそれぞれにタイトルを付けることとしましたが、それも、一見してすぐに書かれている情報の概要を把握し、本文との関連をイメージしていただくためです。

 また、「のコラム」を必要に応じて設け、本文で述べている事柄に関連して、法律の知識や理解をもう1歩先へ進めていくためのテーマについて記述することになりました。たとえば、労働契約の終了というテーマの章では、退職勧奨をめぐる問題がのコラムになっています。辞職や合意解約について学習しつつ、辞職や合意解約に至るまでの間に行われる可能性のある退職勧奨につき、使用者が不法行為責任を問われるのはいかなる場合か、辞職や合意解約が無効、取消となる場合はあるのか等について解説し、近時報道されている「追い出し部屋」にも触れています。

(4)SCENE

 本書の大きな特徴は、本文のところどころに、法的な問題が生じる場面を、「SCENE」という形で挿入したことです。いかにもありそうな、身につまされる場面を具体的に記述し、読者にイメージを持っていただき、自分の身に降りかかったならばどう対処するかを考えながら本文を読み進めていただけるよう工夫しました。そして、数ページ先で、考える道筋を解説しました。

 たとえば、休暇・休業というタイトルの章では、働き始めて1年が経った労働者が大学時代の友人と海外旅行に出かけるために年休取得を会社に申し出たところ、上司にその頃は繁忙期に当たるのでみとめられないと言われたというシーンを、臨場感あふれる言葉で描いています。そして本文で、年休の意義や年休権の法的性質、年休の使途等を記述した後に、シーンの解説を丁寧に施しています。

(5)CHECK

 本書では、各章の冒頭にリード文を設け、その章でどういった労働法上の問題を取り扱うかを、簡単に説明しました。まずそれを読み、章全体のイメージを把握した上で、各章の本体に入るよう工夫しました。

 そして、各章の最後に「CHECK」を設け、それぞれの章で理解すべき基本的事項について質問しています。これらの質問に答えられるようになることを1つの目標にしていただき、知識や理解があいまいだと感じたら、その章を読み直して、確認していただけたらという意図で設けた仕組みです。

 たとえば先ほどの休暇・休業の章のCHECKでは、第1に、「年休とはどのような権利か。また、いかなる要件を充たした場合に、発生するか。」、第2に、「年休が取得できないのはどのような場合か。」等を箇条書きにし、この問いによどみなく答えることができない場合には、この章を読み直すよう誘導しています。

(6)のコラム

 以上に加えて、「のコラム」では、いわゆる箸休めとして、楽しく読み進めていただくための豆知識を記述しました。「以前から気になっていたがそれほど差し迫っていなかったので特に調べもしなかった。しかしのコラムを読んで腑に落ちた。」と喜んでいただけるようなものを目指しました。

 たとえば先ほどの休暇・休業の章には、「有期で働いているけど、育児休業、取れるのかなあ?」、「未消化の年休はどうなる?」等のコラムが設けられています。

(7)具体的な紛争の解決手段

 最後に、本書では、労働者と使用者との間に生じた労働契約関係を巡る紛争について、労働者が解決を図ろうとした場合、どのような手段をとりうるかを、具体的に記述しました。

 上司や労働組合等、身近な相手への相談から始まり、企業内の苦情処理機関を用いて職場内の紛争を解決する仕組み、労働者の申告権を用いて行政の助力を得て解決する方法、個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律に基づく総合労働相談(3条)、都道府県労働局長の助言指導(4条)、紛争調整委員会によるあっせん(5条)、労働委員会による調整 (20条1項)、労働審判制度、仮処分や少額訴訟を含めた訴訟等、いざというときに実際にどうすればよいのかの情報を書き込みました。

 それは、本書を、単に知識を得るだけでなく、実生活上、問題に直面したときに、解決に活用していただきたいと考えたからです。読み終わっても、長く手元に置こうと考えていただけるものをと模索して講じた策の1つです。

3 おわりに

 このたび、入門書を世に出すに当たり、著者3名は、労働法の特徴を踏まえ、2で述べた工夫を積み重ねました。3名で、記述の正確さや理解しやすさを複眼的かつ客観的に検討すること、3名の経験を合計し、どのようなことに納得する喜びや発見の喜びを感じるかを、多数リストアップし、文中に反映することを繰り返しました。

 その結果、読者の方々に、①既にある程度知っていることにつき、本文で「確認」していただくこと、②素朴に疑問を持っていていつか明確にしたいと考えていたことにつき、SCENEおよびその解説を読んで「納得」していただくこと、③コラムで、全く知らなかったことを「発見」していただくこと、④図表やnotesで、複雑な問題につき「理解」を深めていただくことができたとすれば、著者としてこれほど嬉しいことはありません。

 この試みが成功しているか否かは読者のご批判を俟つよりほかありませんが、本書が、読者にとって、労働法への扉を開くための信頼できる1冊となることを願ってやみません。

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