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コラム

前田達明氏の「権威への挑戦」に対する感想

京都大学名誉教授 奥田昌道〔Okuda Masamichi〕

 本誌の631号・632号において前田達明氏が「権威への挑戦」(上)(下)を発表された。その内容は、年来の前田氏の主張を述べられたもので、いずれ、その分野の専門の方からの反論が掲載されることと静観していたが、編集担当のお方の話では、そのような予定はないとのことなので、この問題についての感想を綴ることとする。

 債務者が債務を履行しないために、債権者が民法415条に基づき債務者に対して損害賠償を請求する訴訟を提起した場合において、履行期が到来したことのほか、債務者が「履行をしない」ことを債権者が主張し、かつ、立証しなければならないか。それとも、債権者としては、履行期が到来したことを主張し、争われれば、立証するとともに、損害を主張し、争われれば、立証するということでよいのかにつき、前田説は、「履行をしない」ことの主張がなければ裁判所は「債務不履行」を認定することが許されず、したがって、債務不履行を理由とする損害賠償請求を認容することは許されないという。もっとも、債権者としては、債務者の「履行がない」ことを主張する責任はあるが、それを立証する責任(証明責任)は負わない。債務者の方で「履行をしたこと」を主張し、立証することが必要で、この意味で「履行がない」ことの証明責任は債務者が負うという。なお、主張責任及び証明責任の定義については、前田氏の本誌(前掲)の解説に譲る。他方、司法研修所の見解では、主張責任と証明責任の所在は常に一致すべきものであって、前田説のように、「履行がない」ことの主張責任は債権者にあるが、その証明責任は債務者にある、というように別々に扱うことは認められないとする。

 例えば、売主甲が代金後払いで目的物を乙に売り渡したが、代金支払期日が到来しても乙が代金を支払わないので、甲が乙に対して代金の支払だけではなく、併せて遅延損害金の支払を求めるという事例において、甲は、①甲と乙とが売買契約を締結したこと、②甲が目的物を引き渡したこと、③代金支払期日が到来したこと、④損害の発生とその数額、を主張・立証すべきであるが、乙が代金を支払わないことまで主張・立証する必要がない、というのが司法研修所の立場であり、実務においてもそのように処理されているようである。これに対して、前田説は、遅延損害金を請求するには、「代金が支払われていない」ことを甲は主張する必要があるというのである。民法415条が、「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは」と規定していることからすれば、債権者(甲)は債務者(乙)が代金を支払わないこと(「履行をしない」こと)を主張するのは当然のことと思われるし、普通は主張するであろう。それなのに、「要件事実論」という特殊の技術的処理において、なぜ、「履行がない」ことを主張する責任を債権者は負わないという扱いがなされるのであろうか。

 司法研修所の見解がなぜ「証明責任と主張責任とは同一当事者に帰属するはずのものである」とするのであろうか。このことにつき私は素朴に次のように考える。我々の日常生活において、誰かが或る事実を主張するとき、その事実の存否を争う者が現れたときには、事実を主張する者がその事実の存在を証明しなければならない。もし証明できなければ彼は「嘘つき」ないしは無責任な人間とみなされるであろう。つまり、各人は自分の言葉に責任を持たなければならないのである。これが基本である。ところが、「無い」ことに関しては、その証明が困難なことが多く、むしろ「在る」と言う側に証明させるのが適切なことが多い。この経験則からすれば、法律上も、主張することはできても証明することが困難もしくは不可能なことについては、「主張する」ことをも免除しているものと考えられないだろうか(法は不可能なことを強いるものではないから)。ただし、ここで注意しておかねばならないことは、債務不履行一般についての話ではなく、いわゆる「与える債務」において「履行がない」という場合に限ってのことである。民法学の上で、債務はその内容に応じて、物の引渡しや金銭の支払のような「与える債務」(結果債務とも呼ばれる)と診療債務のような「為す債務」(手段債務とも呼ばれる)とで取扱を異にすることがある。病院などの医療機関の負担する診療債務においては、履行が全くなされないという事態は稀であり、為された診療行為の内容が当時の医療水準からみて本来、為すべきであった内容ないし態様から外れたものであったり、為されるべき処置がなされていないという「不完全履行」の場合や、してはいけない処置をしたために病状が悪化したという「積極的債権侵害」の場合においては、債務者の為したこと、または為さなかったことが、本来の在るべき状態(債務の本旨)から「ズレ」を来していること(債務の不履行)を債権者が主張し、立証しなければならない。

 以上は、債務不履行において「履行がない」場合をとりあげたが、債務者が自らの負担する債務を履行したので、相手方に対して約定の反対給付を求めるという場合はどうであろうか。例えば、先の売買の例で、売主甲が買主乙に対して代金の支払を請求する場合、甲は自己の債務である目的物の引渡しを行ったこと、つまり債務を履行したことを主張し立証しなければならない。ところが、自己の負担する債務の内容が不作為である場合(不作為債務)、その履行を証明することが困難なことが多いと思われる。例えば、隣家の息子の受験勉強期間の2週間の間、私がピアノを弾かないこと、その謝礼として金〇〇円をもらうという契約を結んだとする。私はその2週間の間、自宅で静かに読書するなどして、ピアノを弾かないで過ごした。そこで、約束の報酬を請求するにつき、「ピアノを弾かなかった」ことを主張するのだが、それを証明せよと言われると困ってしまう。隣家の息子の受験勉強期間の2週間の間、私が旅に出ていて不在であったために、およそピアノに触れることができない状況があるならば、旅行に出かけていたことを証明すれば「ピアノを弾かなかった」ことが証明されたことになるであろうが、「自宅に滞在していながらピアノを弾かなかった」ことの証明は不可能ないしは極めて困難であろう。むしろ、相手方(隣人)の方で、当方の違反事実(何月何日何時から何時までピアノの音が聞こえてきた)を主張・立証させる方が適切であろう。そしてこの事例では、報酬を請求する側としては、その契約の締結と受験勉強期間の経過したことを主張・立証すれば足りるという扱いをするのが適切ではなかろうか。

 蛇足ながらもう1つの例をあげよう。甲と乙とは日頃から仲が悪く、乙はしばしば甲の悪口を公言してはばからず、これによって甲は精神的にひどく傷つき、乙に対して損害賠償(慰謝料)請求の訴訟を提起しようかと考えるに至った。これを知った友人丙は、甲乙の間に入って2人を和解させようと努めた結果、次のような和解が甲乙間で成立した。「乙は今後1年間、人前で甲の悪口を言わないこととする。そうすれば、甲は乙に対する慰謝料請求権を放棄する。」さて、この事例において、乙が1年間、人前で甲の悪口を言わないことが甲の乙に対する慰謝料請求権の放棄(消滅)という法律効果を発生させるための要件であるが、乙が慰謝料請求権の消滅という効果を享受するためには「1年間、人前で甲の悪口を言わなかった」ことを証明しなければならないとすれば、これは容易なことではない。むしろ、甲の側で、乙が人前で甲の悪口を言っていたことを主張し立証することの方がはるかに容易であろう。

 以上を要約するならば、損害賠償請求の前提として債務者の「履行がない」という不作為を主張するにせよ、債務者が自己の負担した債務内容としての「不作為」を実現したことを主張するにせよ、「無い」ことの証明は不可能若しくは極めて困難なことが多く、「自分の言ったことに責任を持つ」ことができないので、このような場合につき、法は「主張すること」自体を免除しているのだ、と考えられないだろうか。

 司法研修所の見解や実務の処理は、このような考え方に基づくものではなかろうか。以上、雑駁な素人の論述ながら、感想を記した。

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