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書斎の窓

書評

はじめて学ぶ異文化コミュニケーション

――多文化共生と平和構築に向けて

武蔵野大学人間科学部教授 古家 聡〔Furuya Satoru〕

石井敏・久米昭元・長谷川典子・桜木俊行・石黒武人/著
四六判,310頁,
本体2,000円+税

 「異文化コミュニケーション」という言葉を聞いて、何を連想するだろうか。「外国人とのコミュニケーション」というのが一般的な反応かもしれないが、「異文化」というのは、国家の違いだけを意味するわけではないため、最近ではもっと広範囲の意味を指すことが多い。同じ国内であっても、価値観や倫理観の違いなどが基本にあるのであれば、それは文化の違いととらえられる傾向にある。例えば、男性と女性の違い(ジェンダー)、地域差(都市部と農村部)、世代間格差、などもそうであるし、また、障害者や性的マイノリティも同じ人間同士の異なる文化ととらえることができる。

 こうした文化とコミュニケーションとの関係を研究するのが、異文化コミュニケーション研究であり、これは比較的新しい学問分野である。そして、それはこれまで特にアメリカの学問的知見に左右されてきたことは否定しがたい。1960年代のアメリカでは、人種的あるいは民族的に多文化社会を構成してきた国内事情に加えて、国際政治の覇権者として、さらには国際ビジネスを拡大するために、文化背景を異にする人々とのコミュニケーション研究が必要に迫られていたという歴史的経緯がある。つまり、それまでの文化人類学だけでは処理できない問題を解決しなければならないという時代の要請から、異文化コミュニケーション研究がスタートしたのである。

 日本においては、エドワード・ホールの3部作と言われる『沈黙のことば』(邦訳1966年)、『かくれた次元』(同1970年)、『文化を超えて』(同1979年)が出版された頃から、急速に異文化コミュニケーションに対する関心が高まり、日米文化比較に基づく日本人論と称される日本人が書いた書物も多く見られるようになった。アメリカの研究書が次々に翻訳され、アメリカの大学院でコミュニケーション関連の分野で日本人研究者が博士号を取得し始めたのも1970年代である。一方で、大企業や大出版社が「異文化マニュアル」と呼ばれる書物をいっせいに出版したのもこの時期である。そのためか、こうした異文化マニュアルを叩き台にして、異文化コミュニケーションとは、単なる日米文化比較のことと短絡的に見なされることもあった。しかし、現在の異文化コミュニケーション研究は、1980年代から90年代の大きな学問的進歩を経て、今や、文化背景の異なる人々の間で行われる多様なコミュニケーション現象を研究する分野として確立している。また、日本の大学や大学院でも異文化コミュニケーション論が教授され、関連する学会もたくさん生まれてきている。

 このように異文化コミュニケーション研究が1つの学問分野として確立された現在、本書が登場した意義は極めて大きいと言えるだろう。「はじめて学ぶ」というタイトルにふさわしく、その内容は非常に啓蒙的で、異文化コミュニケーションの学習者が理解しておくべきテーマに満ち溢れている。章題を紹介すると以下のようになる。プロローグ「異文化コミュニケーションを学ぶということ」、第1章「異文化コミュニケーションの基礎概念」、第2章「自己とアイデンティティ」、第3章「異文化コミュニケーションの障壁」、第4章「深層文化の探究」、第5章「言語コミュニケーション」、第6章「非言語コミュニケーション」、第7章「カルチャーショックと適応のプロセス」、第8章「対人コミュニケーション」、第9章「異文化コミュニケーションの教育・訓練」、第10章「異文化コミュニケーションの研究」である。また、随所に、それぞれ1〜2ページ程度の全部で13のコラムが掲載されている。

 これまでの類書に比べて、「いっこうに改善しない国内での『多文化関係』をかんがみ、本書では『パワー』概念にも焦点をあて、性的マイノリティや、障害のある人といった共文化の人々も含め、考察の対象とした。さらに、アイデンティティ、知覚、言語行動と非言語行動、カルチャーショックと適応、対人コミュニケーション、異文化コミュニケーション教育・訓練、そして研究の領域と方法等、異文化コミュニケーション学で必須の事項についても、広範に紹介するよう工夫した」(あとがき)というのが、本書の特徴である。このような特徴を持つ本書は、現代の読者にとって、必要欠くべからざる事項を広範にわたって学ぶことができる良書となっている。

 普段、異文化コミュニケーションを授業やゼミや大学院で指導している者として、本書を、ぜひ教科書として、あるいは、必携の参考書として使いたいと考えている。それは、先述したように重要な事項が広範に網羅されているだけではなく、異文化コミュニケーションで押えておくべき、「文化とコミュニケーションの定義」「コミュニケーション・スタイル」「価値観」などの基本的な事項も丁寧に取り上げられているからである。そして、評者が個人的に特に共感を覚えたのが、最新の知見も取り入れて記述していることである。例えば、評者が研究している「個人主義と集団主義」に関連して、これまで、日本人集団主義説の根拠となっていたホフステードの価値志向研究を批判している(pp. 107-108)ことを記しておきたい。今でも、日本人集団主義説を支持している人たちにとって、理論的支柱になっているのが、このホフステードの実証的研究であるし、また、この研究を論拠にしたフェイス理論なども存在しているが、最近では、この研究の「個人主義因子」という因子解釈は、妥当性がきわめて疑わしいとする意見が見られるようになっている。このように、そうした最新の研究結果に触れていることが、本書の評価をより高めるものとなっている。すべての仮説等を鵜呑みにするのではなく、そこに研究者の恣意性がないか、偏った見方ではないかという視点を持ち続けることは、大切な読み方だと強調している具体例として、非常に説得力がある。

 最近では、「国際化の時代」という言葉に代わって、「多文化共生の時代」や「グローバル化の時代」、あるいは、「グローバル」と「ローカル」を結びつけて「グローカルの時代」といったラベルで社会の特徴が表現されている。ヒト・モノ・カネ・情報が世界中をあっという間に駆け巡る時代にあっては、国境で仕切ることはできない文化と伝統の特質を、われわれは知ることができるという事実がある。結果として、さまざまな文化背景を持つ人々同士のコミュニケーションはますます頻繁に、そして濃密に行われるようになり、その重要性は極めて高いものとなっている。実際のコミュニケーションにおいては、価値観や倫理観の相違などから、誤解や葛藤が生じ、その問題解決に迫られることもある。価値観や規範は、歴史的・社会的に構築された文化の重要な要素であり、それぞれの文化において独自性を持っている。地球がどんどん狭くなっていると感じられるこの時代に、文化差の持つ意味は、極めて大きい。

 では、この文化差について本書ではどのように論じているだろうか。pp. 1-2には、「文化の違いには、国籍や言語だけではなく、社会階級、ジェンダー、世代、地域などの差異や、障害の有無なども含まれており、一般的に解釈されているような国対国の文化比較研究だけを指すわけではない。つまり、異文化コミュニケーション学では、人間がもつさまざまな文化的差異を研究対象とし、個々の違いを人々が乗り越え、理解し合うための方法を模索し、結果的にはあらゆる人が自分の可能性を最大限に発揮できる『平和的』な社会の構築に資することを目指している」とある。ここに示されていることは、どこの文化の人とでも仲良く平和的にコミュニケーションを取っていくための指針を示すのが、異文化コミュニケーション研究の役割であるということであり、それがまさに本書の基本的な姿勢であろう。

 実は、異文化コミュニケーション研究に対する姿勢は、研究者によっても、多様である。その意味では、本書の第10章第2節「異文化コミュニケーション研究の特徴」を読むと、本書の著者たちの姿勢がよりよく理解できる。「異文化コミュニケーション研究とは、文化的背景の異なる人々がお互いの人権を尊重し、平和的に共生するための方法を模索するために存在する学問であり、その意味で自文化と異文化の関係に対して平等意識を醸成することを重要視している」(p. 242)とあるが、このことは、社会的弱者に対する意識や態度の健全化を目指すことにもつながるだろう。また、「英語教育産業に顕著な現象が例示するように、欧米の西洋文化を無批判に崇拝・受容し、日本を含む東アジアの東洋文化を劣等視する『西高東低』の優劣ないし上下の異文化意識・態度の健全化・平等化に資することが求められよう」(同)としていることも、重要な指摘である。多くの学問分野で、欧米の特に、アメリカの研究や理論が中心的役割を果たしていることは否定できないが、それらが必ずしもほかの文化では当てはまらなかったり、あるいは、まったく違った意味を持ったりすることもあるだろう。西洋文化を無批判に受け入れたり、欧米文化を優秀なものとしたりすることの危険性だけでなく、英語圏では適用できる方法論や理論であっても、日本においてそれがそのまま適用できるとは限らないということをわれわれは意識すべきである。西洋の研究や理論を、日本文化の素地のなかで適用するにはどのように修正すべきかを検討することは、どの学問分野であれ、見落としてはならない重要な研究姿勢であろう。

 こうした著者たちの異文化コミュニケーション研究に対する一貫した姿勢に敬意を表し、異文化コミュニケーション研究に携わる者の1人として、本書の刊行を心から喜び、多くの読者を獲得することを切に願っている。

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