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書斎の窓

特別企画

デジタル社会の進展と研究・教育

白石忠志/柴田章久/吉見俊哉

デジタル社会の進展が研究や教育にもたらした影響について,白石忠志先生(東京大学大学院法学政治学研究科教授),柴田章久先生(京都大学経済研究所教授),吉見俊哉先生(東京大学大学院情報学環教授)にご執筆いただきました。

2013年末の改訂作業

東京大学大学院法学政治学研究科教授 白石忠志〔Shiraishi Tadashi〕

青天の霹靂

 実に3年半以上にわたり店晒しとなっていた大改正法案が突如として動き出し、11月20日の僅か1日で衆議院の委員会を通過。2013年末は急遽、『独禁法講義』の改訂作業で塗りつぶされることとなった。年内に仕上げようと思っていた他の仕事を全て書き出してみる。年内でなくともよいものを年明けに回せば、どうにか年を越せそうにみえる。

 このとき書き出された仕事のひとつが、『書斎の窓』からの光栄なご依頼である。「デジタル社会の進展が研究ないし教育にもたらした影響について」という基本テーマのもと自由に書けというご注文で、締切は新年早々。年内に粗方は書いておかねば正月の餅が喉を通りそうにない。ここは『独禁法講義』改訂作業のあれこれを述べて責めを塞ぐこととしたい。

作業環境

 私の知る限り、法律書の改訂作業は「台本方式」を基本としてきたようである。現行の版を2冊ほど裁断し、1頁ずつA紙に貼って台本とする。A版の本の頁をA紙に貼れば余白ができる。そこに校正と同じ要領で改訂内容を書き込んでいく。

 台本は重くて嵩張る。300頁の本であれば300枚のA紙を300枚のA紙に貼ったものを束ねたバインダーを扱うことになる。1箇所で仕事をするなら格別、私のように面会や会議の約束がなければ拙宅で仕事をしてしまうような引き籠りには相当の重荷である。

 そこで今回はiPadを活用することとした。現行の版のPDFファイルを手書きアプリNote Anytimeに読み込み、そこに赤字を入れていく。電子台本である。手書きもできれば、赤い活字も使える。従来は画面の遷移が遅かったのであるが、幸い11月発売の新型iPadを早々に入手できたので、十分に許容できるスピードである。単純な確認作業なら、ちょっとした待ち時間や、十中八九は座れる帰りの電車などでも、進めることができた。

 iPad台本は、軽くて嵩張らないだけではない。書いたり消したりできるのである。紙のゲラに何度も書き込んでいると、指示線が絡み合ってテレビの裏側のようになるのであるが、Note Anytimeなら投げ縄ツールで該当箇所を指定して「削除」を押し、整理し直せばよい。書いた文字の移動もできる。相対的には美しい台本となり、精神衛生的にも良い。

 改訂であるから、とても台本に書ききれないような長文を差し替える箇所も多い。そのような場合には「A」とか「B」などと台本に書き込んでおき、それらに相当する原稿の入ったテキストファイルを別に作成する。さらに、新しい図の下書きをしたPDFファイル。基本的には以上3点が、書籍編集第1部でご担当くださっている編集者にお届けした改訂原稿の一式である。

改正条文

 改訂作業をすることが決まってから、12月7日に改正法が国会で成立するまでの間、私は密かに「平成25年改正後独禁法全条文」なるものを作成した。法案の国会提出時にウェブ上で公表される新旧対照条文では、改正されない条文が省略されており、全体像を見ることができない。大掛かりの改正の場合には、既存の条文に改正内容を織り込んだものが執筆資料として必須なのである。平成17年改正と平成21年改正のときにも作成し、ノウハウは蓄積されている。今回も、改正法成立後、私のウェブサイトに掲げた。

 有斐閣六法と拙作「全条文」とを比較すれば、それぞれの特色が浮き彫りとなるであろう。

 有斐閣六法で今回の改正後の独禁法を見ようとすれば、3月刊行の『六法全書』を待つ必要がある。私の改訂作業には間に合わない。学生がアクセスしやすいという意味では秋の『ポケット六法』や『判例六法』まで待たなければならず、4月からの授業でも困る。ついでに言えば、個人で作る「全条文」では、2条9項の後に一般指定を挿入する、7条の2や10条のような長大かつ重要な条では項ごとにも見出しを付ける、といった新趣向を、いち早く試すこともできる。

 他方でしかし、信頼性という観点からは状況が全く逆転する。有斐閣六法編集部には法学教室399号巻頭言でも絶賛された強者が揃い、万全の体制で十重二十重の確認作業をおこなっている。それに対して拙作は個人作業であり、神経を使って改め文を溶け込ませている最中に集中力拡散要素が飛び込むのも一再でない。しかも有斐閣六法は、信頼性ある条文を全ての法分野にわたって収録している。拙作は独禁法のみ。重大かつ明白な相違である。

 以上のことは、いわゆる電子書籍論議の一端を示しているようにも思われる。法学教科書の電子書籍がなかなか出ないのは何故か。興味ある論題であるし、有益な電子教科書が花開くなら素晴らしいことであるが、そこに横たわるハードルのひとつは、個人の思いつきで執筆しても信頼できる編集者・校閲者を見つけることができない、という点であろう。完成原稿があればアマゾンで容易に電子的個人出版をすることができるわけであるが、引用の正確性が命綱の法学教科書では、その「完成原稿」を手にするのが容易でないのである。私は電子書籍の真似事を種々試してきたので、他にも色々とハードルはあるような気がしている。

 「全条文」を自分で作ることに対しては様々の反応がありそうであるが、プロが仕事に必要な道具に意を用いるのは当たり前のことであり、また、そのような経験を重ねれば道具作りのプロの仕事への敬意も深まるように思われる。

事例引用

 『独禁法講義』での事例引用は、「東京高判平成25年11月1日〔JASRAC〕」というように、年月日と事例名だけとし、その代わり、巻末の事例索引で、事件番号や判例集・審決集の巻号頁を記載するようにしている(このたびの独禁法改正で審決という制度が全廃されると「審決集」という名称はどうなるのか少し気になってきたが私の心配することではなさそうだ、などと本文中で括弧書が膨らむと読みにくくなるように思うからである)。

 このように『独禁法講義』では一種の「楽」をさせていただいているが、可能であれば、該当箇所を示すくらいのことはしたいものである。判例集等の最初の頁だけ掲げても、長大な判決なら、心ある読者も調べにくかろう。該当箇所を明示しておけば、数ヶ月後・数年後の自分も助かる。『独占禁止法』や『独禁法事例の勘所』では、該当箇所を示すよう努めている。

 しかしその場合に障害となるのが、該当箇所を示す方法は実は簡単ではない、という事実である。前記JASRAC判決のうち、大塚愛の「恋愛写真」の問題は実は結論に影響しないという趣旨の判示を例にとってみよう。公取委ウェブサイトの審決等データベースシステムでは判決書そのものをスキャンしたPDFファイルが判決当日に公開されたのであるが、これを入手した読者向けなら「判決書97〜98頁」でよい。ところが後日公開の裁判所ウェブサイトのPDFファイルは、若干の固有名詞の記号化がなされるなどしてズレているため、「裁判所サイトPDF96頁」となる。さらに時間が経てば、判例雑誌で読む人も出てくるであろう。審決集で読む人もいるかもしれない。万人に通用する該当箇所明示方法は、「事実及び理由第3の3(4)」となる。ところがそのような表記を見た読者が該当箇所を探すと、「(4)」とあるし恋愛写真も出てくるからここかな、と思っても、それが「第3の3」であるという保証はなく、数十頁ほど遡って初めてそれが「第3の3」であったことを確認できる。著者としても確認作業に疲れてきて、次の改訂の頃には判例集・審決集が出ているから、たとえば「判タ○○頁」「審決集○○頁」などと差し替える。だが、判例タイムズや審決集は誰にでも入手しやすいわけではない。公取委データベースや裁判所ウェブサイトで入手して読む人も依然として多いであろう。判例集・審決集に差し替えるのは、一種の改悪であるのかもしれない。

 そのようなわけで、他の拙著・拙稿は別として、簡潔を旨とする『独禁法講義』では、該当箇所の明示は見送っている。

 以上のような問題が生じたのは何故か。昔は、判例集以外の媒体で判決を読む人がそもそも殆どおらず、換言すれば、判例集が出た段階で初めて判決を読むことができた。法律文献は、判例集の揃った図書室・資料室がある環境で読まれることを前提として書かれていた。それらの条件が一変したからであろう。そして、便利になったからこそ、該当箇所を明示したいがうまくいかないと悩む御節介な著者も出てきたというわけである。

 この問題の根本的な解決方法としては、たとえば、判決書・命令書・ガイドラインなどの文書に段落番号を付す、というものが考えられる。そうすれば、読者はどの媒体で入手した場合でも該当箇所を発見しやすく、著者の側でも引用しやすい。しかし、私の知る限りでも、段落番号付与が実現している国もあれば、デジタル超大国であるのに全く実現していない国もあり、背後に様々な事情が垣間見えるのである。

縦か横か

 「デジタル化の影響」のひとつとして、日本語における横書きの爆発的普及を忘れるわけにはいくまい。横書きの『独禁法講義』は、1997年の初版刊行時には少数派であったが、今ではありふれた存在である。

 リニューアル後の『書斎の窓』は、冊子版では味わい深い縦書きを堅持しながら、ウェブ版では横書きとなっている。漢数字をどこまで算用数字とするかなど、ご苦心が想像される。PDFを掲げるなり画像を掲げるなり最新ウェブ技術で縦書きを実現するなりの方法もあるのではと余計な思いを致すところではある。

IT技術の発展と経済学の研究・教育

京都大学経済研究所教授 柴田章久〔Shibata Akihisa〕

 月日の経つのははやいもので経済学を学ぶようになって30年以上が経過した。この期間にインターネットをはじめとするIT技術の発展によって、経済学の研究・教育の進め方がどのように変化したのか、個人的な体験をもとに議論してみたい。

30年前の状況

 私が京都大学に入学したのは昭和58年であった。入学直後の大学生協では佐和隆光教授の『経済学とはなんだろうか』が平積みになっており、早速購入して一気に読了した。そこでは、アメリカの主流派経済学では、標準的となる教科書が体系的に整備されており、査読付き専門誌への業績を通じての専門家としての評価基準が確立されているなどといった意味で、アメリカでは経済学が「制度化」されているのだという趣旨のことが論じられていた。佐和教授の論調は主流派の経済学に対して必ずしもシンパシーを持つものではなかったのだが、主流派経済学を批判するにしろ受け入れるにしろ、まずは、アメリカで制度化されている主流派経済学というものを理解することが重要であると強く感じたことを今でも記憶している。

経済学を学ぶ上での情報不足

 実際に経済学部での講義を受けだしてみると、科目名と内容がまったく一致していない講義もあれば、半年かけて英文教材の10ページ程度のみを読むといった講義もあり、開講科目はまったく体系だって整理されたものではなかった。それどころか、講義の登録制度自体が存在しておらず、試験前に受験したい科目を届けるだけですべての科目を受験することができるのであった。このような混沌とした状況であったため、そもそも主流派経済学を学ぶためには、講義を通じてではなく、書物に取り組むこと以外にはほとんど方法がなかったのである。とはいえ、どのような教材をどのような順序で読んでいけばよいのかもさっぱり見当がつかず、大学時代の前半2年間は情報の収集に大いに苦労することになった。

人的ネットワークの決定的重要性

 このとき、決定的に重要であったのは、人的なネットワークを通じての情報入手であった。1回生の夏ごろから同級生であった小西秀男氏(現ボストンカレッジ教授)とミクロ経済学の勉強会を始めたのだが、その際に、関西学院大学教授であった小西氏の父君の唯雄先生から、秀男氏を通じて読むべきテキストについて非常に有益なアドバイスを頂いた。このときのテキストは、今から振り返ってもまことにバランスのとれたものであり、主流派経済学の概要を知るためには大いに役に立った。3回生からは西村周三先生(現国立社会保障・人口問題研究所所長)のゼミに入ったのだが、ゼミで先輩から引き継がれてきた「必読文献リスト」(岩本康志現東京大学教授作成)によって、経済学の諸分野の関係やこれらから何をどのように学んでいけばよいのかといったことがある程度見通せるようになってきた。そこで、この文献ガイドを頼りに様々なテキストを勉強会などで読み進めていったのだが、これらは学問としては入門レベルの話でしかなく、最先端での研究についての情報に触れる機会はほとんどなかった。

 3回生の夏から西村先生が1年間アメリカ滞在で不在となったため、代わりにゼミOBの大竹文雄さん(現大阪大学教授)らが指導を受け持ってくれた。このときに、経済学の進展状況を把握するためには、学術専門誌に掲載された論文に取り組まなければならないことを叩き込まれ、実際に数本の論文を懸命に読んだのであった。

研究を進める上での情報ラグ

 大学院進学にあたっては、当時としてはもっとも体系化された講義を行っていた大阪大学を選択した。進学してから暫くすると、最新号に掲載された論文といえども、実は既に書かれてからかなり時間が経っているということが判ってきた。これらの学術誌には審査委員による査読があり、査読をパスして掲載されるまでには1年や2年の時間が掛かるのである。最新の展開状況を知るためには、学術誌に掲載される前に議論のために配布されるディスカッション・ペーパー(あるいはワーキング・ペーパー)と呼ばれるものこそをチェックしなければならないのである。ところが、ハーバード大学などの著名大学のディスカッション・ペーパーを閲覧できる研究機関は非常に限られており、多くの人にとって実物を見ることはかなり難しいというのが実情であった。直接、著者にエアメールでコンタクトを取っても何の返事ももらえないことも多かったし、送ってもらえたとしても船便であるため受け取るまでにかなりの時間を要した。幸い、大阪大学の社会経済研究所では、世界中の主要大学のディスカッション・ペーパーを閲覧することができたので、週に1度位のペースで定期的に通い、関心のあるものを片っ端からコピーして読み耽った。また、アメリカ留学中の大学院生から、コアコースのリーディングリストや講義ノートあるいは評判になっている博士論文のコピーが送られてきたりすることがあり、それらを通じて、自分の取り組んでいる研究課題についての最新の状況を得るように努めた。海外から著名な研究者が訪れた際や留学中の先輩が一時帰国した際に、彼らから得る情報も非常に貴重であった。

 平成時代になって大学に研究者としての職を得た直後の状況もそれほど大きくは変わらなかった。海外に留学中の知人から、非常に面白い研究があるといって、最新の論文のコピーが郵送されてくるのが大きな情報源の1つであった。

インターネットの登場

 このような状況は、1990年代の半ば以降にインターネットが普及し始めて劇的に変化した。現在では、インターネットを通じてアメリカを初めとする世界中の大学のシラバスや講義ノートに瞬時にアクセスできるようになったし、講義そのものが動画として公開されていることも多くなった。世界で標準的とされる教科書もアマゾンなどから直ちに入手できるし、それらの翻訳も多数出回っており、そもそも読むべきテキストについての情報不足に悩むといったこともなくなってきた。さらには、ネット上には直接の面識のない学生たちが優れたテキストについての情報交換を行う場も存在しており、経済学を学ぶ上での情報はかつてとは比較にならないほど容易に入手できるようになっている。

 研究面においても同様で、ほとんどの大学はディスカッション・ペーパーをWEB上に公開しており、マウスをクリックするだけで瞬時に読むことができるようになったし、Web of ScienceやGoogle Scholarといったサービスを利用すれば、関心のある研究課題についてのどのような文献が存在しているのかについての情報も即座に得ることができるようになった。WEB上で公表されてない研究であったとしても、Eメールを通じて即座に送ってもらえるようにもなった。さらには、Web of ScienceやGoogle Scholarでは、それぞれの論文が他の研究者によって何回引用されているのかといった情報まで提供されており、重要な研究や注目を集めている研究についての情報もWEBを通じて得ることができるのである。

情報ラグの解消とデータのデジタル化

 このように、経済学を学ぶという面においても、経済学を研究していくという面においても、海外からの情報のラグがなくなっており、現在ではフロンティアの動きが世界的に共有されるようになってきている。また、実証分析を行うにあたっては、デジタル化によって、データが飛躍的に利用しやすくなったことも強調に値する。日本国内に限ってみても、例えば労働政策研究・研修機構が提供している「労働統計データ検索システム」を用いればたちどころに労働関係のデータをダウンロードできるし、さらには海外関係のデータもネットを通じて瞬時に得ることができるのである。十数年前には、印刷物からいちいち手で入力していたことを思えば、劇的な変化であると痛感する。使いやすい統計分析ソフトの発展もあり、現在では学部生でも容易に実証分析を行うことが可能となり、デジタル化の進展によって、実証研究の裾野は大きく広がった。また、掲載した論文で用いられたデータとプログラムそのものの公開を求められることも増えてきており、後続の研究者が追試を行うことも随分と容易になってきた。

 デジタル化の進展は、研究成果の発表媒体にも変化をもたらしている。WEB上のみに存在する多数のオンライン・ジャーナルが創刊され、研究成果が発表される媒体も劇的に増加した。

デジタル化の負の側面

 このようにIT技術の発展は、研究者や学生が得ることのできる情報量を飛躍的に増加させたのである。これはもちろん慶賀すべきことではあるのだが、負の側面も存在している。まず何よりも入手できる情報量が過大になっている上に、極めて水準の低い研究も多数含まれているため、入手した膨大な研究情報からどうやって有益な情報を選び出していくのかということが切実な問題となってきているのである。例えば、急激に増加しつつあるオンライン・ジャーナルの中には、まともな審査機能が働いておらず、ほとんど学術的貢献のない論文しか掲載されていないものも多数存在する。もちろん、上述のWeb of ScienceやGoogle Scholarといったサービスを利用し、研究情報を選別していくことは可能である。しかしながら、現在の流行とはあまりかかわりを持たない研究については、それが如何に深遠なものであったとしても、このような検索からは抜け落ちてしまうという大きな問題がある。

 また、デジタル化された文献をコピーするのは非常に簡単であるため、学生のレポートなどでの剽窃行為が増加する恐れが指摘されることもある。(もちろん、データベース上での検索が飛躍的に容易になり、剽窃の発見確率も上昇しているため、デジタル化の進展が不正行為を減らす可能性もあり得る。)

共同研究や講義への影響

 共同研究の進め方も変化した。数年前までは、近隣の共同研究者とは、直接会って議論しながらホワイトボードで計算を行い、遠方の研究者とは電話で議論し、計算等の展開はファックスで送付した。共同研究者が海外にいるときには電話代が大きな制約となったし、ファックスでのやり取りも機器が共同研究室にしかなかったこともあり、それほど気楽なやりとりではなかった。

 しかしながら、1990年代後半から状況は激変した。国際電話の料金が著しく低下した上に、スカイプなど無料で利用できる会話手段が出現したことにより、海外を含めて共同研究者と気楽にコミュニケーションをとることができるようになったことも大きいし、Dropboxなどのクラウドサービスを利用することによって、データや途中原稿を即時に共有できるようになったことも大きい。このように現在の方がはるかに共同研究を進めやすくなってきており、実際に学会報告や学術掲載論文をみても共同研究の比率は高まり続けている。

 講義方法も変化してきており、パワーポイントなどのスライドを利用した講義も増えてきている。このようなやり方には、講義資料をWEB上に公開することによって、学生が繰り返し学習することが容易になったというプラスの側面があるとともに、講義の進行速度が速くなりがちで内容を詰め込み過ぎてしまうというマイナス面もあり、IT技術が進展してもどのように講義を行うべきなのかについての悩みは尽きない。また、海外の大手出版社では(有斐閣でも)、WEBを通じて教科書に付随したサービスの提供を行っているところも多くなってきた。例えば、完成度の高い講義用スライドを用意してあったり、豊富な練習問題が提供されていたりするのである。これは、講義担当者にとっては非常にありがたい話であり、そのテキストを採用する大きな誘因となるのだが、講義を行うごとに教師自身の手によって新たなトピックを付け加えていくという努力を怠ってしまうことにもなりかねないという側面もある。

再び人的ネットワークの役割

 このようにIT技術の進歩やデジタル化の進展は、研究方法や講義の進め方にも大きくな影響を与え、私たちがアクセスすることのできる情報量を劇的に増加させている。その結果、現在の私たちの最大の悩みの1つが、この膨大な情報量をどのように処理すればよいのかということになっている。実のところ、このような場合にもっとも有用なのは、信頼できる専門家による評価である。その意味では人的なネットワークが決定的に重要であるという点は、30年前も現在も変化していないといえるのかもしれない。

〈近代〉の入口と出口のあいだ ――異なる回路へ

東京大学大学院情報学環教授 吉見俊哉〔Yoshimi Shunya〕

 近年、大学でネット上の記事をコピーして論文を作成してしまう学生のことがよく問題になる。学位論文でこの種の剽窃をしたことが後で発覚し、学位取り消しなどの措置がとられたケースもあるという。こうした問題の発生を防ごうと、剽窃防止ソフトが開発され、多くの大学で導入されている。単純な切り貼りではないにせよ、文章作成にネット情報を参照する人は激増している。ネット検索が頻繁に活用されるのは、図書館での調べものや現地取材よりもずっと手軽だからである。これを好ましからぬ傾向とみる人々は、そもそも論文作成でネット情報を利用するのを禁止すべきだと考えるかもしれない。他方、ネット検索と図書館の調べものの間に本質的な違いはないと考える人もいる。昔からどんな引用もなしに文章を書くことは稀だったのだから、かつて多くの人が図書館でしていたことを、今ではネットでするようになっただけだ、と。

 確認しておきたいのは、出版による知識とネット上の知識の傾向的な違いである。何よりも図書館の本は、誰もが自由に出版できるものではない。各分野で定評のある、あるいは定評を得ようとする著者が、自分の社会的な評価を懸けて出版したものだ。たとえ間違いがあっても、その責任の所在ははっきりしており、少なくとも著者はできるだけ間違いがないように心がけている。これに対してネットでは、知識の作り手が匿名化されがちである。図書館の本が「だれかの知識」なのに対し、ネット検索でヒットするのは「みんなの知識」となりがちだ。もちろん、ネット情報はいつも匿名というわけではないが、そこでのハンドルネームが現実世界の特定の個人と対応すべきだとは必ずしも考えられていない。インターネットは、そこに書かれていることが誰か特定の個人のものだという観念を弱め、知識は「みんな」で作るものだという発想を強めていく。

 このことは、インターネットのこれまでにない可能性と困難を示している。今や知識は権威主義から解放され、だれもが自由に参加して書き換えていくことができるものになりつつある。しかし、どんな知識も「みんなのもの」となってしまうと、その向こう側にいる特定の書き手に行き着かない、つまりその知識の責任がだれにあるのかが非常にあいまいにもなる。本の内容が間違っていたら、責任は作者にある。しかし、ネット上で書かれていることが間違っていたとき、その責任はだれにあるといえるのか。

 しかしここで、私たちの知識がそもそも図書館の本のようで、インターネットのように「みんな」で知識をつくるのはごく最近の逸脱なのだと考えてしまうと問題の本質を見誤ることになる。事実はむしろ逆、つまり図書館の本のように知識の作り手が誰であるかがはっきりするようになったのは比較的最近、といってもここ数百年のことなのだ。15世紀半ばに発明された活版印刷が普及して、自分の著作を出版することが知的活動の根本をなすようになった17世紀以降、「作者」の観念や「著作権」の制度が発達する。知識の作り手は、このような観念や制度の普及を通じて特定されるようになっていった。

 さらに現在の出版物の世界でも、実は本の「作者」はそれほど自明な存在ではない。インターネットの匿名性に対応するのが、出版の孤児著作物である。孤児著作物とは、その本や映像の著作権や所有権の保持者が誰かがわからなくなってしまった作品のことだ。国立国会図書館では所蔵作品の約半数が孤児化しているというし、海外の大規模な図書館でのその割合はもっと高い。本には必ず作者名が書いてあるから、そんなことはあり得ないと思われるかもしれないが、たとえ作者の名前がわかっていても、その名前の人物がどこの誰か、古い本の場合、その人の遺族は今、どこに住んでいるのかがたどれないことが非常に多いのである。そうなると著作権等の権利処理がほとんど不可能になってしまう。いわば、著者名がネットのハンドルネームと同じようなものになってしまうのだ。

 もう1つ、図書館の本とインターネットの情報には、知識の体系性という観点からの違いもあるとされる。知識とは、ばらばらにある情報やデータの集まりなのではない。知識とは、さまざまな概念の内容や事象の記述が相互に結び付き、全体として体系を成している状態のことである。当然ながら、そこには中心となる知識と派生的な知識、つまり事の軽重がある。中世のヨーロッパでは、人間の知識は樹木にたとえられていた。

 実際、事典編集で最も重視されるのが、この幹と枝の関係である。事典編者は、ある事項が他の事項に比べてどのくらい重要か、どの事項とどの事項がどんな関係にあるのかについて繰り返し議論する。百科事典を使い、さらに進んで図書館で本を借り出してある事項について学ぶとき、私たちは関連する諸事項の意味だけでなく、からまり合う概念の関係を構造的に把握していく。ところがネット上の検索システムは、こうした構造的な結び付きなどお構いなしに、一気に探している事項の情報に連れていく。知識の幹と枝の関係など何も知らないでも、知りたい事項の詳しい情報を得ることができるのである。

 大きな歴史の中で言うならば、知識が新しくなるとは、この事項間全体の結びつき方の変化により、様々な情報についての理解の方式が新しくなっていくことである。たとえばコペルニクスが地動説を唱えたとき、彼は何らかの重大な天文学的発見を手にしていたのではなかった。しかし、コペルニクスが生きたのは、およそ半世紀前に発明された活版印刷術によって多数の印刷本が出回り始めた時代である。そのため彼は、それまでの天文学者よりもずっと多くの印刷された観測記録を手元に集めることができた。つまり彼は、「書斎の窓」から世界を眼差すことができるようになった最初の世代なのだ。彼は、そうやって集めた過去の記録を相互に比較参照し、天動説でそれらを解釈する際の矛盾を発見し、すべてをより整合的に説明するための新しい理解の枠組みを提案したのである。

 わたしたちは今、この16世紀のコペルニクスと似た時代を生きている。かつては印刷本により科学者たちが入手できる情報量が激増したのだが、今日の主役はインターネットである。溢れんばかりの情報の海でサイトからサイトへと移動を重ねることで、わたしたちは手軽に大量の情報をかき集めている。「書斎の窓」は「ネットの窓」へ進化し、世界中のアマチュアが、時には専門家顔負けの知識やデータを比較参照する可能性を手にしているのだ。

 おそらくこの類似、つまり16世紀に始まる印刷による情報へのアクセシビリティの爆発的拡大と、わたしたちの時代のインターネットによる同様の爆発的拡大の類似にはさらに考えてみるべきことがある。16世紀という、世界がこれから近代を迎えようとする直前に起きた情報爆発は、せいぜいヨーロッパ世界の中の出来事で、その速度も21世紀初頭の情報爆発に比べればはるかに緩慢だったが、その影響は甚大だった。コペルニクス以降の近代科学やルター以降の宗教改革、さらには出版と結びついた国語や国民意識の形成まで、「近代」という時代の根幹は、まさにこの16世紀の情報爆発を不可欠の前提として生じたのだった。そして今日、わたしたちはそのような「近代」の、いわば出口の時代を生きている。インターネットが世界を日常的に結びつけてしまう時代には、近代の出版と国語、国民の結びつきとは異なる社会の認識地平的な基盤が、やがて登場してくるに違いない。

 しかも、16世紀初頭が21世紀初頭と対比されるのは、情報爆発の面からだけではない。16世紀には、わたしたちの時代につながるもう1つの変化も起き始めていた。大航海時代である。すなわちコロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランといった航海者たちが拡張したヨーロッパは、世界の海を1つの航路でつなぎ、やがては世界そのものを支配下に収めていった。今日、わたしたちはグローバリゼーションの時代を生きているが、航空網や情報網によって結ばれる21世紀のグローバリゼーションは、大航海時代に始められた変化の最終局面であり、両者の間には西欧列強による世界の植民地化の数百年に及ぶプロセスがあった。こうした面でも、16世紀は近代の入口に、21世紀は近代の出口に位置し、この入口と出口の間には一定の位相的ともいえる類似があるのである。

 新しい知の創造は、過去の知との葛藤の中からこそ生まれてくる。知識とは、そのような葛藤を通じ、思考の積み重ねの中で作り変えられていくものである。単に必要な情報を即座に取り出すのではなく、いかに過去の知と対話し、新たな理解の枠組み作りをしていくかが問われる。情報をばらばらに消費するのではなく、それらを相互に結び付け、体系的に理解し、過去の体系に意識的に介入していかなければならない。このこと自体は、古代ギリシアでも、16世紀の西欧でも、現在の私たちの世界でも変わらない。

 しかし今日、ネット時代にあって、実に多くの情報や知識が、グローバルな資本の流れのなかに巻き込まれている。それらは時には法外とも思える価格が付けられ、また時には圧倒的な量の情報の流れのなかで「過去」のものとされ、忘れ去られていく。今日では印刷の時代とは比べものにならない規模で知識と資本の関係は深まっており、ネットを介して「知識」は容易に「ビッグデータ」化し、その収集や分析に莫大な資本が投下されている。しかし、このこと自体が私たちの知識を必ずしも豊かにするわけではない。

 このような時代にあって、私たちは、いかにしてもう1人のコペルニクスになることができるのか。同時に、いかにしてもう1人のコロンブスやマゼランを生まないでおくことができるのか。私たちは21世紀において、16世紀の知識人が挑戦したのに類する新しい知の創造に挑戦したいと思うけれども、あの時代の植民地主義者の後裔になろうとは思わない。「入口」と「出口」は似ているが、やはりその間には大きな違いがあり、それらの先に広がる世界は異なるのだ。この違いの最大のポイントは、知の蓄積、アーカイブ化とその利用の循環路を作ることにあると私は考えている。つまり、単に知識の量を爆発的に増やし、流通速度を速め、グローバル化することだけでは、「ネットの窓」は本当は開かれないのだ。そうではなく、、知を蓄積し、構造化し、再利用していくことを公共的に支える知識循環型社会を構築していくことが肝要である。とはいえ、すでに紙面も尽きたので、この点についての議論は別の機会に譲りたい。

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