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松尾浩也[著]『来し方の記――刑事訴訟法との五〇年』<2008年11月刊>(評者:早稲田大学 田口守一教授)=『書斎の窓』2010年1月・2月合併号に掲載= 更新日:2010年2月8日

 本とは、いずれも著者の分身ではあるが、中にはもはや著者そのものというべき本もある。ここに紹介する松尾浩也著『来し方の記 刑事訴訟法との五〇年』もそういう本である。ただ、副題から示唆されるように、単なる自分史ではない。著者は、「刑事訴訟法こそ我が最良の友」(はしがき)とされる。本書は、「次の世代に引き継がねばならないという思い」(261頁)から、ご自分とその最良の友を語った本である。

 本書は、三部からなっている。第Ⅰ部は「刑事訴訟法との五〇年」であり、資料的にも貴重な戦後刑事訴訟法史となっている。第II部は「師友を偲ぶ」であり、忘れがたい人たちへの想いが捧げられている。第Ⅲ部は「折々の想い」である。第I部は、『法学教室』の2007年4月号から同年12月号までに連載された「松尾浩也先生に聞く」がもとになっている。この連載は、松尾先生のお弟子さんである京都大学の酒巻匡教授のほか、東京大学の大澤裕教授が聞き役を務め、また同じく東京大学の井上正仁教授もオブザーバー参加するというメンバーによって企画されたものである。以下、この第I部を中心に紹介しておこう。

熊本の松尾少年
 話しは、昭和3年、松尾先生の出生からはじまる。熊本県荒尾市の荒尾北尋常小学校から、大牟田市の三池中学校をへて、熊本市の第五高等学校へという若き松尾少年の生い立ちが語られている。 小学校五年生のときの作文がある。「子猫の死」という題だったそうだが、草むらで子猫が死んだ、トンボが飛んで行ったという作文の結びは、「あの子猫の死を知る者は、美しい親切なトンボと、僕と、2、3輪の月見草と、そしてあの時、草むらをかすかにそよがせて通った夕風とであった」という名文で締め括られているという(15頁)。この古い作文を発見したお弟子さんもさることながら、何という小学5年生だったのだろう。文才は子供の時からだったらしい。
 文才は、後日、「精密司法」、「立法はピラミッドのように沈黙する」、「ガラパゴス的状況」、「ワークショップ」、「裁判員」などなど今や共通語となった術語を生み出した。これらの言葉はどこか文学的である。三つ子の魂ということだろうか。
 松尾少年も長じて、第五高等学校に進学することになるが、実は、その進学先は「理科甲類」だった。甲類とは英語が中心の課程である。つまり理系だった。その理系の青年が、なぜ法律学を学ぶことになったのか。その一つのヒントが、「数学というのは理科系の科目の中では一番文科的だという気がするのです」(24頁)という述懐にあるように評者には思われる。松尾青年の中では、理系と文系が自然につながっていたのではなかろうか。もっとも、文系への進学を決めたのは、ゼノンのパラドックスつまりアキレスは亀に追いつかないという有名な問題について独自の解答が見つからず、理系をやめる決心をしたとある(54頁)。評者には、それは文系へ進む口実だったのではないのかと思われて仕方ない。それはともかく、こうして松尾青年は、第五高等学校を主席で卒業し、いよいよ九州を出て、上京することになる。

新刑事訴訟法との出会い
 昭和24年春、東京大学法学部に入学し、生協に行って角帽を購入されるなどほほえましいが、有斐閣で『小六法』も購入されている。後に、平野龍一先生の刑事訴訟法演習に参加されることになった理由について、「直接には講義の魅力に惹かれたわけですが、それ以前にも、最初に六法を手にした入学直後の時期から、刑事訴訟法は新鮮な光を放っているような感じを抱いていました。……平仮名、口語体の刑事訴訟法典は、戦前の暗黒を一掃する法律だと思いました」(71頁)と述べておられる。「我が最良の友」との出会いは、すでに入学の時だったわけである。学んだ理論でも留学の経験でもない、松尾刑事訴訟法学の原点を見る想いがする。
 その後、法学部助手として、内藤謙、藤木英雄、田宮裕の各氏らと研究者の道を歩むことになる。上智大学をへて、昭和35年には、東京大学の助教授に就任される。その頃のことである。平野先生の『法律学全集刑事訴訟法』の執筆の手伝いをされている。「(平野)先生は、有斐閣と関係の深い本郷の旅館、『のせ』に泊まり込んで執筆しておられ、私も毎日のようにそこへ行きました。……しかし、うっかりすると、先生は階下へ降りていってスポーツのテレビを見てしまう。有斐閣編集部からは、若い大橋祥次郎さんが専従でいつも来ていて、先生の原稿を判読しつつ浄書しておられましたが、まあ監視役も兼ねていたかもしれません」(102頁)。名著執筆の楽しい裏話を聞くと、この本もより身近に感ぜられ、今一度読んでみたくなる。

松尾刑事訴訟法学の樹立
 昭和54年には、松尾先生の『刑事訴訟法』の上巻が上梓されたが、その基盤をなす考え方を知る意味でも、本書は貴重である。昭和38年にミシガン大学に留学されるが、「私は、ウォレン・コートの前進に尊敬の念を感じながら勉強していたわけですが、しかし、何か少し留保したい気持ちもありました」(123頁)として、同じミシガン大学に留学された田宮裕氏との違いに触れておられる。この視点は、後に、松尾刑事訴訟法学の一つの基盤をなす刑事手続の日本的特色論につながっていく。
 平野刑事訴訟法学からスタートしつつも、平野理論の「あっさり起訴」には「賛成した人は誰もいません」(198頁)との厳しい評価を示された。こうして、「モデル論」とは一線を画した松尾刑事訴訟法学が樹立された。しかし、平野先生からは、「悉く師を信ずれば師無きに如かず」との平野夫人の書を頂くことになる(237頁に写真)。そして、平野先生への弔辞の末尾を見ると、「門弟松尾浩也」とある(317頁)。ここには深い師弟関係がある。
 ところで、師弟といえば、インタビューアーの弟子が質問する。「私が訓戒を受けたのは、『35歳までは私は酒は飲まなかった。勉強ばかりしていた』ということでしたが、それは真実なのですか。」師は答える、「かなり真実だったと思います。……家の外で飲む習慣は一向身につきませんでしたし、むしろそれはあなた方から教わったような気がします」と(131頁)。この答弁に対する弟子たちの反応は明らかでない。

立法への参画など
 松尾先生は、留学から帰国された後に、法制審議会幹事として刑法改正を審議していた刑事法特別部会などに参加された。以来、少年法、組織犯罪処罰法、犯罪被害者保護法などに関し、法制審議会委員としてあるいは部会長として参画してこられた。平成12年には、法制審議会の会長にも就任され、その翌年には、初代の小野清一郎先生以来空席だった法務省特別顧問に就任され、より広く立法に関与されることになった。
 本書では、このような松尾先生の多彩な活動につき、「立法への関与」、「国内での活動」、「海外との交流」などと手際よく整理して紹介がなされている。とりわけ海外の学者との交流は実に幅広く、数えてみると優に40人を超える。
 第II部と第III部に触れる余裕はなくなったが、「師友を偲ぶ」では多くの知人友人への弔辞が収められ、「折々の想い」では『法学教室』の巻頭言を飾った「濃淡ふたつながら好し」などの名随筆が一挙掲載されている。ヘップバーンへの感謝と尊敬をささげる「次郎の報告(最終回)」(397頁)も一読に値する。

来し方・行く末
 本書を読み終わってしみじみとした感慨にふけるのは評者だけではないであろう。古い禅書に「諸の色境、乃至、善悪に於て、悉く能く微細に分別して染著する所無く、中に於て自在なるを、名づけて慧眼と為し」云々とある(『頓悟要門』)。本書の全編から浮かび上がってくる著者の像には、事の本質を冷静に分析し、強烈な主張はあるが、さりとて異論も受容するといった自由の風がある。慧眼の士とはこのような人のことであろうか。
 松尾先生は、現在、法務省特別顧問、日本学士院会員のほか、今年からは学士会の常務理事などの要職も果たされている。それだけでなく、学会や各大学の研究会などにも参加され、なお刺激的な発言を続けておられる。『来し方』に引き続いて、これからは『行く末』も大いに語って下さることを期待しつつ、筆を擱くことにしよう。

(たぐち・もりかず=早稲田大学大学院法務研究科教授)

来し方の記 -- 刑事訴訟法との五〇年 来し方の記 -- 刑事訴訟法との五〇年

松尾 浩也/著

2008年10月発売
四六判 , 416ページ
定価 3,456円(本体 3,200円)
ISBN 978-4-641-12528-5

刑事訴訟法学の第一人者が語る刑事訴訟法の想い出の数々。法学教室連載「松尾浩也先生に聞く」を「第1部 刑事訴訟法との五〇年」,先師・・・・

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