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書斎の窓

座談会

法律学と経済学をめぐって

東京大学大学院 法学政治学研究科教授 中里 実(司会)
東京大学 社会科学研究所准教授 藤谷武史
東京大学大学院 法学政治学研究科客員教授 J・マーク・ラムザイヤー
ニューヨーク州弁護士(西村あさひ法律事務所 フォーリンアトーニー) 星 明男


中里 実
Nakazato Minoru

藤谷武史
Fujitani Takeshi

J・マーク・ラムザイヤー
J.Mark Ramseyer

星 明男
Hoshi Akio


中里(司会) 今、ハーバード・ロースクールのマーク・ラムザイヤーさんが日本滞在中なので、この機会に、お2人の若手研究者との対話という形で、法律家から見た法律学と経済学の関係について、座談会を企画しました。「法と経済学」をより純化した形で日本に根付かせ、経済学的な方法論で法制度を分析したいと真摯に努力している星明男さんと、経済学の成果を受け止めた上で、その批判的な検討をも交えて法律学の研究に生かすための研究活動を行っている藤谷武史さんのお2人です。

法律学と経済学の関係について

中里 早速、本論に入りましょう。第一番目の質問ですが、経済学的な発想を法律学の中に導入すると言っても、そういう考え方を述べる人、あるいは聞く人によって、持っているイメージが違うのではないかと思います。まず、皆さんが法律学と経済学の関係についてどう捉えているのか。あるいは「法と経済学」についてどんなものだと考えているのか。できれば具体的な例を交えながら、それぞれの理解しているところをおっしゃっていただきたいと思います。ラムザイヤーさんからお願いします。

ラムザイヤー 経済学は、研究のアプローチの1つだと思います。人間の行動を予測するため、そして、いろいろな制度が人間の行動にどんな影響を及ぼしているかを検証するために用いることのできるアプローチだと思い、法律というのは、その研究の対象であり、研究のアプローチではないと思います。「法と経済学」と言うと、これは経済学のアプローチを使って法的現象を分析する研究、法的制度が人間の行動にどんな影響を及ぼしているかを分析する研究だと私は捉えています。

 だとすると、これは経済学の1つの分野であると考えていいのではないかと思います。という事で、日本の学者の中では、とても興味深い「法と経済学」的な研究を行っている人がいます。法学部における研究もありますけれども、経済学部の中で「法と経済学」の研究をしている方々も大勢いることを念頭に置く事が重要だと思います。例えば民法の先生が借地借家法を改正するべきかという問題を扱っているときには、実際に今の借地借家法が、アパートの数量や質の供給にどんな影響を及ぼしているかを研究しなければいけないのですが、こういう研究は法学部でなく経済学部の中ですでに行われており、「法と経済学」というよりも「都市経済学」という名前のもとになされているのです。

 また、労働法を改正しようというときに、日本の労働法によって解雇が制限されていることの影響を考慮しなければいけませんが、これも「労働経済学」ですでに研究されていることです。法律が企業の行動にどんな影響を及ぼしているかという問題を取り上げたものですので、「法と経済学」と考えてもいいかと思います。

 民法の先生が医療過誤の研究をするには、日本の国民健康保険制度が医療サービス提供の量や質、専門化に及ぼす影響を探らなければいけないと思いますが、これも「法と経済学」ですが、「医療経済学」という分野で扱われています。つまり、いろいろな「法と経済学」的な研究が行われていて、今のところ法学部よりも経済学部で研究されている例が多いのではないかと思います。

中里 ありがとうございます。要するに法現象とか法制度は研究の対象、あるいは素材であって、それについて経済学という方法論を用いて研究をする。それが「法と経済学」であり、やっていることは経済学なんだと。だから日本でも経済学者のほうが研究者は多いということですね。

ラムザイヤー そうです。

中里 今の点も踏まえながら、若手のお2人にご意見を伺いたいと思います。星さん、どうですか。

 私の専門は商法ですので、主に商法で経済学がどう用いられているかという点をご紹介いたします。

 これに関しては、東大の藤田教授が1999年の論文で、3つの使い方があるという整理をされています(1)

 1つ目が「最低限の知識としての経済学」です。例えば、平成13年商法改正で新株予約権を転換社債やストックオプション以外の形でも発行できるようになったわけですが、新株予約権について法律上の議論をするときにファイナンス理論で議論されているオプションの性質や価格評価が前提知識として必要になるという意味です。

 2つ目が、「規範的提言を行うための道具としての経済理論」です。一般的に「法と経済学」という言葉でイメージされているものはこれではないかと思いますが、一定のモデルの中で異なるルールを比較し、こちらのルールのほうが効率性を改善するので、このルール設計を採用すべきだという規範的提言をするための分析道具として経済学を用います。

 3つ目が「論点整理の道具としての経済理論」です。例えば、現行法では一定の条件の下で情報開示が強制されています。しかし、一定の前提の下では法令で強制されなくても自発的に情報開示がなされますし、他の前提の下では自発的な情報開示は必ずしも期待できないことが知られています。現在の法制度が、一体どういう前提の下で作られているのか、論点を明確にするために経済学を用いるというものです。

 藤田教授の整理とは別に、2000年代に入ってからの経済学の使い方の傾向として、実証研究が増えているということが挙げられます。2009年の私法学会のシンポジウムでも、実証研究自体がテーマとして取り上げられました(2)。商法学者が単独でやる場合もありますし、経済学者と一緒にやる場合もありますが、これが商法での4つ目の経済学の用い方だと思います。

中里 藤谷さん、お願いします。

藤谷 私は、先ほどラムザイヤー先生が示された「経済学の一分野としての『法と経済学』」というご理解とは区別される形で、法学の研究方法の1つとしての「法と経済学」というのが別途あり得るのではないか、と思っています。もちろん、先ほどラムザイヤー先生が仰ったことには全く異論ありません。経済学その他の社会科学の観点からは、法制度や法実務はそれ自体分析対象である現象に他なりません。

 ただ、「学問」を、仮説の提示と実証による知の体系化の営みという意味での「サイエンス」よりは広く、「何らかの問いを立てて、それに対してシステマティックに答えようとする営み」と捉えれば、法学も学問たり得ると思います。そして、法学にとって重要な問いに対して、経済学的なものの見方が役に立つ場合がある、そのような場合に、それを使うのが「法と経済学」ではないかと思っています。これはラムザイヤー先生が仰ったような経済学的に法現象を分析する研究と全く矛盾しませんし、もちろん両者が協力できる場面もあるでしょう。

 特に、契約法のように、純粋に法律だけの問題だと思われていたところに経済学的なロジックが内在していることが理解されれば、法学の世界では自明視されていた理論が、実はそれほど強い根拠を有していなかった、という批判も可能になる。こういうのが法現象の経済分析とは区別された「法と経済学」の醍醐味ではないか思っています。

中里 私の立場を申し上げておくと、経済学の方法論をどう使うかに関して2つの立場を使い分けていると思います。私自身は法学部に籍を置く法律家ですから、法律学をやらなければいけないのは、本業ですから当然のことです。ところで、租税法を専攻していると経済学者との交流が多く、経済学の成果を取り入れることは当たり前で、それを取り入れないと解釈論もできないし、まして立法論、政策論は全くできないので、法律家として経済学者の成果をいかにうまく取り入れるかに努力してきました。

 けれども法律家としての私は、経済学の成果を取り入れるだけでなく、例えば歴史学あるいは政治学の成果でも、使えるものは何でも取り入れてしまおうと思っています。例えば課税権の背後には国家主権の感覚があり、今の国家主権の概念を理論化したのは16世紀のジャン・ボダン等ですが、制度的に確立したのは1648年のウェストファリア条約です。これで主権国家の併存状態という今の国際秩序ができ、内部的に絶対的な主権、その主権国家同士の関係としての国際関係という枠組みができたわけで、これ自体は政治学や歴史学のテーマだと思います。しかし、当然、これらも租税法の研究に取り入れていくわけで、他の学問の成果で法律学で使えるものはいっぱいあります。その中で経済学や歴史学は非常に使い勝手がいいという感覚で、対応しているのが第一の立場です。

 もう1つは、今の人格と使い分けているのですが、経済学的な手法で経済分析をすることも行ってきました。これは私個人というよりも、ラムザイヤーさんと一緒に、教えていただきながらやってきたもので、私が経済分析するときは、昔書いたノーマティヴな論文でも、最近の統計分析を用いた実証分析でも、英語で出していて、それをやっているときに自分は法律家であるという意識は特に持っておらず、面白いからやっているということです。ことさら「法と経済学」をやっているという意識もない。

 このように、法律家としてのアプローチと経済的なアプローチと両方やってきて、その間に矛盾も感じていないし、どちらも楽しい。そういう感じなのです。ただ、いつかはその2つを統合したいと思いますが、できなくてもいいだろうとも思っています。ですからラムザイヤーさんの立場も分かるし、藤谷さんの立場も分かるということです。それぞれ少し考え方が違う。そこがまたこの分野の面白さですね。

アメリカにおける「法と経済学」

中里 それでは、2番目のテーマにまいりましょう。これは主としてラムザイヤーさんにお聞きしますが、必要に応じて星さんや藤谷さんのご意見もお聞きしたいと思っています。アメリカで「法と経済学」の手法が、どのような背景の下に生じてきて、どのような理由で成功を収めてきたと考えるか、まずラムザイヤーさんのご意見をお聞きします。

ラムザイヤー アメリカでは法律以外のことを学部で学んでから、法律をロースクール、大学院で勉強します。ですから、例えば経済学を4年間、いい大学だとかなり高いレベルまで勉強した人が大勢いるわけです。今、ハーバード・ロースクールに来ている学生で、いちばん多いのは経済学と歴史学の出身者です。一流の大学で教えているリベラルアーツの教育は、研究の方法を教えていますので、ビジネスは教えていないし法律も教えていない。教えているのは、どうやって社会の現象を分析すべきかということです。いろいろなアプローチを4年間勉強してから、ロースクールに来て初めて法律を勉強するわけですので、「法と経済学」がアメリカで発展した理由は、学部レベルの法学教育がないからではないかと思います。

中里 この「法と経済学」というディシプリンが生まれるに際して、ポズナー先生の影響はいかがですか。

ラムザイヤー 圧倒的に強い影響です。ロナルド・コースがソーシャル・コストという有名な論文を出してノーベル賞をもらいましたけれども、その分野を開拓したのがリチャード・ポズナーだと思います。

中里 今のラムザイヤー先生の発言を受けて、今度は藤谷さんからお聞きしましょうか。

藤谷 今のラムザイヤー先生のお話に共感するところがあります。私が学部生のときに感じた疑問は、自分を含めた多くの法学部生は、法律のことだけを勉強して、それだけで世の中を知った気になっていくが、それでいいのか、ということでした。もちろん法律家になるためには専門家としての集中的なトレーニングは必要だと思いますが、アメリカであれば学部生でリベラルアーツを学ぶのと同じ年代に、日本の法学部生は覚えたての法律専門用語を振り回して悦に入っている、という状況が、私の周りだけかもしれませんが、見られたように思います。私自身が早い段階に「法と経済学」に魅力を感じたのも、法を学びつつも視野を広げる、という点に関係があったと思います。

中里 それでは星さんにお伺いしたいのですが、星さんは経済学の手法を完全に身に付けている商法の先生方に囲まれてトレーニングを受けてきて、しかも弁護士事務所でも草野耕一先生など、そういう分野に興味のある方に囲まれていらっしゃって、研究でも実務でも、両方で経済学を意識せざるを得ない状況で、そういう点で非常にレベルの高い教育を、この分野で受けてきている数少ない方だと思います。あなたから見てアメリカの研究状況はどうですか。日本の研究も含めて。

 まず、先ほどの藤谷さんのお話を受けて思ったのが、実務でも日本の弁護士は法律しか勉強してきていないことが多いということです。先ほどラムザイヤー先生から、アメリカでは4年間ほかの分野を勉強してから、ロースクールに行くというお話がありましたが、これは研究者に限らず実務家にも当てはまります。例えば、国際的な契約交渉の相手方として出て来るアメリカの法律事務所の弁護士は、法律以外の学士の学位を当然持っていますし、それに加えて法律以外の修士号やPh.D.を持っている人も少なくありません。

 これと関連する話ですが、エンプティ・ボーディングと呼ばれている現象があります。これは、会社法では認められていない議決権と株式の経済的権利の分離を達成する手法のことです。よく知られているのは、株式を保有したまま、トータル・リターン・スワップを証券会社との間で結んで、経済的利益の部分だけを証券会社に移して議決権を行使するというやり方です。

 こういった発想は、法律だけ勉強していてもなかなか生まれてこないと思います。私自身がこの事象について初めてアドバイスを求められたのも海外のファンドでした。デリバティブを使って議決権と経済的権利を分離してしまおうという発想は、日本ではなかなか自発的には出て来ないのではないかと思います。

中里 エンプティ・ボーディングについては、トータル・リターン・スワップを使って、ファイナンスの技術としてアプローチしていく方法は当然あると思いますが、もう1つの方法として、ローマ法のユースス・フルクトゥス、英語でユースフラクトを使って、ストック(元物)の権利とフロー(果実)の権利を分けてしまう。配当を得る権利を民法を使って株式から分離してしまうことが可能で、それを使った課税逃れ商品も実はできています。ただ、会社法上、それが許されるかどうかは微妙なところがありますが、うまくやると多分できるので、案外、発想はファイナンスなのでしょうけれども、技術としてローマ法由来のユースフラクトを使うこともあり得るので、そこが法律の奥の深さなのでしょうね。それを経済学と割り切るのか民法と割り切るのか、いろいろな見方が多分できる。あるいはローマ法をファイナンス理論で分析することも不可能ではないところに面白さがある。

 あと、租税制度は公共経済学や財政学など、経済学の分野で一生懸命議論されてきました。もちろん法律学の分野でも一生懸命議論されてきましたから、もともと複数の学問が、同じ課税という現象に対してアプローチしてきたという歴史が、どの国でもあるわけです。そうすると、同じ対象を研究しているのだったら経済学の成果も法律学に取り入れようということは、極めて自然に出てくるのだと思います。租税法の勉強をしている結果として、何の違和感もなく経済学の方法論を取り入れた上で、租税法の勉強をしようということが自然に行えるようになった。それは何と言っても、金子宏先生がそういうことをなさっていたのを、我々が教えていただいたことが大きいのだと思います。租税法という学問分野を専攻していたお陰で、経済学から離れて法律学をやることは、どうも難しいのではないかという意識を若い頃から持ってきたという点があると思います。だから、特に経済学をやろうと思ってやったのではなく、租税をやる以上、経済学を勉強する必要性があった。それは会社法もそうかもしれませんね、そういうところがあります。

 もう1つ、これは個人的な経験ですが、貝塚啓明先生、浜田宏一先生、石弘光先生など、講義やお話や論文を通じて経済学の先生の業績を、法律学の勉強とは別に大学に入った頃から学んできた経験があったので、金子先生の租税法がすんなりと頭の中に入ってきて、だからそれを専攻しようという気持ちになった。これは偶然ですね。

 アメリカの租税法の論文を見ていると、シャウプ勧告以来、どんな経済学を使うかはともかく、それを制度の中に取り入れるのは当たり前のことです。シャウプ勧告自体、シャウプ先生、サリー先生、ヴィクリー先生、ウォレン先生等、経済学者と法律学者が共同で報告書を作成したわけですから。

日本における「法と経済学」

中里 経済学的な分析が法律学の世界でどのように生じてきたのかに関して、アメリカの状況についてお話を伺いましたが、話をクリアにするために、ここで日本においてはどうかに関して改めて話をしていきましょう。まず、星さん、お願いします。

 はじめに商法の状況からご紹介したいと思います。商法と言っても主に組織法のことでして、取引法分野では、あまり経済分析は用いられていません。パイオニアとして活躍されたのは東大の神田教授で、シカゴ大学のレブモア教授と共同で書かれた論文(3)が嚆矢となりました。それ以外にも個々の業績はたくさんあるのですが、経済学の手法の普及という意味では、民事訴訟法の小林教授と共著で書かれた『「法と経済学」入門』(4)が大きな役割を果たしたと思います。

 その次に経済学的な分析手法を広めるのに非常に大きな役割を果たされたのは藤田教授です。個別の論文で経済学的手法を用いられていることは言うまでもありませんが、『法学教室』の連載「Law & Economics 会社法」(5)が若い世代の商法学者に与えた影響は大きいと思います。

 もう1つは、90年代に東大経済学部の三輪教授が中心となって、「株式会社の法と経済学に関する研究会」というのをやっておられました。この研究会では経済学者と商法学者が一緒に研究をし、お互いに教え合うという側面もあったと思いますけれども、その成果が『会社法の経済学』という本(6)にまとめられています 。これらの動きを通じて、80年代後半から90年代にかけて、徐々に経済学的な手法が商法に取り入れられていったと認識しています。私が東大の研究室で商法の勉強をはじめたのは2001年からですので、ちょうどその影響を強く受けている世代になります。

中里 藤谷さん、お願いします。

藤谷 各分野にいくつかの例外的な業績はありますが、実定法全体として見た場合には、「法と経済学」の発展なり定着というのは、なかなか難しい状況にあるのではないかと思っています。

 実はこうした状況自体、経済学的に分析してみると面白い問題ではないかと思います。日本の実定法学教育・研究の「市場」において、経済学的手法を用いるスタイルが少数にとどまるという均衡が成立しているのかというのはなぜか。実はこの点については、2010年に、経済学者の加賀見一彰先生(東洋大学)がゲーム理論を応用して書かれた論文(7)があります。エッセンスのみご紹介すると、法現象に関与するプレーヤー(実務法曹・法学者)が、「実践的な行動指針」としての法命題の優劣を競い合うゲームとして法現象を捉えると、合理的なプレーヤーが先例の蓄積によって形成された共通認識・通説から大きく逸脱しない立論をすることが(立法論の場面も含めた)ナッシュ均衡になっており、そのような状況下で経済学的アプローチに基づく議論をしても法に影響を与えにくい、そのように現状が理解できる、というものです。もちろんこのことは、先ほどラムザイヤー先生のお話にあった、経済学部において、経済学の観点から、法制度を分析する研究が盛んであるという現象とは矛盾しないわけです。両者は異なる「ゲーム」なのですから。

 他方で、先ほどの星さんのお話の中で経済学者と法律学者がお互いに教え合う、ということが出てきましたが、そういう関係がある場合には、いい循環が回るのだろうと思います。でも、例えば租税法の分野において、経済学の方々が細かい法制度の話についてどのぐらい関心を持たれるかというと、難しいかもしれない。そうすると教え合う関係にならないということがあるのかもしれません。もちろん、法学者の方でも、自分の領分は法技術的なところだと自己限定してしまっている部分もあるかもしれません。その背後には先ほど話に出た、法学部の教育のあり方の問題もあるでしょう。例えば、学部のときに経済学なり政治学に触れてきた人が、ロースクールで憲法の授業を聴くと、ポリティカル・エコノミーの授業でこういうふうに分析したのに、なぜこの授業ではそこに触れないのだろうという疑問は当然湧いてくるでしょうし、そこから研究の種が見つかることが、アメリカではあるように思いますが、日本では、とりわけ私が属している公法の分野では、なかなかそういう話になりにくいと思っています。

中里 私が日本の「法と経済学」をどう見ているかですが、特に経済学を意識しないでやってきたと先ほど申し上げました。課税の対象は経済取引で、この経済取引は何らかの経済的な目的があって、それを民法や私法のアレンジメントを用いて構成する形で行われています。したがって、課税に関して議論を行うためには、経済取引の経済的な構造と私法的な構造の両方を理解することは、当然の前提となり、それを前提とせずに租税法律の解釈だけをやっても無理だということです。なお、ファイナンス取引に関しては少し事情が特殊だったのかもしれませんが、私法上の議論が必ずしも十分に行われていない段階で、それに対してどのような課税を行ったらいいかを、我々は示す必要があった。そこで、私法をある意味飛び越えて、いきなりファイナンスの理論の基本的な考え方を勉強し、そこから直接的にどういうふうに課税していくべきかを勉強する。これは偶然ですが、そういうことをやりました。今は私法も一緒になった議論もできますが、当時はなかなかそれが難しかったので、ファイナンスの勉強を自分はしてきたところがあります。ただ、租税法のほかの研究者が、ファイナンスに興味を持ったかどうかと言われると、私の教え子たちはともかくとして、あまり影響力はなかったのかもしれません。ラムザイヤーさんは、日本の「法と経済学」をアメリカから見ていて、どんな印象をお持ちですか。

ラムザイヤー 皆さんがおっしゃったとおりだと思います。ただ、私が付け加えたいのは、これまでのお話は主に法学部での「法と経済学」の話であって、経済学部で更にいろいろ興味深い研究が行われているということです。

中里 経済学部で経済学者の方がどんなことをやっているかに関して、私たちが十分にフォローしていないところが日本においてはあると。

ラムザイヤー そうかもしれませんね。

中里 分かりました。それは確かにそうかもしれません。交流が不十分ということが結構あって、それは反省しなければいけないですね。

アメリカの論文について

 それでは次の問題に入りたいと思います。アメリカにおける最近の傾向として、例えば『ジャーナル・オブ・リーガル・スタディーズ』その他、「法と経済学」の一流の雑誌にアクセプトされる論文の傾向に変化はあるのか。その傾向についてラムザイヤー先生にお伺いしたいと思います。

ラムザイヤー はっきりした変化があります。テクニカルになりつつあるところです。これはなぜかと言うと、1つは、最近の若い人は主に経済学のPh.D.をとっています。その結果、例えば『ジャーナル・オブ・リーガル・スタディーズ』では、純粋な経済学の論文に近いものを優遇して扱っているような気がします。

 「法と経済学」的な論文を書けば、「法と経済学」というサブフィールドの雑誌だと5、6誌ありますが、そのようなことについて興味を持っている経済学の雑誌だと、更に5、6誌あります。

中里 ありがとうございます。星さん、この点、いかがですか。

 主に会社法・証券法の分野になりますが、私から見ていても、90年代ぐらいまではモデルを使った分析が多かった印象を持っています。例えば、ハーバード大学のルシアン・ベブチュック教授が1994年に発表した「エフィシェント・アンド・インエフィシェント・セールズ・オブ・コーポレート・コントロール」という論文(8)があります。この論文は非常にシンプルなモデルを用いて明解な結論を導いています。つまり、マーケット・ルールとイコール・オポチュニティー・ルールという2つの対極的なモデルを考え、マーケット・ルールでは、効率的な支配権の移転を阻害しないが、非効率な支配権の移転も止められないということを示し、イコール・オポチュニティー・ルールでは、効率的な支配権の移転を止めてしまうことがあるが、非効率な支配権の移転を抑止することができるということを示しています。

 ところが、ベブチュック教授の研究も、2000年代に入ると、ほとんどが実証研究です。例えば、2005年の論文(9)では、スタッガード・ボードを採用している会社のトービンのqは、統計的に見て有意に低いという実証研究をやっています。ベブチュック教授は代表例ですが、90年代ぐらいまではモデル分析が多く行われており、2000年代に入ってからは圧倒的に実証分析が増えてきたというイメージを持っています。また、先ほどラムザイヤー先生が触れられていたように、会社法・証券法の若手研究者は、経済学、それも計量経済学のPh.D.を持っていることが普通になってきていて、実証研究のウエイトが高まってきたという印象を持っています。

中里 藤谷さん、この件に関しては、いかがですか。

藤谷 私が見ている租税法の分野では、近年、経済学的な洗練度を加えていけばいくほど、現実の法律論・政策論に及ぼす影響が逆に弱まっていくという傾向があるかもしれません。おそらく80年代から90年代には、もう少し素朴なモデルによって租税法政策の様々な問題に経済学的な発想が持ち込まれ、それを読んだ人々がインスパイアされて次々と新しい論文を生み出していく、という状況があったように思います。私自身が中里先生の下で租税法の研究を始めたときには、まさにそうした研究動向の恩恵を受けることができました。しかし、最近のアメリカの若い世代はそういう素朴な議論ではもはや相手にされないので、もっと経済学的に洗練された方法を用いなければならない。その分だけ、今までインスピレーションを与え合っていた関係が、だんだん遠ざかっていくのかもしれない。どちらが良い悪いではなく、そういう印象を持っています。

中里 私はラムザイヤーさんの影響を非常に強く受けています。初めてお会いしたのは1985年の夏ですけれども、それからすぐラショナル・リティガントという日本人の訴訟嫌いについて、計量分析というほどではありませんが、実証的なものを意識して入れたものをやりました。最近ではラスムッセン教授も一緒に本当のデータを解析する統計分析ですね、トービットなども使いますからかなり複雑なものですが、そういうものをやってきている。といっても、私がやっているのはほんのごく一部にすぎないのですが、本格的な実証にシフトしてきていますね。

 ただ、日本に関して実証研究を行おうとすると、経済学会で若手の経済学者から批判が出たように公的なデータの入手が困難です。だからといって誰にでも出せばいいというものではない、秘密のデータもありますからね。この難しさがあるので、もうちょっとデータがみんなで使えるような形に加工されていたらいいなと思いますし、その点がちょっと残念だと思います。

藤谷 若干、勤務先の宣伝になりますが、東京大学社会科学研究所には社会調査・データアーカイブ研究センターという附属機関があり、先行する社会調査において収集された様々な個票データの寄託を受けてアーカイブ化して、申請に応じて他の研究者が別の新たな研究のために利用できるシステムを作っています。ただ、日本全体としてまだまだ遅れているのは事実です。

 データの利用に関しては、分野ごとに結構違いがあると思っています。証券法や会社法の場合ですと、何と言っても株価がありますし、企業業績も開示されますので実証研究はやりやすい。他方で日本で実証研究が難しいのも事実でして、例えば中里先生とラムザイヤー先生は日本の役員報酬についての実証研究をされていますが、アメリカでは上場会社の上位5名のオフィサーの報酬は個別開示されます。日本では、比較的最近になって1億円以上が個別開示になりましたが、それまで個別開示は全くされていなかった。アメリカでは非常に盛んな役員報酬関係の実証研究が、非常にやりにくい状況です。また、アメリカでは一定規模のM&Aになると契約書自体が開示されますけれども、日本の場合は主要条件がプレスリリースに出ているだけで契約書自体は開示されません。最近アメリカで増えてきたM&A契約条項の実証分析を日本でやろうとしても、なかなか必要な情報を手に入れられない状況があります。

共同研究の意義

中里 ありがとうございます。実証的な研究を本格的に行うとなると、どうしても経済学者との共同研究が重要な意味を持ってくると思いますが、共同研究について、どのようにお考えになっているか、お聞きしたいと思います。

ラムザイヤー 重要だと思います。特に私にとっては、日本のことを「法と経済学」的に研究しようとするときに、日本関係のことは、例えば中里さんと一緒に論文を書いて教えてもらう。経済学のほうはPh.D.の経済学者と一緒に研究をする。一応政治学についても興味がありましたので、Ph.D.の政治学者と一緒に研究をする。そういう点で有益だったのです。

 と言いますのは、共同研究の相手は、とてもレベルの高い家庭教師と考えてもいいかと思います。間違っているときははっきり「間違っている」と言ってくれるし、どうやって正しく解決できるかを教えてくれるという点で、ものすごく重要なのです。年を取ってくると、「ノー」と言ってくれる人が少なくなりますが、共同の研究の相手はいつでも言ってくれるのです。

中里 星さんどうですか。

 最近の日本の商法学界の傾向としては、商法学者と計量経済学者の共同研究が増えてきています。具体例を申し上げますと、「買収防衛策導入の業績情報効果」という論文(10)があります。2005年に、ちょうど日本で敵対的買収と買収防衛策が流行り出した頃ですが、イベント・スタディを行い、買収防衛策を導入した企業には株価にネガティブな反応があったことを発見しています。

 また、親子上場に関する実証研究(11)も公表されています。一般的に日本の商法学界では、親子上場は良くないと考えられてきたわけですが、実はそんなことはないのではないかという問題提起がされています。IPOのときにはIPOアンダープライシングという現象が知られていますが、親子上場の場合は、IPOアンダープライシングが統計的に有意に小さいということが発見されていますし、上場子会社のパフォーマンスを見ても、独立企業と比べて有意に高いという結果が出ています。

 私自身も関与したものとしては、MBOに関する実証研究(12)があります。MBOの分野では「レックスホールディングス事件」という有名な事件があります。これは、MBOの事案で、少数株主の行った価格決定申立請求に対して、裁判所が価格決定を行った事案です。地裁ではTOB価格と同額を取得価格としたのですが、高裁決定が6か月の平均株価に20パーセント上乗せしたものを取得価格と判断したため、実務的には大きな影響があると受け止められてきました。レックスホールディングス事件がその後の買収プレミアムにどういう影響があったのかを計量経済学的手法で調べたのがこの実証研究です。レックスホールディングス事件後、MBOを含めたTOB全体に関してはプレミアムに大きな変化はなかったのですが、MBOだけ取り出してみると、有意にプレミアムが上がっていることが分かりました。

 では、実際に共同研究で、経済学者と我々法律家はどのような役割分担をしているか。これは組合せによって様々なのかもしれませんが、私の個人的な経験からしますと、法律家には次のような役割があります。

 一番大きいのがアイディアの提供です。先ほど申し上げたMBOの実証研究の最初の動機は、経済産業省のMBO指針です。MBO指針の中に少数株主を保護するために、こういった方策を取るのが望ましいということが書いてあります。MBO指針で挙げられている少数株主保護のための措置を取ったら、本当に買収対価に影響があるのか検証してみたいというのが、最初の研究動機でした。研究の過程でいろいろなやり取りがあって、最終的にはレックスホールディングス事件の影響に焦点を絞ったのですが、特別委員会設置の影響も、実証分析の中では扱っています。

 2つ目は、情報の入手の仕方について経済学者にインプットすることです。日本の公開買付規制の開示ルールでは、少数株主の保護のために取った措置を開示書類上に記載することが求められていますが、特別委員会設置の影響を調べるには、特別委員会を設置したかどうかについて、対象期間中の公開買付届書を1つずつ見ていって、データ化するという作業を行います。そのために開示書類のどこを見ればよいかを経済学者にインプットするという役割です。

 3つ目は主として法律分野の先行業績をチェックするというものです。

 4つ目は、法制度の説明に関する部分を実際に執筆することです。

 最後は分析結果の解釈です。この部分は、経済学者と我々法律家とがお互いに議論しながら、最終的に文章にまとめるわけですが、特に法制度設計に対するインプリケーションに関しては、我々法律家のほうが知見を持っていることがあります。

 他方で、回帰分析自体は経済学者にお任せするというのが私の経験です。

中里 藤谷さん、何かコメントがあればお願いします。

藤谷 大変興味深く拝聴しました。お話を伺っていて、おそらくポイントは3つあると思いました。1つは、お互いに「言葉が通じる」ということが、最低限の条件だろうと思います。回帰分析の結果を見せられたときに、その最低限の解釈ができないと話にならないわけです。

 第2に、これが一番重要ではないかと思ったのは、「何が面白いか」という問題関心を共有できるということなのではないでしょうか。関心が交わらないと、そもそも共同研究ができないので、そういう研究パートナーをうまく見つけられるか、あるいは研究分野のカップリングがあるかどうか。いまの星さんの例で言えば、金融経済学と会社法・証券法ということになるのだろうと思います。そして、自分ならではの貢献ができることが第3のポイントなのだろうと思いました。

中里 私自身の経験からすると、ラムザイヤーさんとの共同研究は、一方的に教えていただくことが多くて、こんな結構な話はないという感じで、英語の業績は自分だけでできたかというと、かなり疑問で、ラムザイヤーさんのお陰で、そういうのに参加できて、とても運が良かったと思います。

共同研究の発表と読者

 さて、共同研究の成果をどのようなジャーナルに載せて、どのような人に読んでいただくかという問題に移りたいと思います。ラムザイヤー先生、いかがですか。

ラムザイヤー 「法と経済学」の論文を書けば、いろいろな所に出すことが可能です。1つは、学生が編集しているローレビュー、2つ目は「法と経済学」の専門誌、もう1つは経済学の雑誌。私は1回政治学の雑誌に出したこともありますが、論文を書くときに、どこに出したいかを考えて書かないといけないと思います。もともとローレビューに出そうと思って書き上げた論文を、後から経済学の雑誌に出そうと思っても無理です。中里さんと共著のものは「法と経済学」の雑誌に出したこともありますし、純粋な経済学の雑誌に出したこともあります。他には『ジャーナル・オブ・エンピリカル・リーガル・スタディーズ』という統計的、実証的な法律に関する研究を出す雑誌があります。これは経済学的な研究だけではなく、例えば心理学や社会学の研究でも、統計的であれば出せるようなところです。

 先ほど日本でのいくつかの実証研究をご紹介させていただいたのですが、いずれも出ているのは『商事法務』でして、経済学のジャーナルには出ていません。少なくとも私が知っている範囲内では、日本の商法学者が経済学の専門誌に載せようとしているという話は聞いたことがありません。私はいまファイナンスの研究者の方々と、ファイナンスの専門誌に載せることを前提に英語でペーパーを書いていますが、まだワーキングペーパー段階です。

 以上は供給側の話ですが、需要側の話としては、最近の日本の若手の会社法・証券法の研究者は、ローレビューだけを読んでいるわけではなくて、関係する分野の経済学の専門誌は読んでいると認識しています。

 例えば、私の分野では『ジャーナル・オブ・ファイナンス』や『ジャーナル・オブ・ファイナンシャル・エコノミクス』に掲載されている論文はよく読んでいます。ファイナンスの分野ではコーポレートガバナンスというのは1つの分野として確立していて、コーポレートガバナンスの研究者の論文はこういった雑誌に載りますし、それを先行業績として当然チェックしておかなければいけない。その意味で、需要側としては経済学者の論文も読んでいます。ただ、供給側の問題として、経済学の専門誌にまだ出せていないというのは今後の課題であると思っています。

中里 藤谷さん、いかがですか。

藤谷 今のお話を伺って、ジャーナルの選択、あるいはオーディエンスが誰かということに関心を持ちました。学問研究ですから、それ自体洗練度を高めていけば、その専門のオーディエンスに対して、良い、悪いという評価がされるのは当然のことだと思いますが、その外側の問題、ということです。

 最近、アメリカのロースクールの実務家教員や法曹協会などの間には、ロースクール教育が過度に理論に偏っており実務のニーズと乖離している、という批判が強くなっている、という話も聞きます。もちろんここでの「理論」は、日本的な解釈論の体系としての法学理論ではなく、社会科学的な方法論によって法を理解するアプローチのことです。こうした批判によると、例えば裁判官がローレビューの論文を読んでもあまりに抽象的すぎて実際の役に立たない、というのです。おそらく経済学の専門学術誌はそもそも読まないのでしょうが、読んでも理解できるか、難しいものがあるでしょう。このような批判は、ハーバードやイェールのような上位校では問題にならないのでしょうが、中堅どころのロースクールではそれなりに切実なようです。

 他方、日本は法科大学院導入以降、逆に実務重視が少し強調され過ぎている気もしますので、我が国とアメリカのこの10年間の有り様のギャップのようなものが少し気になっています。

中里 法律家たる者、事実に基づいて何かを述べるべきであって、感覚に基づいて述べるべきではないと思います。私は実証研究というのは、たとえ統計の方法は分からなくても結論は尊重していいのではないかと思っています。その意味でラムザイヤーさんと、昔の30代半ばぐらいの『ジャーナル・オブ・リーガル・スタディーズ』とか、ここ数年ですが、『ジャーナル・オブ・エコノミックス・アンド・マネージメント・ストラテジー』あるいは『ジャーナル・オブ・エンピリカル・リーガル・スタディーズ』という、かなり一流の経済学の雑誌の論文に名前が載っていますが、私の場合はあまり大したコントリュビューションはできていないので、幸運なことだと思っています。

 その中で自分の法律論にどうやって実証の結果を入れていくかについて、考える切っ掛けになって、とてもよかったと思っています。

 次に、経済分析が実務から見て役に立たないという批判があるとき、経済分析をしている人間はどう答えるのかという問題についてお伺いしてみたいと思います。星さん、いかがですか。

 これは立場によって、かなり反応が違うと私は思っております。いわゆる伝統的な法律学が提供している解釈論の需要者はかなりはっきりしており、裁判官とリティゲーターと言われる法廷弁護士が中心です。彼らは自分の法的判断とか、法廷での主張・立証の拠り所になるものが欲しいわけです。その意味で伝統的な解釈論の需要は絶対になくならないわけです。

 他方、私が実務でやっているのは、取引に関するアドバイスでして、トランザクション・ロイヤーと言われる役割です。具体的には、いろいろな取引のスキームを考えたり、契約書をドラフトしたりしています。

 先ほどラムザイヤー先生が、「法と経済学」では法制度が人間の事前の行動にどう影響を与えるかが分析の視点だとおっしゃっていましたが、これは取引を組み立てていく立場からは非常に役に立つ話です。私自身も情報の経済学のインプリケーションは常に頭に置いて契約交渉をしています。

 例えば、株式譲渡契約には表明保証条項が入っており、一定の事項が真実ですということを述べるわけですが、表明保証条項の基本的な役割は、経済学的にいうと、シグナリングです。他方で、表明保証の違反は補償責任に結び付きますので、やり過ぎてもいけません。シグナリングの機能を損なわずに補償責任とのバランスをとることが重要になります。このような意味で、取引を実際に組み立てていく立場からすると、経済学のインプリケーションは、非常に役立ちます。

中里 ラムザイヤー先生、いかがですか。

ラムザイヤー ときどきハーバードの教授会でもめるとき、この問題が出るのです。「私たちは弁護士を養成する所だ。なぜこんな理論的なことをやっているのか」と。最近の若い助教授は100パーセントに近い人がPh.D.を取っています。経済学か歴史学が多く、ときどき政治学のPh.D.もいます。弁護士として働いた経験を積んだ人をアファマテイブ・アクション(逆差別)の1つのカテゴリーとして取り扱うべきではないかと正式には言われていませんが、それに近いところです。

中里 私は法律家のニーズを満たす研究と自分の学問的好奇心を満たす経済学の研究の両方を1人の人間がやればいいと思います。両方やれば頭の中で何かの化学反応が起こるから、それでいいのではないかと割り切っています。藤谷さん、いかがですか。

藤谷 私も、いま言われたことに異論はありません。どちらか一方しかしてはならないという話ではないと思います。経済学に触れることで法律家としても考えるヒントが得られるということは、個人的な実感としても、大いにあると思います。

 つけ加えるならば、法のユーザーの側でも経済学を必要とする局面は様々であり、経済学的な分析と法の間のインターフェースも多様なものがある、ということでしょうか。

 例えば、経済学が重要な役割を果たす法分野の1つとして、独禁法の分野があります。これは京都大学の川濵昇先生がある所で述べておられることですが(13)、独禁法では、法律の要件自体が経済学的にしか定義できない事実内容、経験則を前提に定められることがあります。例えば競争制限という概念がそれに当たります。そうすると、裁判官も否応無しに経済学の助けを借りざるを得ないわけです。刑事裁判における法医学と同様の、「法廷経済学」というニーズですね。

 あるいはそこまで直接的でなくても、最近の藤田教授の論文(14)で整理されているように、契約法の経済分析が一義的な答えを与えてくれるわけではないけれども、従来のドグマとされてきた考え方に対して新たな角度から批判するきっかけになるという部分は無視できないのではないかと思っています。もちろん、実証分析によって得られる示唆もどんどん大きくなっています。ですから、様々なインターフェースがあり得る、ということですね。

 藤谷さんが挙げられた、実際の法廷の場で経済学を利用しなければいけない場面は、会社法の分野でも増えてきています。

 例えば、新株予約権の有利発行の事件ではオプション評価モデルが用いられていますし、株式買取請求の事件では、マーケットモデルによる回帰分析結果が裁判所に提出されるようになってきています。

藤谷 少し抽象的な話になってしまうかもしれませんが、先ほど中里先生が「法律家たる者、事実に基づいて何かを述べるべきであって、感覚に基づいて述べるべきではない」と指摘され、実証分析の重要性に触れられたことに関連して述べたいと思います。

 まず、私も基本的にこの点に異論ありません。明らかに事実に反する思い込みを法律論と称して押し付けることは厳に慎むべきです。

 ただ他方で、科学的「事実」というものは常に将来の反証に対して開かれているものです。ですから、これまで共有されてきた最善の方法論の下で「実証」されたことをさしあたり「事実」とする一方で、将来、新たな理論や解釈によって「事実ではなかった」とされる可能性は留保されている。そうすると、立法論や解釈論に求められる「事実に基づく(evidence-based)」ということと、科学的「事実」は、似ているようで少し違うのではないかという気はするのです。そのことだけ留保した上で、法律家も事実に即して議論すべきであり、そのときに実証分析が大きな助けになる、ということに私も賛成します。

 実証分析の話の補足になりますが、先ほど少し申し上げた法律側から経済学にどうインプットしていくかということが、大きなテーマとしてあります。経済学者との間でうまく共同研究をやっていこうとすると、経済学の分析の枠組みに乗る形で、法制度を「翻訳」してあげる必要があります。

 極端な例で申し上げますと、コーポレート・ファイナンスの分野で、非常に大きな影響を持った研究に、ハーバード大学のシュライファー教授を中心とする4人の経済学者の研究(15)があります 。この研究グループは頭文字をとってLLSVと呼ばれています。この研究では、世界各国の少数株主保護の制度をインデックス化しました。6項目あって、6点が最高です。結果を単純化すると、法律による少数株主保護の程度と株式所有の分散と経済発展の度合いに相関があることが示されています。各国の法制度をコモンロー系、ドイツ法系、フランス法系に分け、コモンロー系に高い点数、フランス法系に低い点数が出ています。そして、コモンロー系で株式所有が一番分散しており、少数株主保護のインデックスが低いフランス系やドイツ系の国では株式所有が集中している。さらに、株式所有構造が分散しているコモンロー諸国でもっとも資本市場が発達しているということ示して、非常に大きな影響を持ちました。

 法律家の目から見ますと、1、2、3、4、5、6という点数の付け方でいいのかというそもそもの問題があるのですが、それは経済学の分析手法の発展に伴って、今後進展していくところだと思いますので、その是非は置くことにします。

 問題は、この研究が法制度の調査を正しく行えていたかということです。比較的最近になってハーバード・ロースクールのスパマン助教授が、この点の再調査(16)を行いました。彼の研究では、実際に各国の法律家に対する調査を行った結果、LLSVのインデックスの多くが間違っていたことが指摘されています。その上で、新しく取り直したインデックスを用いると、LLSVが発見した相関関係の多くは消えてしまうことが示されました。

 この話から得られる教訓は、まず事実として正しいかどうかという根本的な所に法律家が関与していないと、間違った事実に基づく実証研究が行われてしまう可能性があるのではないかということです。その次の段階として、法律を、どう経済分析の枠組みに持っていくか、その持っていき方がどれだけ洗練されたものになり得るかという課題があると思います。いまの主要な実証研究では、インデックスという形でしか、法制度を経済学の分析枠組みに「翻訳」できていない。今後どのように「翻訳」の精度を高めていくのかというのが大きな課題ではないかと思います。

藤谷 今の星さんのご指摘は、すごく面白いと思いましたし、またそれは先ほどおっしゃっていた共同研究に法学者が参加して、実質的な貢献ができる場面ということなのだろうと思いました。

 また、今のお話の逆から言えば、経済学と法律学とは、同じ世界、同じ現象を見ていても、その切り取り方が違うのだろうと思います。ですから、経済学的に得られた知見を法制度にもう1回持ち込むためには、例えば解釈論においては裁判官が適用可能な概念に加工し直すことも必要ですし、立法論として見たときにも、法律要件としてそういうものが書けるかどうかということは考えなければいけないのだろうと思います。

 例えば経済学には最適課税論という分野があります。様々な稼得能力を持った人々が社会に分布する中で、どのような課税ベース・税率構造を設計すると最も社会厚生が高まるかを分析する、非常にフォーマルな研究です。その専門の経済学者の間でも議論はあるのですが、大勢としては、労働所得に対してのみ課税するのがよいということになるようです。さて、これを仮に経済学的に裏打ちされた真理として受け入れたとしても、それに見合った租税法を作ろうと思うと、結構大変です。例えば、経済学的に定義された「労働所得」は、自分の労働を投入して得られた対価ですが、事業所得のような資産と労働が結合した所得や、最近のアメリカで問題となった、ファンドマネージャーが報酬を株式の値上がりで受け取るcarried interestのようなものも、一部は「労働所得」として切り出さなければ理論通りの結果にならない。しかしそれを実現するための課税要件をどう書くか。ここに、経済学者が言っていることを精確に理解した上で、もう一度立法論、解釈論を行う法律家の役割もあるのかと思います。

ロースクールにおける経済学教育の意味

中里 それでは、ロースクールにおける経済学的な教育の意味について、ラムザイヤーさんにお伺いします。

ラムザイヤー 私はいろいろな点で意味があると思います。法律の教育を受けた、例えば私のような人間が、「法と経済学」の研究ができるところにまで自分の経済学教育を高めることはとても難しいのです。

 私の経験で言いますと、1つは経済学の雑誌を毎週、毎月読むことです。さらに、できるだけ経済学の授業に出ることです。ですから、ロースクールの学生のときに、できるだけ経済学部の授業を取る。助教授になっても経済学部に行って授業に出る。それも重要ですし、共同で研究することも重要です。私にとって一番役に立つのは経済学のワークショップに出ることです。プロのレベルで論文を出そうとしているわけですから、本当のプロがどういう点を気にするのか、どういうことを批判して、もし間違っていれば、どうやってその問題を直すことができるのかについて、毎週経済学部でやっているワークショップに出れば必然的に身に付くことになると思います。

中里 コメントはいかがですか。

藤谷 今の話は、研究者を志す人に対する教育ですよね。他方、実務法曹を志す人にとっても、「初級ミクロ経済学」のような形で、別に最先端ではなくても、経済学の考え方に触れることは意味があると思います。そのための教育には、どういう方法があるでしょうか。例えば、法学部(ロースクール)で、「法と経済学」ないし経済学的分析方法、という形で教えるか、それとも法学部生の必修科目として経済学部の初級ミクロ経済学を履修させる、という方法もあると思いますが、どうお考えですか?

ラムザイヤー アメリカでは、これは大学院のレベルの教育ですから、学部のところで経済学を勉強した人が3割か4割ぐらいではないですかね。

 日本だと先ほど申し上げたように、法学以外のバックグラウンドがほとんどない人が弁護士になっていますので、私が勤めている西村あさひ法律事務所では、新人弁護士に経済学的な考え方に接する機会を与えています。新人弁護士は、入所して最初の2か月間ぐらい、集中トレーニングを受けるのですが、その中にファイナンス理論という科目を入れています。時間的な制約もあり、本当に基礎的なことしか扱えませんので当然不十分ですが、彼らがその後自分で勉強していく上での最初のきっかけと考えています。

中里 私自身は法科大学院で、課税とともにファイナンスの基本を教えるとか、課税とともにM&Aの経済分析を教えるとか、いろいろとやっているのですが、非常に優秀な学生が集まってきて、彼らは将来、弁護士事務所に入ったときに、大きな競争上のアドバンテージを持つでしょうね。事務所に入ってすぐに、どこまで実務ができるかはともかく、予備知識が入っていますからかなり有利でしょう。そういう知識を備えていることが、これからのあなた方の付加価値だと言うと、賢いですから、みんなすぐ分かります。

経済分析の魅力

中里 最後に、経済分析の魅力について、それぞれお考えを述べていただきたいと思います。

 私の個人的な経験からは、経済分析の手法を勉強するようになってから視野が広がったというか、今まで見えてなかったものが見えるようになったのが非常に魅力的なところです。

 具体的に申しますと、私の専門である企業買収の分野では法律だけ考えていても、ほとんど何も分からない。その背後にある市場でプレーヤーがどう動いているのか経済学的な分析を通じて考えて、初めて制度設計が成り立つという世界ですので、そういうところに着眼することで、これまで見えていなかったものがよく見えるようになってきたということが大きな魅力です。

伝統的な商法学の論文だけを読んでいると、少数株主の保護というのは、ある種の絶対的な命題のように扱われていて、どうやって保護するかということだけを論じていて、なぜ保護しなければいけないかということはほとんど言及されていないのです。しかし、その背後にある市場のことも考えてみると、先ほど親子上場の実証研究の話が出ましたが、親も子も株式が分散所有されている状況では、投資家は両者に分散投資をしていますので、親子の間で利益移転があっても、それ自体により利益を害されることはないのです。ただし、少数株主保護の法制度がどうなっているかによって、事前の投資行動に与える影響は変わってくる。そこが大事だということが、経済学をやると分かります。

 ところが、伝統的な法律学だけやっていますと、事前の投資行動への影響にはあまり着眼しないで、親子間での利益移転だけを見てしまう。私は経済学を勉強するようになってからは見えるポイントが広がって、非常によかったと思っています。

藤谷 いま星さんが述べられたことに付け加えるべきことはほとんどありません。法あるいは法学というものが自己完結していないんだ、ということを、もちろん抽象的に教えても構わないのですが、経済学という道具で一貫したものの見方をすることで、それに気が付くチャンスは高まると思います。

 もう少し抽象的に言えば、法は現実社会の一面を切り取り、フィクションの世界としてこれを扱っているわけですが、法学部で法律だけを勉強していると、それが社会そのものであるかのように思ってしまう。しかし、例えば実証分析のごく初歩的な知識があるだけでも、今までの法律学の当たり前の世界が当たり前ではないということに気が付きます。

 それに優秀な学生というのは、分野を問わず面白いものが好きですから、法学部で法学だけをやっていると、飽きてしまうと思います。別に経済学でなければならないとは思いませんが、例えば経済学の見方で法をもっと立体的に見ることで、彼らに法律学も好きになってもらいたいし、それ以上に、社会に対する感覚の鋭さ、あるいは面白いと思う感性の鋭さみたいなものを養ってもらえるだろう、と思います。私自身、中里先生の下で、経済学的なものの見方で租税法を見るというトレーニングを受けられたことが幸運だったと思っています。

 私の分野に近い所で具体例を挙げておくと、租税法とコーポレート・ガバナンスの話は、法学部的な見方では、「租税法」と「会社法」という形で別の問題だと考えられています。しかし、経済学的に考えて、両者の間に関係があるという仮説を立て、実証分析も行ったデサイ教授らの共同研究(17)がありました。こういう思考喚起的な研究がどんどん出てきてほしいですし、私自身もそういう形でやっていきたいと思っています。

ラムザイヤー いま星さん、藤谷さんがおっしゃったとおりだと思います。魅力はどこにあるかというと、面白いから、やるのが楽しいと私は思うのです。

 私がこれをやり出したのは30年前の1980年代ですが、当時は今とは別世界でした。今は「法と経済学」と言うと、主流みたいなものですが、私が書き出したときは、けしからん研究だと怒った人の数が圧倒的に多かった時代です。でも、正直に言いますと、年配の先生方を怒らせた事自体が「法と経済学」の1つの魅力の点であったのでしょうね。

中里 これは私自身の感想ですが、私が研究者になったころの租税法は、課税庁と納税者の間の対立関係を法的に分析する学問でした。金子先生は既に経済学を導入していらっしゃいましたが。私は課税庁と納税者の関係だけを考えても駄目なのではないかと思いました。なぜなら、納税者になろうとしない存在があって、課税を逃がれている。この存在を分析のターゲットに入れなかったら、租税法は成り立たないのではないかと思いました。

 課税逃れ取引の構造を分析することなしに租税法はできないと判断したわけです。ですから、課税逃がれ取引がどういう経済構造で作られ、どういう私法上のアレンジメントで作られるかを、ずっと勉強してきました。それは租税法学者のやるべきことではないのかもしれませんが、租税法律の解釈よりも、取引の経済理論と私法上の構造にフォーカスして、それをやってきたわけです。

 そのように課税逃がれ取引の経済分析、課税逃がれ取引の私法上の構造の分析をやろうと決めたときに、研究者としては陽のあたる路は歩けないという自信があって、それでも面白いからいいやということでやってきたのです。しかし、現実には、あまり茨でもなかったのです。そういう法律の解釈をあまりやらない、もちろんある程度はやっていましたが、課税逃がれ取引の経済分析や私法上の構造を分析する租税法学者の存在を、一橋大学も東京大学も許してくれたのです。あまりそれでいやな思いをした覚えはありません。変なことをやっている人間だなと思われたことはあると思いますが、寛容な職場で寛容な先生方や同僚に恵まれて、幸せです。そこでラムザイヤーさんと知り合えたわけですから、何というか、人間自由なことをやってもいいのではないかと思います。

 法律学の研究にとって有用なものであれば、経済学でも歴史学でも、各人の興味に従って用いていけば、法律学の研究というのは、より実りの多いものになるのではないかと思いますし、法律学はそういう種々雑多なものを取り込むだけの懐の深さのある学問ではないかと思っています。そういうことのできるところが、法律学の研究の醍醐味なのではないかと思います。

 いろいろな方々にお世話になりながら、私たち全員それぞれ自由なやり方で伸び伸びといろいろなことができるということが、「法と経済学」に限らず、研究者になって幸せであったということなのではないでしょうか。余計なことを言ってはいけませんが、私の高校の同級生で、陛下の心臓のバイバス手術をした心臓外科医の天野篤君は、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」という名言を残していますから、いい意味で少し出過ぎるくらいに頑張りましょう。

 以上です。どうもありがとうございました。



(1) 藤田友敬「商法と経済理論」ジュリ1155号69頁(1999)。

(2) 「〈シンポジウム〉コーポレート・ガバナンスと実証分析――会社法への示唆」私法72号53頁以下(2010)。

(3) Hideki Kanda & Saul Levmore, The Appraisal Remedy and the Goal of Corporate Law, 32 UCLA L. Rev. 429 (1985).

(4) 小林秀之=神田秀樹『「法と経済学」入門』(弘文堂、1986)。

(5) 藤田友敬「Law & Economics 会社法(1)―(12)」法教259号(2002)―270号(2003)。

(6) 三輪芳朗=神田秀樹=柳川範之編『会社法の経済学』(東京大学出版会、1998)。

(7) 加賀見一彰「無駄ヅモ無き「法と経済学」改革」新世代法政策学研究(北海道大学)7号345頁(2010)。

(8) Lucian Arye Bebchuk, Efficient and Inefficient Sales of Corporate Control, 109 Q. J. Econ. 957 (1994).

(9) Lucian A. Bebchuk & Alma Cohen, The Costs of Entrenched Boards,78 J. Fin. Econ. 409 (2005).

(10) 広瀬純夫=藤田友敬=柳川範之「買収防衛策導入の業績情報効果」商事1826号4頁(2008)。

(11) 宍戸善一=新田敬佑=宮島英昭「親子上場をめぐる議論に対する問題提起[上][中][下]」商事1898号38頁、1899号4頁、1900号35頁(2010)。

(12) 井上光太郎=中山龍太郎=増井陽子「レックスホールディングス事件は何をもたらしたか」商事1918号4頁(2010)。

(13) 川濵昇「独禁法における「法と経済学」」国際経済法学会年報第15号100頁(2006)。

(14) 藤田友敬「契約法の経済学:契約関係への最適投資のためのインセンティブ・メカニズム」ソフトロー研究11号141頁(2008)。

(15) Rafael La Porta, et al., Legal Determinants of External Finance, 52 J. Fin. 1131 (1997); Rafael La Porta, et al., Law and Finance, 106, J. Pol. Econ. 1113 (1998); Rafael La Porta, et al., Corporate Ownership Around the World, 54 J. Fin. 471 (1999)など。

(16) Holger Spamann, The "Antidirector Rights Index" Revisited, 23 Rev. Fin. Stud. 467 (2010).

(17) 邦語による紹介として参照、渕圭吾「Mihir A. Desai and Dhammika Dharmapala, Tax and Corporate Governance: An Economic Approach, in Wolfgang Schön (ed.), Tax and Corporate Governance」(学界展望・租税法)国家学会雑誌123巻3・4号410―413頁(2010)。

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