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2025/11/18 最終更新

認知科学をはじめる Web限定コラム

第10章 判断・意思決定

規範に収まらない人間の心の性質――アンカリング効果はエラーなのか?

 

 1.「誤り」としての認知バイアス観

人間の判断や意思決定は,しばしば非合理であると考えられてきた。特に,トヴェルスキーとカーネマンが提唱したヒューリスティックとバイアス研究は,人間の認知が「無関係な情報に影響される」ことを実証的に示したことで知られている(Tversky & Kahneman, 1974)。なかでもアンカリング効果は,人がある数値を提示された後に推定を行うと,その数値(アンカー)に引きずられて回答が偏るという現象である。トヴェルスキーとカーネマンの実験では,参加者の前でルーレット盤を回し,止まった位置が指し示す数値をアンカーとして提示した。すなわち,まったく無関係な数値であっても,人間の推定はその影響を受けるのである。

 

アンカリング効果は『Nudge』(Thaler & Sunstein, 2008)の1章,「BIASES AND BLUNDERS」(バイアスと誤謬)において一例として紹介されており,この章の最後は「この章の目的は,人間の誤りやすさを簡潔に垣間見ることであった」(Our goal in this chapter has been to offer a brief glimpse at human fallibility)とまとめられている。このように,認知バイアスは長らく人間の認知の欠陥を示すものとして位置づけられてきた。心理学・認知科学において「是正すべきエラー」として扱われることが多いのである。

 

2. アンカリング効果の「誤り」とは何か

アンカリング効果が示す「誤り」とは一体何を意味するのだろうか。これについては,2つの視点から整理することが重要である(本田, 2023)。

 

2.1. 規範からの逸脱としての誤り

1つは,(1)「無関係な数値に影響されるべきではない」という規範的な立場から見た誤りである。たしかに,ルーレット盤のように偶然出た数値が自分の推定に影響するというのは,理屈の上では非合理に思える。この意味では,トヴェルスキーとカーネマンの研究は「人間の思考は驚くほど非合理である」として考えることができる。アンカリング効果が多くの研究で繰り返し確認されていることを考えると,人間がこの規範から逸脱する傾向をもつことは確かであろう。

 

2.2. 推定の誤差としての誤り

もう1つの考え方は,(2)「アンカーに影響された推定は,影響されなかった場合よりも誤差が大きくなる」という意味での誤りである。つまり,アンカーが原因で推定の正確性が下がるという見方である。セイラーとサンスティーンが『Nudge』の中で指摘している点は,このような視点からの主張であると考えられる(Thaler & Sunstein, 2008)。

 

2.3. 2つの誤りは同一か?

アンカリング効果について説明がなされる場合,実はこの2つの点が混同され,明確な区分がなされないことが多い。つまりほぼ同義として理解されていると考えられる。直感的には,無関係な数値に影響を受ければ,推定の誤差は増えそうであるのは確かであるが,それでは(2)の誤りを実証的に示す研究は存在するのだろうか。実は直接検証した研究は驚くほど少ない。たとえば,トヴェルスキーとカーネマンが実施した実験は,高いアンカーと低いアンカーを提示した後の推定を比較しただけで,「アンカーがない場合」との比較は行っていない。このような実験デザインの研究が実はかなり多いのである。またアンカーを提示しない条件を設けた場合であっても,アンカーによって誤差が生み出されたことを明確に示す研究はほとんどない存在しない(本田, 2023)。

 

3. アンカリング効果によって推定はむしろ正確になる場合がある

アンカーに影響を受けた推定値は,本当に誤りを生み出すのだろうか。この問いに対して示唆を与える研究として,本田らの研究を紹介したい(Honda et al., 2024)。この研究では,実験参加者に対して図 1に示すような,フレーム内に描かれたドットの数を0〜1000の範囲で推定してもらった。アンカーを提示する条件では,まず「ドット数はXより多いと思いますか,それとも少ないと思いますか?」という比較判断を行ってもらい,その後で「フレーム内のドット数はいくつだと思いますか?」と実際の推定値を回答してもらった。アンカーを提示しない条件では,アンカーは提示せずに推定値のみ回答をしてもらった。アンカーを提示する条件では,表 1に示すように,ドットの実際の数(正解値)とアンカーの関係がさまざまになるよう条件を設定した。すなわち,アンカーが正解値に近い場合,正解値から遠い場合など,両者の距離が異なる複数の関係性を設けたのである。アンカリング効果とは,提示されたアンカーに推定が引き寄せられるというバイアスである。したがって,もしアンカーが正解値に近ければ,アンカーの影響を受けた推定値の誤差は小さくなるはずである。逆に,アンカーが正解値から大きく離れていれば,推定誤差は大きくなるだろう。よって,表 1に示すようにアンカーを設定した場合,アンカーに影響を受けた推定値は正確にも不正確にもなり得る。すなわち,アンカーの影響が必ずしも不正確さをもたらすとは限らないと考えられる。

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 図 1 本田らの実験(Honda et al., 2024)で提示された図。これの正解は223。

 

 

20022_tab1表 1 本田らの実験(Honda et al., 2024)で提示された画像の正解値とアンカーの値。

 

推定の結果を図 2に示す。この図では,アンカーを提示しなかった場合の推定誤差(正解値からの絶対誤差)と,アンカーを提示した場合の推定誤差を比較し,15問を通じての中央値を示している。結果としてアンカーに影響を受けた推定値は誤差が大きくなるわけではないことがわかった。そして驚くことに,この実験ではむしろアンカーに影響を受けることによって,推定はやや正確になった。このように,アンカリング効果が生み出す推定の誤差は,実験条件の設計によって生じる相対的な現象である可能性がある。

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図 2 アンカーの影響がない場合と比較した時の推定誤差の相対的な割合。この値は15問通じての中央値を示している。赤点線よりも上側であれば,アンカーに影響を受けた推定値のエラーが大きいことを意味し,下側であればアンカーに影響を受けた推定値が正確であることを意味する。

 

では,実験者があらかじめ正解を知ることができない場合,たとえば未来の事象を予測するような課題では,アンカリング効果はどのように働くのだろうか。本田らはこの点を検討するため,医師を対象として1か月後の新型コロナウイルス新規感染者数を予測する課題を実施した(Honda et al., 2024)。具体的には,2022年6月20日から22日にかけて,「8月1日の新規感染者数は何人だと思うか?」という質問に回答してもらった。つまり,この課題は実験者も参加者も正解を知ることができない,未来予測の実験であった。アンカーの値は,低アンカーとして10,高アンカーとして200,000を設定した。これらの値は実験開始前に研究チーム内で協議のうえ決定したものである。特に高アンカーの200,000という数値は,実験計画を立案していた6月初旬の時点で,それまでの全国の新規感染者数の最大値(約100,000人)のほぼ2倍に相当する値として設定したものであった。なお,当時は感染者数が減少傾向にあり,200,000という数値はむしろ「非現実的な高値」として想定されていた。

 

ところが,実験の結果は予想外の展開を見せた。実験実施後,感染者数は急激に増加し,8月1日には新規感染者数が200,000人を超える事態となったのである。各群の推定結果を図 3に示す。この図では,実際の感染者数(211,494人)との差に基づき,推定の正確性を3つに分類している。具体的には,正答値から±30,000人以内を「正答」,それより少ない場合を「過少推定」,それより多い場合を「過大推定」とした。結果として,多くの医師の推定は過少推定となった。これは,回答時点では感染者数が減少傾向にあり,過去最大値を大きく上回るような急増を誰も予測できなかったためである。この課題は,未来予測は多くの不確実性を伴うものであり,専門家であっても未来予測がいかに困難であるかを示す結果となった。しかし,その中でも比較的正確な推定ができたのは,高アンカー条件の医師であった。高アンカー(200,000)に影響を受けた参加者の推定値は,結果的に実際の値に最も近い場合が多かった。これは,偶然にもアンカーの数値と真の値が非常に近かったことによって生じた結果であると解釈できる。

 

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図 3 医師による1カ月後の新型コロナウイルスの新規感染者数の予測(Honda et al., 2024)。正解値から±30,000以内を「正確な推定」として,それより低い場合は「過少推定」,それより高い場合は「過大推定」とした。

 

このように,アンカーに影響を受けた推定が,場合によっては正解に近づくことが現実的に起こりうる。つまり,アンカリング効果が誤りを生むとは限らず,むしろ正確さを高めることもある。最終的には,推定の正確性はアンカーと真の値との関係に依存するのである。特に重要なのは,未来予測のように正解が事前にわからない場合,この関係を誰もコントロールできないという点である。言い換えれば,アンカーに影響を受けた推定が正確になるか否かは,誰にも予測ができないのである。

 

4. まとめ:アンカーに影響されるのは私たちの認知の多様性を示す

ここまで見てきたように,アンカリング効果は状況によって誤差を大きくすることもあれば,逆に推定の正確性を高めることもある。その結果が一貫しない理由は,私たちの認知が一様ではなく,多様な方向に働くからである。人間の思考は,常に同じ方向に偏るのではなく,状況や文脈,経験によって異なる影響を受ける。このような多様性こそが,私たちの認知の柔軟性を示しているといえる。アンカリング効果は,単なる認知の欠陥ではなく,人間の思考の多様性を反映した現象として理解することができる。すなわち,アンカーに影響されるということは,私たちの認知が外部環境からの情報を柔軟に取り込み,異なる観点から世界を捉えるしくみを備えていることを意味する。人間の判断は,単なるノイズや誤差の集積ではなく,「多様な視点の分布」として理解することができる。アンカリング効果は,こうした認知の多様性が具体的に現れた一例なのである。

 

このように考えると,アンカーに影響されることは誤りではなく,むしろ人間らしい知的特性の表れである。もし私たちの思考が常に同じ方向にしか動かないとすれば,環境の変化に適応する柔軟性を失ってしまうだろう。アンカリング効果は,人間が限られた情報の中で多様な仮説を立て,異なる方向から世界を理解しようとする,その認知の豊かさを映し出しているのである。

 

 

文献

  • 本田秀仁.(2023).「エラーか合理性理解の出発点か?――認知バイアスの意味を再考する」『基礎心理学研究』 42 128–133.
  • Honda, H., Kagawa, R., & Shirasuna, M.  (2024). The nature of anchor-biased estimates and its application to the wisdom of crowds. Cognition, 246, 105758.
  • Thaler, R., & Sunstein, C. R. (2008).  Nudge: Improving decisions about health, wealth and happiness. Simon & Schuster.
  • Tversky, A., & Kahneman, D. (1974).  Judgment under uncertainty: Heuristics and biases. Science, 185, 1124–1131.